◆これは、つい先日までの、私の4本足。
特に、この杖 「ロフストランド・クラッチ」 には、
大変お世話になりました。
脇の下が圧迫されないから、
病院で借りたふつうの松葉杖よりずっとラクチン。
貸してくださった下斗米先生と、
運んできてくださった中山さんに、本当に感謝です!
……というわけで、すっかりごぶさたしている間に、
ついにヤケドが9割がた治りました~! ひゃっほ~!!!
みなさんにいろんな対処情報をいただいたり、
励ましていただいたり、
差し入れていただいたりしたおかげで、
グングン良くなりました。
ほんとうに、ありがとうございました!!!(涙)
●で、ついにヤケド考察・第3弾、最終章です(笑)。
(実は、1週間前に一度書いたのですが、
アップしようとした瞬間に間違って消してしまい、意気消沈。
この失敗は実は2度目だったので、3度目の正直にならぬよう、
今回は気をつけようと思います)
●発見の3つ目は、2つ目の
「地球のスゴさ」に引き続き、
「カラダのスゴさ」でした。
自分の体のヤケドへの対応力を目の当たりにして、
まさしく 「地球と同じパワー」 を、実感したのです。
いや~ ヒトというのは、物理的・科学的にまぎれもなく、
「地球と同じ威力」 を持っているのだと体感しました。
自分の足ながら、
「ヤケド」 という突発的な大事件への適応能力たるや、
めくるめくものがあり、
それはまるで壮大な展開の映画を早送りで見ているかのように
ドラマチックなものでした。
ことさら、足のカタチの変化ときたら、
「おいおい、もとのカタチを そこまで
かなぐり捨てちゃっていいのかい…?」
と持ち主の私が心配になってしまうほどの変化ぶりでした(笑)。
見事なまでに自分のカタチへのこだわりを捨て去り、
全体の状況にとって最適なカタチに
グングン変化してゆく足の様子を見て、
グロテスクながら、思わず目を見開いて
凝視せずにはいられませんでした。
我が足ながら、これには本当に教えられました。
「無償の愛」 を目の当たりにした感じです(笑)。
皮膚は皮膚にできることの最善を尽くして
破れないギリギリのところまでふくらみ、
その皮膚の守りのもと、下の肉部門では、
全体内から集結した血液隊員たちが、
大火事の現場で命がけで消火にのぞむ消防団よろしく
一斉にヤケド修復に向けて働きまくり
(その動きを体感しました)、
同時に、(たぶん)足の自家治療にエネルギーを集中させるため、
全身は、まるで睡眠薬注射でも打ったかのように、
一気にダルくて眠くなり、ムダな動きをストップさせられた状態に。
一方心臓はアップテンポで着実に鼓動を打って
足に血液を送り込み……
……と、イヤも~その全身の連携プレイたるや、
持ち主の私はもう完全に、まな板の上の鯉状態……(笑)
私にとっての“最善”のために、
全身のすべての器官と細胞が文字通り“一体”となって、
全力で働いてくれていたのです。
ヤケド → 水ぶくれ → 水ぶくれがつぶれ
→ 皮膚が死に → 死んだ皮膚が干からび
→ 干からびた皮膚が剥け → その下に新しい肉と皮膚が再生
という一連の変化を、痛み、熱、ダルさ、痒み……を伴いつつも、
まるで夏休みの自由研究のように毎日観察してきた、この3週間。
それは、身をもって 「いのちの破壊と再生」 を体感する旅でした。
この旅はまだ終わっていませんが、とにかく、
「自分の体」 という地球の分身に起こった
この事実を目の当たりにして、
私は地球のしくみを思い知らされたように感じています。
●この世に生まれた私たちには、
「生きるための ありとあらゆる可能性」 が組み込まれてる。
私たちは死ぬまで一生、「体」という、
無限大の可能性を秘めた自分専用の相棒と共にある。
今回のヤケド事件は、
6年前、交通事故のあとにも感じたはずのこのことを、
さらにハッキリと体感させられた出来事でした。
●一昨日、久しぶりに自転車をこぎました。
夏の明るい気配の街を、
優しい風とともにゆっくりと走りながら、
この今が、とてつもなく幸せな瞬間であることを
全身で味わいました。
と同時に、
人一倍歩くのも旅するのも好きだったのに、
病気で自由に歩くことができなくなってしまった母のことや、
パレスチナで出逢った、戦地で身をこわばらせながら暮らしている
土地の人々や、兵士たちのことを思い出しました。
元気で生き、離れていても、どんな方法ででも、
彼らのチカラになれる自分であること。
やりたいことを、やりたいときに、
日々、思い切りやり切って生きること。
久々にこぐペタルの感触を味わいながら、
それらの想いを新しく、心に刻んだ午後でした。
●一見他愛もなく思える 「できる」 の下に、
それを実現するまでの甚大な支えや道のりがある。
私は時折このことを、
南極で見た氷山のシーンとともに思い出します。
きらめく氷山の一角は、
海の上に出ている部分の何倍もの氷の塊に支えられている。
元気な植物は、芽や葉をつけた茎の下に、
2倍以上長い根を持っている。
(By「奇跡のりんご」の木村秋則さん)
私たち人間もまた、
この 「あたりまえ」 の日常を支えてくれている、
体の働き、人々の営み、生物たちの存在、地球の恵み……を、
敏感に感じ取る感覚を忘れずにいれば、
毎日がもっと、輝き出すのかもしれません。
●……というわけで、今回のヤケド事件では、
ほんとうに豊かな学びをたくさん授かりました。
6年前に1年半のリハビリを要した交通事故にあったのですが、
今回はあのときよりも、落ち着いて
様々な学びに心を向けることができました。
それは、もちろん、
事故の内容が6年前より格段に軽かったことが
大きな原因でしょうが、
事故直後に出逢った対応が、
心ある温かな対応だったからじゃないかとも感じています。
(平山さん、森さん、本当にありがとうございました!)
