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アマチュア無線とJARLと私JA3HXJ

新しい次代を迎えたJARL・・・
アマチュア無線の行方を映し出す鏡になるのでしょうか!

師走の勉強会

2011年12月12日 | 日記
年末恒例の行事や、新組織に備える勉強会なので結構忙しい師走です。

12月10日関西地方本部会と大阪府支部クラブ代表者会議がありました。その後は懇親会。
翌11日は、社員勉強会があり参加させていただきました。
連日遅くまでココロザシを同じくする人たちとあれこれ近い未来を語るのもいいものです。

今回臨時社員選挙で選ばれた方々の肝いりで開催されたこの勉強会は、社員に立候補して選ばれたものの来年の総会まで何をしたらいいのか、どんな準備をして待機すればいいのかという備えのために行われたものです。
実のところ、来年開催の短い社員総会でどうやれば社員としての責務が果たせるか真面目に思いを馳せる方も多いと思われます。
ディスカッションに加わり、実に奥深い議論に入ると、思いがけないヒントを頂きはっとする事が多くあります。

私がお話したことは、JARLの現状と未来への展望に関してですが、一般社団法人となったJARLに求められるものは、何といっても志を掲げビジョンに沿って内なる努力を惜しまず、社会的に影響力のある組織を構築することです。
変化をもたらす自発的な人たちにより運営される組織は、やがて新たな価値を生み出し、社会的に認知される成果を導き出します。

経営的な観点から、一般社団法人は「会社法」による会社と同様に赤字になれば倒産であり、役員は当然その責を負う事になるのですがこの意味と意識が現状ではまだ浸透していないのではないかという問いかけです。
過去の反省から学び新たな課題に真剣に取り組む事は、またとない貴重な経験値になります。無償の奉仕を実践する、代表社員や理事者はJARLの誇りともいえる貴重な人的財産で、金員に換算できない大きな力です。

歴史を顧みて反省することは、
○ 権力の一極化、権限と決裁組織が表面的役所と同じ構造であったこと
○ 理事会の意識向上と同時にJARL事務局の主体性を考え直す事
○ 適材適所の人事が、業務の丸投げ体質、形式的な書類の通過の反省
○ 説明不足と沈黙による結論の回避、義務の放棄。

今後の課題としては
1.旧組織の解散、新法人登記による新しい組織運営を確認し、JARL内のイノベーション意識の高揚。既成の事実の再検証、新しい切り口、新しい捉え方、新しい活用法、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値の創造に邁進する事。

2.情報公開の率先と、安定的な組織つくりを心がけ、予算執行の実際の確認、ビジョンに沿った運営基盤の確立、必要な情報公開、会員の知る権利の保証

3.理事会および事務局の閉鎖的イメージの払拭、事務局任せの理事会および各種委員会の再考、苦情処理に陥る事務局の悪循環

4.理事の意識改革、事務局の合理化、職員の意識改革・・見識・品格の欠落した理事会議論、偏った事務局業務の修整  

5.組織の再編成、現行組織の合理性と矛盾点の再確認

6.内作、外注など業務内容の見直し 現状の契約業務の再点検と、合理的改善への道筋

7.組織内の電子化の促進、財政面、実務面から検証を加えた結果導くもの

などのついて勉強しました。
今後も継続して日常的な情報のやり取りを行い研鑽をつむ約束をして解散しました。


情報公開は改革のエネルギー!

2011年12月06日 | 日記
楽しいアマチュアライフにJARLが寄与しているかという評価は必ずしも満足するものではありません。
QSL転送については比較的認知度も高いのですが、それ以外は無関心か、それとは逆に運営に興味を抱く会員から厳しい意見が続き、両極端を形成しています。
JARLの生い立ちは今さら述べるまでもなく会員なら承知の事実ですが、趣味の団体でありしかも本来同じ志を持つはずの人たちで構成する組織から何故これだけ厳しい声があがるのかを真面目に考える必要があります。

この背景を観察すると、そこには会員が正確な情報を持ちあわせていないという事実が見えてきます。
もっと思い切った表現をすれば、会員が情報を持たないのではなく、持たせなかったという言い方もまんざら的外れではありません。
この辺りの認識が理事者の中でも相違しています。
理事なら何でも知っているはずなのに隠しているのか?という声にたしてもこれまた事実ではないと言わざるをえません。
良く判らないといえば、それなら理事会は何をしているのだ!という声があっても、堂々巡りでこの説明にはかなり時間を要します。
新法人になり真っ先に貫かねばならないことはこの疑問を払拭させる正確な情報の共有にあるといえます。

JARL運営の苦悩はここに秘められており、システム上の欠陥ともいえる閉塞感を改善できなかった理事会が反省しなければならない課題です。
旧法人時代は理事が個々に工夫をしたり考え行動する事を由としない意識が蔓延していました。遠慮なのかそれに満足していたのかは各々に聞いてみれば判る事ですが、理事会がシールドされた世界だとの印象を与えた要因の一つです。
総会でも過去に何度か、これらの指摘を受け、理事会で議事録をもっと詳しくしたらどうだろうか、という議論に入った事があります。
答えは、「今のままで十分だ、その必要はない・・・」という大きな声とこれに同調する意見にかき消されて長年の慣習通り今日に至ってきました。
そんな中でも新しい時代を迎える直前、Web上での理事会報告の速報など幾分前進したことは評価に値します。

こんな思いを裏付ける出来事がありました。ある日某地方本部の会員から質問メールがあり、その主旨は「地方本部長からある事案の説明を受けたが、理事会でそんな話があったのか?そしてどう決まったか?」でした。
質問の内容より一番の関心は何故私に聞いてくるの?でした。
それに対し、関西は情報を詳しく出しているから聞いたら答えてくれるのではないかと!という期待感がきっかけだったようです。
残念ながら質問の答えは「理事会ではそこまでの話に至っていない」としか正直に言えず、聞いた方に混乱を与えたのではないかと案じたのですが、事実として伝えたもののJARL全体としては好ましい出来事につながらないのは問題が残ります。

その時、理事会の様子が各地に伝わる精度が均一ではないことがはっきりし、ここから利害のからんだ不要な思惑が持ち上がり乱れを起こすのだと感じたものです。
唯一の情報である短い議事録からは何も見えず、どう決まったのかが明確でない記述はこの際改善しなければなりません。
説明義務がある理事により表現が変わるとがあれば当然起こる問題であり、その結果ある地方だけの標準が形作られ、固定化し全国を視野にいれた共通認識に至らないことが起こっています。
機能する組織作りにも取り組まなければなりません。

