交換日記あるいは備忘録

神のみ前に 清く 正しく 愛深く♪(未整理。。のものが ごちゃごちゃと)

『夏祭浪花鑑』@コクーン

2008年06月27日 | 舞台
久々のコクーン歌舞伎です。文句無しに面白い。歌舞伎をこれだけエンタテインメントに楽しめるものに変えてしまったのは すごいなぁ と思う。 いや もともと 歌舞伎とは かしこまって見る伝統芸能 ではなく 娯楽だったのですから こういうあり方の方が正当派の筈です。 根本の精神に立ち戻ろうとすると アヴァンギャルドになる というところが 面白い。

コクーン歌舞伎をご存じの方には 言わでも の事でしょうが いつ客席のどこから役者が現れるか分からない。 花道が ほんと すぐ手の届くそこ に作ってあり 役者は 客席の中を通って出入りする。 役者は 頻繁に舞台から降りてきて芝居をする。 あれ 目の前が 急に お芝居。。。の世界になってしまったら そこに座ってるお客さま 目のやり場に困らないかしら。 客席の中に ハシゴを立ててしまって そこに勘三郎が昇っていって いわば 客席の真上で 見得を切ったりする。 

そもそも 芝居の始まりが まだ 客入りの途中 なんとなく 客席もざわざわとしている中に ぱらぱらぱらと役者さんが現れて 客席の中から 芝居が始まるんです。 その時は 急いで席につこうとしているお客さまも 役者さんと一緒に通路を歩いている。 ふと気づくと 2階席にも 3階席にも 祭の浴衣を着た役者さんが 顔を出し 「ようこそ いらっしゃいまし。」とか やっていたりする。 すぐ目の前を通っていくので 思わず 手を振ってみる。 あれ もう 芝居が始まってる と あっち見て こっち見てたりする内に お囃子が始まり なんとなく 全員 自然と手拍子なんかしちゃってたりする。 ここで もう すっかり のせられちゃってます。

蝋燭の面あかりが並ぶ舞台も コクーン風物詩。 面あかりをあやつる黒子さんは 舞台の上の動きを全て把握してないと出来ない様な 役者の動くすぐそばを 右から左から すり抜ける様に 蝋燭が飛び交い 白塗りの肌と 極彩色の刺青を あやしく照らし出す。 パンっと見得を切った瞬間に すっと 前後左右から蝋燭が滑り込んできて 柝の音が入り 形が決まる。 本物の燃える火だから 結構 危ない。 

あの場面 なんだか 毎回 しつこくなっていく様な気がする。 あんなに 血糊 べったりだったかなぁ 義平次は 泥の池に落ちてから また 出てきてその後 あんなに 泥だらけで転げ回って 芝居を引っ張ったっけ? その前も 団七に親殺しを決意させなければならないので 義平次(親。正確には舅)は 団七を ねちねちねちねち なぶるなぶる。 この台本書いた人は よほど マゾっけがあったか こういう なぶりいじりのシーンが好きなんだか それとも 日本人がもともとこういう場面を好きなんだか。 今の トレンディドラマでも ここまで いじめ の場面を描き込む って あまり無い様な気もするけれども。

ところで あの泥の池に使った土は 陶芸用の益子焼の赤3号 という土だそうです。 いい具合に肌につく。 泥の池をくぐってでてきた義平次は 泥人形 というか 美術の学生がモデルにしそうなトルソ というか。

コクーンで 泥の池 と言ったら なんとなく 舞台に土を運び込んで盛り上げて という印象でいたら 今回は木の床。 筋書きを見たら 舞台に土を盛り上げたのは 1996年の1回目だけだったらしい。 運び込んだのは3トンの土。 この時は 暗い 面あかりの蝋燭の舞台で団七が舅を殺してしまった直後に 舞台の後方の扉 通常 そこは 大道具の搬入なんかで使うんでしょうか 扉があけば 普通に外で 現代の渋谷の町が見える そこが わっと開いて 舞台が明るくなって 祭衆がなだれこんで 客席に飛び込んできて もう 何がなんだか わやくちゃで。。。という構成でした。 それは 2回目の2003年は 後ろの扉があくのは 最後の幕切れの時 になりまして 今回も その構成です。 と 思い出してみると どうやら わたしは コクーンで 夏祭の芝居を見るのは 3回目らしい。 コクーン歌舞伎 毎回見ている訳ではないのですが 夏祭りとは 縁があったらしい。

