ルリマツリ=プルンバゴが咲き出した。
あちこちに植えたのがあまりに悲惨になってしまい、プランターに移し替えたんだけど。
そういえば、
青い花は咲くのが大変という。。。
花は葉が変化した器官なので、
紅葉すると色づくよう、赤や黄色などは元々葉の中にある色素。。。
だけど、澄んだ青はわざわざ作らなくちゃいけない。。。
私は青色から薄紫系の花が好き♪
青く咲く花、ガンバ!!!(^^)v
:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.
今日もテレビは被災地のニュース。。。
平成最大の被害だという。。。
土砂の被害は受けたことはないけれど、
川の氾濫で、
屋内浸水の記憶は心に強く残っている。
昭和33年の狩野川台風。
ここからは思い出話。。。
当時の我が家はまだ引っ越したばかりだったように思う。。。
それ以前の家は、小田急線千歳船橋の南側で・・・
(今の地図を見ると、駅は目の前!!!!!)
ただ、北側しか改札口がなく、
当時は子どもの脚で数分かかったような?
シベリアから帰った父と母の間で、
杉並の伯母の家の離れで生まれたワタシ・・・。
泣き声がうるさくて!(^^;)
気を遣った両親があわてて住まいを求めたのが世田谷だった。
で、小さな家だったけど・・・
今思うと50坪の敷地ながら、
庭には白い野バラの生け垣、ミョウガや紫蘇、イチジクや桃の樹・・・
色んな四季の味を知ったっけ。。。
閑話休題!
とにかく小さい家だったので、私が小学校低学年の頃、
駅から10分程の新築の家に転居した。
坂道を下った(当時の)田園地帯に作られた住宅街。。。
回りは水田ばかりで。。。
※今はURの高層団地に様変わりしている。。。
で、その水田・・・というか、
近くを流れる『烏山用水』が氾濫したのだ。
水の恐ろしさ。。。
台風接近で、その日父は新潟へ出張中。
残された母は、玄関や台所の出入り口の水嵩に驚いたと言う。。。
で、呑気な娘はどーでも良くて^^^
賢い息子(=私の兄^^)に相談すると、
「お母さん、先ずは畳を上げようよ!」
と強く答え。。。
押入れの下の段のモノを上に上げ、
(我が家は平屋だったから)
机やら何やら、
少しでも高さのある家具に畳を上げ。。。
※この時、重い箪笥の畳は諦め(><)
結局、
床上浸水20センチの被害を最小に留めたのだった。。。
後に母から聞いた事・・・。
・水田一体を開発した地域は全部水に浸かった。
・ほとんどは床上20~30センチ。
・朝、外に出ると、腰まで水だった。。。
・翌日からの掃除…特に雑排水の浸水で、衛生管理が大変だった。。。
等々。。。
坂の途中から下の地域にかかる邸宅=今は亡き、森繁久弥さんのお家からは、
助けのボートが出たと言う!!!!!
事の真意は分かりませんが^^
森繁邸は広くて、お抱えの運転手さんの家もあったんで、
あり得る!
そんな大きな災害だった。。。
今、世田谷の人たち、烏山用水なんて、知らないよねぇ。。。。
(そうそう、渋谷川なんてのもあったけど。。。)
都会は今、全部埋め立てられたってことかしら?
それで、災害から逃れられたと思っていたら・・・・・。
└((´э`))┘
もちろん、今のワタクシ、自分の住む町を存じております!(^^)/
相模原台地に属し、道保川をおおよその境として、標高の異なる二つの面から成り立つ。
台地面には雨水浸食などの影響による凹地や浅い谷が分布している。
氾濫低地などいわゆる低地の分布は、台地を囲む相模川と境川沿いにわずかにみられ、相模川流域の相模川低地には自然堤防も分布する。
また、市の南端部に分布する起伏地は座間丘陵と呼ばれ、
関東ローム層形成以前の富士火山灰降灰時に当時この地域一帯に分布していた丘陵地が埋没したものであり、
丘陵頂丘部の名残である。
うーん、何かよく分からないけど^^^(恥)
住んでる街を知るって、大切な事なんだと。。。
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