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アマチュア無線とJARLと私JA3HXJ

新しい次代を迎えたJARL・・・
アマチュア無線の行方を映し出す鏡になるのでしょうか!

神田からゴールをめざして・・

2012年06月07日 | 日記
6月に入りました・・・
私の誕生月ですが格別ウキウキする出来事もなく、どちらかというと少々憂鬱気味の心境でしょうか・・
このblogの色合いも、今の私にあわせてみました!

第5回理事会の案内と、記念すべき第1回定時社員総会の議案書、そして今回の選挙によって選ばれた理事が執行するこれまた記念すべき第6回理事会の召集文書が届きました。
新組織として新しい運営のスタート地点は、東京都千代田区神田美土代町「ベルサール神田」です。
当初は、傍聴希望者がどのくらいになるのか?想像もつかず、事前に会場を確保しなければならない関係で、もし入りきらねばどうしよう・・・・
冗談半分に「前夜祭会場はどこか?」などの問い合わせがあるかもしれない・・など、色々と思いを巡らせたのがこの準備期間中のことでした。

しかし、予想に反して傍聴希望者の数は想定の半分・・・内輪での破れそうなくらいの喧騒とは比較にならないくらい関心度の低さが目立ちます。
JARLはすでにマニアックな世界になったのか・・・会員から見放された現実があるように思えます。
このあたりの現実をしっかり捉え、大躍進のグループもそうでない現役も驕りを捨て、すべてを基本に戻し会員の声を反映させる覚悟を持たねば過去からの脱却ができません。

先日、事務局で激しい議論になったことがあります。それは私の一つの注文からでした。
私が求めたことは「新しいJARLになる決意を会員に示すのは今がチャンスだ!ついては会員からどんな組織であるべきか意見聴取の場を設けてみてはどうか?という注文でした。
それに対し事務局幹部の一人が猛烈にできない理由を述べ、少々口論になりました。
事務局側のできない理由はこうです。
JARLには苦情の電話があまりにも多い、その対応だけで事務局はパンク状態である。
そんな窓口を作れば一層業務混乱に拍車がかかる
事務局幹部の一人は、苦情電話の受付と担当部署への転送係りになっている。
苦情電話に対しては、7万人の会員がいるのでとても満足な対応ができないと訴え納得してもらうしかない。
まだまだありますが、要するにすべての発想が新たな仕事を作りたくないという意思表示でした。
私は出来ない説明よりどうしたらできるかを考えるのが仕事だろう!!と不機嫌でした。

事務局の言い分は確かに現実を表しています!
私は月の内10日前後東京にいることも多く、時々巣鴨の事務局に顔をだします。
現場には迷惑かも知れませんが予告なくでかけます。
ある時は午後から・・またある時は職員より早く出向き、誰が一番乗りか・・どの順番でだれが出勤して来るかなどじっくり見ています。
これを悪趣味だという連中もいますが、理事の誰も知らない世界を放置してきたことへの反省でもあり実際の姿を会員が理解できるように見てもらうことも必要です。

話を戻しますが、事務局職員が対応する苦情処理システムは早急に改善しなければなりません。
これまで何の対策も講じず、旧態依然の手法を続けることは新組織に重大な悪影響を及ぼします。

あえて一例を挙げますが、ある課長の大きなディスプレーに画面一杯の文字が並んでいるので「何の文書?]と聞くと会員からの苦情の返事ですとのことでした!
「なかなか回答が難しいのです・・」という言葉が添えられその場を離れたのですが、用をすませて戻ってくると画面はそのままでまだ苦情の返答に名案がないのか格闘している状況でした。その間2時間・・・・

私が言わんとするところはご理解いただけると思いますが、これがすべてとは言いませんが現実です。
今のJARL事務局は会員のからの問い合わせやクレームの対応で本来の業務ができない状況を招いています。
もちろん個々の能力に起因することも多くあるのでしょうが、会員の意識自体の改革も重要ではないかと感じます。
JARLは会員からの貴重な運営資金がすべての基本となる組織です。

出した費用を回収するだけの意識では成り立ちません。QSLの転送業務に組織のすべてを委ねる訳には参りません。
すべてを組み替える力が求められています。
これまで事務局内部がどう動いてきたのか全く知らなくてもひとりのドンに頼っておれば理事としての体面は取り繕うことができました。
しかし6月24日以降は、理事それぞれが何を考えてどう課題に立ち向かうのかが明確になります。

