吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

安い加工食品に思う

2008年02月01日 | 思うこと
中国産の餃子が問題になっています。
まあ、いろいろな会社が同じところから輸入しているものですね。

昨日、子供達とも話したのですけれど、やっぱり何かおかしい気がします。
商売というのは、ざっくり言って、仕入れた値段と売った値段の差額から、様々な経費を引いたものが利益となるわけです。
よって、少しでも安く仕入れて、高く売るのが利益を上げるための基本です。

で、餃子なんですけど、作ったことあります?
うちは大抵、家内が作ります。皮も小麦粉からこねます。
厚手の皮なので、水餃子(これが本来の餃子です)にも焼き餃子にも出来ます。
この手間がお金に換算するといくらになるのかわかりませんが、市販の冷凍食品の餃子の値段では絶対に出来ません。
材料代の一部しか出ません。
大量買付けでコストを削減できたとしても安すぎです。

小麦粉だけ見ても、畑で麦を育てる、取り入れて粉にする、集めて貯蔵する…。
いったいどれくらいの手間がかかるのでしょうか、機械化された農業であれば、機械そのものの費用や燃料代諸々が掛かります。

肉や野菜も同様です。

野菜なんかどのように管理しているのか知りませんが、大量の野菜を積み上げたりでもしたら、下の方のヤツはすぐに悪くなります。
悪くなった部分は避けてくれるとありがたいのですが、それは材料のムダですので、どの程度きちんとやっていることやら。
ニラなんてすぐ悪くなるし、悪くなったら臭いですからねー、腐らないようにするか、悪臭と雑菌を何らかの手段で消すかしないとですね。
豚肉も悪くなったらヤバいものです。

さらに出来上がったものを冷凍したまま日本に運んで、そこから全国へ配送するわけです。

想像するだに大変な手間ですし、リスク要素もとてつもなくたくさん想像できません?
それが、あの値段で店頭に並んで、販売元も店舗も利益を上げられるって信じ難いことです。

僕は度々、料理をすることの重要性を説いています。
それぞれ事情がおありでしょうから、ほんの時々でも良いです。
インスタント食材、調味料を出来るだけで良いので、使わないようにして料理をしてみてください。

モノを作るということの全体性から遠く離れてしまった現代人にとって、素材から完成までを一貫して個人が経験するという機会はとても重要だと思います。
料理というのは、その全体性をミニマムに経験できるとても良い手段です。
さらにその素材の先にも、様々な人の手や仕事があるのです。
そしてそれは国際的なのです。

たかが餃子でさえ、その向こうにはとてつもない世界と人々との関わりがあるのです。

最近は、若者のみならず、いい年こいたオヤジでさえも世界に対する想像力が欠如している気がしてなりません。
経験の裏打ちのない想像は、空想もしくは妄想です。
正しく想像すれば、物事の是非が自ずとわかることは多いのです。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しまりす)
2008-02-02 03:58:45
共働きの多いフランスでは
週末に大量にレトルト食品、冷凍食品を
買い込む姿をよく見かけます

以前は珍しかったファーストフード店も
若者だけでなく、家族連れで頻繁に食事している
という話も聞きます

自国の食文化を守るためにとった
ジョゼ・ボベ氏の手荒い方法が問題にもなりましたが
ある意味 頼もしく感じたのも事実です

想像力や味覚が乏しくなるような食生活は
避けたいなと思っています
返信する
素敵な小さなお店 (ひろなん@風琴屋)
2008-02-02 20:51:36
しまりすさん、ようこそ!

巨大スーパーで週末にまとめ買いというアメリカのようなライフスタイルには抵抗があります。

あまり外食やテイクアウトは利用しませんが、どうせするのでしたら、ちょっと高くてもチェーン系でない素敵な小さなお店が良いですね。

ここ八ヶ岳には、そういうお店が結構あります。
自家製パンのお店や有機野菜を使った料理のお店の密度は東京にも勝ると思います。

今日は家内が体調不良だったので、僕が仕事から帰ってからパンケーキを焼きました。
久し振りだもので下手でやんの。
まっ、味には問題ナシということで。
返信する

コメントを投稿