討論の広場

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スピヴァク講演会10

2007-10-01 23:13:06 | Weblog
 この3の発言が何人かからなされたあと,それを受けて,新城さんが,次のような発言をしました.「ドラフトは読めません.なぜなら,彼女が拒否したからです」

本橋哲也「だまっていようと思っていたのですが,あまりにもひどいので発言します.まず事実の確認から.彼女は拒否したんですか.拒否していないですよね.倒れちゃったんだから.拒否することもできなかったのです」

打越
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スピヴァク講演会11

2007-10-01 23:12:19 | Weblog
 もちろん,体調が悪かったことに対して,無理して来る必要はないと思います.ただ,体調が悪くて来られなかったことと,論文の類似問題はまったく別物として議論されるべきだと思いました.本橋さんには体調が悪かったことをもとに新城さんたちの衝撃を無視して欲しくないですし,新城さんには普通に研究者だって鉄人じゃないし,そのことを応答の拒否とすべきではなかったのかもしれません.体の問題と論文の類似問題が,関連しているのか否かは誰にもわかりませんが,ただ両者の問題を分けて整理すべきだと思います.類似問題に関しては,新城さんかスピヴァクさんが,研究者として1回引退する(スピヴァクさんがその剽窃を認めるか,新城さんが自身の社会科学能力の欠如を認める)ことしかないと,私は思います.

打越
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スピヴァク講演会12

2007-10-01 23:11:22 | Weblog
本橋「扇動された参加者が,パクリだとか剽窃だとかいわれたことが非常に残念です.彼女のテキストを翻訳した日本で最高レベルの翻訳家からして,彼女は剽窃など行っていない.」
→ 「(彼女の原稿は)剽窃ではない」という発言と,「日本で最高レベルの翻訳集団として」という発言の関連は記憶が不明確です.しかし,本橋さんの一連の発言の中で,両方の発言がなされたことは間違いないですし,両者は関連しているものとして聞けたので,このようにおこしました.もし違っていたら,大変申し訳ありません.

打越
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スピヴァク講演会13

2007-10-01 23:10:34 | Weblog
 専門家を自称する彼がその論文が剽窃ではないと,その判断もできない参加者に述べるより,その事実の経過を丁寧に説明したコメンテーターの方が,誠実な対応をしていると思いました.なぜなら,体調不良の一言で講演会を中止し,多くの人が納得できたにもかかわらず,もしくは本橋さんのいうように専門家のことは専門家が決め,自らが検討して剽窃ではないと今まで決定されてきたですし,それが今でも可能であるにもかかわらずそれをしなかったからです.その権力性をいわゆるカルチュラル・スタディーズは問うてきたと思うのですが・・.事実を公開し,少なくともこの経過で脊髄を叩かれた衝撃を正直に語ったコメンテーター陣の方が,間違いなくカルチュラル・スタディーズの思想を受け継ぎ実践されていると思いました.
 また結果的に本橋さんの発言は、新城さんのその衝撃を消し去りました.もし、新城さんの衝撃を無視するのだとすれば、これは、植民地主義の実践といわれてもしょうがないと思います.日本人研究者によって沖縄人研究者の紡ぎだした声が消さたからです.現在の沖縄を映し出す言葉はウチナーグチにはないです.自らの言語が日本語に変わった瞬間と,苦しみの経験が同時に始まったからです.そんななか,言葉を紡ぎ,代弁するという吐き気をもよおす作業を実践されているから,新城さんには衝撃が走ったのだと思います.

