先日、近鉄電車で榛原へ。
それが、約束の時刻より少々早く着きすぎた。
それで、久々に榛原駅前を散策することに。
この付近は伊勢表街道と伊勢本街道が交差するところ。
江戸期では宿場町として多くの旅籠などが存在していたという。
江戸期の国学者の本居宣長も宿泊したことのある旅籠「あぶらや」の建物が今も残されている。
私は近鉄のガードを潜って「あぶらや」の方角へ行こうとした。
そのガード下で解説板?を見かけた。
「榛原空襲」???
@榛原空襲
1945(昭和20)年7月24日午前9時過ぎ、空襲警報により室生口大野駅より榛原駅に向かう三両編成の近鉄電車が、榛原駅手前の小さな小川に架かる鉄橋付近で止まった。(現在国道369号線と370号線が分岐するガードから近鉄大阪線の高架下にある橋台のところ)
キーンと言う爆音とともに、東方より襲来してきた二機のグラマン(米国の戦闘機)が急降下し、電車をめがけて機銃掃射を始めた。運悪く、通学・通勤時間とも重なり、県内15件あった空襲の中で最大の死傷者を出すこととなった「榛原空襲」の惨事が起こった。これを目撃した付近住民の話が残っているが、電車の中ではいたるところでうめき声が上がり、車内は血の海と化し、何人もの人が折り重なるように死んでいたそうだ。また乗客の多くは、窓から6メートル下の地面に折り重なるように飛び降り、あたりの地面は血で真っ赤に染まったという。
それが、約束の時刻より少々早く着きすぎた。
それで、久々に榛原駅前を散策することに。
この付近は伊勢表街道と伊勢本街道が交差するところ。
江戸期では宿場町として多くの旅籠などが存在していたという。
江戸期の国学者の本居宣長も宿泊したことのある旅籠「あぶらや」の建物が今も残されている。
私は近鉄のガードを潜って「あぶらや」の方角へ行こうとした。
そのガード下で解説板?を見かけた。
「榛原空襲」???
@榛原空襲
1945(昭和20)年7月24日午前9時過ぎ、空襲警報により室生口大野駅より榛原駅に向かう三両編成の近鉄電車が、榛原駅手前の小さな小川に架かる鉄橋付近で止まった。(現在国道369号線と370号線が分岐するガードから近鉄大阪線の高架下にある橋台のところ)
キーンと言う爆音とともに、東方より襲来してきた二機のグラマン(米国の戦闘機)が急降下し、電車をめがけて機銃掃射を始めた。運悪く、通学・通勤時間とも重なり、県内15件あった空襲の中で最大の死傷者を出すこととなった「榛原空襲」の惨事が起こった。これを目撃した付近住民の話が残っているが、電車の中ではいたるところでうめき声が上がり、車内は血の海と化し、何人もの人が折り重なるように死んでいたそうだ。また乗客の多くは、窓から6メートル下の地面に折り重なるように飛び降り、あたりの地面は血で真っ赤に染まったという。