交換日記あるいは備忘録

神のみ前に 清く 正しく 愛深く♪(未整理。。のものが ごちゃごちゃと)

『ジャコメッティ|エクリ』

2007年01月07日 | 読書
矢内原 伊作, 吉田 加南子, 宇佐見 英治 共訳
みすず書房

ジャコメッティ

メモ魔 手紙魔であったらしい ジャコメッティの 備忘録(イタリア語でカルパンと言うらしい)集。

たまたま webで見かけた 次の文章が気になって 本を探して 読んでみました。


   そんなものはみな大したことでない。

   絵画も、彫刻も、デッサンも、

   文章、はたまた文学も、そんなものはみな

   それぞれ意味があっても

   それ以上のものでない。

   試みること、それが一切だ。

   おお、何たる不思議のわざか。



断片的なので 読み通すのは難儀ですが 手元においておいて ぱらぱらめくってみると 面白そうな文章に当たります。

(彫刻と完成した自動車の美との間にはどのような関係が存在するか」という問いへの回答から)

「作働したり役に立ったりするためにはどんなものでも完成していなければならない。完成していればいるほど、完全であればあるほど、それは一層よく作働するし、一層美しい。より完全に作られたものは、それほど完全でなかったものを廃棄してしまう。

いかなる彫刻も決して他の彫刻を廃棄しはしない。一つの彫刻は一つの物ではない。それは一つの問いかけであり、質問であり、答である。それは完成されることもあり得ず、完全でもあり得ない。そういったことは問題にすらならない。ミケランジェロにとっては、彼の最後の彫刻であるピエタ・ロンダニーニと共に一切が再び始まるのだ。」

「たとえば、感動的な情景を表現することー敬虔な司祭に見守られて死を迎えようとしている貧しい男とか、施しをしている善良な婦人、祈っている子供たちなどが、こうした人々が表しているものの故をもって描かれる時ー、それは「芸術」ではない。ちがう。「芸術」とは、魂が差し出すもののすべて、自分が[表現したい]ものを表現する芸術家の魂のすべてーそのもっとも美しい、そしてもっとも高貴な部分ーだ。」

ジャコメッティの 細~い彫刻。 何故 あんなに細くなければならなかったのか という説明 初めて聞きました。 人間は 現実には 人々を等身大で見ていない。 1メートル離れてしまえば 人の頭は10センチくらいになる。 ところが 人は 人間の頭は客観的なある大きさを持っていることを知っているために その大きさを想像して 頭で測って大きくしている。 人間の顔は 小さく見えるのだけれども それを 大きく引き延ばしている。

ジャコメッティは ある時から それが どうしても出来なくなり 見えている大きさ(小ささ)にしか見えなくなってしまったらしい。 だから 彫刻を作ると それは どんどん小さくなってしまう。 で ある時 大きさを決めて これ以上は 絶対に小さくしないぞ と作り始めたら でも どうしても 小さく見えているものだから 細くなってしまったのだそうだ。

そんな話を読んだ後に ある人のWEB日記で 手前にお鍋 向うに人 という写真を見たらば それは 遠近法で 人間が小さく見えているのだけれども わたしの目には 人が 小人の様で お鍋の中に 入ってしまいそうに見えた。

ジャコメッティ/エクリ

みすず書房

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぷら)
2007-01-09 07:54:02
この本よく知ってます。重いということだけ。
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Unknown (ようこ)
2007-01-10 06:18:52
すみません。
有難うございました~。
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