情報が正確に伝わらないことにより意識格差と地域格差を生み、ともすれば軋轢の原因になってきました。
今現実に起こっているさまざまな問題も温度差もすべてここに起因していますが、残念なことにこの呪縛から抜け出す努力よりまだ猜疑心と嫉妬を増大する動きがあることが非常に残念です。
先般の理事会に出た見識や品格に及ぶ理事の資質の話題もこの延長線上にあるといえます。
会員から預かった貴重な財源で運営するJARLが今何をしなければならないかを優先順位により判断すると答えは明らかです。
改革を優先することに興味がない理事は不要だとあえて申し添えます。

今回四国から会長を選出しました、地方本部長から会長がでたことに関し不満を持つ勢力があり、あからさまに異論を唱えるものが居ます。
その一つに会長は全国理事でないといけない、地方本部長から出すのは駄目だ!という論理です。
根拠を確認すると全国選出の理事は、地方本部長を務める理事より格が上だと臆面もなく吹聴する論理です。
思いもかけない事実ですが、改革よりポストに執着する意識をみるあまり、このレベルの低さに驚愕でした。
実に時代錯誤の話ですが、出所を同じくするルートからそっくり同じ声が聞かれることはJARL改革のブレークになります。

大事なのことは、会長は東京でないといけないとか地方本部長は全国理事より格下だなどは全く無用の議論です。
会長がどこから出ようとなど問題でもなく、財政のバランスを早急にとる行動力と判断力のあるリーダーであれば諸手を挙げて協力する事でしか答えはありません。

とにかく会員が知らないという声につながるJARLの苦悩は、誰が何を発言し、何を考えているかが伝わらないシステムにあります。
次回の代表社員選挙では、所信が伝わるシステムを作る必要があります。
この約束を果たせるシステムを作り上げ、誰が真実でない噂の発信源かを知れば向うべき道が言わずとも示されると信じています。
なぜ情報を共有しなければならないかは、言うまでもなく情報を寄せ合い議論を加えると求めるべき答えの精度を増し、それがエネルギーとな
って前進するちからになるという事実です。
倫理観を備えた組織作りにも大きく貢献する事は間違いありません。

新法人発足初の理事会

2011年12月03日 | 日記
JARLWEBに紹介された第2回理事会議事録は、ずいぶん前から比較すると早い時点で詳細報告がなされ、良く出来た内容だと感じます。
新法人となって初めての顔合わせ理事会でしたが、変わる事が目的ではなく、変わらなければ生き残れないという決意がどう記録として残るかが最大の課題でした。

理事会の議事録では何も見えない・・判らないという声が続出していました。それは旧法人時代の評議員会議事録は発言者を含めた一言一句が文字にされていました。
総会の質問、回答も同様の処理がなされていました。
にもかかわらず、組織の羅針盤となる理事会の議論が誰が何を言ったのか明確でないことへの風当たりは強く、今後益々この求めが増大すると感じます。
根強い抵抗感を乗り越え、理事会議事録がここまで進化した事にまだ物足りない思いがありますが、これをきっかけでさらに可視化の高い組織を目指したいと思っています。

今回の理事会の目玉は、議事録にあるように法的な縛りの範疇である理事の職権についてでした。
少し補足しますが、そこには業務執行理事と平理事の職務について明確に定められ決まりの遵守が根底にありました。
選挙で選ばれたのに、何で平理事なのだ!だと不満を抱く理事も現実に居ます。ただこれは内部の約束や慣習の範疇でなく、法律による決め事であり、理事会の構成員としての義務と役割についてその位置関係の確認とこの決まりを遵守する課題です。

なぜ、こんな事が善良な社会人組織であるJARLでことさら取り上げられたのかが問題です。
これを語ると理事会の守秘義務とかまた騒ぐ声もありますが、それは私を含め理事の資質を問われ重大な問題があり、この最確認したいということが水面下にあります。
こんなことを今更・・・私自身としては同列に並びたくないという本音もありますが、現実の問題ですから、嫌い好きではなく運営に障害になる事をこの際排除したいという思いでもあります。
議事録でさらりと触れる程度で留まったことは、現時点ではいたし方のないことですが、当事者の対応いかんによりこの先変化する可能性があります。

理事会の意識の変化は少しばかり見えます。情報公開についても稲毛新会長の所信から見えるように、これまでの意識では新時代を乗り越えられないという決意が伝わります。
人事については新時代に相応しい会長を迎えたと自負できると感じます。
ただ今後の運営には、外堀の波風をみて判断を迫られるのではなく、日常的な意識を備えた自らが発進する改革を実行しなければ意味がありません。
その為に情報を会員の末端まで送り届けるシステムを直ちに構築させなければなりません。
毛細血管に温かい血を流すしかJARLを蘇生させる力にならない現実に直面しています。私は新会長を支援する立場を貫きたいと思っています。

名古屋総会のあと、自分の意思ではありませんが、定款改正の実働部隊を任されました。その後財政問題をつかさどる作業部会を引き続き委ねられました。
この作業を開始して感じた事は、正に前戦に送られた兵士のような心境でした。命令は平成26年度までの収支バランスの均衡をとることです。引き返すとはできません。
何もしなければ、これを達成する見込みはありません。また少しの努力では同様に同じ結果を迎えます。
これを知りながら動くことは不安でもあり、水面下で動く非協力勢力に備えたり気を抜く時間がありません。
すでにJARLの現状は瀕死の重症患者ですから、通常の力では蘇生できる状況でもないことが足かせとなります。
ここで瀕死とは何事か!と怒る理事もいるかもしれませんが、今のJARLは、財政面からみるとマイナス予算に頼ってきた長年の慣習に依存してきた知恵のない瀕死の重症患者です。

会費前納会員の処遇を十数年間先延ばし、にっちもさっちも行かなくなった今財政グループで考えてよ!では辻褄があいません。
まずはここからの脱出です。
そもそも理事会に危機感がなかったところに問題があったのですが、危機を無風状態に変えてしまった力があったことも事情の一つです。
話題の某光学器械メーカーを見てもわかるように、少数であっても力のバランスにより組織の姿が決まります。一時的にせよ株主も知らない、社員も知らない・・信じられなくてもそれでも組織はある時期機能するものです。

