そんなこんなでホンダ・オフロードカタログを大雑把に並べてきたわけですが、
このカタログが最後になります…って、
「まだまだ先があるじゃん」って言われそうですが、
CR250/125は、この年が最後なんすよね、ツインショックの。
ま、一応「Air Cooled, Twin Shocks」ってことで、ひとつ、よろしこ。
(80は翌年までツインショックでしたが)
カタログの発行は79年10月で、発売は年内でも80モデルってことになります。
この頃、ほんとワケわかんなかったんですよ。
その年の夏頃に、有力チームはもう来年型(と思われるモデル)に乗ってるし、
まだシーズン中だっていうのに来年型が発売されてるし、
どれが何年モデルなのか、チンプンカンプンですわ、まったく。
メーカーによってもその辺の表現が微妙に違っていたりしてね。
それと、CRシリーズに「ELSINORE」って付いてたのは、
この翌年の81モデルまでじゃないかと思います。
ま、後半は、だれも「エルシノア」なんてこと意識してなかったでしょうけどね。
B級で上位のヒトは無限ショーワのフォークや、同ショーワのファクトリーショックを付けてはりました。現在、ACTS#187島田さんのがそのドンズバ仕様です。その中でもB級チャンピオン街道まっしぐら一位独走の原口さんと、展開に恵まれジュニアのランキング一位だったワシの二人が125,250ともアルミのスイングアーム付けてくれはりました。ワシの人生で唯一の宝だす~、墓まで持っていきます~。(とっくに割れてほかしたケド。)
今、ACTSで島田さん原口さんが乗ってるのはこの467(ダブルダウンチューブ)で、「#21 80年4月6日ついに花を咲かせた唐沢栄三郎。」もベースバイクはこれです。ワシは430のほうが好きです。以上、怪しい記憶レポートでした。ちゃんちゃん。
79年8月に桶川全員集合で、80年モデルを貸与いただきましたが、その時のワシのヲタク的マシンチェックにより、原口さんとワシのシリンダーが市販品と違ったものがついていた事が分かりました。砂型、ポーラスメッキ(市販品鉄スリーブ)、ピストン一本リング、フィン最大幅220mm(市販品210mm)、ポートもピッカピカに磨き込まれており、第一印象では125ccながらその低速のトルクとパワフルさにびっくり。それまで型遅れYZ125(鉄スイングアーム)と中古CR125(79年型444)しか乗ってなかったので、その差は歴然でした。その年9~10月?に発売された80年型CR125用、無限水冷BANZAIキットよりもパワフルだったかも。
「上のヒト達の125って、こんなに速いんや!」奈良の田舎モンライダーが、いきなり全日本レベルのマシン性能、体制、システムに飲み込まれ,唖然とする間もなく走ってた時期でした。
夏休み明けた九月、全日本四国(オートテック松山)大会のジュニア125予選(三周)で、二位に15秒差をつけ予選終了後に車両プールされた事がありました。自慢たらしいですが、そのぐらい素晴らしいマシンでした。その湧き上がるパワーがその時代(1979以降)の進化を体感したような気がします。
メッキが剥がれ落ちていますが、その砂型シリンダーは現存しているので、後日ブログなりで紹介&検証してみます。原口さんは「あれ~、そうだっけ?」なヒトなんで、下っ端ですがシャシャり出ました。記憶違いもあるでしょうが大筋では正しいと思います。
しかし個人レベルですがこんな事も相互にコラボできる、いい時代ですね~。
22番サトケンさん、実は白無限で出走されてるんですが、印刷の時点でフェンダーその他が赤に修正されてます。
しかも今のCG合成のような素晴らしい修正でなく、絵の具で塗ったようなベタ塗りなヤツです。。
カタログお持ちの方、今一度よく見てね^^
・・・・で、やはり「赤で勝つ!」にはさすがに白ではマズかったんでしょうね~><
しかも無限のサトケン号、フロントフェンダーはYZでしたし! 笑