和英辞典の詳しいヤツで「職人」を調べると、journeymanという言葉が出ます。
journeymanは英和では普通に載っているようです。
直訳すれば旅人です。
何故職人が旅人なのか?
恐らく遍歴職人や、放浪修行中の職人を指しているのでしょう。
これはヨーロッパの伝統です。
実は今回、仕事で一緒だったドイツ人オルガン職人のひとりがこの遍歴職人の経験者でした。
時代や場所でいろいろなのですが、ドイツでは79年頃から一度は廃れたこの制度が一部の職業で復活しているそうです。ドイツではwaltzヴァルツといいます。
見習い期間を終えると職人という立場になり、その後3年間工房で働くか、3年と1日放浪して各地の親方の元を回るとつまり親方になる資格が得られるというものです。
大抵は工房での仕事を選ぶので、遍歴職人は少ないそうです。彼も各地で珍しがられたそうです。
ドイツの場合、遍歴職人の条件は厳しく、放浪修行中は独特の黒い帽子に黒い服、わずかな荷物で移動は徒歩かヒッチハイク、出身地の半径50km以内への立ち入り禁止などがあります。
かつては親の死に目であっても帰ってはならなかったといいます。
この辺のルールは成文化された法律よりも慣習法に拠る所が強く、地方というか国の差も大きいようです。
彼らの移動範囲は、国を超え全ヨーロッパに及びます。ヨーロッパという地域(東側の境目があいまいだけど)が国を超えたひとつの枠であることの証です。ヨーロッパ諸国は国であると同時にひとつの文化圏の地域であるとも言えるのです。
ある種の職人、建築土木などの職人は現地で仕事をします。
そこでの仕事が終わるとまた次の場所へ移動することになります。
現在では大工や石工は自分の仕事場である程度仕上げて現地へ運ぶという方法をとりますが、移動手段や運搬手段が不自由だった時代には現地で仕事場を作りそこで作業していたのです。
仕事場といっても関連各種職人が多数集まるので、それはほとんど村であったりします。
これは洋の東西を問いません。当たり前といえば当たり前で、最低限の輸送コストで特定の場所に何かを作るとなればそうせざるを得ないのです。
技術の伝承にしても、自分が移動して習得しなければなりません。
これはIT云々と言われる現代であってもそうです。今でも2次元の画像と音声と文字情報しか伝達出来ませんから。
そんなわけで、職人は本来的に移動する民であることが多いのです。
異境の地で自らの仕事に必要な材料、人材や人脈を確保してその務めを果たすのです。
明らかに非定住民の性格を持つ僕が職人を続けていられるのはその本性にフィットしているからでしょう。
さて、話を遍歴職人経験者の彼、ハンスに戻して。
彼は主に西方向へ放浪したそうで、スペインまで行っているそうです。
基本的にパイプオルガンの職人なわけですが、ヨーロッパに於いてさえもメジャーな仕事ではありません。
彼らは最低限のお金しか持つことは許されていませんし、電車で移動することも禁止です。
したがって、食いつなぐためには何でもしなければならないのです。そう仕組まれているのです。
思うように事が進まず苦労することも放浪職人のプログラムの内なのです。
順調にキャリアアップなんてアマい道は用意されていないのですね。
それでもやはり、出来るだけ自分の本来の目的であるオルガンに関連したことを選ぶわけで、大工や家具作りなどをすることが多かったそうです。
おお!ハーンス!
わかる、わかるよ!俺もそうだよ!
マイナーな仕事を選んでしまった者の辛い所だ。
自分の望む仕事に直接関われない時期というものがあるのだね。
そういう時は糧となりそうな経験を自分で探して自分に与えるのだね。
場合によってはそれさえ出来ないこともあります。
自分の望むことと無関係のことをしなければ生活できないこともあります。
そこであきらめない、折れない心が鍛えられるのです。そりゃあ辛いけど。
リアルRPG(ロールプレイングゲームね)な人生ですわ。
僕の流浪の人生も、実はある様式に則ったものだったのかも知れません。
あまり自覚していなかったけれど。
さて、お座敷がかかりました。今度は神戸。
またアツいぜ!
journeymanは英和では普通に載っているようです。
直訳すれば旅人です。
何故職人が旅人なのか?