今回の理事会の議論の中に公表できないものがあることは事実です。もちろんすべてを公表するなど求めませんが、誰かに強制されるものでもない、善良なアマチュア無線の良識が支配すべきものです。
新時代を迎えた機会に、本末転倒な問題を自浄作用を発揮して修整し、輝きのある新JARLを作りたいものです。

今回の理事会は65点・・・自己採点ながらこれが厳しいものであるかどうかは、まずこれまでとは格段と違う采配による合格点が得られた事実を歓迎しながら、徐々に点数を上げていく努力が見えるものにしたいと考えます。



新法人スタートとblog再開

2011年11月30日 | 日記
11月1日、5年と10ヶ月の歳月を経て誕生した「一般社団法人日本アマチュア無線連盟」が動き出しました。
東京法務局板橋出張所にある登記簿(履歴事項全部証明書)から観る限り新鮮なイメージはそう感じませんが、まぎれもなく新組織が誕生した事になり、これまでの常識を覆す運営を実行する場が与えられたことを素直に喜び、これを機会に会員の信頼を得たいと願っています。
今後は選ばれた代表社員とともにJARLのあるべき姿を見極め前進しようと決意しています。
もちろん会員の後押しを得てのことです!

振り返れば、名古屋総会でJARL史上初の議案否決から大きなうねりが起こりました。
その結果定款を見直す委員会を委ねられ、それまで外様の私がその役目を担う事になりましたが、理事会の中にもお手並み拝見と冷ややかな目もありました。
実に様々な事がありましたが、このblogが2月15日で中断したことにも無縁ではありません!
ただ、密かに願っていた事は、新しい法人になれば私自身の中にあった心の重石と現実にあるさまざまな軋轢が軽くなり、そして形を変えた新たな課題に挑戦できる・・・その時期が来れば正確な話を出来るだけ多くできるのではないかという期待感でした。

私が引き受けた「JARL定款・規則等改正審議委員会」は、先日の初の理事会でその役目を終えましたが、今はもっとも重要な「財政問題検討ワーキンググループ」で、平成26年度までに収支のバランスを執るという公約に向け最後の力を振り絞っています。
選択肢のない必然的な課題に対し、まだこの委員会を潰せなどということを水面下で吹聴する理事がいるのも事実です。
内なる改革の敵が身内であるなどとは情けない話ですが、今もってまとまりのない姿が残っています。私の望むところは陰でごそごそ言うのではなく、堂々と皆さんの前で公開論争をし、何が真実かを伝えたいのです。

このたび新しいJARLのリーダーにJA5MG稲毛氏を選びました。長年JARL運営に携わり著名な方であることから、そう新鮮なイメージがないという声もあります。
私もいつも顔を合わせていることもあり、何をもって新鮮とするかですが、今後稲毛さんの人物象を正確に伝えることにより新たな事実が見えそうです。これは後に譲りますが、この選択はJARLにとって実に新鮮な出来事でした。
何が新鮮かというとこれまでJARL会長は、関東エリアでないと駄目だ!という暗黙の了解がありました。私はこれに否定的な考えでしたが長年密かな約束事になっていたのは事実です。

では、なぜ東京でなければならないのか・・
その理由に主管庁が東京にあり交渉ごとに便利だからだからとか、会長の決済を得るには巣鴨に近いところが良い・・など半世紀前の論理がまかり通ってきたことにあります。
この感覚が、ネット社会に取り残され電子化の促進にブレーキがかかり、新しい知恵の導入に怯える体質を作ってきたといえます。

ARRLの現会長は女性です。今年のハムフェアでご主人を伴い来日しましたが、何代目の会長なのか私は存じません。ただ私がアマチュア無線を始めてからもかなりの人が交代就任しています。
カリフォルニア州だけで日本をすっぽり包むアメリカは比較にならない広大な国です。ARRL会員から事務局に近いところから会長を出せなどの論理が生まれないだけでも日本と異なります。
アメリカと日本は違うと言っても、移り行く社会環境に適合する努力なしに組織を強靭なものにできるわけはありません。

1970年奈良総会で誕生した原前会長の功罪を問うつもりはありませんが、41年間そのポストに留まった強靭な意思も去ることながら、その間に通り過ぎたチャンスを逃したこともいくつかあるといえます。。

先日琵琶湖の畔で、滋賀県支部の集いがありました。そこで新しい法人で何が変わるの!というテーマでお話をしました。同席の坂井監事の手助けもありましたが、そこでいつもの声を聞きました。
会員は何も知らない、何も知らされていないという声です。
この意見に説明を加えると、実際はJARLNEWSに書かれていることも多いのですが、読んでいないから知らなかった言うものがいくつかもあります。
JARL会員の平均年齢は既に還暦層です。あの小さな文字でルーペを頼りにしないと読めない情報の提供がはたしてこのままで良いのか・・財政面の観点からもその是非について議論を加えています。
これまでは、JARLNEWSに書いているから読まない方が悪いということも通用したかもしれませんが、多くのチャンネルから正確な情報にたどり着く、情報経路の増設に努力する必要を感じます!

滋賀県での私への注文が「長谷川のblogは文章が長く、まどろっこしい・・もっと核心を突け!」という激がありました。
本音は「熟読すれば言いたい事は書いてある・・」といいたいのですが、確かに自分で読み直してもそういわれる要素を認めます!
そこで、新しい組織になったのですからこれまでの「あれはやってはいけない、これは外に出すな!」が優先されることは避け、少しどころか堂々と主張を述べるようにします。
ただこれを担保にややもすると拡大解釈の記述が起こる事に懸念する声もありますが、隠し続けるよりはいいだろう・・と思っています。
そもそも情報は、正確な判断材料を提供し、ともにあるべき姿を求め進むものですから情報提供に怯えていては会員の協力が得られないと信じています。
JARLは組織です。会員が知恵を寄せ合うべきものです。

これから、激しい波に突入し高度な操船技術を要する時期に入りましたが、仏教徒の私が聖書に誓うというのは筋違いかもしれませんが、誓いは会員のみなさんと交わす事でその責を全うしたいと密かに誓うものです。
冬眠の季節を前にして、目覚めた感がありますが、冬の夜長にあれこれ思いを巡らせながら近い未来を作りたいと思っています。

