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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ

谷口雅春大聖師の教えを現代に生かす

『天地一切のものと和解せよ』 という意味 ―  杉浦慶一講師の誤り

2015-05-01 19:05:53 | 生長の家

          生長の家創始者  谷 口  雅 春 大聖師


 生長の家の初期時代に活躍した講師で 杉浦慶一君 という人があった。 賀川豊彦氏 に師事していて浜松市に、共同組合などを作って民衆の日常必需品の配給を安価にする試みをやりつつ、自宅を日曜学校として子供にキリストの愛の精神を植えつけていたまことに敬虔なクリスチャンであった。 彼は 『生命の實相』 を読んで非常に共鳴して、生長の家の第1回講習会に受講すべくやって来て、次のような体験談をのべたのであった。

 「日曜学校を経営している自分の自宅に家ダニが発生して、それが日曜学校に集ってくる子供たちについて螫すものだから、子供が痒い痒いというので、消毒薬で殺虫するのは殺生で可哀相であるから、『生命の實相』 の本に書いてある原理にしたがって、家ダニに和解し、家ダニを拝んでやろうと思って、私は家ダニを拝んで次のように念じたのです。

 “家ダニさん、家ダニさん、あなたも何らかの使命があって地上に生まれて来たのですから、別に私はあなたを殺そうとは思いません。 しかしあなたが、処かまわず、吾々人間の住む世界を侵されるのでは、子供が痒がって仕方がありませんから、出て往って頂きたい。 しかしあなたも住む所がなかったらお困りでしょうから、この4畳半の部屋だけは、あなたの住む世界として貸してあげますから、この4畳半だけに住んで下さい。 そして、この部屋の外へ出ないようにして下さい”

 このように念じましたら、何万という家ダニがぞろぞろと集団移動をはじめて、指定された4畳半の部屋だけに集って、他の部屋にはいなくなり、子供も家ダニに螫されなくなりました。 生命体というものは、皆、神のいのちが宿っているから、心が互に通い合うものであります」


 この話は、まことに 『生命の實相』 の真理の具体化として、真理を実証するものとして、私は非常に共鳴感動をした。 それで私は杉浦君に、

 「君、生長の家に来て本部の講師にならないか」  といった。

 「先生が本部講師になれと被仰るのなら何時でも上京します」  と杉浦君は即座にこたえて、私の住む“お山”の下の環状道路を隔てたところに貸家があったので、そこへ引越して来たのであった。

 当時、杉浦慶一君 と 吉田國太郎君 とは真理の理解に深い青年講師として各地で悦ばれ迎えられていた。

 ある年のこと、横浜市の記念館で私の講演会がひらかれて、杉浦慶一君が前座に立って講演してくれた。 私はそれを演壇の横の席から聴いていたのであるが、杉浦君は “病気の非存在” を説いて結核菌など決して恐るるに足りないことを聴衆にわからせようとして次のようなことをいったのである。

 「すべての生物は、内に神の生命が宿り、神によって生かされいるから、互に兄弟姉妹であってバイキンといえども、吾々を、本来害するものではないのである。 それなのに、かれ等を害するものであると恐怖して、敵として立ち向かうから、彼らは敵としてあらわれ、ついに吾々を害する病菌となってしまう。

 私などは結核菌とも和解していて、兄弟姉妹だと思うから少しも恐しくない。 吾々の肺臓は左が2室、右が3室、合計5室もあるアパートみたいなものだ、だから私は結核菌よ、もう3室ぐらいは空間があるから、君たち、来たかったら何時でも来て住みなさいと結核菌に呼びかけている」


 私はそれを聴きながら、これは間違った、考え方で、本人を呼んで訂正しなければ危険なことになると思った。

 何故なら、 『天地一切のものと和解せよ』 とは 味噌も糞も、“そのあるべき場” を混同して一緒クタにすることではないからである。

 天地一切のものと和解するとは、あるべきものが、あるべき位置に配置され、互に犯し合う事なく調和した姿で仲良く各自個性を発揮しながら、その個性が他から侵害されることなく、生かし合いの関係になる事なのである。


 人間には人間の生きる“場”があり、結核菌には結核菌の生きる“場”がある。 人間の生きる“場”に病菌の生きる“場”を与えることは、これは和解ではなくて侵害なのである。
 

 人間が結核菌 〈その他を病菌を含む〉 に対して抵抗を示すのは、自己の個性的存在を守るための 「拒絶反応」 の一種なのである。 「拒絶反応」 を生命体が失ったとき、生命体として存在するための条件である全身の生理作用を統制する意識の統一がなくなるのである。 つまり多数意識の共存ということになり、脳髄の中枢意識の統制に従わない細胞が出て来て生理作用が撹き乱される。 そして癌細胞や、癌腫、肉腫等の発生となり、ある部分に潰瘍を生じたり、中枢神経の統制に服しないで勝手に手脚が動き出すところの舞踏病の如き症状が起って来るのである。


 私は杉浦慶一君に、 「結核菌に肺臓への侵入を招待するようなことをいってはいけない。 それは人体の拒絶反応を自己放棄することになるから」  と注意しようと思ったが、演壇をおりた杉浦君は直ぐ次の講演場所へ駆けつけるために自動車に乗って姿を消した。

 私は、すぐ演壇に立って講話することになっていたので、私と杉浦君は、その後久しく逢う機会がなくて、その問題も私の意識の表面から忘れさられてしまっていた。

 ところが、その後、杉浦君は結核菌が、彼自身が招待した通り、彼の肺臓の3分の2位の範囲に移転して住みつくことになり、重症の胸部疾患に罹って死んでしまったのであった。


 日本国家が統一意識を備えた生命体として存続して行くためには、日本国家の個性に反する「意識」の侵入を拒絶しなければならないのである。 即ち、日本国家の個性ある精神形態を破壊する如き思想の侵入及びかくの如き教育を行っては、国家は国民の意識統一を失い、舞踏病的状態に陥り、生命体として完全なる機能を果すことができなくなるのである。

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (サルスベリ)
2020-05-01 07:06:24
まさに意を得たりです。
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