討論の広場

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修士論文へのコメント

2005-04-13 04:40:24 | Weblog
(1)大学院口頭試問にて
A「若者文化による営みが社会や文化の枠組みを再生産するか抵抗かという対立を「ブリコラージュ」で乗り越えるとあるが、そこがよくわからないので再度説明を・・.」
→ 若者自身の多くの行動には、再生産の意識や抵抗の意識は部分的にしか存在せず、〈暴走族〉においては「ケジメ規範」が重視されているということでした.よって、そのケジメ規範ゆえに統制され、また抵抗も行われているという指摘を再度整理してみます.

(2)広島社会学連合研究会にて
B「今回の警察や行政と〈暴走族〉とのやりとりから、そんなに簡単に、〈暴走族〉を負けとしていいのか?」
→ 

B「裁判過程における統制は、合理的に退けられたというのではない.むしろ検察側の論理展開のほうが無理があるのではないか?」
→ 合理的というより、一般化する思考と具体的な事象から構築する思考とのすれ違いとして修正する.

B「〈暴走族〉のケジメ規範について、個人主義と全体主義を共在させるシステムとあるが、詳しい説明を・・.例えば、体育会系の価値観との差異はあるのか?」
→ 

B「若干結論を急いでいる感じがする.あと2・3年は継続してみる必要があるのではないか?」


B「集合的な〈暴走族〉は負けたかもしれないが、〈暴走族〉少年個人は負けていないのではないか?」
→ 

C「内部への排除について、詳しい説明を・・.アンダークラス論で用いられる排除と包摂概念との関係は?」
→ 

C「根源的受動性について、詳しい説明を・・.」
→ 

C「見える/見えない抵抗について、概念間の説明を・・.できれば、概念図隙を用いながら・・.」
→ 

(3)その他研究会やメールにて
D「〈ブリコラージュ〉概念の整理」
→ 

E「〈地続き〉の場所について、「はじめに」の調査方法についての記述が、後半の分析の箇所と関係付けられているか?」
→ 

F「〈暴走族〉を分析する際に用いた、M・セルトーや小田亮の日常的抵抗論の枠組みは、〈暴走族〉から現代社会を議論する際に有効な視覚として十分にいかされているか?」
→ 

※ 回答が空白の箇所は、随時追加していきます.この他にも回答すべき点や、質問などありましたら、よろしくお願いします