抽象的な改革を唱えるだけで支持をえてきた過去の選挙方法も変わって行くはずです。
人気を得るマニフェストに、実行という裏付けがしっかり見えるスタートラインにつきます。
そのためには、社員総会で議論になる議案位は会員の目に触れる機会を作りたいと思っています。
そうすれば誰が何をしているのかがよく判り、来年の総会傍聴席が満席になるのは間違いないと期待しています。
これを面倒がる事務局ならその意識を一掃する必要があるようです。

最後の理事会と前夜の慰労会

2012年05月31日 | 日記
6月24日開催の社員総会をもって任期を終える理事が集まる実質上最後の理事会(第4回)が、5月27日日曜日に開催されました。
難しい議題(人事)もありましたが、憂鬱というのは不謹慎かもしれませんが、人の評価の議論以前にその選考の手順についての扱いが大きな争点として議論になりました。

というのは国会では新総理が決まったのち官房長官など閣僚人事が行われるのに、JARLでは来期大幅な理事の入れ替えがあるのに仮に新リーダーの意思が及ばない推薦理事としたらこの場で指名するのが妥当か・・という問いかけでした。
確かにこの問題の論旨を伝え意見を求めると、聞き取りをしたすべての人が「当然!」という回答で疑問を唱える声は皆無でした。
世間一般の常識でも新組織が決まりその意向を反映する人事が行われることが半ば常識です。
大方の賛成論がある中で、実際のところJARLの定款はそうはなっていません。

簡単に言えば、社員総会が終了するまでは今の理事がすべての議案提出の義務を要し同時に責任を負う仕組みとなっています。
今の段階では、今回の選挙で当選した人であっても理事ではなく、あくまで理事候補として扱われ社員総会で一人ずつ承認を受け就任することになっています。
すべてはその後に人事が決定するのに、先に大事なことが決まることへの異論でした、
したがってこの提案が「いいね!」だけでは解決するものでもなく、二つの理事会が存在するような運営は重大な定款違反だ!という大きな声になり、当然ながら正論であるだけに容易に覆せなくなります。

理事会の席で真っ先に法律の根拠が示され、定款違反だ!となれば不勉強を自認する私などは一緒にして萎縮してしまいますが、ただ精一杯の声として新しいJARLのために障害になるものがあれば潔くその中身について考える機会を持つことでありると思うのです。
法律に体型を合わせろと言うだけで終わるなら何も苦労は要らないわけで、組織にも慣習や自治が認められているのですから、どこに問題があるかを自らが学習し議論する姿勢を捨てるわけにいきません。
これまでのJARLはこんな声が挙がると、規則や法律論ができない口実に使われ、未来の姿勢を強制的に排除することも多くありました。そうなるとそれ以後の声が挙がらないことがほとんどでした。
その最たるものが包括免許を考える機会にも同様に働いてきたと思えます。

もし定款に問題があるとすれば潔く改正の議論を進め、会員が求めるなら堂々と改正すればいいことです。
これまでのように、議論することを嫌い余計な仕事を作る事を極端に嫌う体質ではすでに対応できない環境を作り出します。
今回このような背景が選挙結果に表れたことは間違いないと自戒の念を込めて断言できます。
私自身、途中から引き継いで今の定款案をまとめた委員会の責任者ですが、これらの意見を封じ込める立場にありません。
その後見つかった問題点は表舞台に引き出して議論することを薦め、その経緯をリアルタイムに公開する姿勢を実行することだと思っています。

新しいJARLになって半年、何が変わるのだろうと期待する会員からいまだに何も見えないという声が届きます。
私から言わせれば変わったことは一杯あるのですが、それが届かないというのは届ける努力がいまだに不足していると認め行動することだと思っています。
事務局の中には私に真っ向から異論を加える声もあります。無給の理事が奔走しているのに有給の職員からできない理由を告げられるほど哀しく不愉快なことはなく、看過できない現実です。
6月24日以降まだ会員から見えないといわれるなら、これこそ根幹に触れる重大な問題となります。