打越
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スピヴァク講演会14

2007-10-01 23:07:09 | Weblog
本橋「あなたがた(コメンテーター)はスピヴァバクをよんだのか.あなた方はサバルタンなのか.ちがうでしょう.サバルタンとは,ベンガルで,強制労働に従事させられ,自らのおかれている状況を言語化できずに,本という概念すらしらない,そのような子どもたちのことでしょう.彼女はその子どもたちに学校をつくり,そして,そこを毎年訪問しているのです.そのような研究者はいますか.この会場にはサバルタンはいない」

 沖縄人はサバルタンじゃないか・・.確かに第三世界の女性や子どもたちに比べれば,多くの沖縄の方は文字も書けますし,本も読めます.私は『サバルタンに語ることはできるか?』しか読んでいませんが,彼女がいいたかったことは,更なるマイノリティ探しではなく,声の固有性を消すなということではなかったのではないでしょうか?その固有の関係性,場所性を消すな,ということであって,文字が書けるのだからサバルタンじゃないなんで彼女が言うはずないと思います.新城さんがサバルタンか否かは,議論されるべき重要な問題だと思います.ただ繰り返しになりますが,新城さんとスピヴァクさんの間の権力関係も事実存在し,それによって新城さんの声の固有性が権力者によって奪われようとし,それによって新城さんは衝撃を受けたわけです.サバルタンか否か,ではなく権力関係における声の固有性の消滅こそがここで重要な問題だと,私は考えるので,本橋さんのこの発言には違和感を持ちました.そして,それは現在の沖縄の歴史教科書の書き換え問題においても中心的な論点であるとも考えています.

打越
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スピヴァク講演会15

2007-10-01 23:03:59 | Weblog
私「私が最初に,パクリという言葉を使いました.それはコメンテーターによる丁寧な事実の経過説明(論文の対象も解釈もアイディアも同じであるという事実)されたことから,パクリというしかないと思ったからです.軽率ではあったと反省しておりますが,私は沖縄で直に(日本軍によって)殺された人を見た人の証言が客観的ではないと消されたときの衝撃と,スピヴァクのドラフトが送られてきたときの新城さんの(安部小涼さんが表現した)脊髄を叩かれた感触は,全くもって違う経験ではあるけれども,弱者の声のその固有性を奪い取り,強者が都合のいいように語りなおすという点では,新城さんの衝撃も沖縄戦争経験者の衝撃も比べられないものだと思います.新城先生は死ぬ気で論文書いたんでしょ?だから,衝撃が走ったんだと思います.」

打越
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スピヴァク講演会16

2007-10-01 23:01:14 | Weblog
 実際の被害者の苦しみなどとは比べ物にはならないが,被害者の声を聞き,切り貼りし,加工する観察者の苦しみも,ちゃんとした研究者ならあると思う.それが,沖縄の声を沖縄エリートである新城さんが聞くとなると,より吐き気がする経験であったに違いない.自らの権力性を行使することを避けられず,また声を加工する自らの権力に気付くからだ.それでもその作業に向き合い言葉を模索して生み出したからこそ,脊髄に衝撃が走ったのだと思う.ほとんどの研究者が経験しない経験をしているから,スピヴァクをちゃんと読んで実践しているから,スピヴァクにケンカ売れたのだと思う.

 いく人かの発言(おそらく、うちなーんちゅ)に,もうこれ以上衝突(例えば,ないちゃーとうちなーんちゅの衝突)は避けたいというものが複数あった.そのように考えることをできるだけ尊重したい.しかし,本当に必要なところで衝突が起こってないことが問題であって,なぜ沖縄でのみ衝突が起こり,東京や,沖縄と日本の間で起こらないのか?沖縄のことについて日本でたくさんの衝突を起こすことこそが重要だと思いました.なぜなら,植民地主義をやめることができるのは植民者であるこの私たちの側でしかないですし、まったくの外部にあるとされる安全地帯から「もっと沖縄がんばれ」という毎度のパターンにはうんざりしています.マイノリティ同士の連帯とは別問題として、日本でいかに衝突を起こすことができるか?そして、沖縄のことをめぐって日本人同士で連帯できることができるか?非常に難しい課題ですが、それしかないのだと思っています.

 以上が、講演会の私のコメントを含んだ報告の全てです.もちろん、私が編集して書いたので、聞き間違いとかの責任は私にあることになります.もし参加された方で、ご指摘してもらえれば非常にありがたいです.また上間さんには、事実の確認の際にご協力していただき、ありがとうございました.