師走の勉強会

2011年11月12日 | 日記
年末恒例の行事や、新組織に備える勉強会なので結構忙しい師走です。

12月10日、関西地方本部会と大阪府支部クラブ代表者会議がありました。その後は懇親会。
翌11日は、社員勉強会があり参加させていただきました。
連日遅くまでココロザシを同じくする人たちとあれこれ近い未来を語ることは刺激を受ける事が多く願っても無い機会です。

今回臨時社員選挙で選ばれた方々の肝いりで開催されたこの勉強会は、社員に選ばれたものの、来年の総会まで何をしたらいいのか、どんな準備をして待機すればいいのかという備えのために行われたものです。
ディスカッションに加わり、実に奥深い議論に入ると思いがけないヒントを頂きはっとする発見が多くあります。
今回社員に選ばれた人たちが今大いに学習することは、短い社員総会を効率よく進める基礎になる事で大切な事です。

私がお話したことは、JARLの現状と未来への展望に関してですが、一般社団法人となったJARLに求められるものは、何といっても志を掲げビジョンに沿って内なる努力を惜しまず、社会的に影響力のある組織を構築することです。
変化をもたらす自発的な人たちにより運営される組織は、やがて新たな価値を生み出し、社会的に認知される成果を導き出します。

経営的な観点から、一般社団法人は「会社法」による会社と同様に赤字になれば倒産であり、役員は当然その責を負う事になる意識が現状ではまだ浸透していないといえます。
過去の反省から学び、新たな課題に真剣に対応することはまたとない貴重な経験値になります。
無償の奉仕を実践する代表社員や理事者は、JARLの誇りともいえる貴重な人的財産で、金員に換算できない大きな力です。

歴史を顧みて反省することは、
○ 権力の一極化、権限と決裁組織が表面的役所と同じ構造であったこと
○ 理事会の意識向上と同時にJARL事務局の主体性を考え直す事
○ 適材適所の人事が行われいるか、業務の丸投げ体質、形式的な書類の通過の反省
○ 説明不足と沈黙による結論の回避、義務の放棄。
などなどが思いつきます。

今後の課題としては
1.旧組織の解散、新法人登記による新しい組織運営を確認し、JARL内のイノベーション意識の高揚。既成の事実の再検証、新しい切り口、新しい捉え方、新しい活用法、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値の創造に邁進する事。

2.情報公開の率先と、安定的な組織つくりを心がけ、予算執行など実際の確認、ビジョンに沿った運営基盤の確立、必要な情報公開、会員の知る権利の保証

3.理事会および事務局の閉鎖的イメージの払拭、事務局任せの理事会および各種委員会の再考、苦情処理に陥る事務局の悪循環

4.理事の意識改革、事務局の合理化、職員の意識改革・・見識・品格の欠落した理事会議論、偏った事務局業務の修整  

5.組織の再編成、現行組織の合理性と矛盾点の再確認

6.内作、外注など業務内容の見直し 現状の契約業務の再点検と、合理的改善への道筋

7.組織内の電子化の促進、財政面、実務面から検証を加えた結果導くもの

などのついて問いかけました。
今後も継続して日常的な情報のやり取りを行い研鑽をつむ約束をして解散しました。


正確に事実を伝える努力

2011年02月15日 | 日記
 JARLが単に仲良しクラブに成り下がったと揶揄されることは度々ですが、その最低限である仲良しにさえヒビが入るようではすでに組織の形態がいびつなものになっているといえます。欺瞞に満ちた現実に怒りと不愉快さを覚えます。
 先日紹介した田中大阪府支部長から受けた総会実行委員長辞任の連絡は、ついに理事会宛の文書として出されたことが彼のブログで紹介されています。

 生々しく私の名前が出ていますが、読めば直接的に私が彼を騙し、田中支部長が間接的に実行委員を騙したことになる構図です。つまり騙しの連鎖が不信感を増幅させ、雪崩れ現象となって押し寄せたといえます。
 腹立たしい事は、JARL特有のノイズと共に増幅された情報からは何が真実かさっぱり見えず、聞き分ける能力がもっとも高いはずのアマチュア無線家でさえどれが基本波なのか解らないのです。何が真実か分からないJARL組織の再生などありえません。

 もう一度申し上げますが寝屋川での臨時総会をお願いしたのは事実であり、田中支部長が書いている内容はほぼ間違いありません。ほぼというのはこの趣旨の根拠を示した理事は私だけではなく複数からの情報であり、根拠のないものではないという補足です。
 当事者がこれを噂だとさりげなく交わすつもりなら、今回ばかりはそうもいかない背景が浮かび上がります。事実という核心がどんどん突かれれば無傷ではすまない事態も予想できます。
 そこには私が田中支部長を騙した事実はないと証明するしかなく、この目的は私自身の名誉や立場を守る自衛的手段であり、仲間である彼の立場を擁護するためです。

 先ほど田中支部長から電話がありました。この問題に関し早速原会長から直々の電話があった・・・ということですが、何を話したのか興味はありませんが水面下で日常的に個人対個人が繰り広げる秘匿性の会話に正直嫌悪感をいだきます。
 すべての情報を提供せず断片的な情報がもたらす結果は好ましい状況ではなく、影像でありイメージを作ります。ここから生じる憶測がすべての混乱の要因となります。
 JARL最後の大事な総会を円滑に運営したいと願う地元に混乱を与えていったい何をしようとしているのでしょうか!

 田中支部長と私の喧嘩で済むならことは簡単ですが、今回ばかりはそうもいかずこの際情報を公開して誰が嘘をついているのかその背景を明確にしなければ解決の道を遠ざけてしまいます。
 JARL再建に力を出す仲間同士に軋轢を生じさせることが誰にとって得策かわかりませんが、JARL改革などというスローガンが単なる念仏で終わる組織ではすべての汗が徒労に終わります。
 私が根拠のない話をでっち上げて地元の実行委員会を混乱させることなどあり得ないという事を場合によってはきちんと言わなければならない時がきたのではないかと考えています。

参考までに田中支部長が理事会宛に送付した文面です!

