いつかは来る別れ。
でも、こんな急に、辛いこと報告することになるなんて・・・
ずっと可愛がっていただいた方々に、深い感謝をこめて、
10月7日に逝ったペルのことを伝えさせてください。
私自身の心の整理のためにも、なんとか書きました
長くて、読みにくいと思います。ので、読めるところまでで結構です。
元気のない方は読まないで。

10/7朝。

最後の写真になりました。
今、どうしたらいいのか訳が解らない。
ペルが居ないのだ。
ペルが、家にいない。
もう、二度と帰ってこない。
悲しくて、気が狂いそうなんて初めてだ。
ウソだと言って欲しい。
嘘やろ?
家にいるとペルがくっついてくるのが当たり前だ。
気を紛らわすために歩くも泣くしかないし、混乱するだけ。
喪失感がこんなにひどいなんて。
ペル来た記念日9/15
ナナ来た記念日9/19
そして、10/7
ペルが居なくなった・・
うそやろ。
ペルの居ない家にひとりでいることがこんなに辛いなんて、
考えてもしかたのないことばっかりグルグル回って・・・
10/10、今日で4日経つのに。
ペルに、ゴメンしか言えない。
バカな飼い主だ。
ああしたら良かった?こうしたら良かったのか?
なんでこんなことに・・・
もう時は戻らない。
後悔ばかり。
本当にどうしょうもない。
何から整理すればいいのか。
とにかく、現実に向き合わなければ・・・
10/12、ちゃんと何があったか、記憶が薄れないうちに書かなければダメだ。
ひとりで家にいると本当に、気が狂いそう。
ペルのために、しっかりしなくちゃ。
先週の土曜日、10/5、散歩は行かず。
どこにも行かないで、一日中ペルと一緒に家にいた。
昼に中学からの友達と、久しぶりに電話で話して、
ペルも、まだ調子がましになって、お肉とかも食べて・・・
ブログもやっと更新できた。
これから、本当に、たいへんでも頑張ろうと・・・
10/6(日)ペルの調子はあまり良くなくて朝の散歩は行けなかった。
減らしたお薬を元に戻して、吐き止めも一緒に飲んだ。
ご飯は、少し減らして、缶詰を混ぜて食べた。
私は、ペルの様子を見ながら仕事に行くつもりだったが、
玄関まで行くも、しんどそうなペルを放っていけなくて
休むことにきめた。近くで一緒にいるだけだけど。
何をしていたのか、ほとんど思い出せない。
本当にいつもと同じ一日だった。ソファーに乗って私の横で寝ていた。
ただ、お肉を、昼間に焼いて食べたり、食べれるものは食べていた。
ペルは、庭に出るにもしんどそう、オシッコは大量にでるので、ただオシッコとウンチをするために
庭に出ては、入ってくれた。
最後の夜に、何をしていたのか。
息のしかたが暑いときのはあはあと違う気がして、横に寝ていても気になり、眠れなかった。
夜中の3時頃に、確か、何か食べた。先日念のためにもらってきた、缶詰だったと思う。
朝イチに病院に連れて行こうと思って寝たんだ。
10/7(月)朝が来た。
散歩に行けないので、庭でオシッコとウンチをしてくれた。ご飯もいつも通りに食べた。
歩けないことはない。
だけど、その後でオシッコを庭に出る手前のバスタオルを何重にも敷いていた上で、ジャーとしてしまった。
タオルからはみ出して床にも流れてしまった。バスタオルは、多めにふわっとするぐらいに、ベットのように敷いていた。
残っていたのか、お薬のせいなのか・・・
息がしんどそう。
仕事に行く前に私とペルは、病院へ。
車に乗るのもお尻を持って乗せる。
一番に行けず、少し離れた駐車場に車を置き、ペルを歩かせた。
狭い車道の危ない道、でも、ペルは、引っ張っていた。
病院は、10/5 6日だんじりのため、臨時休業だったので、月曜日は多くなっていたのか、
2.3人待っている中、ペルは、嬉しそうに居る人に愛想を振りまき、優しそうな可愛い女の人にカワイイ~とか言われてバタバタ、
なんだ、元気そうじゃないか・・・
トイプーの女の子にグイグイ行こうしたり、診察室の戸を、バンバンしたり・・・
そう、元気だった。
本当に、元気だったの。
私も笑いながら、居合わせた人にペルのことを話したりしていた。
気になっていた、おなかが腫れていることを、この時に言う。
水が貯まっているのかもと思い、
あと、ブラッシングで、毛の抜け方が異常だったこと。
抜ける季節なのかもしれないが、塊がズボッと抜けたりしていた。
先生達が、レントゲンを撮って、その後、エコーを撮るので私は、外で待っていた。
ペルは、もう帰りたがって中で私を呼んでいた。吠えていたのだ。