打越
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折原浩さんへの手紙2

2007-05-25 15:41:14 | Weblog
羽入辰郎著『マックス・ウェーバーの犯罪』をめぐる折原浩さんの批判書『大衆化する大学院』を読ませていただき、その感想の手紙を折原さんに送りました。動研のウェーバー研究会が始まった現在、議論のささやかな資になればと思い、私信で恥ずかしいのですが、その手紙を(一部修正し)、折原さんに承諾いただいたうえで投稿します。会員の皆さんにはご笑覧いただければ幸いです。(青木)


折原浩先生

まだ朝晩は冷え込みますが、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
フィリピンから帰国し最初に、お贈りいただいておりましたご著書『大衆化する大学院』を拝読しました。『ヴェーバー学のすすめ』に続きまして、勉強の機会をいただきましたことにお礼申します。
前便でも申しましたように、羽入書、そして先生のご批判の展開の詳細を自分で検証する力と余裕がない者ではあります。しかしそれでも羽入書を読んで、それが、ウェーバーの主題と方法(なにをどのようにあきらかにしたのか)に無頓着に、つまり、ウェーバーの文言の脈絡と意味を理解しないまま(勝手に誤解したまま)、文言の諸断片に「噛みついた」ものであり、そのようなかたちで「擬似問題」(折原さんの語)を捏造し、ウェーバーの「藁人形」(折原さんの語)相手に一人相撲をとったものであるという、羽入書の問題構造はよく理解できます。それは、批判は相手の土俵のうえで行なうもの、それでこそ議論が可能になるというもの(全「論証構成」に内在し、対象に即して論旨の展開を追う──85頁)という研究の大前提を逸脱するものであります。いわんやウェーバーを詐欺師と罵倒するなどは、羽入氏の品性が疑われるというものです。
ご著書の教師類型論を興味深く拝読しました。東大よ、お前もか。かつて東大大学院をめざし(失敗し)た者として、このような苦渋を抱かざるをえません。正直いって、日頃、学問的対決回避型(第三類型)どころか、論文が学問的水準に達していないことを見抜けないまま、これを指導・助言しようとする、あるいはそれさえ回避するという、客観的に非整合似非合理的な対応としての、非学問的対決(回避)型が跋扈する大学(院)に失望している者に、ダメ押しをいただいたという感じであります。他人を見て自分を戒める。ああなったらおしまい。しっかり勉強しよう。そのような思いをいっそう強くしたところです。
私事で恐縮なのですが、私自身かつて、同僚たちと、マイノリティを排除する大学を正そうと(大学を真のゲゼルシャフトにしようと)運動して解雇になり、その後に再就職の話がいくつかあったものの、結局は、解雇の烙印のゆえに話がだめになったという体験をもつ者として、(日本の)大学の二重規範(真理の探究という整合合理性の看板と、権威的ゲマインシャフトという整合非合理性)の欺瞞性は身に沁みております。しかし同時に、野にありながら、大学は、せめて学問研究において、普遍的な、つまり開かれた積極的対決を文化とする府であってほしいという期待を、持ち続けてもおります。大学には厳しくご教授いただいた積極的対決型の先生が、何人もおられます。ここでも、複雑な気持ちになります。私自身、そして仲間とともに築いている小さな研究所(社会理論・動態研究所)では、直接対決の整合合理的な研究の作風を堅持し、真理の普遍的探究のため自己/相互研鑽し、もって学問の批判と創造をめざしたいと念じております。ご著書を拝読し、そのような意思をさらに強くさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。

前に申しましたように、研究所でウェーバー研究会を始めます。研究内素人集団ではありますが、先生の問題提起をも受け止めさせていただき、私たちなりの真摯で厳しい議論を重ねたいと思っております。先生にはいずれご講師をお願いすることになるかと存じますが、その折はよろしくお願い申します。
ご著書へのお礼と感想にこと寄せて、冗長な文を書かせていただきましたこと、お詫び申します。今後ともよろしくご指導いただきますようお願い申します。

