3月も末になり春待ち遠しい時期となりましたが
昨日は猛吹雪となった裏磐梯です。
三寒四温といいますが、温かい日と寒い日の差が激しく
体調を崩している方も多いようです、そのうちの一人です私も。
といってもあまりに忙しいので(私用でですが!)
しんどいと言っているわけにもいかず、薬を呑んで
対処しています。ほんとうは1日くらいは寝込んでいたいのですが。
本日長女の高校のオリエンテーションがあり
その後は4月1日の入居に合わせ手続きがあちこちとあり
引越しの準備、部活への送迎(どちらか1人、私か家内のうち)
次女の入学準備、学校関係のお手伝い等々
プライベートの部分でもかなり時間がとられそうです。
先日も書きましたがテレビの設定もしなければならず
師走のような我が家です。
のんびりとスマホをいじっている長女が裏まし~い!!
の前に長女、次女の卒業式が先日行われましたが
次女の卒業式にはちょっとしたサプライズが。
祝辞をいただいた後、祝電の披露がありました。
最後が写真のTOKIOさんからの祝電でした。
以前より浪江町でダッシュ村を通し農業体験をされいましたが
震災後避難されたのは我々と同じです。
東電や国は会津地方や白河地方は被災地として認めない行動を
傍若無人にもやってのけそうですが
3月15日(我が家が避難した日ですが)あたりで
どのくらいの放射線量が周りに存在したのか、当時分からない状況でした。
私の記憶ですのであまりあてになりませんが、のちに発表された
放射線量は時間当たり0,77マイクロシーベルトくらいはあったはずです。
結果をみて、この辺は大丈夫だから被災地として認めないという理屈のようです。
国や東電ですらどのくらいの放射線が拡散するか、どの方向に拡散するのか
分からずに、しかも避難指示も出されずに県民は放射線にさらされてしまったのです、
現在もですが。
我が家の場合はT氏より避難指示が出されましたので
お陰様で子供達を高い線量にさらさずに済みましたが
この情報を知り合いに伝えていいものか最後の最後まで悩みました。
その当時の情報があまりに少なく、放射線に関しての
知識も乏しかったからです。
教育現場でも同様です。
「避難??」というのが先生達も思ったことでしょう。
勝手に子供達を早退させ、避難したわけで
先生達もどのような対応をしていいのか分からなかったと思います。
この情報不足と避難指示の徹底がなされなかったのは
相双地区が深刻で、報道されているように
かなり高い放射線を被曝していることは間違いありません。
相双地区でこのありさまでしたので裏磐梯ではあの当時
避難のひの字も出なかった事と思います。
0,77という数字が多いのか少ないのかという問題は別として
100キロ圏内にいたら相当量被曝していたことでしょうから
被災地として認めない、賠償には値しないと
居直りをしている役人の気がしれません。
などと長くなりましたが
TOKIOさん達からいただいた祝電は子供達も相当うれしかったらしく
いい卒業記念となりました、ありがとうございました!!
長女、次女の卒業式に出席して
あまり言葉にはしませんが子供達は子供達なりに
今回の大震災の事は考えていたようです。
いつもいつも福島の事を考えていてくれる方々がいまだに
多い事に感謝した思い出深い1日となりました。
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