平成23年2月10日

(社)日本アマチュア無線連盟 理事各位

JARL大阪府支部 田中 透

*JARL第53回通常総会開催について*

寝屋川の臨時総会 では、誠にお世話になりました。感謝いたします。
 
さて、5月に池田市で行われる通常総会ですが、私は、実行委員長を辞任し事
務局として責務を果たす事に致しました。新実行委員長に関西アマチュア無
線フェスティバルの実行委員長JL3JRY屋田氏にお願いして了承をとっています
がまだ流動的です。
 
私は昨年長谷川理事から「何とか臨時総会と通常総会をやっ てくれないか、
どこも引き受け手が無い、このままだとJARLはどうなるかわからない、また
会長は近いうちに辞任の意向を示している」とお願いとお話があり、「それな
ら何とか協力しましょう」と臨時総会開催を引き受け実行致しました。
 
そのおり、実行委員会スタッフには、「会長は近いうちに辞任する、JARL会
員の為に臨時総会開催に協力して 欲しい」とスタッフを集めそれに賛同した
メンバーが臨時総会の成功にこぎつけました。
 
実行委員会の会議では、長谷川理事や私が挨拶の時に「会長の辞任意向」の
話を何回か致しました。実行委員会のメンバーは、その話を信じ「その時」が
いつ来るか待っていましたがハムフェアー、理事会と経ても「その時」が来
ず、臨時総会でも「その時」は来ませんでした。
 
痺れを切らした会 員からは、メールなどで私に問い合わせがきましたが「い
や、今度の忘年会の時に・・・」などと答えるしかありませんでした。
 
結局、忘年会でも「その時」が来ず現在に至っています。今年に入り、いよ
いよ総会の準備をするに当たり、多くの方々から今度の総会では協力できない
とお返事を頂いております。これも上記に書 きました内容が原因です。いく
ら待っても、「その時」が来ない。
 
私は、その責任をとるため実行委員長を辞任しましたがそれだけでは責任を
果たしたことにはならないと思い、屋田氏に実行委員長を託し、池田と言う地
域性から事務局の仕事をすることにしまし た。
 
しかし、たとえ実 行委員長が交代しても実情は同じです。
 
総会は、スタッフの協力なくして開催出来ません。現段階において、この状
況が続く限り第53回通常総会の開催は難しいと考えます。
 
長谷川理事の言うとおり本当に会長辞任の意向があるなら、 理事会でこの現
状をかえていただきたいと思います。「その時」が来れば、第53回通常総会は
開催できると信じています。理事のみなさんどうかよろしくお願いします。
 

エジプト情勢から観る現状

2011年02月12日 | 日記
 第3回財政問題検討会議を終え、そのまま北へ移動しました。
羽田発札幌行きのスカイマーク便は1時間40分の遅れになりましたが別に天候のせいではありません。
 保有機材ぎりぎりの運行に挑戦する航空会社の副産物なのですが、少しのブーイングを受けても常識に囚われず格安運賃に挑戦するこの会社を応援しているヘビーユーザーでもあります。

 北の街「さっぽろ雪まつり」を観るのは初めてでしたが、考えてみれば毎月札幌に来ていることになります。先月の北海道はドカ雪に覆われ、すべてが雪と氷の厚いベールに包まれ土を見ることなど全くありませんでした。
今回の札幌は晴天に恵まれ、気温もマイナス4度程度で実に快適な環境でした。

 さて財政問題の検討は待ったなしの状況ですが実に重い背景があります。作業自体は簡単で入ってくる金と出て行く金のバランスをとれば瞬時に解決する問題ですが、どっこいそうはいかない問題が横たわっています。理事の中でも長谷川のお手並み拝見・・などと傍観者のような論評もあります。「眺めておいてやる・・・」というのは妨害しないということかもしれませんがこれも大きな問題の一つです。

 いずれはすべての内容をお知らせし、多くの知恵を借り手助けが欲しいのですが、果たしてそんな猶予が与えられているのか自問自答しています。まさに非常事態だという思いです。
 大げさにいうつもりはありませんが、すでにこの作業グループの検討課題の範疇を超えた問題が存在するということであり、この壁を超えるためにすべてのエネルギーを費すことは実に効率の悪い残念な現実です。
 もしこれが「どうせできっこない・・お手並み拝見!」という声と一致するなら、背景を知った者の嘲笑にも聞こえるのです。

 新千歳空港で一人神戸行きの最終便を待つ間、愛読書に夢中になっていました。30分遅れのアナウンスにむしろ得をした気分であったくらい喧騒から離れた空港の片隅の快適な時間でした。
 
 札幌の繁華街にあるホテルの一室はネオンの灯りが直接飛び込んでくる環境でしたが、眠りにつく前のテレビからはエジプト情勢が刻々と伝えられています。
 何だか我々の良く知る世界とそっくりな状況に苦笑するのですが、帝国の崩壊や独裁者の失脚、企業崩壊のプロセスを歴史の中で何度も見せられると、私のような凡人には理解できない世界に映ります。あれほど権力に執着する姿を見せるということは何がそうさせるのだろう・・ただ不思議でたまらないのです。

 先週の夜のことですが、電話がありました。それは今年5月大阪池田市で開催予定のJARL総会実行委員長からのもので、内容はそのポストを辞任したという事後報告でした。
 詳細はいずれ本人から説明があると思いますが、この間の経緯と問題点はすでに理事会に提出されているとのことでした。
 辞任の理由は、要するに引き受け手のなかった臨時総会を寝屋川で行った背景と事情の話に戻るのです。簡単に言えば結果的に私が彼らを騙したということになるという理屈ですが、そうなれば弁明の機会も必要ですが何よりこれは事実ではありません。
 私は確かに指摘されるようにJARLの非常事態を告げ臨時総会を開催しなければこの先の道が閉ざされる、ついてはトップも進退を表明する機会でありからその花道を作って欲しい・・・と説明しました。
 ただ根拠にした説明のすべては明確であり、決して作り話ではありません。証明することは簡単ですが、実にみっともない恥ずべき話に至ってしまいます。ましてやまやかしの情報でこのような大事なお願いができるものでもないからです。
 
 今大阪での通常総会の実行委員会の混乱はすべてここに原因があります。不信感を抱きながら誰を護るかはっきりしない現状に全力が注げないという事実です。すでに軋轢が起こり、すでに人的な大き損失も発生しているのです。私はこの現状を招いた事実を憂いており意図を感じる動きに嫌悪感を抱いています。

