今日も、はらっぱ&うれし荘に寄ってくださって、
ありがとうございます♪
下記は、札幌の友人・知人からの情報です。
納得は変化の源なので、まだの方はぜひご覧ください。
●《小出裕章さん・大島堅一さんの意見と情報》
ついにTVでも報道!
「原発は一番コストが高い発電、という揺るがぬ証拠」
●《広瀬隆さんの意見と情報》
ついに国会議員にもレクチャー!
「原発の危険性と、原発も節電も不要である理由」
●《原発ゼロ国の意見と情報》
NHKニュース
「原発を持たないニュージーランドの地熱発電事情」
●《川村史子さんの意見と情報》
風力発電の危険性
以下は、巨大な発電用風車が自宅の近くに建ち、
日々、健康被害で苦しむ瀬戸内のある島の農民の声です。
自然エネルギーも、巨大な施設になれば、
もちろんマイナス面があります。
補助金がからめば利権も発生します。
風力推進の「御用学者」もおります。
もし、巨大な風力発電を建てるなら、北海道なら、
市役所か道庁のすぐそばに建てるべきでしょう。
原発より被害の程度が
小さい大きいという程度の問題ではありません。
被害が小さければ、現実に、健康被害で苦しむ人がいても、
無視してよいのでしょうか。
◆逃げるしかないのか
平地に土地はもっています、
メデアも相手にしない
役場もだめ、認可して問題が起きても知らん顔
事業者もだめ
住民を大切にしない
法的もだめ、低周波音で殺す気か
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
●《はらみづほの意見と情報》
いちばん安全で、効率の良い“自然エネルギー”とは?
◆風力だけでなく、地熱、太陽光含め、
「自然エネルギー」とネーミングされたすべてのエネルギー開発には、
むやみに飛びつくのではなく、細心の注意が必要だと、
NHKのニュージーランド地熱発電所の映像を観て、
私はつくづく思いました。
◆どれも、確かに「原発に比べればマシ」かもしれませんが、
巨大な施設を、多大な物質・エネルギー・資金を費やし、
自然を何らかの形で破壊して建てる巨大な発電所は、
結局のところ何かを壊すことにつながってしまう。
そして、巨大な施設はどちらにしても、
老朽化すれば膨大なゴミの山になってしまいます。
◆今いちばん大切なのは、
冷静になって、いちばんの基本に帰ること、
ではないでしょうか…?
自然破壊・いのち破壊の規模を縮小するのではなく、
「もう、自然破壊・いのち破壊をしない発電をする」と決めて、
落ち着いて現実を見直すことが。
◆そうしたときに見えてくるのは、
もっとも手軽で、コストもかからず、
人類がイキイキ生きられ、人間全員が持っている
「人間エネルギー」だと、私は思います。
つまり、「自分を動かし、エネルギーを得る」こと。
「省エネ」とネーミングされている、「創エネ」です。
(このことは、飯田哲也さんも、はんかく祭で語っていました)
◆人間がもっともイキイキ生きられる、
人間にとって必要な地球最大のエネルギーは、
「自分を動かすこと」で得られる「自分エネルギー」だと、
私は本気で思います。
「自分ではできない」と思い込み、
何でもかんでも機械やモノに依存するようになり、
それを買うために不本意な仕事をしてお金を求める、
という構造こそが、現代の多種多様な不都合の原因であり、
それが加速して原発に行き着いている、という現実を、
みんなで今こそ思い出す必要があると、
私には思えてなりません。
◆けれど、昔のやり方では不都合があったから現代に至っている、
という局面もあるのですから、今までの様々な事実から学び、
検証し、みんなで話し合い、これまでの様々な不都合を、
どう注意深く、より賢く修正・進化させていくか、こそが、
現代人の腕の見せ所なんだと思うのです。
◆それは例えば、
「自宅の電気は自宅の太陽光パネルでまかなう」とか、
「廃材のペットボトルなどで自宅用太陽熱温水器を作る」とか、
「薪ストーブ(新聞紙や草も薪になります)を熱源にする」とか、
「地元の自然素材でまかなえる小規模発電器をつくる」
とかかもしれない。
「自宅や地域レベルで、ゴミを燃料として発電する」
という手法かもしれない。
どちらにしても、もう同じテツを踏まないためには、
自宅・地域レベルで、できるだけ「自己完結のエネルギー」を、
各々が工夫して生み出し、その情報をシェアすること
ではないでしょうか…?
◆モノも、エネルギーも、
もう大量生産・大量消費は止めないと、
また同じことの繰り返しだと、私には思えてなりません。
どこかで、誰かが、誰が使うのかも分からぬまま
大量に作って大量に「消費」する世の中ではなく、
モノも、エネルギーも、
「あぁ、あの人がつくってくれているんだな」
「土地の自然のおかげなんだな」
と実感しながら、
「愛用」できるレベルで生み出す方法にシフトすることこそが、
今、もっとも必要で、「最先端の手法」ではないかと、
私は心底思います。
誰かや、何かに依存するのではなく、
自分を動かし、自分自身がエネルギーになること。
バカらしいと思われるかもしれませんが、
私にはそれこそが、
今いちばん必要なことなのではないかと思えるのです。
◆そして、何とも皮肉な、かつ、示唆的な教えとして、
それはまさに今、被災地の方々が見せてくれている姿です。
ウランの核ではなく、自分の核を燃やすこと。
自分の能力を、四方八方に放射すること。
核の事故と、被災地に生きる人々の現状から、
私たちはそのことをこそ、学ぶ必要があるのではないでしょうか。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
●さて、
《様々な人の意見と情報》 を見聴きした上での、
《あなた自身のご意見》 は……?