今回鞍替えで留任する理事を除いて退任する役員(理事・監事)は6名・・・
お気に召さない交代劇に対し、引継ぎをしないと公言する理事がいたことに対しこれを指摘する意見も登場しました。
例え本人が望まない選択であってもいやしくも選挙で選ばれた相手に対し感情をむき出しにして引継ぎはしないという声が妥当かどうか言うまでもないことです。
新理事会が会員の期待を担った成熟した議論の場になることを望むということ自体恥ずべき現実ですが、お伝えしなければならにことです。

さて、この厳しい理事会前夜、巣鴨の中華料理屋で一見奇妙な催しが開催されました。
会場に着いて真っ先に会長に確認したことは、「これは送別会か?懇親会か?慰労会か?」でした。
稲毛さんからは退任する方をねぎらう慰労会だということでした。
この趣旨に反対するなどあり得ませんが、私の気分は、翌日のやや乱闘気味の理事会の前夜に退任する理事の慰労会を先に開催する意図がわからず憂鬱でした。
どう考えてもやるなら理事会終了後が妥当でしょう!
それよりも重要なことは、顔を見たことがない新理事を迎えることが現実になったのですから、新旧理事が引継ぎを兼ねた歓送迎会とすべきです。
こういう形がこれまで一度も見られなかったことが新旧断裂・・冷たい人間関係を修復できないまま時を繰り返してきたのだと感じます。

某理事のblogを読みましたが、非常に高い会費、いつもながらの自腹の宿泊費負担をしてまでやる必要があったのか・・違和感のある催しでした・・・の感想にいずこも同じだな・・と感じたものです。
帰り際今回で退任する理事がポツリと言ったことは「この会費で開催する慰労会だから、何か記念品でもくれるのかと思った・・」に苦笑でした。

本人の任期中にしかも当人を目の前にした名誉会員推薦議題の提出や、重要な理事会前夜に退任者の慰労会を開催するなど、優先順位を取り違えのような運営には「いいね!」の評価は得られないでしょう。
色々な意味で待ったなしの急旋回さえも余儀なくされたJARLの試練はますます厳しいものになると思います。

今回機会を見つけて新しい理事候補の方ともお話することを心がけてきました。
その中で、この人物なら大丈夫・・と確信がもてる人に出会えたことは嬉しい出来事でした。
人材が枯渇するような状況を作ることやその影響で閉塞感を招く現状の打破がJARL改革の最優先課題ではないかな!という思いの中にいます。


象さんの力と看板

2012年05月23日 | 日記
6月に開催される新しくなったJARLが初めて迎える社員総会は、出席する社員も事務局も執行部もどのような形に納まるのかその見極めに一抹の不透明感と不安さを抱いているのではないでしょうか。

今月末に控えるこの前哨戦ともいえる現体制最後の理事会はこれまた重要な課題も多く注目を浴びています。
何が注目されるのかと言えば、今回の選挙で大幅な人身刷新ともいうべき交代劇が起こりました。
JARL歴史上起こりえなかったことが起こったと驚く声と、本来起こるべきことがこれまで起こらなかったことの方が驚きだという声が入り混じって若干混戦模様となることです。

これまで一心に護り続けてきた体制が一挙に音を立てて崩れたのが事の始まりですが、会員が選んだ道でもあり選ばれた側は驕りなく期待に応えることに邁進するしかありません。
その中であまり大きな声になっていないかもしれませんが、水面下で懸念されていることは10エリアの地方本部長の内7エリアが新人になった話題です。

その内6人が象さんグループからの登場であることから驚きをもって迎えられたわけです。
そもそも新人の登場が話題となるのは旧態依然の状況から脱却して何かを変えてくれるという期待から起こる歓迎の声ですが、JARLの場合必ずしもそうではありません。
というのは、従来の地方本部運営の経験論から見ると今回登場した新人が、支部の運営にかかわったこともなくましてや地方本部の運営の未経験者であることをことさら指摘する論調が多くみられることです。
確かにこのような背景があることは承知していますが、その前に認識すべきは今のJARLに残る過去の負の遺産を一刻も早く整理して新組織として名実ともに歩みだすことが先決なのです。

