バリエーション山行同人

藪岩、沢等を中心としたバリエーションルートを中心とした山行を志向しています。

多摩川水系 北秋川 シンナソー (2023.5.6)

2023-05-07 15:06:40 | 

今年の初沢である。私にとっては、2016年以来の同じ5月の遡行である。

朝7:40に武蔵五日市駅を出たバスは、払沢の滝入口を過ぎると乗客は疎らになり、終点の藤倉で降りたのは我々3名のみであった。バスを降りて十字路を西に進むと、以前、空き家(?)と思われた民家の玄関には食堂を思わせる看板が立てかけられていた。以前はその空き家(?)に降りる階段を使わせてもらって河原に降りていたが、「私有地に付き立入禁止」の看板もあったため、少し道を遡った先のガードレールの隙間から河原に降りていく踏み跡を発見。かなり急で滑りやすい場所であったが、一部、補助ロープが付けられていて何とか無事、シンナソー出合の河原に降り立つことができた。

▼降り立った河原の対岸にあるシンナソー出合

出合にある小滝を越えていくと、取水用と思われる黒いホースが何本か横たわっていた。以前来た時は、何やら産業廃棄物的なものが散在しておりあまり良い印象の無かった出合付近であったが、今回はすっきりとした感じで、水も綺麗であった(水量はやや少なめ)。

シンナソーは行程こそ短いものの、そこそこの滝やゴルジュ、小滝、ゴーロなどバラエティに富んだ渓相を楽しめるコンパクトな沢であった。

▼水量は少なめ。

▼傾斜の強めの滝では、ロープを出して越えた。

新緑の若葉が茂る中、無事遡行を終え、源流上部の二俣を左に進み、正面の小尾根を直登して、流域最上部を目指して詰めを登る。無事稜線には出たものの、期待していた登山道が見当たらず、地図を見ながら少々戸惑った。結局、出くわすはずだった浅間尾根登山道は、稜線南側を巻いて通っており、我々が到達した稜線から南側に降りることでようやく現在位置の確証を得ることができた(詰めの際には、正面を直上せずに、シンナソーの左側に常に並行している藤倉方面に下る登山道を目指して、早めに左側の斜面を詰めて行った方が良いようだ)。

浅間尾根に出た後は、新緑や藤の花を愛でながら登山道を降り、途中、木庵という民宿兼食堂(入浴もできるらしい)で太く腰の強い蕎麦と上品な薄味で味付けされた煮物を堪能した。帰りのバスの時間がだいぶ空いていたので、最寄りの浅間尾根登山口バス停には向かわず、対岸の藤の花を観賞するなどして檜原街道を下って笛吹(うずしき)入口バス停まで歩き、その後バスで武蔵五日市駅まで戻った。

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奥秩父 瑞牆山東尾根から小川山 (2023.5.3-4)

2023-05-05 14:17:00 | 尾根

折角のGWなのでどこか手頃な山に行こうと考えていたところ、相棒が瑞牆山にまだ行ったことが無いという。私は若い頃から何度もあり、また百名山特有の人の多さに抵抗を感じ、最近はとんとご無沙汰であったが、バリエーション尾根を組み合わせて、山頂での展望が良くないと聞いていたことからこれまでなかなか行く機会が無かった小川山にも足を延ばしてみることにした。本来であれば、前夜発日帰りで踏破できそうな行程ではあるが、今回は余裕を持たせて、初日は富士見平までの移動に留めて幕営とし、翌日早朝から行動を開始することにした。

朝のんびり家を出て、韮崎駅11:00発のみずがき山荘前行きのバスに乗り込む。朝一番のバスは、4、5台出たそうだが、中途半端なこの時間では10数名の1台のみで出発した。途中、「ハイジの村」というフラワーセンタ施設の停留所を経由しながら、増冨温泉(日帰り温泉施設は休業らしい)を通り、懐かしの林道を遡って、里宮平の瑞牆山荘前に到着した(12:20頃)。

▼久々の瑞牆山荘

▼里宮平の手前から路肩での駐車が目立ち始め、辺りは駐車した車で大混雑

1時間弱で富士見平に到着。樹間のテント場はかなり広いが、良い場所はほぼ埋まっており、何とか適当な場所を見つけ、テントを張る(今となっては安い部類の1000円/人泊)。また歩いて数分の場所にある水場は水量が豊富で冷たく美味!

