今日って「仮面ライダー電王」放送ナシなんですよね。
先週自分でもそう書いてたのに、1週間経ったらケロリと忘れてて、
昨夜遅く、録画予約の為にTVブロスの番組表を探してやっと思い出したと言う(^_^;)
だからって言う訳でもありませんが、
時々拝読しに伺ってる「黒猫亭日乗」さんの最新記事
「DEN-O 19'」がとても興味深かったので、ご紹介しつつ、
それを読んで思ったことをメモしておきます、とても散漫ですが。
(毎度、read only なのにリンクして済みません、
いつも興味深く読ませて頂いてますぅ。…とここで言っても^^;)
19話の舞原監督の演出に付いて実に丁寧に解説されているのですが、
これを読んで「演出」と言うのが如何に論理的な作業なのか、
そして面白い仕事なのか少し分かった気がします。
端的に言えば、
私が「サクライユウト」と「デネブ」を好意的に見たのは単なる偶然ではなく、
演出的な思惑がキチンと効いている故の必然である、と言う事の証明になっていて。
ドラマを見ていて「面白い」と感じる要素は色々あるけれど、
その中でも、演出のチカラで物語の印象を明確にして行く作業って、
人間のことを知らなければ出来ないよなーとか思いました。
沢山ある主観の中から、視聴者の大多数が「そう感じる」ような演出をするには、
その時代にマッチングするようなセンスと、
更に心理学的な素養も必要になって来るような?とか。
で、そんな風にキチンと作られているとしたら前回の電王は、
たまたま脚本家さんの言葉づかいが好みだったり、
役者さんの演技プランに好感を抱いたり、
物語の構造や筋、価値感に思い入れをしたり、
演出の構図的な面白さ・意外性に感激したり、
そうした事の組み合わせで『素敵』と感じる心を『偶然』刺激されたのとは違う、
(いや、偶然が重なった結果の必然だって『意図的』だとは思うけれども)
もっとちゃんと『映像作品』として、意図的にそれらを組み合わせた結果だと、
つまり、作品としてのスキルの高さ、を示しているように思うのだけれど。
…今までのライダーには無かった、と言うつもりはありませんが、
ある作品のあるキャラクターに好意を抱くか不快に感じるか、
その感情にはやっぱり単純な主観以上の「何か」理由がある訳で、
それは主人公のライバルだから、とか主人公に異を唱えた人だから、と言うような
単純な「善悪」の話ではないのは確かなんですよね。
物語上の良い人・悪い人と、そのキャラへの好き嫌いが別なように。
例えば私が「響鬼」の桐矢少年に好意的なのは、
物語の構造上、彼の立ち位置には間違いなく意味があって、
それが『上手く機能すれば』とてもドラマチックな物語が展開し、
見ごたえのあるドラマが展開するだろうな、と思えるだけの魅力を感じたからで、
ドラマに提示されていたこと全てに対して『完璧に好き!』じゃないんです。
で、それは普通のドラマや映画に対しても同じ事が言える訳で、
後はその「良かった」と「そんなでもない」の力関係で、
その作品が「好き」か「嫌い」かに針が傾くものだと思うんですが。
…後は「不満だったところ」は脳内で補ったりして勝手に楽しめば良いし。
(ヘンな意味にあらず、ですからねっ念の為^^;)
そうやって脳内で補完する事を妨げる程に「極端に不快な」話が出たり、
補完して楽しもうと言う気も起きないほど作品に覇気が無いとか、
その作品を最後まで追って行こうと思う気にさせないような物語なら、
そんな面倒な手筈は踏まないで視聴を止めるだけだと思うのですが、
ただそれは、「全てが上手くまとまっていた」のとは違う訳で。
そう言う意味では「電王」は、今のところ全てが上手く機能しているなーと思います。
きっと白倉Pは、いままでの来し方の作品を詳細に分析し、
その成果を元に今の形に落ち着いたんじゃないかと思ってるのですが、
その為のサンプルとしては、
色んなサイトや掲示板の書き込みもピックアップしていると思うのですが。
(例のエントリーも含めて、ね。)
見事に被験者として使われてると思いますよ、視聴者。
その手腕の鮮やかさを私は疑わないのだけれど、
でも、実験の為なら平気で毒でも使ってみるタイプだと思うんだなぁ。
そう言う冷徹なところがあると思うんですよね、例え無邪気に、だとしても。
それでも「好き」と言えるかどうかはアナタ次第、と言う感じで(笑)
受け取り手の1人である身としては、
せっかくの「その成果」、受け取って楽しむのが得策だと思いますが、
それはちょっと、愛とは違うと言うのも分かって頂けると幸い。
そう言う事とは全く別に、スタッフさんや役者さんの頑張りは
いつでもカケラも疑った事がないのですが。
…で、また論理的な事をすっ飛ばして印象だけで書いちゃうんですが、
ならば、井上トシキ先生の脚本と舞原監督のコラボが見てみたい。とても。
そして、別の監督になった時に、例え同じ靖子にゃんの脚本でも、
この「好意的印象」が変質する事もある訳ですね、どきどきどき。
(なんでしょうこのトラウマ状態わ^^;)
ところで、
電王の無い朝、何となくアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」を見たんですが、
びっくりするほど「ええ話」で、朝からジーンとしてしまいましたよ。
長谷川圭一さんの脚本で、内容は江原さんの「天国からの手紙」みたいな感じ(分かりにくい^^;)
