交換日記あるいは備忘録

神のみ前に 清く 正しく 愛深く♪(未整理。。のものが ごちゃごちゃと)

旧日記閉鎖しました。

2006年04月30日 | その他
goo ブログを初めて 早や1年。 最初の内は 日記が無料で借りたスペースの上だけにある というのが不安(?)で キャベツのお城の 日記(テキスト版)を残してありました。 でも どうやら 続いているし 「あれ 何だっけ?」と 自分が書いた事を忘れ「なんだったかな~?」と検索した時 ブログもちゃんと出てくるので そう不便もしない。 1年前に聞いたコンサートの指揮者 誰だっけ? なんて言うことも ネットで調べればすぐ分かる。 今は 単に 両方更新する作業が面倒になっているだけ という感じなので いっそ 旧日記は 閉鎖する事にしました。

しかし。。。かつて キャベツのお城 簡単に閉鎖する事ができたのは ネットに上がっている物と 同じものが とりあえず パソコンの中にもあったからです。 次に ブログをやめよう と思い立った時は 書いたものは 全て 痕跡も留めない事になる。。。まあ それはそれで良いかもしれないけれど。

旧日記のページには ブログ一覧表を載せました。
http://homepage2.nifty.com/YOKO/memo/memo_top.html

テレビ

2006年04月25日 | その他
テレビ

パソコンでテレビが見られる様になりました~♪

最近 テレビを見なければならない(~!)がしばしばあって パソコンで見られる様になっていると 便利なのです。

このソフト 面白いのは テレビの画面 中央より右でマウスを動かすと チャンネルが変わります。 中央より左でマウスを動かすと ボリュームが変わります。 便利な子です(*^^*)

問題は「デスクトップの表示」というのをすると 終了してしまう。「デスクトップの表示」というのは 非常にしばしば使うので その度に 立ち上げ直さなければなりません。。。。面倒なので デスクトップに テレビのアイコンを貼っておきました☆

『話術』

2006年04月23日 | 読書
話術

徳川夢声著 白揚社

『聞く技術』の次は『話術』です。

『聞く技術』が カウンセラーの忍耐! という感じだったのが 『話術』になると 芸談を聞いている様です。特に面白かったのが「間(マ)」の話。 舞台にハナシが乗る場合 この「マ」が正確であると 聴衆は「快感(!!)」を味わうのだ と。 話の上手な人は この 間の取り方が上手なんだなぁ。

夢声さんは しゃべるのが専門だけあって ところどころに散りばめられた寸言も面白い。

ー天狗は芸の行き止まり。
ー「マ」とは虚実のバランスなり。
ー「話術」とは「マ術」なり。

ライブで聞いてみたかった。 夢声さん。

シネマ歌舞伎『坂東玉三郎ー鷺娘』

2006年04月22日 | 歌舞伎
玉三郎

最近 とんとご無沙汰な歌舞伎座。 チケットを頂いたので 向かいの東劇に 映画を見に行ってきました。 玉三郎さんの 歌舞伎座の舞台の ライブ映像です。

ライブ映像 とは言っても 複数台のカメラを使い 編集してあるので アングルが切りかわったり アップになったり(という カメラの切り替えは 最小限に押さえてありましたが)これは 良いような悪いような。。。普段から オペラグラスを使って 舞台をアップで見ていたりもする訳ですが オペラグラスをのぞく目の縁に入る劇場風景が無いので どうも 空気感が違う。

とりあえず お手軽に 歌舞伎を楽しむためには 良い企画だと思いました。

1ケ月興業のうち「今日は 映画のための 映像撮ります。」と言われた日って 踊りが 普段と違うのかなー やっぱり 気合いが違うだろうか とか 考えてしまいそうになる。。。なったのは 最初のウチだけで あとは もう 画面に釘付け。 綺麗~。 この人に ミス という言葉はあるんだろうか。

以前 福助さんの道成寺 これは ストーリーのある映画になっていて その中で 踊っているのを見ました。 大の福助さん贔屓のわたしから見ても 映画の中の道成寺は どこか作り物。 玉三郎さんのライブ映像の方が 踊りが生きている。 福助さんの道成寺を見た時は 歌舞伎の大看板の迫力ですね と 感動しましたが やはり どこか 作り物なんだなぁ。 この違いは 何かしら。 玉三郎さんの鷺娘の方が 一期一会 という印象が強い。 確かに 映画の中の舞踊は撮り直しがきくけれども ライブ映像の舞踊は 撮り直しのきかない一発勝負な訳ではありますけれども。 この日 わたしは 客席にいたかったな~。

チケットの絵。 歌舞伎では しばしば 見かけるポーズですが これって イナバウアー☆

京都の桜

2006年04月17日 | その他
東京は 早や葉桜 というのに 京都では まだ ソメイヨシノが満開です。(ちょっと散りかけ~) 京都で もう一度 桜の盛りを楽しんできました。

