どの宗教も、神またはそれに類するものを信仰している。
そしてそれを創設した教祖が存在する。
教祖が宗教を創設したのには、何らかの体験をしたからに違いない。
それは、スピリチュアル・フィールド(精神場)と接触したからだと思う。
精神場といったのは、それに類するいろいろな言葉から、敢えて中立的な意味を持たせたからである。
霊的というと人が死んでから存在するという意味合いがあり、ここでいう論点からずれている。
神とか仏というと、各宗教がよりどころとする絶対的、超越的存在を意味し、それは信仰する者にのみ存在する。
各宗教で言われるところの奇跡的なこと、霊的な体験、お告げ、虫の知らせ、予知能力等々は、存在するかもしれないが、それはその宗教において、神とか仏の存在を補強するものに利用されているに過ぎない。
それは、精神場というものが存在しそれによるという仮説を立てて説明してみる。
現在、存在する物理的な場としては、電磁場、重力場がある。
精神場というのはこれらとは無関係に存在する。
だから、電磁的あるいは重力的な手法によって、精神場を知ることはできない。
多分、霊感があるといわれる人によってのみ接することができるのではないだろうか。
それは普遍的な「ものあるいはこと」であり、人間にとってのみの「ものあるいはこと」ではない。
犬またはその他の動物と、人の間に存在する霊的なつながりの例があるからである。
前世の記憶、生まれ変わり、奇跡的なこと、霊的な体験、お告げ、虫の知らせ、予知能力等々は精神場を通して行われるのではないだろうか?
以前、述べたDちゃんの死に関する例、ガンで亡くなったのだが、長年疎遠であった娘さんの夢枕にしばしば立つようになったのが、その死の直近であったことは、これに当てはまると思う。
特に霊感もない一般人にとって、夢は比較的、精神場との接触の機会なのだと思う。
普通、夢を見るときは、大抵の場合、自分の経験、環境等々のデフォルメした形である。
だが、たまに全然経験したことのないような、場所や状況の夢を見ることがある。これはまさしく精神場との接触によるものとすれば、話が合う。
各宗教の教祖はこれらを体験したことにより、神または仏を信じ宗教を創設したのではないか。
死後の世界というものがあるとしても、それは精神場においてではないか。
人類はいつか精神場を発見しそれを利用することができれば、それは比喩的な意味で神に近づくことを意味するのだろう。
あらゆる宗教が無意味となり、すべての争いごともなくなり、理想郷のような世界が実現するか、あるいはさらに悪化し地獄のような世界になるのか、・・・・・?
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