 札幌から自宅に戻りテレビのニュースをみるとムバラク大統領の辞任を告げるニュースが流れていました。ついにその時が来たか!と思いながら、疲れも手伝いすぐに眠りにつきました。
 目が覚め届いたばかりの朝刊をみるとやはり「ムバラク大統領辞任へ!」の見出し、複数の新聞のすべてがそうですから信じないわけにいきません。
 しかしテレビをつけるとそこでは全く逆のニュースが流れていました。新聞は「ムバラク大統領の辞任!」そしてテレビのすべては「大統領辞任せず!!」に変わっていました。

 名古屋総会の結果理事会の責任も曖昧なまま、ハムフェア、臨時理事会、臨時総会、そして師走の忘年会など何度も噂として浮上しそしていつものように何事もなかったように過ぎ去る時間に苛立ちを覚える人の限界も極限に達した感があります。
 エジプト政変の動きを観ながらあまりにもそっくりな状況に可笑しさを覚えるのですが、それに加えて今回の問題が昨年私がエジプトを旅している間に進んだ話というのが不思議な感じがするのです。
 
 今回の実行委員長の辞任という事実がこれまで水面下の噂として葬り去られることなく真剣に議論される機会になればそれなりの効果が出ると思います。
 私の執る道は紛れもなく組織と会員を守る道を選ぶという選択ですから、私に騙されたと言われてもその責任は騙した方にあります。理事諸兄はこの際何を目指して進むべきかを明確に意思表示する必要があります。いつまでも曖昧なまま優柔不断な印象を与えることを続ければ新しい代表社員から厳しい審判を受けることは必至です。

 何より誠実にJARL改革を信じて動く人たちが謀反人になるような組織が社会に受け入れられるはずがありません。
財政の議論を含めすべての改革に、すべての重石を取り除かなければならない作業は厳しいものです。

テレビからついにムバラク大統領の辞任・・という興奮のカイロからのニュースが伝えられています。今度こそ真実が伝えられているのでしょう・・!

再び前監事、後藤太栄さんのこと

2010年12月21日 | 日記
昨日、先日鬼籍に入られた後藤前監事を偲ぶ会にお伺いしました。
ちょうど1年前、同じリーガロイヤルホテルで、お嬢さんの結婚式に出席させていただいた事を思い出します。
くしくも同じ場所で今度はご本人のお別れの会、押し迫ったこの季節に加え葬儀当日とは異なる寂しさがまた募る会でもありました。

出かける前パソコンのメールホルダーに目を通しました。
後藤さんとは携帯メールでのやり取りがほとんどでしたが、一時期結構その量が多かったのでPCに転送して「GOTO」という専用ホルダーを作りすべてのメールを保管しています。
こまめに写真を添付したメールが多く、まるで絵日記をみるような思いで改めて見入っていましたが、その時々の時間が蘇り懐かしくなります。

彼の病気が見つかったのは昨年のことだったようです。
本人からは、治療法のない珍しい病気だがいずれすべてを話すということで静観していたのですが、結局私には病名を告げることはありませんでした。
ただ、夏にキーボードを打つのも難しくなった・・というメールや、これまでのやり取りから私なりにおおよその見当がついていました。

この病気は、きわめて進行が速いのですが、それにしても後藤さんは急坂をくだるような勢いであったことが残念でなりません。
正直なところ、いずれ話すという約束が果たされなかったことは少しばかり残念に思えましたが、この会にお伺いしすべてが理解できたように思います。
奥様の弁によると病名についてあえて公表しなかったのは、病名を告げることはそれを認めることであり、治癒の見込みがないということを受け入れることになる・・・好奇心と挑戦を続けてきた彼の心情から出てくる素直な思いであり信念からだったということが判りました。

奥様やご家族の苦悩もこの辺りにあるようで、嘘はつかないが本当のことが言えない悩みの中で過ごした長い時間の思いがひしひしと伝わるものでした。
奥様がこのお別れ会を開いて、私たちをお招きくださったのもこの思いを伝えるための心配りであったと感じました。
後藤さんと親交の深かった多くの方々から言葉が寄せられました。
場違いのような笑いと涙が交互に訪れるという実に奇妙な会なのですが、それだけ故人に対する思いを共有する方々が多いことがわかります。

場内で放映された生前のビデオの元気な姿を見ると、まるで隣でいつものように話しているようで現実が受け入れられないような一瞬でした。
論客であるけれど人を傷つけない言葉の使い手として好感の持てるその人が後藤さんでした。

まだJH3GAHのホームページや彼の町長としての報告ページも健在です。
やがて整理されるかもしれませんが、高野山を世界遺産にし、また高野山を世界の癒しの地としてミシュランの三ツ星観光地に導いた功績は長く称えられることと思います。
昨日の映像と肉声を聞き改めて多くの思い出に浸りましたが、実は私のラジオ番組にも2回出演していただいたことがあります。この音声ファイルが彼のWebに残されています。
彼の声をお聞きいただければ何よりのご供養になると思います。
高野山をこよなく愛した男、そしてアマチュア無線を限りなく愛した男がここにいます。

ご家族とそう多くお話が出来ませんでしたが、今も毎日泣いています!という奥様の言葉に涙はきょうで終わりにしましょう・・と申し上げ次回は高野山で、とお別れしました。
いつまでも後藤さんを語り大好きな酒を囲みながら、彼を肴にいつまでも忘れないでおきたいと言い聞かせています。


JARLアイボールミーティング

2010年12月16日 | 日記
JARL忘年会といえば、かなり長く続いている毎年暮れの定例の行事です。
ただし少し前から忘年会とは呼ばず、「JARLアイボールミーティング」となっています。
忘年会と呼ばなくなった理由は色々あるようですが、それはそれとして100人程度の関係者が青山ダイヤモンドホールに集まり一年の名残りを惜しむ会でもあります。

毎年欠かさず参加している訳ではありませんが、圧倒的に関東圏の参加者が多いのは当然で、私のような遠方からの参加者はそう多くありません。
例年政界の名士や、主管庁の幹部が多く列席する場でもありましたが、今年は関東総通からのお客様を一人お迎えし、アマチュア無線関係の来賓を含めてもごくごく内輪の集まりに近づきました。
今回私が参加したのは、翌日に控えた財政問題WG会議の前夜でもあり、何よりもJARLの一時代の分岐点を迎える日になるとの噂を聞いて出むいたものです。

