アルファベット27文字の、組み合わせは膨大だ。 現在ある英単語の数をはるかに超えるだろう。
ブラックボックスの中に無数のアルファベットの札を入れるとする。 その中から任意の数の札を取るとする。
その中で、ある特定の組み合わせの生じる確率は、ほぼ零に近い。 だが零ではない。 しかし、その組み合わせがでるまで札をひき続けるとしたら、膨大な回数の試みを続けなければならない。 人間が一生かけても、出来ないだろう。 だが、永遠に続けるとしたら、いつかその組み合わせを引き当てることが出来るだろう。
原子、分子の組み合わせも同様である。 自然の時間と空間は、ほぼ無限である。
自然は盲目的に、その気の遠くなるほどの時間と、広大な空間の広がりの中で、その試みを続けることができる。
そのようにして、生命も生まれた。
生命の進化も、同様に無数の試みの結果であり、現在も続いている。
人間の文化文明も、同様である。
無数の試みの中から、食生も、薬も、化学、科学も、進歩してきた。
ニュートンでなくても、万有引力の法則は発見されたであろうし、アインシュタインでなくとも、相対性理論は確立されたであろう。
あらゆる全ての発明発見は、そのような無数の試みの結果生まれた。
自然が、盲目的に行う試みの個々の結果は、偶然である。 だが、いつか必ず、或る特定の結果が生じる。 だからそれは必然である。
人類における、進歩も同様である。 無数に行われる試みの結果、偶然に有用なものが出来る。 だからそれも必然なのである。
俗に、「下手な鉄砲も、数射ちゃ当たる」というではないか?(笑)、・・・
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