最初は死んだ男の…としようと思ったのですが(そういう歌もありますし)。
ただ、逝ってしまった彼らを「死んだ」というのはなにか悪いような気がして。
それで、「生きる」の完了形として「生きた」としました。
1月に亡くなった友人宅はまだ片付けが済んでいないのです。
一番の理由は、彼の残した膨大なコレクションの整理がなかなか出来ないからなのです。
彼は、鉄道模型の世界ではちょっと有名で、ジオラマの日本家屋などを造ったりもしていました。
もちろん、鉄道車両の模型も完成品、未仕上げのキットなど膨大な量を残したのです。
幸いそれらのコレクションは、縁あって新しく出来る博物館に寄贈されることになり、僕らはその整理と回収をすることになったのです。
まあ、整理にはほど遠く、なんとかまとめるのが手一杯でしたが。
一見乱雑な部屋で、鉄道関係の雑誌もすごい量があったのですが、実は種類そのものはさほど多くなく、コレクションに方向性があったことが伺えました。
「鉄道ファン」という雑誌などは、1961年の第一号からずーっと揃えてあったのです!
難しいのは、彼が集めた資料類、写真や、建築物の図面などをどうするかです、とりあえず保存はしておこうと思うのですが、誰か生かしてくれると良いのですが…。
凝り性だった彼は、建築物の模型を造るために、構造の基本、設計までも研究していたのです。
僕は何故か、こんな風に「生きた」人達の家を片付けることがよくある気がします。
対象は親族の家であったり、古物商の仕事として(以前ちょっとやっていた)解体前の家だったりします。
医者だった大伯父の家を片したときは、胎児のホルマリン漬け標本や麻酔薬が出て来たりして、警察にお出まし頂いたこともあります。
戦前の建築物の図面や、宮大工のデザインの意匠集(もちろん筆の手書き)なんかが出て来たこともあります。
そういった貴重な文物を有効に管理したり、保存したり出来ないものでしょうか。
それらは、文字通り過去の遺物なのですが、物に託された人達の思いをうまく受け止められないものでしょうか。
過去の世界の豊かさ、今の僕らの世界の貧しさを思ったのでした。
そして、僕の身の回りのものも、生きた人達が残していったものが結構あります。
今、軽トラを失った僕の足となっているバイク(ホンダ・スーパーカブ90)も家内の祖父から譲り受けたものですし。
そんな物たちと付き合いながら、生きた人達を偲ぶのも良いことかも知れません。
いずれ、僕が持っているほとんどのものも、ガラクタとなって消えてしまうのでしょうが、そのうちいくつかはきっと後の世の人達のために役立ってくれると思います。
ただ、逝ってしまった彼らを「死んだ」というのはなにか悪いような気がして。
それで、「生きる」の完了形として「生きた」としました。
1月に亡くなった友人宅はまだ片付けが済んでいないのです。
一番の理由は、彼の残した膨大なコレクションの整理がなかなか出来ないからなのです。
彼は、鉄道模型の世界ではちょっと有名で、ジオラマの日本家屋などを造ったりもしていました。
もちろん、鉄道車両の模型も完成品、未仕上げのキットなど膨大な量を残したのです。
幸いそれらのコレクションは、縁あって新しく出来る博物館に寄贈されることになり、僕らはその整理と回収をすることになったのです。
まあ、整理にはほど遠く、なんとかまとめるのが手一杯でしたが。
一見乱雑な部屋で、鉄道関係の雑誌もすごい量があったのですが、実は種類そのものはさほど多くなく、コレクションに方向性があったことが伺えました。
「鉄道ファン」という雑誌などは、1961年の第一号からずーっと揃えてあったのです!
難しいのは、彼が集めた資料類、写真や、建築物の図面などをどうするかです、とりあえず保存はしておこうと思うのですが、誰か生かしてくれると良いのですが…。
凝り性だった彼は、建築物の模型を造るために、構造の基本、設計までも研究していたのです。
僕は何故か、こんな風に「生きた」人達の家を片付けることがよくある気がします。
対象は親族の家であったり、古物商の仕事として(以前ちょっとやっていた)解体前の家だったりします。
医者だった大伯父の家を片したときは、胎児のホルマリン漬け標本や麻酔薬が出て来たりして、警察にお出まし頂いたこともあります。
戦前の建築物の図面や、宮大工のデザインの意匠集(もちろん筆の手書き)なんかが出て来たこともあります。
そういった貴重な文物を有効に管理したり、保存したり出来ないものでしょうか。
それらは、文字通り過去の遺物なのですが、物に託された人達の思いをうまく受け止められないものでしょうか。
過去の世界の豊かさ、今の僕らの世界の貧しさを思ったのでした。
そして、僕の身の回りのものも、生きた人達が残していったものが結構あります。
今、軽トラを失った僕の足となっているバイク(ホンダ・スーパーカブ90)も家内の祖父から譲り受けたものですし。
そんな物たちと付き合いながら、生きた人達を偲ぶのも良いことかも知れません。
いずれ、僕が持っているほとんどのものも、ガラクタとなって消えてしまうのでしょうが、そのうちいくつかはきっと後の世の人達のために役立ってくれると思います。
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