討論の広場

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折原浩さんへの手紙2

2007-05-25 15:41:14 | Weblog
羽入辰郎著『マックス・ウェーバーの犯罪』をめぐる折原浩さんの批判書『大衆化する大学院』を読ませていただき、その感想の手紙を折原さんに送りました。動研のウェーバー研究会が始まった現在、議論のささやかな資になればと思い、私信で恥ずかしいのですが、その手紙を(一部修正し)、折原さんに承諾いただいたうえで投稿します。会員の皆さんにはご笑覧いただければ幸いです。(青木)


折原浩先生

まだ朝晩は冷え込みますが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
フィリピンから帰国し最初に、お贈りいただいておりましたご著書『大衆化する大学院』を拝読しました。『ヴェーバー学のすすめ』に続きまして、勉強の機会をいただきましたことにお礼申します。
前便でも申しましたように、羽入書、そして先生のご批判の展開の詳細を自分で検証する力と余裕がない者ではあります。しかしそれでも羽入書を読んで、それが、ウェーバーの主題と方法(なにをどのようにあきらかにしたのか)に無頓着に、つまり、ウェーバーの文言の脈絡と意味を理解しないまま(勝手に誤解したまま)、文言の諸断片に「噛みついた」ものであり、そのようなかたちで「擬似問題」(折原さんの語)を捏造し、ウェーバーの「藁人形」(折原さんの語)相手に一人相撲をとったものであるという、羽入書の問題構造はよく理解できます。それは、批判は相手の土俵のうえで行なうもの、それでこそ議論が可能になるというもの(全「論証構成」に内在し、対象に即して論旨の展開を追う──85頁)という研究の大前提を逸脱するものであります。いわんやウェーバーを詐欺師と罵倒するなどは、羽入氏の品性が疑われるというものです。
ご著書の教師類型論を興味深く拝読しました。東大よ、お前もか。かつて東大大学院をめざし(失敗し)た者として、このような苦渋を抱かざるをえません。正直いって、日頃、学問的対決回避型(第三類型)どころか、論文が学問的水準に達していないことを見抜けないまま、これを指導・助言しようとする、あるいはそれさえ回避するという、客観的に非整合似非合理的な対応としての、非学問的対決(回避)型が跋扈する大学(院)に失望している者に、ダメ押しをいただいたという感じであります。他人を見て自分を戒める。ああなったらおしまい。しっかり勉強しよう。そのような思いをいっそう強くしたところです。
私事で恐縮なのですが、私自身かつて、同僚たちと、マイノリティを排除する大学を正そうと(大学を真のゲゼルシャフトにしようと)運動して解雇になり、その後に再就職の話がいくつかあったものの、結局は、解雇の烙印のゆえに話がだめになったという体験をもつ者として、(日本の)大学の二重規範(真理の探究という整合合理性の看板と、権威的ゲマインシャフトという整合非合理性)の欺瞞性は身に沁みております。しかし同時に、野にありながら、大学は、せめて学問研究において、普遍的な、つまり開かれた積極的対決を文化とする府であってほしいという期待を、持ち続けてもおります。大学には厳しくご教授いただいた積極的対決型の先生が、何人もおられます。ここでも、複雑な気持ちになります。私自身、そして仲間とともに築いている小さな研究所(社会理論・動態研究所)では、直接対決の整合合理的な研究の作風を堅持し、真理の普遍的探究のため自己/相互研鑽し、もって学問の批判と創造をめざしたいと念じております。ご著書を拝読し、そのような意思をさらに強くさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。

前に申しましたように、研究所でウェーバー研究会を始めます。研究内素人集団ではありますが、先生の問題提起をも受け止めさせていただき、私たちなりの真摯で厳しい議論を重ねたいと思っております。先生にはいずれご講師をお願いすることになるかと存じますが、その折はよろしくお願い申します。
ご著書へのお礼と感想にこと寄せて、冗長な文を書かせていただきましたこと、お詫び申します。今後ともよろしくご指導いただきますようお願い申します。

時節柄、先生にはご自愛されますことを祈念申します。


               青木秀男
               社会理論・動態研究所

4月20日