名探偵のUSJ日記(DETECTIVE'S USJ DIARY)

2009年12月からブログをしています。

なぜ鬼の弱点は藤の花なのか

2024年01月01日 21時39分44秒 | インポート

ではより作品に近い部分を掘り下げていきましょう。鬼の弱点についてです。『鬼滅の刃』の中で描かれている鬼については、その弱点が太陽の光と藤の花であることが語られています。実際に陽光に当てられると鬼は消滅しますし、藤の花には近づけないという描写がいくつもされています。太陽に弱いという要素は吸血鬼に、藤の花は狼男に対するシルバーブレッド(銀の弾丸)を思わせるものです。鬼が人を食らうことで生きていくものという設定は吸血鬼を思わせるので、設定として採用されていると考えられます。鬼である珠世さんが人を食うことなく輸血と称して血をもらって生きながらえていることから、人を食らうことそのものではなく、人の生き血が鬼の生存に必須なものであることが伺えます。つまり、人を食わずとも血が飲めれば生きていける。この点が正に吸血鬼と同じ。何より「血」が鬼にとって重要な要素だと言える理由は、鬼の技名が「血鬼術」であるということ、鬼が増えるには鬼の血が混入すればいいこと、さらには鬼化した禰豆子が最初に発動した血鬼術が「爆血(ばっけつ)」だったことなどからも分かります。珠世さんが鬼の血を分析しているのもそういう理由です。ということは、鬼で在るためには血が重要であり、その血中の特殊な成分を分解されると鬼は人間に戻る(鬼でいられなくなる、鬼としての特殊能力を失う)という理屈が考えられます。それを可能にするのが藤の花ということです。ではなぜ藤か。ここにはいくつかの理由が考えれます。まず藤の花は日本古来の花であること。それこそ平安時代に栄華を極めた藤原氏を想起される方もいらっしゃるでしょう。その栄華にあやかって加賀の国の藤原氏は加藤、伊勢の国の藤原氏は伊藤、と地盤となった国の名を取って家名を受け継いでいったほど、日本人の苗字にも多く採用される文字でもあります。佐藤さん、斎藤さん、安藤さんもそのように広がったのでしょう。このようなことがあって「藤」という字に日本人が抱く印象は古くから優雅なものです。香りが強く、たおやかに咲く藤の魅力が女性らしさの象徴とされ、古くから振り袖姿の女性にも例えられます。だからこそ鬼化してもなお人間味を残すキャラクター禰豆子や珠世さんは振袖姿で描かれるのですね。漢字そのものにも「上にのぼる」という意味があることから、鬼を成仏させるという意味を掛けているのかも知れません。「富士」や「不死」にも連想させる縁起の良い言葉ですから、藤の花が鬼に有効だという設定は大正時代という時代背景にも溶け込みます。ちなみに男性らしさを表すとされる植物は「松」です。だから主人公である炭治郎の羽織は「松」の緑と「炭」の黒の市松模様なんですね。さて、藤の花に魔除けの効果があるという描写についてですが、これも設定上の話である可能性があります。例えば藤の花の毒について。これは事実のようです。花びらは天ぷらにしたりして食べることもできますが、食べ過ぎると吐き気、下痢、めまい、胃痛などを起こすことがありますし、種子や樹皮には特に中毒を起こしやすいレクチンを中心とした配糖体の毒性があるそうです。また藤の花は日当たりのいい場所を好み、強い日差しのあたる、日当たりのいい場所を好んで咲きます。つまり太陽の光を存分に浴びて育つ植物であるということです。これは陽光を嫌う鬼にとって不吉な植物とされる理由になります。ということは、藤の花そのものに、というよりも、陽光を存分に浴びて育つ植物だから鬼には困るもの、と言えそうです。何より鬼を滅するためにはただの刀ではなく日輪刀で斬らねばならず、その日輪刀は太陽に最も近いと言われている陽光山で採掘される「猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)」「猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)」という特殊な材料で作られます。つまり鬼の直接的な弱点は陽光から得られる成分だと分かるわけです。だからこそ陽光を克服することこそが鬼舞辻無惨の悲願であり、それを見事克服した禰豆子は喉から手が出るほど欲しい対象と言える、ということです。(鬼滅の刃)(USJさんとコラボレーションした作品)



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