過去の経験を毎年なぞりながらくり返すことは無難であり安全な歩みに違いありませんが、そこに過去になかった力の登場を嫌い排除の論理を行使することには問題ありと考える一人です。
何が問題かと言えば、私たちが決めた民主主義の原点と言える選挙で選ばれた人たちであり、この手続きで選ばれた人たちと議論も交わさず問題だと叫ぶことこそ問題ではないかと思うのです。

今回、彼らのマニフェストをじっくり見る機会を得ました。
そこには組織、財政、会員の処遇、QSL、ARDFなどについてその対応が具体的な形で表れています。
ひとつひとつを確認しても、その基本姿勢に異論を唱えるものは一つもありません。あるとすればその手法について具体的にどうするかの擦り合わせに若干のバトルが予想されるくらいです。

最近私が象さんにすり寄ったと言われているとも聞いていますが、私から言うと象さんが私にすり寄っていると言いたいのですが、そんなレベルが巷の興味ならどうでも良い話題で本質的な問題はここからです。

先日事務局で雑談ながらこれらの話題が登場しました。
不安感を抱く話題もありましたが、私が強く言ったことはこれまでのJARL運営にビジョンを掲げたことがあったのか?
こころざしを伝える努力があったか?
また新しい組織になったとき新リーダーからこれからの時代について力強いメッセージが発せられたか・・・でした。
これに対し、「原さん時代からそんなものは無かった・・」この言葉にすべての結果が包含されているように感じます。
各々の理事が考えを持って行動することを嫌い一つの頂を征服することは求めず、その頂を遠く仰ぐだけの運営がすでに終わったにもかかわらず、まだその余韻に漂う意識があるとすれば今回の選挙結果は明らかであったと言えます。

すべての候補が改革を唱え立候補し、この数十年まったく同じことが繰り返されましたが、今回の選挙結果は改革を標榜した候補が当選したら突如守旧派にくっつくという稀有な事態に下された審判だと謙虚に振り返るべきです。

象さんグループの力量は今後の動きではっきりと確認できるでしょうが、たとえ実績は見えなくてもこれからの決意を明確にする姿勢が受け入れられるのは当然でしょう。
彼らのマニフェストが何の変哲もない当然なことを知れば知るほど、我々がこんなこともやらなかったのか!!という印象を持つ会員の選択は明白だといえます。
この現実に対し、いったい今何を案じているのか・・これから何をすればいいのか自問自答すべきは私自身だと痛感しています。

先日、象さんのお父さんに申し上げました。
そろそろ象さんの看板を下ろしませんか??

感情論を含めた対極姿勢が余計な時間的ロスを生じさせ、誰も得をしない構図を招くことを認識し大同につくことを切にお願いをしました。
何から何まで不思議の国JARLが、会員からしっかり見える組織にしたいと願っているのは同じだと信じています。

沖縄・本土復帰記念日

2012年05月17日 | 日記
4月後半から始まった流浪の旅ともいえる慌ただしい時間からきょうやっと解放されました。
昨晩の羽田からの最終便は、ラッシュアワーでもあり管制塔からの離陸許可もままならず大幅に遅れました。

沖縄から始まり、台湾、滋賀、京都、静岡伊豆、東京などと連休を挟みながら旅でしたが、疲れを感じたのは旅の目的がそれぞれ異なり、加えてすべてが楽しいテーマで無い事も原因でした。

その中でも楽しかったことは旅の始まり沖縄訪問でした。
沖縄では多くの方と出会いこれまた大変お世話になりました。
アマチュア無線の仲間とはそう多くお会いしていないのですが、短い時間ながらこれまた大きな意味のあるものでした。

私と沖縄の接点は、随分昔の神戸にあります。
まだ沖縄がアメリカの管理下であったころ沖縄出身の方と知り合いになりました。
もちろん政治とは無縁の単なる一人の沖縄県人でしたが、出稼ぎをしなければならない自身の立場、経済背景から観る貧しい沖縄の現実・・政治的な意味合いの沖縄など私の知らない沖縄を酒を片手に耳を傾けたものでした。
これを機会に興味を抱くことが大きくなった沖縄の歴史や潜在的な問題は私なりに理解しているつもりでしたが、これに加えて最近では沖縄出身の底抜けにおしゃべり大好きなタレントが私のラジオのアシスタントであったこともあり、急激に私の中の沖縄は近くて深いものになりました。

