宇和島市出身の大和田建樹が作詞した鉄道唱歌の1、2番を引用します。
1番
汽笛一聲新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる
月を旅路の友として
2番
右は高輪泉岳寺
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載の後までも
泉岳寺は都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅の近くにあります。
四十七士とは、元禄赤穂事件で吉良邸に討ち入り、主君に代わって吉良上野介
を討ち果たした47人の赤穂浪士のことです。
元禄赤穂事件は「忠臣蔵」の物語で有名です。
鉄道唱歌のとおり、大石内蔵助以下47人の墓は、東京都港区高輪2丁目の泉岳
寺にあります。
討ち入りは元禄15年12月14日ですが、西暦では1703年1月30日になります。今か
ら305年前ですね。
昨年上京したときに、泉岳寺を訪ねました。
その時撮った写真をご紹介します。
雨が降っていましたが、線香の煙は絶えることがありませんでした。
首洗い井戸(吉良上野介の首をここで洗って主君の墓前に供えた)石柵を
奉納したのは川上音二郎
・線香の販売所(1束100円) ・大石内蔵助の墓
・大石主税の墓(大石内蔵助の長男で切腹のとき16歳だった。2つの石碑の左側)
・墓の配置図
・ 赤穂藩主浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)の墓
・内匠頭の正室瑤泉院(ようぜんいん)の墓
・ 堀部安兵衛の墓 「行年34逝」と書かれている
・ 義士墓
・義士墓 ・義士墓
・宇和島東高の近くにある大和田建樹の生家跡
けんち、たくさんの写真を添えてのブログねたありがとう。
「忠臣蔵」は、年末によく見ますが、西暦では、今月ってことなのね・・。
以前、京都の山科に住んでいた時、大石神社というのが近くにあり、正月には必ず初詣に行ってました。
そこは大石内蔵助が住んでいた所で、討ち入りまでの善後策を相談していたそうです。
たしか、赤穂浪士関連の宝物もあったような気がします・・・
この神社は桜の名所ですが、超マイナーなので観光客はいません。京都にお寄りの節は、ぜひどうぞ!