●生まれたばかりの赤ちゃんにとって、
この世で出会う最初の出来事が後々まで大きく影響するように、
事故のような突発的な出来事が起きたとき、
最初にどんな対応を受けるかで、治りが違ってくるように、
私には感じられます。
私の痛みをやわらげ、治りを早め、結果的に、
こんなふうに様々な学びに心を向けられる状態にしてくださった、
お一人お一人の優しさに、心から感謝します。
●「憂いに寄り添える人は、優しく、優れた人」
漢字が表すこの意味に気づいた
交通事故直後の6年前を、久しぶりに思い出しました。
人の憂いに、黙って、そっと寄り添える。
ニーズを、ちゃんと読み取れる。
私も、そんな人になりたいです。
●またまた長くなりました。
ヤケド顛末記は、これにて終了。
読んでくださって、
ほんとうにありがとうございました~!
次回は打って変わって、うれし荘フリマ情報です(笑)。
お楽しみに~!
(……って、いつ更新できるかな…汗)
特に、この杖 「ロフストランド・クラッチ」 には、
大変お世話になりました。
脇の下が圧迫されないから、
病院で借りたふつうの松葉杖よりずっとラクチン。
貸してくださった下斗米先生と、
運んできてくださった中山さんに、本当に感謝です!
……というわけで、すっかりごぶさたしている間に、
ついにヤケドが9割がた治りました~! ひゃっほ~!!!
みなさんにいろんな対処情報をいただいたり、
励ましていただいたり、
差し入れていただいたりしたおかげで、
グングン良くなりました。
ほんとうに、ありがとうございました!!!(涙)
●で、ついにヤケド考察・第3弾、最終章です(笑)。
(実は、1週間前に一度書いたのですが、
アップしようとした瞬間に間違って消してしまい、意気消沈。
この失敗は実は2度目だったので、3度目の正直にならぬよう、
今回は気をつけようと思います)
●発見の3つ目は、2つ目の
「地球のスゴさ」に引き続き、
「カラダのスゴさ」でした。
自分の体のヤケドへの対応力を目の当たりにして、
まさしく 「地球と同じパワー」 を、実感したのです。
いや~ ヒトというのは、物理的・科学的にまぎれもなく、
「地球と同じ威力」 を持っているのだと体感しました。
自分の足ながら、
「ヤケド」 という突発的な大事件への適応能力たるや、
めくるめくものがあり、
それはまるで壮大な展開の映画を早送りで見ているかのように
ドラマチックなものでした。
ことさら、足のカタチの変化ときたら、
「おいおい、もとのカタチを そこまで
かなぐり捨てちゃっていいのかい…?」
と持ち主の私が心配になってしまうほどの変化ぶりでした(笑)。
見事なまでに自分のカタチへのこだわりを捨て去り、
全体の状況にとって最適なカタチに
グングン変化してゆく足の様子を見て、
グロテスクながら、思わず目を見開いて
凝視せずにはいられませんでした。
我が足ながら、これには本当に教えられました。
「無償の愛」 を目の当たりにした感じです(笑)。
皮膚は皮膚にできることの最善を尽くして
破れないギリギリのところまでふくらみ、
その皮膚の守りのもと、下の肉部門では、
全体内から集結した血液隊員たちが、
大火事の現場で命がけで消火にのぞむ消防団よろしく
一斉にヤケド修復に向けて働きまくり
(その動きを体感しました)、
同時に、(たぶん)足の自家治療にエネルギーを集中させるため、
全身は、まるで睡眠薬注射でも打ったかのように、
一気にダルくて眠くなり、ムダな動きをストップさせられた状態に。
一方心臓はアップテンポで着実に鼓動を打って
足に血液を送り込み……
……と、イヤも~その全身の連携プレイたるや、
持ち主の私はもう完全に、まな板の上の鯉状態……(笑)
私にとっての“最善”のために、
全身のすべての器官と細胞が文字通り“一体”となって、
全力で働いてくれていたのです。