忘年会会場となっている表参道周辺は、仕事関係で頻繁に人と会う場所ですから、かなり馴染みがあります。
時間に余裕がある時は渋谷から歩き始めますが、この一見無駄に思える時間が大好きです。
この周辺を話題にするのは今週のラジオの収録でふと気がついた歴史の一幕からです。
というのは19日の日曜日が「日本人初飛行の日」ですが、いつも何気なく歩く代々木公園こそが明治43年、当時の陸軍工兵大尉、徳川好敏が日本初飛行に成功した場所だと教えられました。
この前の年明治42年に陸軍省が代々木練兵場を新設したそうですが、日本の航空機史のスタートが正にここにあり、28万坪の広大な敷地から観てこの場が相応しかったのだろうとは想像できます。

代々木練兵場は敗戦後にアメリカ軍に接収され、その後東京オリンピックの選手村となったところでもあり私の記憶もこのあたりから始まります。
代々木公園周辺のNHK放送センターや、国立競技場、明治神宮など表参道に続くこの一帯は、戦前まで軍靴で踏み固められ黒い土がむき出しの味気ない単なる広場であったようです。
まさに私の記憶の代々木公園は「戦争を知らない子どもち」の歌のごとく、往時を想像することができないくらい平和な憩いの公園に変わっています。

東京にはこのほかにも日比谷練兵場(現、日比谷公園)、駒場練兵場(現、東大教養学部)、青山練兵場(現、神宮外苑)などがありましたが、空から見る東京の緑の多くがこの時代の遺産であるということも忘れてはなりません。
東京には、日本人が忘れてはならない歴史の事実が多く残されており、その時々に平和とは無縁であった都市が確実に存在していた事実も忘れないようにしたいと思っています。

さてJARLの話に戻ります。
40年前にさかのぼりますが、1970年(昭和45年)5月24日、奈良市にある奈良県文化会館で第12回目のJARL総会が開催されました。
私はまだ開局6年目で、末席の一会員であったこともあり参加しませんでしたが、記録によると出席者は1,000名、委任状数11,586、記念品は「メモ台」(どんなものだったのでしょう・・・)そしてこの年にJA1AN、原さんが会長となりました。

この昭和45年(1970)とはどんな年だったのでしょうか・・・
3月31日、羽田発福岡行日航旅客機「よど号」が赤軍派学生ら9人によって乗っ取られました。日本でのハイジャック第1号です。
私にとって鮮烈な良い思い出は、3月から半年間にわたって、大阪府吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会(EXPO’70)が「人類の進歩と調和」をテーマに華々しく開催されたことです。

また衝撃的な事件は、11月作家の三島由紀夫と「楯の会」会員4人が東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部でクーデターを呼びかけ、賛同者がいないことを知ると総監室で割腹自殺し、世界的にも有名な作家の起こした事件は内外に大きな反響を巻き起こしました。

そんな時代のJARL奈良総会はアマチュア無線界においても新しい時代の幕開けでもありました。
同時に世相を観ても、男性の長髪の流行やマイカー時代への突入や、多様な公害問題化、薬害スモンなどがこれまでにない社会問題も発生した時代です。
世界初の缶コーヒーの販売や電子ジャー、ラミネート歯磨きなどのヒット商品が売り出された年でもあります。年末のオリコントップは、渚ゆう子の京都の恋・・いちご白書の映画が若者に支持された時代です。

昔話を始めると話題がつきませんが、JARL会費と密接に連動してきた郵便代金は、葉書7円、封書が15円でした。そして一番興味のある昭和45年当時のJARL会費は1200円でした。

JARL会費の変遷を観ると、昭和34年600円から始まり、36年に900円、そして41年1200円、47年1800円、50年3000円、55年4800円、平成6年に7200円 となり現在に至っています。

あの日から40年の月日が経ち、私たちにも多くの出来ごとがありました。
40年という年月の重みをどう捉えるかは、私たちがどのような価値観で生きてきたのかということと密接に関係するのですが、最近自分自身が置かれているアマチュア無線との関係の中でこの40年を顧みると大変重要な意味を持っています。

ある意味40年間を振り返りながら次の時代を模索するという毎日でもありますが、どこかに押しても引いても摩擦係数の大きい歯車があり、立ち往生することも含めもどかしい思いを抱くことが多くあります。
どの部分が磨耗して動かないかがわかるのに、この原因が取り除けずもがくことは実に滑稽なことなのでしょうがこれが現実でもあります。
40年の長きにわたり時代が作ったともいえる繁栄の一途から、やがて環境に対応できず多くの会員から期待されず不満のはけ口となった感のあるJARLがあるといわれれば、その批判にも素直に耳を傾ける必要を感じています。

今回大騒ぎをしながらも何とか答えを出した定款改正は、公益三法の施行によるいわば強制された対応でした。
しかし今始まったJARL財政改革の課題は、皆さんと一緒に導き出さねばならない問題です。
それ以前に重要なことは、厳しい環境の中で自らの意思で答えを出すことが求められていることです。
これはJARL組織の根底を見極める重要な議論であり、やがて全容をお見せすることになる近い未来の扉を議論する場でもあります。
ここには過去のしがらみは存在せず、正に40年を総括すべきことがらを自らが見つけ出し、その対応を決断するもので、新しい時代に果敢に取り組む姿勢が求められています。
この作業を後押しできるのは40年間の慣習ではなく、皆さんが考える新しい発想での財政議論を推進するしかありません。

申しあげたいことは山ほどありますが、その新しい扉を開く一大エポックが今年のJARL忘年会であると聞いて大いなる期待を抱いてこの忘年会に出かけたというお話でした・・・が、読み返してもかなり回りくどく往生際の悪い自分が居ることを感じることになってしまったようです。

この答えはご想像の通り、いささかというか完全に不完全燃焼気分で帰途につきました。
もともと表参道は私にとって幸運な出会いの場所ですから、そのまま帰る気分ではありません。
忘年会後親しい仲間と酌み交わしたワインですっかり気分は挽回できましたが、このJARL忘年会という集まりも財政を検討する会議のテーマになっています。
それほど細かいところにも目を向ける会議です。

私にとってこの日の夜はそれなりに大きな教訓を残した時間でしたが、翌日から再び始まるJARLの財政改革に聖域など絶対に設けてはならないという決意にもつながりました。

パブコメから見るJARLの未来!