先週自分でもそう書いてたのに、1週間経ったらケロリと忘れてて、
昨夜遅く、録画予約の為にTVブロスの番組表を探してやっと思い出したと言う(^_^;)
だからって言う訳でもありませんが、
時々拝読しに伺ってる「黒猫亭日乗」さんの最新記事
「DEN-O 19'」がとても興味深かったので、ご紹介しつつ、
それを読んで思ったことをメモしておきます、とても散漫ですが。
(毎度、read only なのにリンクして済みません、
いつも興味深く読ませて頂いてますぅ。…とここで言っても^^;)
19話の舞原監督の演出に付いて実に丁寧に解説されているのですが、
これを読んで「演出」と言うのが如何に論理的な作業なのか、
そして面白い仕事なのか少し分かった気がします。
端的に言えば、
私が「サクライユウト」と「デネブ」を好意的に見たのは単なる偶然ではなく、
演出的な思惑がキチンと効いている故の必然である、と言う事の証明になっていて。
ドラマを見ていて「面白い」と感じる要素は色々あるけれど、
その中でも、演出のチカラで物語の印象を明確にして行く作業って、
人間のことを知らなければ出来ないよなーとか思いました。
沢山ある主観の中から、視聴者の大多数が「そう感じる」ような演出をするには、
その時代にマッチングするようなセンスと、
更に心理学的な素養も必要になって来るような?とか。
で、そんな風にキチンと作られているとしたら前回の電王は、
たまたま脚本家さんの言葉づかいが好みだったり、
役者さんの演技プランに好感を抱いたり、
物語の構造や筋、価値感に思い入れをしたり、
演出の構図的な面白さ・意外性に感激したり、
そうした事の組み合わせで『素敵』と感じる心を『偶然』刺激されたのとは違う、
(いや、偶然が重なった結果の必然だって『意図的』だとは思うけれども)
もっとちゃんと『映像作品』として、意図的にそれらを組み合わせた結果だと、
つまり、作品としてのスキルの高さ、を示しているように思うのだけれど。
…今までのライダーには無かった、と言うつもりはありませんが、
ある作品のあるキャラクターに好意を抱くか不快に感じるか、
その感情にはやっぱり単純な主観以上の「何か」理由がある訳で、
それは主人公のライバルだから、とか主人公に異を唱えた人だから、と言うような
単純な「善悪」の話ではないのは確かなんですよね。
物語上の良い人・悪い人と、そのキャラへの好き嫌いが別なように。
例えば私が「響鬼」の桐矢少年に好意的なのは、
物語の構造上、彼の立ち位置には間違いなく意味があって、
それが『上手く機能すれば』とてもドラマチックな物語が展開し、
見ごたえのあるドラマが展開するだろうな、と思えるだけの魅力を感じたからで、
ドラマに提示されていたこと全てに対して『完璧に好き!』じゃないんです。
で、それは普通のドラマや映画に対しても同じ事が言える訳で、
後はその「良かった」と「そんなでもない」の力関係で、
その作品が「好き」か「嫌い」かに針が傾くものだと思うんですが。
…後は「不満だったところ」は脳内で補ったりして勝手に楽しめば良いし。
(ヘンな意味にあらず、ですからねっ念の為^^;)
そうやって脳内で補完する事を妨げる程に「極端に不快な」話が出たり、
補完して楽しもうと言う気も起きないほど作品に覇気が無いとか、
その作品を最後まで追って行こうと思う気にさせないような物語なら、
そんな面倒な手筈は踏まないで視聴を止めるだけだと思うのですが、
ただそれは、「全てが上手くまとまっていた」のとは違う訳で。
そう言う意味では「電王」は、今のところ全てが上手く機能しているなーと思います。
きっと白倉Pは、いままでの来し方の作品を詳細に分析し、
その成果を元に今の形に落ち着いたんじゃないかと思ってるのですが、
その為のサンプルとしては、
色んなサイトや掲示板の書き込みもピックアップしていると思うのですが。
(例のエントリーも含めて、ね。)
見事に被験者として使われてると思いますよ、視聴者。
その手腕の鮮やかさを私は疑わないのだけれど、
でも、実験の為なら平気で毒でも使ってみるタイプだと思うんだなぁ。
そう言う冷徹なところがあると思うんですよね、例え無邪気に、だとしても。
それでも「好き」と言えるかどうかはアナタ次第、と言う感じで(笑)
受け取り手の1人である身としては、
せっかくの「その成果」、受け取って楽しむのが得策だと思いますが、
それはちょっと、愛とは違うと言うのも分かって頂けると幸い。
そう言う事とは全く別に、スタッフさんや役者さんの頑張りは
いつでもカケラも疑った事がないのですが。
…で、また論理的な事をすっ飛ばして印象だけで書いちゃうんですが、
ならば、井上トシキ先生の脚本と舞原監督のコラボが見てみたい。とても。
そして、別の監督になった時に、例え同じ靖子にゃんの脚本でも、
この「好意的印象」が変質する事もある訳ですね、どきどきどき。
(なんでしょうこのトラウマ状態わ^^;)
ところで、
電王の無い朝、何となくアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」を見たんですが、
びっくりするほど「ええ話」で、朝からジーンとしてしまいましたよ。
長谷川圭一さんの脚本で、内容は江原さんの「天国からの手紙」みたいな感じ(分かりにくい^^;)