▼キャンプ場の雰囲気。空いてそうな写真だが、かなりの混雑だった。

翌朝は4:30起床。簡単なラーメンを食べて、テントを残置して出発しようとしたところ、ちょっとした予期せぬ出来事が発生。幕営者向けのトイレが、男性=大1小1、女性=1しかなく、長蛇の列が出現。1時間以上もかかってようやく出発と相成った(6:20発)。

▼途中、八丁平を経て小川山方面に向かう道が分岐。帰路はここに戻ってくることになる。

天鳥川を渡渉し、桃太路岩の右脇に作られた立派な階段を登って、瑞牆山の山すそに入る。真新しい鎖やハシゴがあちこちに作られ、また踏み跡も輻輳した感じで、登る人降りる人が交錯しかなり混雑。

▼途中、ロープ柵を越えてパノラマコースに少し入り、大ヤスリ岩の基部に立ち寄る。

道はほどなく黒森からの道と合流し、山頂へ北側から取り付く急登に入る。人が多く、少々渋滞。歩行には大して支障はないが、融けて凍った雪が少々残っていた。

▼快晴の山頂。南アも雪が少ないようだ。

▼瑞牆山山頂から、これより辿る東尾根と小川山(左端)を望む。意外に遠そうだ。東尾根上の鋸岩が手前に見えるが、この後、その左側(北側)をトラバースして進むことになる。

山頂から来た道を戻り、山頂基部へ降りる鉄ハシゴを降りた後、来た道とは逆の右側(東側)に折れて東尾根を進む。

▼鉄ハシゴから右を見たところ。辺りに赤リボンや標識らしきものはない。8:45頃

▼ひさし状に被さった岩の下をクラックに指を置きながら慎重に進む。東尾根ではここが難所かも。バリエーション慣れしていれば、それほど厳しくはないかも。

▼東尾根上には巨大な岩峰が断続的に現れるがほぼ左側(北側)に沿って、明瞭な踏み跡と赤リボン&テープに従って進む。所々に雪が残っていたが、歩行に支障はなかった。

▼東尾根序盤にはもう1つちょっとした核心部があり、この大きなひさし状の岩の左側の急な斜面を細くて頼りないフィックスロープに沿って下る(岩の上は通らない)。ここも気を付ければ大したことはない。

▼東尾根を辿ることで、瑞牆山の裏側(北側)の景色を振り返って望むことができた。

▼明瞭な踏み跡や赤テープが多く見られるものの、東尾根全般は原生林の深山の趣があって素晴らしい。

東尾根の鞍部から徐々に高度を上げていくといきなり道標が現われ、大日岩と小川山を結ぶトレイルに合流した(10:30頃)。

▼東尾根の終点に置かれた道標。辺りに東尾根の入口を示すものは無い(細い幹に2重に巻かれた赤テープのみ)。

 

ここで小川山へのピストンへと進むかしばし熟考したが、頑張って進むことにした。小川山への道は素晴らしい原生林の中を緩やかに進む感じで、奥秩父の原始の風景とも言えるかもしれない。途中、2箇所ほど展望のきく小岩峰があった(往路はこの2つを辿ったが、帰路は南側の岩峰を通らずに来てしまった。尾根上に踏み跡が複数あるようだ)。

▼小川山に向かう途中の岩峰から西側を見ると瑞牆山の北面を望むことができた。

地形図とは異なり、小川山山頂手前で廻り目平からの登路と合流し、だらだらとした緩やかな長い登りを経て小川山山頂に到着。辺りは、廻り目平方面への旧道へ入り込むことを防ぐためか、縦横に緑色のロープが張られており、侵入できないようになっていた。

▼樹林に囲まれ展望のない小スペースの小川山山頂(12:00頃)

