「私に任せておきなさい」
「私が言うんだから安心していいですよ」
「○○しさえすればいいんですよ」
「○○はいい/わるい」
こういった明快な力強い言葉を発する人は、私は苦手です。
人の言うことに何もかも反発しましょう、ということではなく、
ちょっと立ち止まって、自分自身の心や考えに耳を済ませたいと思うのです。
人は、明快な力強い言葉をかけられると、
考えることをやめてしまうことがしばしばあります。
そして考えをやめてしまう人が増えれば増えるほど、
その意見が「多数の意見」として扱われ、
多数の意見=正しい意見 と錯誤しがちです。
明快な力強い言葉を発することは、他者の人生を背負うことでもありましょう。
はたして人にそんなことができるのでしょうか。
そしてそのことを、本心では、あるいは状況が変われば、どう思うでしょう。
「その人に任せておけばいいんだ」
「その人がいうんだから何とかしてくれるだろう」
これは人を信じるからこその発想である一方で、
自分で物事を考えたり、決めたりすることを避ける行動につながるともいえると思います。
明快な力強い言葉であってもそれはあくまで、その人の考えを表したものにしかすぎません。
もちろんこうしてここで発している言葉も同様です。
何より、その人がその言葉を発する意味、そこに耳を傾けたいと思うのです。
そうしたうえでどう判断するか、ということになるでしょう。
「私の言っていることは正しいかどうかわからないから、自分で考えてほしい」
「私についてくればいいなんて、とても言えません。進む道を一緒に考えていきましょう。
そのなかでいやになったらお互いちがう道を進むこともありです。」
こういう言葉を発せる人こそ、人のもつ弱さや強さ、優しさやいやらしさなどに
真に寄り添う力を併せ持つ人だと、私は感じます。
from ゆるーい思春期ブログスタッフ