生長の家創始者 谷 口 雅 春 先生
神想観の時間、又は祈りの時間を、自分の要求を訴えるための時間だなどと利己主義のことを考えてはならないのであります。
それは神様と相対面するためのとって置きの時間だと考えなければならないのであります。
吾々は神様から生命(いのち)をいただいた。
神様は吾々の親様なのであります。
親様に対面するのに常に乞食のように、放蕩息子のように、親様から無心を云うことばかり考えていてはならないのであります。
それよりも寧ろ、「お父さま、貴方の御心は如何ですか。何か私に出来ますことで貴方をお喜ばせ申すことが出来ますならば、お教え下さい」と祈るべきであります。
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