5月15日東京の朝、テレビのニュースが沖縄返還40年の話題を告げていました。
きょうがその日だったんだ・・と迂闊な自分を感じましたが、同時に昭和47年は私は何をしていたのだろうと・・・
そんなことを思い出しながら画面に見入っていました。
私の新鮮な沖縄の記憶はもちろん先月末の沖縄本島の美しい空と海の景色でしたが、潜在的な一番の関心は今でも国内で唯一戦場となった沖縄です。
一人の旅人にとってはあまりにも大きな落差ですが、それでも今回の沖縄では一部空白となっていた自分の中の沖縄をまた一つ埋めることができました。

かなり疲れていたのか目覚めの悪い朝になりましたが、シャックの横にある書棚から久しぶりにCQ出版社刊の「アマチュア無線のあゆみ」日本アマチュア無線連盟50年史の中にある沖縄返還の記述を読み返してみました。
もっと大きな扱いかと思いましたが、意外と少ない情報で驚いたのですが、その458ページに掲載されているたった1枚の写真がKR8ED平良氏のQSLカードです。
KR8に×印がつけられJR6と手書きで書き換えられたカードに当時の沖縄のアマチュア無線の現状は垣間見えるように思えます。

1972年(昭和47年)5月15日は念願の沖縄が本土に復帰した喜ばしい記念日ですが、同時にアマチュア無線にとっても実に記念すべき嬉しい日です。
この日をもって資格制度や諸法規などが本土と同じ扱いになったのですが、記録を見るとJARLはこれを祝い沖縄復帰記念コンテストを実施しています。
しかもJARLは、沖縄の本土復帰の2年前からこれらに備えて連絡事務所を設置し、QSL転送も便宜を図り同胞を迎えるための努力をしています。当然でもありそうだったのかと嬉しい記述に触れることができました。

その記念すべき5月15日午後JARL事務局に出向きました。用件は財政問題解決を進めるためのものでしたが、事務局で真っ先に聞いたのが「きょうは記念すべき沖縄返還40年の節目です・・JARLとしてどんな告知をしたのですか?」の問いかけでした。

答えは予想通り、これらを会員に知らせる意識は巣鴨事務局には無いことでした。
同じことがつい最近もありました。それは東日本大震災1年目の追悼会のことです。
天皇陛下も出席され、新法人となった稲毛新会長もその式典に招かれ出席しています。
その時私が尋ねたことは、今回とまったく同じ思いです。
「新しいJARLの会長が、陛下が出席した追悼会に出たことさえ会員に知らせないのはなぜか?」でした。
これ以上は説明の余地もありませんが、どこか正常な判断や価値観が欠落した状況がJARLの中にあるのではないかと感じるのです。

40年前の上り調子のJARLだからできたという言い訳は詭弁であるように、組織体としてのJARLに欠かすことのできない広報活動の一つ・・いや、心の問題ではないでしょうか!

選挙を終えて図式が大きく変わった現在、権力闘争の綱引きに興味を覚える以前に歴史によって支えられてきたアマチュア無線の一翼を担うJARLがその重みを尊重できないようではあまりにも情けない現状ではありませんか!
私ですら40年目の沖縄復帰を心から喜んでいるのに、会長から生の声でその労苦に報いる意思を表すことができなくて何がJARLなのでしょうか・・・
JARLの弱体や会員かの不信感はどうやら情報発信の手法とその選択の誤りも無関係ではないようです。

選挙戦を終えて

2012年04月25日 | 日記
意外と静かでもあり全く情勢が読みきれない部分が多くあった今回のJARL選挙ですが、告示を受け立候補者が出揃った時点で、掲載されたマニフェストをじっくり読んでみました。
その時点で気になる点を書いてみようと思ったのですが、どんな選挙でも人格を変えるくらい敏感に反応する性質があります。
結果が出てからにしようと思っていたのが今になりました。

候補者に共通しているのは改革と言う合言葉は共通しているのですが、何をもって改革と言うかの、その改革の物差しがそれぞれが随分違っていることに気がつきます。
ただ共通するのは当然ながら集票に有利な表現となっていることです。