ヤケド → 水ぶくれ → 水ぶくれがつぶれ
→ 皮膚が死に → 死んだ皮膚が干からび
→ 干からびた皮膚が剥け → その下に新しい肉と皮膚が再生
という一連の変化を、痛み、熱、ダルさ、痒み……を伴いつつも、
まるで夏休みの自由研究のように毎日観察してきた、この3週間。
それは、身をもって 「いのちの破壊と再生」 を体感する旅でした。
この旅はまだ終わっていませんが、とにかく、
「自分の体」 という地球の分身に起こった
この事実を目の当たりにして、
私は地球のしくみを思い知らされたように感じています。
●この世に生まれた私たちには、
「生きるための ありとあらゆる可能性」 が組み込まれてる。
私たちは死ぬまで一生、「体」という、
無限大の可能性を秘めた自分専用の相棒と共にある。
今回のヤケド事件は、
6年前、交通事故のあとにも感じたはずのこのことを、
さらにハッキリと体感させられた出来事でした。
●一昨日、久しぶりに自転車をこぎました。
夏の明るい気配の街を、
優しい風とともにゆっくりと走りながら、
この今が、とてつもなく幸せな瞬間であることを
全身で味わいました。
と同時に、
人一倍歩くのも旅するのも好きだったのに、
病気で自由に歩くことができなくなってしまった母のことや、
パレスチナで出逢った、戦地で身をこわばらせながら暮らしている
土地の人々や、兵士たちのことを思い出しました。
元気で生き、離れていても、どんな方法ででも、
彼らのチカラになれる自分であること。
やりたいことを、やりたいときに、
日々、思い切りやり切って生きること。
久々にこぐペタルの感触を味わいながら、
それらの想いを新しく、心に刻んだ午後でした。
●一見他愛もなく思える 「できる」 の下に、
それを実現するまでの甚大な支えや道のりがある。
私は時折このことを、
南極で見た氷山のシーンとともに思い出します。
きらめく氷山の一角は、
海の上に出ている部分の何倍もの氷の塊に支えられている。
元気な植物は、芽や葉をつけた茎の下に、
2倍以上長い根を持っている。
(By「奇跡のりんご」の木村秋則さん)
私たち人間もまた、
この 「あたりまえ」 の日常を支えてくれている、
体の働き、人々の営み、生物たちの存在、地球の恵み……を、
敏感に感じ取る感覚を忘れずにいれば、
毎日がもっと、輝き出すのかもしれません。
●……というわけで、今回のヤケド事件では、
ほんとうに豊かな学びをたくさん授かりました。
6年前に1年半のリハビリを要した交通事故にあったのですが、
今回はあのときよりも、落ち着いて
様々な学びに心を向けることができました。
それは、もちろん、
事故の内容が6年前より格段に軽かったことが
大きな原因でしょうが、
事故直後に出逢った対応が、
心ある温かな対応だったからじゃないかとも感じています。
(平山さん、森さん、本当にありがとうございました!)
●生まれたばかりの赤ちゃんにとって、
この世で出会う最初の出来事が後々まで大きく影響するように、
事故のような突発的な出来事が起きたとき、
最初にどんな対応を受けるかで、治りが違ってくるように、
私には感じられます。
私の痛みをやわらげ、治りを早め、結果的に、
こんなふうに様々な学びに心を向けられる状態にしてくださった、
お一人お一人の優しさに、心から感謝します。
●「憂いに寄り添える人は、優しく、優れた人」
漢字が表すこの意味に気づいた
交通事故直後の6年前を、久しぶりに思い出しました。
人の憂いに、黙って、そっと寄り添える。
ニーズを、ちゃんと読み取れる。
私も、そんな人になりたいです。
●またまた長くなりました。
ヤケド顛末記は、これにて終了。
読んでくださって、
ほんとうにありがとうございました~!
次回は打って変わって、うれし荘フリマ情報です(笑)。
お楽しみに~!
(……って、いつ更新できるかな…汗)