▼小川山に至る原生林の森

東尾根の分岐を越えると県境尾根は岩が目立ち始め、足元が少し荒れた感じになり、少しペースが落ちる感じになる。

▼大日岩方面との分岐の八丁平。草原状の鞍部を想像していたが、深い樹林の中だった。

八丁平からは緩くトラバースするように道が付けられており、徐々に標高を下げていく。

▼途中、天鳥川源流部を2回渡渉する。明るい雰囲気と清涼な流れを満喫した。

▼瑞牆山表登山道に合流する少し手前の樹間から、今日辿りし東尾根方面を俯瞰する。

▼無事、富士見平小屋に帰還。テントを撤収し、里宮平へ向かう。

瑞牆山荘前16:30発の最終バスで帰るつもりだったが、16:00発の韮崎駅直行臨時バスを運行してくれるとのことで大いに助かった。このバスは増冨温泉を経由せず、黒森経由で塩川ダムで合流し、韮崎駅に向かった。韮崎駅からは17:10発の普通高尾行に乗り込んだが、特急あずさの遅れの影響を受けてしまい、20分ほど遅れて高尾駅に到着した。

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山梨 浜立山南西尾根から滝子山 (2023.4.23)

2023-04-23 18:20:59 | 尾根

中央本線の初狩駅付近から見上げる滝子山が好きで、これまで登路を変えながら何度も登った山である(私にしては何度も登る山は珍しい)。今回も運動不足解消を兼ねて、これまで行ったことのなかった浜立山の南西側に伸びる尾根を使って滝子山に登ってみた。

朝7時過ぎ、笹子駅に降り立つ。GW直前のせいか車内は比較的閑散。それでも笹子駅には10数名の登山客が下車。

▼笹子駅に降りたらお約束の笹子餅を早速買い求める(5個入り500円)。店の看板がいつのまにか赤色(あずき色?)に代わっていた(以前はモノトーンだったような)。

▼国道20号線、長く急な林道を辿り、懐かしい道証地蔵の分岐に到着

沢に降りて、橋で左岸に渡る。山行記には、浜立山南西尾根は2つめの鉄塔の先と有ったので、注意して進む。2つめの鉄塔を過ぎてすぐのところ(右側)に丸太を横にして整備された感じの作業道が分岐する。すぐ先には赤テープが結び付けられている。たぶん、ここかと思いつつ、単なる作業道の可能性もあるため、慎重を期して先へ進む。すると登山道が右に屈曲する辺りがいかにも尾根の末端という感じで、ここから取り付くことにした。

▼尾根の取り付き。斜面は急だが、踏み跡の先に赤テープあり。

尾根は最初こそかなり急だったが、次第に穏やかになり、顕著な尾根に乗ってからは迷うような箇所も無く、若葉繁る林の中を順調に高度を稼いで行く。

▼中腹辺りから、ツツジが多く見られた。丁度良い時期に訪れられてよかった。

だいぶ登ったかなと思ったころ、ふと右側に「仏岩頭入口」の手製の看板がぶら下がっていた。その先、数分の小ピークが浜立山であった。

▼尾根上のちょっとした高まりに山名標があった。注意しないと左側を巻いてしまう人が多そうだ。

▼南稜に下る分岐。ここは一応破線ルートだが、かなりの人数のハイカー(ヘルメットをかぶった子供連れを含む)がここを利用して滝子山を目指したようだ。笹子からの車利用の場合、周回コースが取れて便利なのだろう。

滝子山の西峰への急登でやや渋滞が発生していたほど、滝子山山頂は入れ代わり立ち代わりで常に10人ほどのハイカーがたむろしている感じでごった返していた(11:00頃)。

▼山頂から北側を望む。午前中は曇っており、南側の富士山は見えなかった。

▼滝子山全体にツツジが多いようで、藤沢集落へ下る女坂周辺にも数多くのツツジ林が見られた。

▼林道に降りてすぐに、大きな藤の樹が目に飛び込んできた。中央本線からの車窓からも多くの藤色を愛でることができた。藤沢集落でも多くの民家の庭先が鮮やかな花々で彩られていた。

▼初狩駅のホームから、辿りし滝子山の稜線を遠望する。14:34の電車で帰京。

浜立山南西尾根は取り付きの辺りを注意すれば、尾根道もはっきりしているし、赤テープ/リボン類も多いので、一般登山道並みの気軽さで利用できる登路と思われる。一方下りにとると、急下降が続くため、人によっては難儀するかもしれない。

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金目川水系 水無川 沖ノ源次郎沢(2023.1.3)