その物差しの違いが顕著であり、一番気になったのが前納会員の扱いです。
これは過日の理事会で6月以降の新しいメンバーで最終結論を導くことになりましたが、公約の中身と現実が同期するとは思えないものもあります。
いざこの解決現場に直面したとき、どんな手法でこの難問を解きほぐすのか・・・どのような論法ですべてを納得させることが出来るのか興味深いものがあります。
長年私自身考察してきた内容との乖離部分をどうやれば説明できるのか・・・
要するにそこまで約束できるの?・・と言う思いです。

これまで困難であった改革と言う合言葉がようやく実行できる環境になったのは喜ばしいのですが、財政改革を語るにしても財布の中身を実際に見たことが無い理事候補も多いのです。
ましてや立候補者は財政改革と言うスローガンを掲げることは容易ですが、その実際に触れる機会は少ないはずです。
要するに会計上の数字を見ることはできますが、一番大事なのはこの数字に連動した人の動きや組織の動きがどうなっているかを見ていないと言うところが大きな問題です。

これを知らなければ実際にどこに無駄があるか確認できません。
これが見え無い段階で財政改革の公約を果たすことはできません。
安易な数字の入れ替えや補正で終わるはずもなく、業務作業の実態を見ずして財政改革を語ることのほうがずっと危険であると言えます。

いまのJARL組織は仕事量と職員の配置などにバランスを欠き実に歪な構造になっています。簡単に言えば仕事量の整理や作業の中身を精査せず闇雲に職員の数だけを減らしてきたことです。
改革はこの現状に興味を示し問題点を理解する人たちに課せられた最大の課題です。

余談になりますが選挙前、ある理事から電話がありました「長谷川さんは何故象組みを応援するのか?」質問の意味が判らないので何の話?と聞くと、QSL転送にいつも賛成する・・というのがその根拠のようでした。
そこで答えたことは、「定款にあるQSLの記述や転送規定を読んでみたら分かるが、私はその決め事に一番沿った提案に賛意を表しただけであり、そこに象さんとかを登場させる意図はなに?」と逆に質問しました。
さらに「あなた方はいつも、QSL転送の約束事の中に例外ばかりを持ち出し、導くべき答えを見失っている・・・そこに言い訳にした例外が絡み合って難解な解釈を生んで総会の質問にさえ明快な答えができなかった!いったい何年かけてれば分かりやすい説明ができるの?」これに対しその答えは聞くことが出来ませんでした。

今回理事会のマップが大きく変わりました。勝利者はおごりを抑え、私のようにいまや古手になった乏しい力も繰り出し知恵を出し合って合理的な運営を進める時代を迎えたことは歓迎しています。
私の最大の目標は、いまJARLに残っている負の遺産の中身をしっかり見極めてこの整理を進め、志を掲げた組織運営が会員にはっきり見えるようにすることだと思っています。


「もう一言について」、もう一言

2012年03月17日 | 日記
私からもう一言おつきあいください

> ・コメントを書いた人
> JA1KSO
>
> ・タイトル
> もう一言
>
> ・コメント
> 一昨日腰を痛めてしまい好きなゴルフも暫くできなくなってしまいました。せっかく暖かくなったのに1-2週間リハビリです。

何か無理をなさったのでしょうか・・・1-2週間なら安心しました。お大事になさってください!

> いろいろ議論してもエンドレスになってしまいますので最後?に一言。

語学学習と同じで学ぶことはリピートが基本です。この場は機械的なエンドレスではないと思っています。
繰り返し伺ったことは肝に銘じています。

> JARLの職員の多くはアマチュア無線が好きでその縁の下の力持ちになろうとこの職業を選んできました。
> JARLの発展と安定は理事や会員よりも彼らによる功績が大きいのです。 今JARLの危機は理事会を構成する方々の決定で引き起こされたことなのです。

これには反論が似合わないかもしれませんが、私は相関関係にあったと思っています。確かに有能な職員に支えられてきた歴史は理解できました。しかし職員の功績だけで発展したとは思えないのです。
理事が今最も関心を抱かなければならないことは、近い過去の検証だと思います。
理事会に不足しているのは、温故知新の教えにあるようにアマチュアの世界といえども古きをたずね新しきを知る・・
れによって得られる志しを実行するしか組織を健全にするカンフル剤にならないと思うのです。

