懐かしのカタログ-17 2009-08-07 | Catalog で、125も「M」から「R」になりまして、ガラッと一新されました。 カタログの発行は78年10月ですから79モデルってことになるんでしょうか。 それにしても「Mの時代」から数年で、随分と進化しちゃったもんですよねぇ。 と言いつつ、この頃までのホンダは他に比べて「奥手」というか、 新しいメカニズムの導入に関しては、 他メーカーの「1年遅れ」みたいな感じでした。 « 懐かしのカタログ-16 | トップ | 懐かしのカタログ-18 »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (ぼんずやま) 2009-08-06 22:59:08 むふふ、やっとオンタイムになりましたよ!(以外に若いんです)この頃ワークスにはRサスにリンクが付いてたと思いますが、未だに動きがわかりません・・・プロリンクもですけど。他の3メーカーのモノサスはわかりやすかったなぁ。 返信する 4月29日第3戦九州大会ですね (用務員) 2009-08-07 06:29:04 あら、この辺からがストライクゾーンですか?。若い頃って、わずか数年でまったく印象が違うもんですよね。歳とると、5年や10年、な~んも変わんないですが…。79年のRサスのリンクって、ツインショックに付いてたやつですね?。アレに注目した人って少ないですよね~。アレについては、またいずれ触れる機会があると思いますです。 返信する ホイル乞食ほりぐち (ほりぐち) 2009-08-08 01:50:16 おーし、やっと追いついてきたど!23”がゲテモノ呼ばわりまでされた'79 125(444)ですね。用務員さん走り過ぎ!このマシンはフロント23インチで、多少コーナーは曲がりにくいでした。良いタイヤも無かったし。また、登りではウイリーしてるみたいな接地感のなさでした。(その分、菅生みたいな下りギャップは開けられましたよ~。)速い(上級の)先輩たちはみんな21インチに組み替え(タンクの下あたりのトップチューブを7~8ミリ幅、輪切りに切り抜き、詰めて溶接し、キャスター角寝かせてはりました。)そんな上の人等が「お~ゲンキ、23”履いてるならコレあげるわ。」またたく間にワシは23”ホイル長者になり、全部新タイヤ付きやったんでその年は(お察しのとおり8月まで)Fタイヤは買わずにレースできました。2速ミッションが弱く、3月くらいには対策部品が出たような・・・。CR125歴代、唯一のアルミタンク車で、米国スティーブワイズ仕様のRCに一番近かったように思います。それまで5年間ほとんどフルモデルチェンジしてなかったんで、鬱憤晴らすよう背が高くなりましたね~。な~に~、用務員さん79年九州大会行ったんですか?確か八女の星野村でした。Jクラスは大久保くんブッチやったはずです。ワシ、2戦美祢、中国のあと練習で骨折って、歯噛みして自宅療養してました。そこでリンク式ツインショック(初期プロリンク)デビューやったんですね~。「そのへんの種明かし」はできるだけ早急に詳細にお願いします。「注目した人少ない」大好きです。いや、場合によっては図面&複製まで~。是非に~、お慈悲ですじゃ~。このあたりから毎戦いや、毎ヒート進化して行きました。今でこそ「グリーンマシーンホンダ」やけど、「レッドで勝つ!」「レッドで自信!」とか、学生運動かよっ!熱い時代でしたね~。用務員さんえーらいええ時代に中の仕事してはったんや!ぼんずやまさん、初めまして!奈良のほりぐち言います。きっと同じバイク見ながら大きくなった世代っぽいですね。よろしくお願いいたします。ACTS444スペシャリストはラブ乗ってはる#314山中さんですね!#312馬場さんのド変態マシンも期待。レースでは型遅れやけど、総合的に名車かと。 返信する そういえば (#142) 2009-08-08 14:22:36 ACTS168号車(444)には無限が付いてた記憶が・・・ 返信する ハハハァ (サトケン) 2009-08-08 15:17:48 01は、私です!!体重56kg→今は!? 返信する うわっ~! (ほ) 2009-08-09 23:54:47 なんとカタログ表紙の本人ご降臨!場所は桶川の土手っぽいです。1979年はサトケンさん22番で、両排気量とも白無限でしたね。サトケンさんが煮詰めたマシンを”ジョニーO”乗ってたんですね。ん~、タマらん。 返信する はじめてのMX (#811キジマ) 2009-08-12 20:39:56 ワタシも初めてのマシンが444でした!79年の暮れにTAICHIで10万円で出てた(おそらくマウンテンライダースの誰かの中古車)を買いに行ったら一足違いで売れてしまっていて、「それならスーパーモンキーって店紹介したげるから」ってことで、数キロはなれたモンキーさんに出向き、同じ10万円で当時IBの宮下さんのマシンを売っていただきました~ 既にこれは21インチになってましたケド。それで80年の正月に中学時代のトモダチ3人でオートランド生駒に乗りに行こう!ってことに。しかし免許もなければクルマもない。阪奈道路を一人10分交代で押していこうってことになりして(超無計画・無謀)標高600メートル、阪奈道路のほぼ頂上にヘロヘロになりながらたどり着いたらコースは正月休み!