2023-01-04 10:08:31 | 

若い頃にはよく行った東丹沢であるが、ヒルが増えてからはさっぱり行かなくなった(特に沢)。今回、久しぶりのクライミング練習を兼ねて、涸沢の沖ノ源次郎沢を選んだ。

寒い朝であったが、渋沢駅では臨時便のバスが出るほど登山者が多かった。早朝、バスで久々の大倉に降り立つ。例によって長い長い戸川林道を進む。途中、新茅ノ沢(新しい看板が立てられていた)を覗き込んだ後、戸沢の駐車場にて一息を入れる。

▼戸沢の駐車場。大倉尾根の東面には朝日。

懐かしい戸沢山荘の前を通り、本谷を小さな橋で渡り、簡易舗装の右岸の道を登っていく。源次郎沢の堰堤を越え、本谷と源次郎沢を隔てる小尾根を行く。

▼昔よく使った書策新道は廃道扱いになっていてロープで道が遮られていた(ロープの存在が旧登山道である証しになっていた)。

廃道になった書策新道であるが、意外に道形は良く、尾根上を進んだ後、東面を難なく進んだが、本谷との合流点の少し前で、小沢を横断する斜面が崩れており、補助ロープが架けられた箇所があった。

▼頭上のロープにつかまりながら横断した。念のため、持参ロープでも確保。

この後、すぐに本谷F5の上に出る。本谷の巨岩を越えながら進むとほどなく沖ノ源次郎沢が左から出てくる(本谷合流点から徒歩5分ほど)。

▼F1は少し奥まったところにあり、注意しないと通り過ぎてしまいそう。

F1は壁左中間部にある窪地状のテラスを目指して直上するが、岩が冷たく、足先も冷え切っていたため、なかなか自信を持って進めない。途中、気休めのハーケンを打って何とかクリア。その次は、右のリッジ状を辿って、その後、凹角を伝って、F1上の広いテラスに出る。

F2は右上する顕著なバンドを経て、水平バンドをトラバースし、凹状のフェースを直上。水平バンドをトラバースする際の1,2歩が体が横壁から引き離されそうな感じがして、進むのに少々勇気が要った。バンドに残った枯葉が邪魔だった。

▼ダブルロープでのF2登攀

F1, F2を超えた後は、大したことのない滝が続くものと思っていたが、意外にも苦労させられた滝をいくつか超えた。ロープを出すこともあったが、岩は概して安定していて、しかも巨岩が多かった。

CS滝を越えると、再び石積み堰堤が現われて超える。本来はもっと先まで進むべきだったのだろうが、右岸の稜線が比較的低く感じたので、ここを越えて、下山路の源次郎尾根までトラバースして行こうということになった。

▼石積み堰堤から、写真前方の右岸尾根をまず目指した。

この後が予想外。所々、踏み跡らしきものがあり、安心して進んでいたが、藪漕ぎや足元がザレて不安定な沢横断など、いろいろありながら、いくつもの沢を越えてようやく安定した広い尾根の源次郎尾根に到達した(それまでに通過したどの尾根よりもどっしりしており、すぐ分かった)。

▼赤テープ、踏み跡もあった源次郎尾根

▼尾根を降り始めてすぐに草地広場に出て、三ノ塔や相模湾岸の絶景を堪能。

尾根は最初は草地を直線状に急降下する踏み跡に沿って下って行ったが、そのうち、植林帯に入り、林業作業道のようなつづら折れの道をどんどん急下降していく(途中、倒木あり)。書策新道を登った際には、源次郎尾根との分岐がよく分からなかったが、下降して合流した際には「ここだったか!」と納得。

▼書策新道と源次郎尾根の合流点から、下ってきた尾根方向を見上げる。

▼意外に時間を要し、16時過ぎに戸沢山荘前でハーネスを外す。

夕闇迫る戸川林道を駆ける様に降りて行って、大倉17:35発のバスで家路に就いた。

 

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相模湖北岸 吉野矢ノ音(やのね・やのおと)南尾根 (2022.11.6)