で その今回の幕切れですが 舅を殺してしまった団七は お上の捕り手に追われる。 義兄弟の契りを交わした徳兵衛と 手に手を取って逃げていくんだけれども 追っ手を ちぎっては投げちぎっては投げ 右に逃げ 左に逃げ どこまで逃げていくんだか 舞台の後方に向かって駆け出すと その扉が開いて 外に 壁が見える。 その壁のいたずら描きは ローマ字。 一体 どこまで逃げていったんでしょう。 筋書きを読むと なんでも この舞台は ベルリン シビウ 東京コクーン 松本の 4ヶ所連続公演らしい。 あ しまった。 松本の方で 今からこの芝居を見る方が もしいらっしゃいましたら ネタバレになっちゃっててすみません。 でも ネタを知っていても 面白い。 わたしも どこかで 後ろの扉があいて 現代の渋谷の町が見える筈だ 見える筈だ と思いながら見てましたが やはり 面白い。 となると 外に見える その壁 とは もしかしたら ベルリンの壁でしょうか。 その壁を ぶち破ると また そこで タイムスリップして 現代の渋谷の町が そこに 普通にあります。 その中へ 二人は逃げていく。。。。。と思ったら 戻ってくる。 何かに追われるかの様に大あわててで 舞台に戻ってきた。。。と 思ったら 動きが段々スローモーションになって 外から追いかけてきたのは ピーポーピーポー と サイレンを鳴らしたパトカーです。 ああ びっくりした。

歌舞伎座じゃできない お遊び(?)です。

コクーンでは 照明の使い方も面白い。 そもそも 歌舞伎座では 客席からして明るい。 何か食べながら見てる人もいるし 筋書き読みながら見てる人もいるし。 舞台の照明も 真っ平らで平面的。 動き錦絵 とは よく言ったものですが 見せ方が 限りなく二次元です。 

それが コクーンだと いろんな照明を使う。 舅殺しの場面で ここは 暗くて 舞台の上 見にくいんだけれども スポットライト(?)で 団七のシルエットが 後方の壁に大きく映し出される その影が まるで 背後霊の様に覆い被さる。 また まだ団七が殺したとははっきりとは分かってない場面で なんとなく お互いの腹をさぐりあいながら会話している 団七と徳兵衛。 その場面では 真っ白な光が殆ど真横から しらじらとさしこんでおり 歌舞伎には珍しく陰影を作りだしている。 この照明があると 団七の 「しんそこ くたびれた」 というセリフがまた生きる。

息もつかせぬ展開で あっという間の2時間半 鳴りやまないカーテンコールに スタンディングオベーション。 カーテンコール 3回目は 勘三郎も予測してなかったんだか 「こんなに 応援していただいて。。。みんな 喜んでおります。。」と 声を詰まらせていました。 声 よく通るなぁ。

勘三郎 まだ 勘九郎時代から 実に いろんな試みをしています。 庶民のエネルギーに支えられた歌舞伎の原点に対する 飽くなき追求。 今の歌舞伎をなんとかしよう と 思えば思うほど 昔の芝居小屋の歌舞伎に戻っていく。 今の茶の湯をなんとかしようと思えば思うほど 利休時代に戻っていく という構造と似ていて面白いなぁ と思ったのを思い出した。 いや この コクーンは 既に 勘三郎の手を離れつつはあるんですが。 今回 勘三郎でよかった~。 勘三郎 出てきただけで 花があります。 舞台が パッと明るくなる。 息子達だと こうは いかん。 何が違うんだろう。 息子たちは もちょっと太った方がいいんじゃないかしら。 はっしーも(個人的好みです すみません)