2010年12月02日 | 日記
早いものでもう師走ですね・・
寝屋川での臨時総会を終え、意識的にしばし喧騒の中から離れておりました。
とはいっても、この結果によって放免とは行かず、待ったなしの財政改革の舞台が待ち受けています。
寝屋川の一日から得られた結論は、私なりに準備を進め密かに求めたものと一致したのですが、どこかに燃え尽きない思いが残っているのも事実です。

もし臨時総会が最終目標なら、一件落着とばかり一応の区切りをつけても良いのでしょうが、ここから始まる道のりを考えると恐ろしいくらいの緊張感を覚えます。

今回新たに発足した財政問題を考えるワーキンググループは、組織の在り方に重大な影響を与える大改革の入り口だと断言できます。
大方の人は、出て行く金の削減を計り、入って来る金をどう増やすか・・これさえ解決すれば何とかなると考えているかもしれませんが、実際はそう簡単には進まない茨の道を進む作業が待ち受けています。
何が茨なのかと言うと、JARL組織の背景から積み重ねられた意識が足かせになり思うように進まない現実があるということです。

JARL内に守旧派と改革派が真っ向から議論を重ねたという場面がどのくらいあったのか記憶にありませんが、JARLの今後は何らかの改革・革新の動きに対して、現状維持を望む力が大きく働くようなことが起これば、そう期待を込めることはできないのではないかと考えています。
茨の道が見えるとその都度立ち止まることを繰り返せば、ジリ貧になる組織が確実に見えるということは断言できます。
私たちが描く改革に対する反対勢力に対し、「既得権益を有し保身を行なうもの」という声を集めるだけでは味方にならず、一見支援するように見えてもこれすら改革の力に結びつくとは考えにくいことにもなります。

これまで手が付けられなかったJARLの財政議論に対し、みなさんがどんな期待をお持ちかある程度想像しながらも、聖域のない大ナタが振り下ろせる環境にようやくたどり着いたのですから何としてもやり遂げなければならないというのが今の私の心境です。

寝屋川臨時総会で得られた定款改正後の作業は簡単でないものの事務的に粛々と進められています。
これから私たちがやらねばならない作業は、今回新たに生まれた課題を葬り去ることなく次の組織運営にどう生かすかを絶えず心がけて進むことだと思っています。

これから進める財政問題の処理の中で遭遇する障害がすでに見えるのですから、あとは出来るか出来ないかだけの力の相関関係に入ります。
求める答えが判って取り組むのですから、改革は不可能ではないと思っていますし、これを支援していただくことが未来のJARLを作る近道だと信じています。
このお話は今後事あるたびに膝を交えてきちんと説明しながら処理しなければならない必須課題だと思っています。

いつものように前置きが長くなってしまいました・・・もうひと息おつき合いください!
本論になりますが、JARLwebでもご紹介のとおり先週月曜日の11月22日に、総務省がアマチュア無線技士国家試験に係る試験科目(電気通信術(モールス電信))の見直し案に対する意見を募集をいたしました。

これによると、「総務省は、平成17年に第三級アマチュア無線技士の電気通信術(モールス電信)の試験科目を廃止して以降、アマチュア無線技士国家試験における電気通信術の試験方法のあり方について検討を続けてきましたが、今般、第一級及び第二級アマチュア無線技士国家試験に係る試験科目(電気通信術(モールス電信))の見直し案を、別添のとおり取りまとめましたので、平成22年11月22日(月)から同年12月22日(水)までの間、意見を募集します。」
というものです。

早い話が今回の改正案は、「第一級および第二級アマチュア無線技士の国家試験から、電気通信術(モールス符号の音響受信)の試験を廃止し、現行の第三級アマチュア無線技士の国家試験と同様、法規の試験においてモールス符号の理解度を筆記において確認する」とするものです。
ところが、実のところ今回のパブコメに対する反応がいまひとつ芳しくないとも耳にしますが、長年検討を加えてきた規制緩和策が実現できないということは我々にとってもプラスにはならないことです。
資格取得の規制緩和に関しては、アマチュアの間に実に様々な考えがありますが、私自身の考えは時代が求めるプロセスの中であえて反対とは言えないということです。

どちらかと言うと電信愛好家であり、和文電信が主な運用スタイルであった私ですから、これはもっとも興味のあるテーマです。
しかもそれなりに努力した1アマ試験もどんどん変わり、ついにここまで来たかという思いがあるのは事実です。

大昔になりますが、16歳のとき友人が自動3輪の免許を取得しました。今時考えられないくらい乗り心地の悪い不安定な貨物自動車でしたが、その免許は今は大型2種免許となっています。
2輪免許が軽四となり普通車となったことが規制緩和と言えるのかどうか判りませんが確実に時代が求めた免許の変遷でした。

国家試験の中でもっとも受験料が高く合格率の低かった小型船舶の1級免許も、更新に行くたびにその値打ちがどんどん下がり、いったいあの試験制度は何だったのかと思ったものです。
合格が至難の業だといわれた国家試験の実技を、泊りがけで和歌山の港まで出かけ、試験官とマンツーマンで受けたことが嘘のように規制緩和が進んでいます。値打ちが暴落したという人もいます。
運転免許も、小型船舶免許も、アナチュア無線も「俺の苦労など全く報われていない・・!」叫ぶ声も判らないわけではありません。

ただアマチュア無線に限って言うと今回の事案は予定されたことですが、ただモールス試験が無くなることと、モールス通信が無くなることとは別の問題です。
ここに金銭上の問題ではなくあくまで自己研鑽であるアマチュア無線家が申し送らねばならない課題があると思いますが、日本国がすすめる一つの方向性の中に埋没する意識の文句だけでは意味がありません。

この規制緩和が上級資格を目指すアマチュアに大きく貢献し、活性化することにつながれば嬉しいのですが、その前にアマチュアらしい見識と秩序ある日本のアマチュア無線の風潮つくりに大きく貢献してもらいたいものです。

制度を触ることに熱心であっても、変わり行くアマチュア無線の世界がいまひとつ成熟したものに届かなければすべての作業が徒労に終わります。
これは大局的な見地から観るアマチュア無線も、小さなJARL組織の中でもだえる苦悩も底辺は同じところにあるということを考えています!

JARL改革も当然ながら環境に順応できる体制と組織つくりを視野に入れて取り組むべきだと思っています。