ありがとうございます♪
下記は、札幌の友人・知人からの情報です。
納得は変化の源なので、まだの方はぜひご覧ください。
●《小出裕章さん・大島堅一さんの意見と情報》
ついにTVでも報道!
「原発は一番コストが高い発電、という揺るがぬ証拠」
●《広瀬隆さんの意見と情報》
ついに国会議員にもレクチャー!
「原発の危険性と、原発も節電も不要である理由」
●《原発ゼロ国の意見と情報》
NHKニュース
「原発を持たないニュージーランドの地熱発電事情」
●《川村史子さんの意見と情報》
風力発電の危険性
以下は、巨大な発電用風車が自宅の近くに建ち、
日々、健康被害で苦しむ瀬戸内のある島の農民の声です。
自然エネルギーも、巨大な施設になれば、
もちろんマイナス面があります。
補助金がからめば利権も発生します。
風力推進の「御用学者」もおります。
もし、巨大な風力発電を建てるなら、北海道なら、
市役所か道庁のすぐそばに建てるべきでしょう。
原発より被害の程度が
小さい大きいという程度の問題ではありません。
被害が小さければ、現実に、健康被害で苦しむ人がいても、
無視してよいのでしょうか。
◆逃げるしかないのか
平地に土地はもっています、
メデアも相手にしない
役場もだめ、認可して問題が起きても知らん顔
事業者もだめ
住民を大切にしない
法的もだめ、低周波音で殺す気か
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
●《はらみづほの意見と情報》
いちばん安全で、効率の良い“自然エネルギー”とは?
◆風力だけでなく、地熱、太陽光含め、
「自然エネルギー」とネーミングされたすべてのエネルギー開発には、
むやみに飛びつくのではなく、細心の注意が必要だと、
NHKのニュージーランド地熱発電所の映像を観て、
私はつくづく思いました。
◆どれも、確かに「原発に比べればマシ」かもしれませんが、
巨大な施設を、多大な物質・エネルギー・資金を費やし、
自然を何らかの形で破壊して建てる巨大な発電所は、
結局のところ何かを壊すことにつながってしまう。
そして、巨大な施設はどちらにしても、
老朽化すれば膨大なゴミの山になってしまいます。
◆今いちばん大切なのは、
冷静になって、いちばんの基本に帰ること、
ではないでしょうか…?
自然破壊・いのち破壊の規模を縮小するのではなく、
「もう、自然破壊・いのち破壊をしない発電をする」と決めて、
落ち着いて現実を見直すことが。
◆そうしたときに見えてくるのは、
もっとも手軽で、コストもかからず、
人類がイキイキ生きられ、人間全員が持っている
「人間エネルギー」だと、私は思います。
つまり、「自分を動かし、エネルギーを得る」こと。
「省エネ」とネーミングされている、「創エネ」です。
(このことは、飯田哲也さんも、はんかく祭で語っていました)
◆人間がもっともイキイキ生きられる、
人間にとって必要な地球最大のエネルギーは、
「自分を動かすこと」で得られる「自分エネルギー」だと、
私は本気で思います。
「自分ではできない」と思い込み、
何でもかんでも機械やモノに依存するようになり、
それを買うために不本意な仕事をしてお金を求める、
という構造こそが、現代の多種多様な不都合の原因であり、
それが加速して原発に行き着いている、という現実を、
みんなで今こそ思い出す必要があると、
私には思えてなりません。
◆けれど、昔のやり方では不都合があったから現代に至っている、
という局面もあるのですから、今までの様々な事実から学び、
検証し、みんなで話し合い、これまでの様々な不都合を、
どう注意深く、より賢く修正・進化させていくか、こそが、
現代人の腕の見せ所なんだと思うのです。
◆それは例えば、
「自宅の電気は自宅の太陽光パネルでまかなう」とか、
「廃材のペットボトルなどで自宅用太陽熱温水器を作る」とか、
「薪ストーブ(新聞紙や草も薪になります)を熱源にする」とか、
「地元の自然素材でまかなえる小規模発電器をつくる」
とかかもしれない。
「自宅や地域レベルで、ゴミを燃料として発電する」
という手法かもしれない。
どちらにしても、もう同じテツを踏まないためには、
自宅・地域レベルで、できるだけ「自己完結のエネルギー」を、
各々が工夫して生み出し、その情報をシェアすること
ではないでしょうか…?
◆モノも、エネルギーも、
もう大量生産・大量消費は止めないと、
また同じことの繰り返しだと、私には思えてなりません。
どこかで、誰かが、誰が使うのかも分からぬまま
大量に作って大量に「消費」する世の中ではなく、
モノも、エネルギーも、
「あぁ、あの人がつくってくれているんだな」
「土地の自然のおかげなんだな」
と実感しながら、
「愛用」できるレベルで生み出す方法にシフトすることこそが、
今、もっとも必要で、「最先端の手法」ではないかと、
私は心底思います。
誰かや、何かに依存するのではなく、
自分を動かし、自分自身がエネルギーになること。
バカらしいと思われるかもしれませんが、
私にはそれこそが、
今いちばん必要なことなのではないかと思えるのです。
◆そして、何とも皮肉な、かつ、示唆的な教えとして、
それはまさに今、被災地の方々が見せてくれている姿です。
ウランの核ではなく、自分の核を燃やすこと。
自分の能力を、四方八方に放射すること。
核の事故と、被災地に生きる人々の現状から、
私たちはそのことをこそ、学ぶ必要があるのではないでしょうか。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
●さて、
《様々な人の意見と情報》 を見聴きした上での、
《あなた自身のご意見》 は……?