女医さんがそのことを外にいる私に教えてくれていた。
エコー検査は、動いては撮れないので、普通眠らせたりしないと撮れないため、なかなかできないらしく、この時、
ペルは、無理に診察台の上に背中がスッポリ入るようなクッションに上向きに寝かされお腹の毛も剃られ寝て本当に、イイコだった。
私は、そんなペルを見てイイコイイコって、顔をなでて笑ってた。
でも、エコーの結果に、愕然とした。
大きな腫瘍があるという。
ドッジボールぐらいの。
取るしかもう助からない。
すぐにでも手術できます。
昼からできるけど、どうしましょう。
緊急って事ではなかったのだけど、少しでも早く楽になるなら、少しでもそんな悪いもの、
重たいものを取って貧血がましになるならと、
その日の午後からの手術をお願いした。
もちろん、お父ちゃんにも電話で状態を話した。
この時、なぜもう少し慎重に考えなかったのか・・・
貧血も心配だったが、輸血をしながらするということもあり、
まさか、こんなことになるとは思わなかった。
ペルには、診察室に入りペルの顔に顔を擦りつけて、一瞬だけど、がんばりや!ってして、
ドアを出る前、ペルと目を見て待っててね!すぐ迎えに来るから・・・
その一瞬のペルの目が、え?どこいくの?と言っていた。
その目が、顔が、焼き付いて離れない。
連れて帰ったら良かった。
私は、仕事に行き、祈っていたが、1時40分病院から電話で、すぐ来てくださいと連絡があり、
すぐに駆けつけた。
もう、ペルは動かなかった。
嘘みたいで、信じられなくて、実感なんてなくて、涙も出なかった。
手術で2キロもある腫瘍を取ったあと、血圧が下がって、心肺停止から、蘇生も2回してもらったが、
だめだったそうだ。
腫瘍は、2キロもある肉の塊で、それを見たときは、ああ~~~って、ショックで情けなくて・・・
とうちゃんも、仕事場から駆けつけ大泣きした。
私の車の後ろでペルは、来たときとは全然違う姿で帰ってきた。
気が動転して、なんだかわからないまま、ペルと別れなければいけなかった。
10/8 ペルのお骨上げに立ち会ってくれたペットメモリアルの方が骨を見て、
もう癌がそこら中に転移して内蔵もボロボロだと言われ、
たとえ腫瘍を取っても、その後に辛い治療が待ってたのだ。
ペルは、わからないまま逝ってしまったんだと、その方が良かったんだと・・・
思うようにしたいけど、
なんで早く見つけられなかったのか、なんてバカだったんだ。
しんどくても、それでも、犬は飼い主に元気を装うんだと、元気を装うことができなくなったらよっぽどだと、メモリアルの方が。
ペルの居ない、この一週間、気が狂いそうな毎日をなんとか過ごしてきた。
ペルは、いつも一緒にいます。
バカで、ヘナヘナな飼い主に、ペルは最後まで元気な姿を見せてくれたのだから、
私たちは、しっかりしなくてはね。
ダラダラ長くてごちゃごちゃですみません。
いつも遊んでもらったモモちゃんのお母さんが花束を持ってお別れに来てくれました。
毎日、ボールを投げてくれて、ありがとうございました。
それから、何かの役に立てればという思いで記します。
ペルの腫瘍は、脾臓血管肉腫というものでした。
脾臓は、悪くても、血液検査ではわからないといわれました。
何度も、血液検査をしていてもわからなかった。
脾臓自体は何も変化なく、血管にできる腫瘍。
2キロにもなって破裂していた。
こんなものおなかにかかえて、よく歩いていたものだ。
大型犬に多いらしく、急激にでかくなるらしいです。
ボーダーでも、でかい子は、気をつけなくちゃいけなかったんです。
デカボーの飼い主さん、どうか、どこかで覚えておいて下さい。
キリッとした顔。目を開けてよく寝ていた。
起きてよ。
ペルを、知ってくれて、可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。
あたたかい、コメントにお返事ができなくてごめんなさい。
少し時間をください。
このブログを始めるきっかけにもなったたつ巻さん、
たつ巻さんのブログでペルを、綺麗に描いていただき本当にありがとう。
泣いても泣いても涙が出てくる。
でも、もう少し待ってください。
ペルが本当に、けっこう忠犬ぺるであったこと、もう少し綴っていけたらと、思います。
ペルのしっぽにじゃれるナナ。
見ていると、天真爛漫な性格が、パピーの頃のペルに重なります。
ペルが連れてきてくれたんだね。
ペル、ありがとう。でもまださよならはいえない。