さてさて、いよいよ今年も終わりです。
どうだったっけね。
前半はまあまあだったような気がするのですが、後半に体調を崩したりして結局良
い年だったとは言い難いところです。
それでも少しは前進出来たかな。
映画にもなっていますが、2012年はマヤの歴史の一区切りだそうで、それで世界の
破滅を想像する人々が居るらしいですね。
なんでも、マヤの末裔の長老は取材にくる連中が多くて迷惑したそうな。
滅びの不安に駆られた西洋人に、長老は言ったかな?
「ざけんな。うちらを滅ばしたじゃん!」
狭い西ヨーロッパ地域で、尽きることない武力の戦い、知力の駆け引き、病気の流
行に晒され鍛え上げられたヨーロッパ人は世界に出て行ってそれぞれの地域の文化
文明を破壊してしまったというのは事実です。
特に、アフリカと南北アメリカは壮絶に破壊されています。
今の世界の価値観やモラルの基盤となっている宗教、キリスト教、イスラム教、ユ
ダヤ教はすべて同一線上のもので、世界観、死生観は基本的に共通です。まあ、ユ
ダヤ教がベースになっているので当然といえば当然ですけどね。
もちろん、諸教の諸派にとってはそれぞれ譲れぬ考えの違いはあるわけですけど。
で、その共通した世界観には「終末」があるわけです。最後の審判ですね。
この思想の元はゾロアスター教にあると言われています。
歴史というものに始点と明確な終点があるという風にとらえているのですね。
一方で歴史は循環すると考える思想があります。
仏教は基本的に(基本的なんていうのは例外があるからです)このグループに属し
ますね。
世界の民族宗教を見回すに、この循環型の思想が多数で、終点があるという考え方
の方が例外的であるそうです。
例外がこの世界のメジャーになっているのですね。
マヤの考え方では、とても長いスパンだけれどもひとつの時間の区切りに過ぎない
ことを、終末系思想を根底に持つ人が見ると「最後の日」となってしまったようで
すね。
循環系の思想であっても、その生はそれだけ、生まれ変わるといってもまた違う時
間と世界に存在しなければならないというのが基本ルールです。
あ、チベット仏教の一派のダライ・ラマだけは時間を遡って生まれ変わることが出
来るという設定です。それで、生前にすでに生まれ変わりが存在するというわけで
す。
SF的にはタイム・パラドックスですね。
話が逸れましたけど、終末系、循環系、いずれにせよ今生はこれっきりなのです。
あっちの世界に何度か行きかけた者として言っておきますけど、その時は多分、身
体的な苦痛は感じないでしょう。
感じたのはものすごく大きな後悔です。
幸い、帰って来られたのですけど、あの後悔は味わいたくないものです。
どうせ大した人生じゃないだろうけど、まあ良くやったよと思えるように生きたい
ですね。
というわけで、来年もよろしくお願いします。
どうだったっけね。
前半はまあまあだったような気がするのですが、後半に体調を崩したりして結局良
い年だったとは言い難いところです。
それでも少しは前進出来たかな。
映画にもなっていますが、2012年はマヤの歴史の一区切りだそうで、それで世界の
破滅を想像する人々が居るらしいですね。
なんでも、マヤの末裔の長老は取材にくる連中が多くて迷惑したそうな。
滅びの不安に駆られた西洋人に、長老は言ったかな?
「ざけんな。うちらを滅ばしたじゃん!」
狭い西ヨーロッパ地域で、尽きることない武力の戦い、知力の駆け引き、病気の流
行に晒され鍛え上げられたヨーロッパ人は世界に出て行ってそれぞれの地域の文化
文明を破壊してしまったというのは事実です。
特に、アフリカと南北アメリカは壮絶に破壊されています。
今の世界の価値観やモラルの基盤となっている宗教、キリスト教、イスラム教、ユ
ダヤ教はすべて同一線上のもので、世界観、死生観は基本的に共通です。まあ、ユ
ダヤ教がベースになっているので当然といえば当然ですけどね。
もちろん、諸教の諸派にとってはそれぞれ譲れぬ考えの違いはあるわけですけど。
で、その共通した世界観には「終末」があるわけです。最後の審判ですね。
この思想の元はゾロアスター教にあると言われています。
歴史というものに始点と明確な終点があるという風にとらえているのですね。
一方で歴史は循環すると考える思想があります。
仏教は基本的に(基本的なんていうのは例外があるからです)このグループに属し
ますね。
世界の民族宗教を見回すに、この循環型の思想が多数で、終点があるという考え方
の方が例外的であるそうです。
例外がこの世界のメジャーになっているのですね。
マヤの考え方では、とても長いスパンだけれどもひとつの時間の区切りに過ぎない
ことを、終末系思想を根底に持つ人が見ると「最後の日」となってしまったようで
すね。
循環系の思想であっても、その生はそれだけ、生まれ変わるといってもまた違う時
間と世界に存在しなければならないというのが基本ルールです。
あ、チベット仏教の一派のダライ・ラマだけは時間を遡って生まれ変わることが出
来るという設定です。それで、生前にすでに生まれ変わりが存在するというわけで
す。
SF的にはタイム・パラドックスですね。
話が逸れましたけど、終末系、循環系、いずれにせよ今生はこれっきりなのです。
あっちの世界に何度か行きかけた者として言っておきますけど、その時は多分、身
体的な苦痛は感じないでしょう。
感じたのはものすごく大きな後悔です。
幸い、帰って来られたのですけど、あの後悔は味わいたくないものです。
どうせ大した人生じゃないだろうけど、まあ良くやったよと思えるように生きたい
ですね。
というわけで、来年もよろしくお願いします。
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