時節柄、先生にはご自愛されますことを祈念申します。


               青木秀男
               社会理論・動態研究所

4月20日

マニラ報告(1)

2006-12-26 13:47:26 | Weblog
マニラに来て半分(3ヶ月)が過ぎました。近況を一言報告します。

今年は例年にない平穏で静かなクリスマスだったようです。政府は、経済状態が上向きで、国民の生活が好転していると宣伝しています。社会の表面はそのようです。しかし、民間調査機関の世論調査によれば、国民の19%(330万人)が過去3ヶ月の間に少なくとも一度は飢餓の体験をしており、国民の52%が自分は貧しいと考えています。4歳か5歳の子どもが必死のまなざしで物乞いをする光景は、何度みても胸が締めつけられます。マスメディアでもアロヨ大統領の評判は芳しくなく、その政策はいつも批判に曝されています。また大統領の政権基盤は脆弱で、とくに地方では軍と警察が好き放題をしているようです。アロヨが大統領になった2001年から現在までに700人を超える左派・人権問題の活動家、労働・農民運動の活動家が「暗殺」されています。国際世論の圧力を受けて政府が作った調査委員会は、ほとんど機能していません。先日セブ市でデモに参加しましたが、そのとき参加者(おそらく遺族や組織の仲間でしょう)が、暗殺された犠牲者の顔写真と、いつどこで殺されたかを書いた小さなプラカードを掲げて行進していました。その波また波のただなかに立つと、亡霊たちに取り囲まれているような気がして、思わず涙が溢れ、激しい憤りを覚えました。かつて、私の親友が軍か警察かに雇われた若者たちに殺され、土に埋められことがありました。そのときの悲しみと憤りが蘇った次第でした(親友を殺した若者たちも、少数民族の同じ村の極貧の人たちでした。悲しみと憤りは2倍、3倍でした)。日本人の私が憤ったところでどうということはないとはいえ、それでも自分になにができるのか、自分はなにと闘えばいいのかと、我が身を責めざるをえませんでした。そして連帯の意味を、民衆の闘いの現場であらためて考えさせられました。

ところで、今回は2つの主題に絞ってフィールドワークをしています。一つは、労働調査です。労働組合の協力で衣料工場と半導体工場の労働者に、簡単なアンケート調査をすることになりました。グローバリゼーションの影響をもろに受けて劣悪化する労働環境、窮乏化する生活環境の一端でも明らかにできればと思っています。途上国(都市)でも労働の柔軟化・契約化が進行しています。そのなかで労働者は低賃金(最低賃金にも達しない工場が多いようです)、長時間労働(契約労働者で残業を入れて1日14~15時間働いても生計が賄えないという状態です)を強いられています。こうした実態を明らかにし、合わせて、かねてより仮説として掲げている「新労働」「新貧困」の枠組みの検証に資することができればこのうえないと思っています。これまでのような、過剰都市化論や窮乏化論では説明がつかない労働と貧困の事態が進行しています。小さな調査ですが、理論的には重要なものになると思っています。二つ、ホームレスの調査です。フィリピン(途上国全般)では都市人口の4割にも及ぶスクオッター(広義のホームレス)の貧困問題に圧倒されて、街路で起居するホームレスの問題はまだ社会問題として成立していないようです。そのため、先行の調査や研究が皆無に近く(ストリート・チルドレンについては多くの調査や研究があるのですが)、資料を探すのが困難で、苦労しています。役所や施設、NGOの事務所を回ったり、少しずつホームレスの聞き取りをしたりしてデータを集めています。及ばずながら、途上国都市のホームレス研究の先びんをつけることができればと思っています。マニラでは2つの主題は密接に繋がっています(労働者の底辺層とホームレスは壁一つ)。新労務・新貧困仮説を軸として、途上国都市の労働と貧困の性格・特徴・展開の方向の一端なりとも明らかにしたいと思っています。
昨日はルネタ公園(1986年に10万人のピープルを前に大統領の受諾宣言をした場所です)で、ホームレスの観察と聞き取りをしてきました。いつもはホームレスは公園を追い出されるところなのですが、クリスマス・シーズンだけは公園で寝起きしていいということです(この辺りはフィリピンらしい)。あるホームレスは建設労働者で、11月から公園に住んで仕事を探しているそうです。コックの人もいて、公園からときどき仕事に出かけていくそうです。仕事のこと、公園暮らしのこと、故郷のことなどを聞いているうちに、日本のホームレスとあまりに似ているので、(失礼ながら)楽しくなりました。別れるときに握手をした彼らの手の温もりが、今も私の手に残っています。