平野神社夜桜 

テルミンの演奏をした ゑんま堂近くの平野神社の夜桜。 ぼんぼりが 京都ならでは らしい風情です。

普賢象桜 普賢象桜

ゑんま堂は 普賢象桜という八重の桜が有名です。 室町時代には 多くの公達が この花を見ようと寺を訪れた と記録にあり この花にまつわる 後小松天皇と義満との逸話も残されています。

花弁の中からかわいい双葉が出て それが長く垂れ下がる情景が 普賢菩薩の乗った白象の牙に似ているから という命名なのだそうです。 写真では ピンクに見えますが 咲くと 白い花です。 普賢象桜の季節には まだちょっとばかし早く 殆どつぼみだったのです。

代わりに その手前にあった 八重桜が咲いていました。 寺を訪れた参拝客は まず この桜をみつけ 象の牙が出てるかしら と わざわざ花の近くによってのぞき込む みんながみんな そうするので 見ていておかしい。 寺では 人寄せ桜 と呼んでいるそうです。

普賢象桜は 散る時 房ごと ぽとりと落ちますが 人寄せ桜は 花弁がはらはらと散ります。

人寄せ桜 人寄せ桜

次の日は 粟生の光明寺へ お詣りに。
こちらも 桜が満開でした。

光明寺 光明寺

光明寺 光明寺

『プロカウンセラーの聞く技術』

2006年04月14日 | 読書
聞く技術

東山紘久著 創元社

これを読んで カウンセラーという職業に ほとほと感心してしまいました。 いかに 自分が 「聞く」モードではなく 「話す」モードで相手の話を聞いているのか という事がわかりました。「でも」「だけど」を ついつい言いたくなる。 プロのカウンセラーは 相手から直接非難されるような言葉を発せられても「そうだね」と相づちを打てるように鍛えられているんだそうです。 相づちの打ち方一つで 聞き手でありながら 話の流れを変える事ができるのです。

一番 わたしには絶対出来ない と思ったのが 愚痴は 積極的に肯定的に聞いてあげる という仕事です。 愚痴は ストレスの発散になっているし 何故 この人はこういう事を言うのかな? こんな風に感じるのかな? と考えていくと もっと深い理由に突き当たったり 愚痴を素直に聞いてくれる聞き手に対しては 話し手の方も素直になる。人間は 否定されると 心を開かないものなんである。うんぬんかんぬん。

もっともなんだけれども よほど 人間観察の好きな人でないと 「この人は 何故に こういう事を言うのであろうか。」と 興味を持ち続けるのは 難しそう。。

気をつけなければいけないのは 自分自身の気持ちとその愚痴を関係させないこと 愚痴の対象になってる人をかばわないこと そして 親身に聞いてあげること。 う~ん。 愚痴を言うのは 悪いことだ という頭があるので ついつい 愚痴の対象になってる人をかばってしまうなぁ。

聞き役の放棄は 聞き手が話の内容にひっかかり 感情的になるときが一番多いのだそうです。 話し手と 自分の区別をちゃんとつけて 聞き手に徹する って むずかしい。

わたしにも気をつけるのができそうなこと。拾い出してみました。
 ・まずは 相づち以外はしゃべらず 意見を聞かれた時は1行以内で手短に答える。
 ・情報以外の助言は無効。
 ・聞き手に関連することを 話し手が質問することは まずない と 頭に入れておく。
 ・答えられない質問には 即答しようとしない事。
  「そうですね。」と言って考えているだけでよい。
 ・学びたいか学びたくないかを決めているのは 当人の心だ という事を忘れないこと。
  教えるより教えてもらう態度で
 ・「listen」するだけで「ask」しない。
 ・評論家にならない。

あいずち。プロの聞き手が使わないのに、普通の人がよく使う相づちは「わかる」「よくわかる」という相づちだそうです。「わかる」というあいずちは 聞き手の自己満足のあいずちに過ぎないんだそうな。

なるほどなぁ と思ったのが「素直に聞く」訓練。

相手に素直であることと 自分に素直であることを区別する訓練をすれば 素直に聞ける様になるのである。と。 この訓練が出来てない人は ついつい 話し手と 聞き手が いっしょこたになってしまって それは 相手の意見であって 自分の意見ではない という事を忘れてしまう事になるらしい。

あと面白かったのは 話し手と聞き手は対等であるべき というくだりで 子どもとの会話も 子どもと対等感を持っていれば うまく行くんだ という話のところ。
相手が大人だとしたら 相手に「お名前は?」と 尋ねる前に 自分が名乗るであろうし いきなり「いくつ?」と年を尋ねる事も無いであろう。と。 

プロカウンセラーの聞く技術

創元社

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