2022-11-06 18:21:09 | 

夏風邪をこじらせてしまい、長く気管支の調子が悪かった。そんなこともあり、体重はいつの間にか増え、脚の筋肉もだいぶ落ちてしまった。このままでは極めてまずいので、駅から歩いて取り付ける短めのコースとしてここを選んだ。一説には、武田氏北条氏の戦での激しい矢の音がその由来とか。今回は、南尾根から取り付いたが、詳細地図等と現地の様子が少々異なっている箇所があった。

▼相模湖駅に降り立ったのは何年ぶりだろう。綺麗な駅になったが、駅前は閑散となった感じ。

駅のすぐ南側を東西に走る旧甲州街道に沿って西進する。

▼与瀬神社入口の鳥居が大きい。境内へは中央道を跨ぐ橋を進んだ先にあるようだ。

▼中央線の線路沿いの古い住宅街を進む。

▼道は右に曲がり、中央道の高架橋をくぐって、国道20号線に降りる。この後、国道の湾曲した先から沢の左岸に伸びる舗装山道を進む。

▼左岸から右岸に渡るのだが、その分岐がはっきりしなかったが、ここを左に下った。

▼貝沢という沢を越えて、反対側の斜面に取り付く。

▼南尾根コースで唯一見かけた道標。「ハイキングコース」といった感じの道では無かったな。

▼藪っぽい小道を進むと急にブロック塀にぶつかり、右の階段を上がると、与瀬の一里塚跡の標識があった。旧甲州街道は国道20号線辺りで寸断され、痕跡は残っていないようだが、ここに通づるようだ。

▼標識のあるあたりは、ちょっとした広場になっていた(おそらく道路公団がすぐ下の中央道建設時に使った用地跡)。眼下には相模湖が見えた。

その広場の辺りから尾根に取り付いて送電線にぶつかるのだが、旧街道に沿って進み、住宅が見えてくると、右に「79」と書かれた道標があり、その踏み跡を進み、墓地を越えると容易に79号鉄塔にぶつかる。

▼79号鉄塔。その奥は藪っぽいが古い赤リボンが見られた。

南尾根は所々、藪に覆われていたが、道形は比較的はっきりしていて、尾根を外さなければ大丈夫だろう。

▼途中のピークに「大久保山」の山名標が随分高い位置にあり。

この後、大久保山ピークからコルに降りる際に、太い樹木に巻かれた赤テープや白いプラスティック製の標柱(水源林を示すものや何も書かれていないものが多数あり)に惑わされ、東方の斜面を下ってしまった。程なくして、中央道を走る車の音が右に聞こえることから、方角間違えに気づき、来たルートを戻り、明瞭な踏み跡(尾根上ではなく少し東側にトラバースする感じ)を進み北上した。

▼東側斜面から階段を登って稜線に出る。ここがコル。

▼尾根上に現れた大きな露岩。岩を越えて進む。

山頂直下はやや急な登りだが、それほど長くは無かった。

▼山頂から、辿って来た踏み跡を振り返る。

▼山頂の山名標。吉野矢ノ音という名称が正式の様だ。標高633m。南尾根では誰にも会わなかったが、ピークで2人ほど見かけた。

山頂から与瀬方面を指した道標に従って降りたが、かなりの急坂。山頂は樹林に囲まれて展望が無いのでほとんどのハイカーは山頂を巻いて進むものと思われる。

▼巻き道との合流点の先にある大平小屋。無人の休憩場所になっていた。

平坦な縦走路が続き、退屈していたので、ピークを巻かずに進むことにした。

▼子孫山の頭

▼当初はこのまま与瀬神社に降りるつもりだったが、道が良すぎて変化に乏しいので、駅の東側に降りる道に変更して、この道標に従って降りることにした。

つづら折れの下りが続き、中央道の車の音が近づいてきたころ、大きな貯水槽のある舗装路に出た。詳細地図にはここから左に進むように書かれていたが、道が変わったようで、右に折れて、弧を描くように進み、ゲートを越えて、相模湖を南に見下ろす長閑な人家に出た。

▼相模湖南面の紅葉した山

▼中央道を越える。

▼中央線を越えて、奥に見える相模湖駅に戻った。

最後に、この山の呼称であるが、山岳書には「やのおと」と書かれているものが多かったのに対し、現地の道標等に記されたフリガナは「やのね」としているものが多かった。よって、ここでは併記することにした。

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