><・・・苦くも笑える思い出です~ 返信する ハスキー=444?! (#811キジマ) 2009-08-13 18:10:54 まったくの独断的予想ですが・・・最近あらためて444を見ての分析なんですが・・・どうも444って当時のハスキーをかなりコピーしてる節があるんですが・・・どうでしょうか??全体的なシルエットはもちろん、アルミタンクの形状・右チェーン・・・などなど73年2月発売の365に端を発するホンダモトクロッサー125ccの歴史ですが、オイルショックに加えてシビック(CVCC)の開発などの影響でマシン開発も滞り、お茶を濁すカタチで78年の400まで引っ張り続け、浦島太郎状態で「ポン!」と出てきたのが444ですよね^^なにか参考になるクルマがないと・・・・って予想なんですが。そこで往々にして多分にアメリカ市場を意識してたホンダとしては・・やはりハスキーを意識せずにはいられなかったのでは??って思うんですが~いかがでしょうか?? 返信する 規約違反等の連絡
この頃ワークスにはRサスにリンクが付いてたと思いますが、未だに動きがわかりません・・・プロリンクもですけど。
他の3メーカーのモノサスはわかりやすかったなぁ。
若い頃って、わずか数年でまったく印象が違うもんですよね。
歳とると、5年や10年、な~んも変わんないですが…。
79年のRサスのリンクって、
ツインショックに付いてたやつですね?。
アレに注目した人って少ないですよね~。
アレについては、またいずれ触れる機会があると思いますです。
23”がゲテモノ呼ばわりまでされた'79 125(444)ですね。用務員さん走り過ぎ!このマシンはフロント23インチで、多少コーナーは曲がりにくいでした。良いタイヤも無かったし。また、登りではウイリーしてるみたいな接地感のなさでした。(その分、菅生みたいな下りギャップは開けられましたよ~。)速い(上級の)先輩たちはみんな21インチに組み替え(タンクの下あたりのトップチューブを7~8ミリ幅、輪切りに切り抜き、詰めて溶接し、キャスター角寝かせてはりました。)そんな上の人等が「お~ゲンキ、23”履いてるならコレあげるわ。」またたく間にワシは23”ホイル長者になり、全部新タイヤ付きやったんでその年は(お察しのとおり8月まで)Fタイヤは買わずにレースできました。2速ミッションが弱く、3月くらいには対策部品が出たような・・・。
CR125歴代、唯一のアルミタンク車で、米国スティーブワイズ仕様のRCに一番近かったように思います。それまで5年間ほとんどフルモデルチェンジしてなかったんで、鬱憤晴らすよう背が高くなりましたね~。
な~に~、用務員さん79年九州大会行ったんですか?確か八女の星野村でした。Jクラスは大久保くんブッチやったはずです。ワシ、2戦美祢、中国のあと練習で骨折って、歯噛みして自宅療養してました。そこでリンク式ツインショック(初期プロリンク)デビューやったんですね~。「そのへんの種明かし」はできるだけ早急に詳細にお願いします。「注目した人少ない」大好きです。いや、場合によっては図面&複製まで~。是非に~、お慈悲ですじゃ~。
このあたりから毎戦いや、毎ヒート進化して行きました。今でこそ「グリーンマシーンホンダ」やけど、「レッドで勝つ!」「レッドで自信!」とか、学生運動かよっ!熱い時代でしたね~。用務員さんえーらいええ時代に中の仕事してはったんや!
ぼんずやまさん、初めまして!奈良のほりぐち言います。きっと同じバイク見ながら大きくなった世代っぽいですね。よろしくお願いいたします。
ACTS444スペシャリストはラブ乗ってはる#314山中さんですね!#312馬場さんのド変態マシンも期待。
レースでは型遅れやけど、総合的に名車かと。
体重56kg→今は!?
79年の暮れにTAICHIで10万円で出てた(おそらくマウンテンライダースの誰かの中古車)を買いに行ったら一足違いで売れてしまっていて、「それならスーパーモンキーって店紹介したげるから」ってことで、数キロはなれたモンキーさんに出向き、同じ10万円で当時IBの宮下さんのマシンを売っていただきました~ 既にこれは21インチになってましたケド。
それで80年の正月に中学時代のトモダチ3人でオートランド生駒に乗りに行こう!ってことに。
しかし免許もなければクルマもない。
阪奈道路を一人10分交代で押していこうってことになりして(超無計画・無謀)
標高600メートル、阪奈道路のほぼ頂上にヘロヘロになりながらたどり着いたらコースは正月休み!><
・・・苦くも笑える思い出です~
どうも444って当時のハスキーをかなりコピーしてる節があるんですが・・・どうでしょうか??
全体的なシルエットはもちろん、アルミタンクの形状・右チェーン・・・などなど
73年2月発売の365に端を発するホンダモトクロッサー125ccの歴史ですが、オイルショックに加えてシビック(CVCC)の開発などの影響でマシン開発も滞り、お茶を濁すカタチで78年の400まで引っ張り続け、浦島太郎状態で「ポン!」と出てきたのが444ですよね^^
なにか参考になるクルマがないと・・・・って予想なんですが。
そこで往々にして多分にアメリカ市場を意識してたホンダとしては・・やはりハスキーを意識せずにはいられなかったのでは??って思うんですが~
いかがでしょうか??