~しばらくお休みしていたブログスタッフのつぶやきから~
先日、ある心理カウンセラーの方とお食事をご一緒させていただく機会がありました。
私は相手の方のことはお名前を存じ上げる程度でしたが、
心理カウンセラーの方はすでに、その場に同席していた
ある私の知人(以下、同席者と表記)から私のことをいろいろと聞かれていたようでした。
私自身、初対面の方と話をするのはあまり得意ではありませんし、
食事会への参加も非常に憂うつでした。
食事の場所はすでに設定してあり、それもかなり高級なお店を予約されていました。
いざ食事会が始まりますと、
いろいろな形で私から話を引き出そうとされるのが、ひしひしと伝わってきました。
職歴、家族歴、出身校の諸先生方の噂話…
そしてそれは客として出席している私や私に関連することを
多少なりとも知りたい、話を聞いて広げもてなす意味でのことだったと
思うのですが、私はなにか、話せば話すほどどうしても警戒してしまって、
失礼ながらお話はあまり耳に残らず、出される料理をめでながら
その料理への言葉を述べ、いただききるのに精一杯でした。
食事会後は、ドライブをかねて最寄り駅まで送ってくださり、
お見送りまでいただきました。
翌日同席者から、その心理カウンセラーの方が
「こんなことを言っていたよ」と聞かされました。
その内容は
「いろいろなものを背負って苦労されている人のようね。
人に助けを求められないみたいで、痛いほど伝わってくる。
あなた(同席者)のことをまぶしいと感じて、気後れしているのではないかしら。
もっと助けてあげなさい。」
同席者はそう言われたそうで、
「やっぱり凄い先生でしょ」ととても得意げに話していました。
この話を聞いて、とても複雑な気持ちになりました。
まず、初対面の人に、自分からは自分のことを話していなくて、
先に同席者からいろいろと聞かれていて、
それが何よりいやでした。
それらはもちろん私の許可なく事前に話した同席者、
また、聞いたことをそのまま私に言ってこられた心理カウンセラーの方の
ご対応によるものなのですが、何か、
尋問されているようで、試されているようで、
いい気分はしませんでした。
その食事会の席に私は客として呼ばれていたのですが、
それはあくまでも建前で、
本当は心理カウンセラーの方が私にカウンセリングをしたかったのではないか、
すでになにか「心に闇を抱える人」のように見られ、扱おうとしていたのではないか、
そんな気さえしてきました。
その心理カウンセラーの方と同席者は既に何年来も家族ぐるみのお付き合いを
されているようで、そのような気さくな集まりに、部外者の私をお招きいただいた。
そのことに本来感謝すべきなのでしょうが、
お目にかかったあと、そのようなことを言われていたことには、
私は「自分のことをもっと話したい」となるどころか、
「どうしてあなたにそんなことを言われるのかわからない。」
「あなたに何がわかるのか。」という気持ちになってしまいました。
もちろん同席者には、事前の本人の許可なく、
本人の話をしてはいけない、そのことで私は不快になったことを
伝えましたし、その点は同席者は「配慮が足りなかった」と
詫びてくれましたが、私はこの心理カウンセラーの方の
話を聞く姿勢、引き出す姿勢には、何ともいえない違和感を感じました。
心理学の権威でいらして、立派な業績を数々残され、
今もご活躍中の方です。
私など足元に及びませんし、この場で公開することも
最後まで迷いました。
ただ、誘導尋問的に話を引き出し、はなから私に対してラベル貼りをして、
また、貼ったラベルが適切かどうか検証をすることもなく、
その前提で話をする。
こういう方とは、その方がたとえどんなに立派な肩書きをお持ちでも、
もう二度と話をしたくないと思いました。
皆さんが私の立場にいらしたとしたら、どんな風に感じられたことでしょう。
その場が楽しければそれでいいじゃないと思う方もいらっしゃるでしょう。
客をもてなす上で事前の情報収集は当たり前、それを話題にするのも当然。
もてなしを受けておいてその言い草は何だ!
そう考えられる方もいらっしゃるでしょう。
あるいは同じように感じてくださる方も一人くらいはいらっしゃるかもしれません。
私はMIを学ぶ一人の人として、
こういうカウンセラーの存在はクライエントにどういう影響を及ぼすのか、
読者の皆様にも考えていただく機会にしたいと思い、
あえてこの場に書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
from ゆるーい思春期ブログスタッフ
*なお、この記事では、特定の職種や個人を批判する目的は一切ございません。