恐らく遍歴職人や、放浪修行中の職人を指しているのでしょう。
これはヨーロッパの伝統です。
実は今回、仕事で一緒だったドイツ人オルガン職人のひとりがこの遍歴職人の経験者でした。
時代や場所でいろいろなのですが、ドイツでは79年頃から一度は廃れたこの制度が一部の職業で復活しているそうです。ドイツではwaltzヴァルツといいます。
見習い期間を終えると職人という立場になり、その後3年間工房で働くか、3年と1日放浪して各地の親方の元を回るとつまり親方になる資格が得られるというものです。
大抵は工房での仕事を選ぶので、遍歴職人は少ないそうです。彼も各地で珍しがられたそうです。
ドイツの場合、遍歴職人の条件は厳しく、放浪修行中は独特の黒い帽子に黒い服、わずかな荷物で移動は徒歩かヒッチハイク、出身地の半径50km以内への立ち入り禁止などがあります。
かつては親の死に目であっても帰ってはならなかったといいます。
この辺のルールは成文化された法律よりも慣習法に拠る所が強く、地方というか国の差も大きいようです。
彼らの移動範囲は、国を超え全ヨーロッパに及びます。ヨーロッパという地域(東側の境目があいまいだけど)が国を超えたひとつの枠であることの証です。ヨーロッパ諸国は国であると同時にひとつの文化圏の地域であるとも言えるのです。
ある種の職人、建築土木などの職人は現地で仕事をします。
そこでの仕事が終わるとまた次の場所へ移動することになります。
現在では大工や石工は自分の仕事場である程度仕上げて現地へ運ぶという方法をとりますが、移動手段や運搬手段が不自由だった時代には現地で仕事場を作りそこで作業していたのです。
仕事場といっても関連各種職人が多数集まるので、それはほとんど村であったりします。
これは洋の東西を問いません。当たり前といえば当たり前で、最低限の輸送コストで特定の場所に何かを作るとなればそうせざるを得ないのです。
技術の伝承にしても、自分が移動して習得しなければなりません。
これはIT云々と言われる現代であってもそうです。今でも2次元の画像と音声と文字情報しか伝達出来ませんから。
そんなわけで、職人は本来的に移動する民であることが多いのです。
異境の地で自らの仕事に必要な材料、人材や人脈を確保してその務めを果たすのです。
明らかに非定住民の性格を持つ僕が職人を続けていられるのはその本性にフィットしているからでしょう。
さて、話を遍歴職人経験者の彼、ハンスに戻して。
彼は主に西方向へ放浪したそうで、スペインまで行っているそうです。
基本的にパイプオルガンの職人なわけですが、ヨーロッパに於いてさえもメジャーな仕事ではありません。
彼らは最低限のお金しか持つことは許されていませんし、電車で移動することも禁止です。
したがって、食いつなぐためには何でもしなければならないのです。そう仕組まれているのです。
思うように事が進まず苦労することも放浪職人のプログラムの内なのです。
順調にキャリアアップなんてアマい道は用意されていないのですね。
それでもやはり、出来るだけ自分の本来の目的であるオルガンに関連したことを選ぶわけで、大工や家具作りなどをすることが多かったそうです。
おお!ハーンス!
わかる、わかるよ!俺もそうだよ!
マイナーな仕事を選んでしまった者の辛い所だ。
自分の望む仕事に直接関われない時期というものがあるのだね。
そういう時は糧となりそうな経験を自分で探して自分に与えるのだね。
場合によってはそれさえ出来ないこともあります。
自分の望むことと無関係のことをしなければ生活できないこともあります。
そこであきらめない、折れない心が鍛えられるのです。そりゃあ辛いけど。
リアルRPG(ロールプレイングゲームね)な人生ですわ。
僕の流浪の人生も、実はある様式に則ったものだったのかも知れません。
あまり自覚していなかったけれど。
さて、お座敷がかかりました。今度は神戸。
またアツいぜ!
次は神戸!日が会えばお会いできると良いですね
ワタシは弱いッ!暑さには非常に弱いッ!
発熱量の大きなエンジンを搭載しているので、冷却は重大事なのです。
よって冬はおKです。
今回は非常事態による臨時参戦なので3日間だけなのです。
4日夕方には僕は終了です。
時間合いそう?
冷たい山の中の、空気をいっぱい含んだダム湖の水が浄水場を通って、20km以上も離れた過程の蛇口に届くとき、暑く熱せられた地面の中を通ってくるので、水温が上がり、かつ圧力がかかっているので、空気が過飽和になっていて、蛇口から出たとたん、水はサイダー状態になります。猛暑の時期の現象です。
身体はだんだん暑さに慣れてきていると思うけれど、物理現象は正直です。
さて、
>食いつなぐためには何でもしなければならないのです。そう仕組まれているのです。
私のようなサラリーマンといえども、似たようなところはありますよね。
100ある仕事のうち、本当に大変でもやってて楽しい、満足感のある仕事はひとつふたつあれば幸せなほうで、あとは、給料のため、・・ですよね。
まぁ、充実してなくても、好みの仕事でなくても、やぁーな仕事でも「人の役に立てた」のなら、まぁ良いとしなくてはなりませんね。もっとも、効果に疑問を持ちながらする仕事も皆無ではありませんでしたが・・・。
そういう意味では、私は恵まれていたのかもしれない・・と思うのです。
お返事遅くなりました。
僕のような貧乏自営業や、遍歴職人のツライ所は、仕事の切れ目=収入の切れ目=社会的ステイタスの喪失であるところです。
遍歴職人のプログラムはその事実を叩き込むものかも知れません。
ドイツのマイスター制度も風前のともし火のようで、現在では見習いからいきなりマイスターの講習、試験を受けられるようになったそうです。
他のEU諸国からの突き上げが激しいようです。
日本の幕藩体制の時代でもその枠を越えて移動し様々な情報や技術を伝達してきた流民は居ました。
彼らは、あるいは尊敬される技術者であり、あるいは娯楽と軽蔑の間に存在する芸人、行商する商人等でした。
実は僕も案外その流れの延長上に居るのかもしれませんね。
帰還予定は明日にずれ込んだ模様。
まっ、機会があれば、ね。
また九州に行くらしいし。