マニラはすべてが私のフィールドなので、日々、興奮気味です。同時に、能力と体力の限界を痛感させられています。自分の力の限度内でやらないと持続できないと戒めています。
またそのうち、マニラの報告の続編を投稿したいと思います。(青木)

「語らない」語り

2006-11-08 23:09:10 | Weblog
「語らない」「語り」
 この間、「ガンダーラ映画祭」にいってまいりました。
そのなかで、「私の志集300円」という、路上志集売りのドキュメンタリーを見ました。
概要については以下のHPを参照してください。
http://www.imagerings.jp/gandhara_1.html#watashinoshisyu
この作品、実は本人の了解なく隠し撮りしているのです。監督自身も何度も「撮影(取材)していいですか?」と聞くと、「20年間このスタイルでやってきたので、そういうことは一切お断りします」と返答したのです。
しかし、女の詩のなかにでてくる「私は、路上に立ち続けることが花であり、みなを花になって見続けたい」、ということばから、監督は「あえて」隠し撮りという手法をつかって彼女を撮影していきます。
彼女自身の詩は「彼女」を語っているのです。
 そこで思ったのです。対象者にとって「語らない」、路上に立ち続けるということがあえて「語り」になるのではないかと。
 この間の日本社会学会において山田富秋先生がガーフィンケルの48年の草稿からというテーマで発表されていました。
 そこでの中心的な話題は研究者自身がいかに「主観-客観」図式から開放されるのか。ということ。でした。それをガーフィンケルは60年にもわたり苦悩し続けたと。
 聞き取り調査の研究者側の意見としては、お互いの「相互理解」あるいは「相互了解」が成立して(いや、成立していると「あえて」、研究者が「主観的」に思って)データとして研究という「場」だされると思うのです(と僕が勝手に思っているのかもしれませんが)
 分析する場合も同じです、いかに客観性?というか、いわゆる「科学」という土俵にいかにのせるのか。
そこからへんの苦悩はお互いの「相互理解」「相互了解」(これもあえていうと、研究者側の主観的な問題と絡んでくると思うのですが・・・)があって成立、解明できると思った(いた?)のです。
 このドキュメンタリーは、その「相互了解」をとっぱらった形で行われたある種斬新な調査手法の一つではないかと思ったのです。
 ただ、私の無知さゆえに「そういうデータだってあるよ」といわれたらそれまでなんですが・・・。
ただ、こういう調査手法は、山田先生のことばを借りるのであれば「行為者たちはワークシェアリング(相互行為には、行為者が共同で行う作業が伴っており、それを通して相互に理解可能な世界が構築される)のかたちで、相互行為の内容を相互に構築していく」という実践を行った一例であると思ったのです。
ただ、新宿西口で立ち続けることによって行われる彼女なりの「アイデンティティ」。詩集によって語られる語り。そして、そういう全く「語らない」存在に対していかに社会学者が「語る」存在として浮かび上がらせるのか。(私には十分彼女が「語る」存在として浮かび上がっている作品になっているとは思いますが)素朴な疑問というか、考えさせられる作品になっていると思います。
 色々と雑文ですが、かなり斬新な作品だと思いましたので、HPにUPさせていただきました。

吉崎一