> そしてその理事を選んだのも我々会員であり会員も間接的に責任があります。
> しかし、これは国のこの体たらくも議員を選んだ国民にあるというのと同義です。
> いくら国会議員もJARLも代議員制度だあるからといって国や組織を動かすのは政府であり理事会であるのですから直接的責任は理事にありそれを会員に振り向けるのはいかがなものでしょうか。
> ですからここまで財政を逼迫させたのは予算編成をしてそれを承認してきた執行部と理事なのです。
> 理事は理事会の中でその権利を行使し事務局長を通じて適切な業務運営をさせる立場であるはずです。

確かにその通りです・・一つ平行線上にあるのは、理事が責任を取らずに会員にその責めをなすりつけるという部分が、必ずしも私の真意が伝わっていないのではないかと感じます。もう少し考えてみます!

> ところが理事の中には2ヶ月に1度程度巣鴨にやってきては直接職員に怒鳴り叱責する「職務を逸脱する」行為に及ぶ大ばか者がいるんです。
> 挙句の果てには自分たちの失政なのに無関係な職員の待遇を更に引き下げようというのですから呆れてしまいます。

そんな話が伝わっていますか?知らないのは正に当事者以外の理事でしょう・・・

> 長谷川さんはご承知だと思いますがJARL職員の待遇は実に低いんです。 多分世間一般の同規模の組織や一般会社に比べても30%以上も低いと思います。
> 自分達の失政で財政をここまで逼迫させてきたのに、その立場でもない理事が直接職員を叱責などを繰り返せば今まで頑張ってきた職員がどんどん辞めていってしまいます。
> 事実、理事の強引な給与削減要求に対して「冗談じゃねえや!」と言って辞めていった職員も居ます。そしてまた一人、二人と実際に組織を運営している職員が去っていっています。

KSOさんが職員の給与を知っていて理事全員が誰も知らない、監事も知らない・・・実に奇妙な組織ではありませんか、悲しいJARLの現状です・・・
高い安いの議論以前にあまりにも不自然なことです。

> 彼らが居なくなったらJARLはただのQSLビューロ以上でも以下でもなくなってしまいますよ。

> ぜひ理事としてこういう視点にも立って組織運営をしていただきたいと思います。

必ずしもそうではないと信じ頑張りますが、言わんとすることはよく判っているつもりです。
色々ありがとうございました。


一挙に!

2012年03月17日 | 日記
このblogがいつのまにかKSO対HXJ論争になった感があります。
言いたいことが一杯あるのに思いを文字にして訴えるという行為に高いハードルを感じる方も多いと思います。
これだけ文字数が多くなると読む気がしないという声も確かに聞こえます・・・
某掲示板に似たトイレの落書も時々見られますが、これも今のアマチュア無線界を表しているようでやがて歴史の参考資料となると思っています。

お前の意見は抽象的だからもっと具体的なことを書け!と言われることがあります。よく読んでもらえれば必ずしもそうでもないのですが、箇条書きで意思を伝えることが困難です。
褒めるつもりはありませんが、ここに現れるJA1KSO氏の論旨はかなり論理的です。よろしくないのは逃げ場のない追い込み論法ですから人によっては逃げ込む隙がなく寡黙になるか、不快だからという感情論だけで排除するちからになるのが気になるところです。

私の感想は徐々にコントロールを定めて投げ込んでくるピッチャーのように、打者を見極めて配球する頭の姿がうかがえます。
タジタジになりながらこの剛速球を必死に受け留めようとしますが、グラブの中の手は真っ赤に腫れ上がっています。
簡単に言えばこの球を受けるキャッチャーがJARLには居ないという指摘だと思いますが、確かに高校球児のような白球にがむしゃらに襲い掛かる精神は少ないと感じます。

現状を話すと、手厳しい意見が飛出しますが、理解できることと実行することは異質のものです。大抵の人は、分かりました・・といいますが、出来るということの約束をしません。
さらに悪いのは分かろうとしない人が居ることが問題です。
ただ、分かったことができる環境はそう簡単にができないのです・・

抽象的な論争を避けるために再びご意見を引用させていただきます!

> ・コメントを書いた人
> JA1KSO
>
> ・タイトル
> 朝から過激で失礼
>
> ・コメント
> 長谷川さんの書き込みを読んでいると理事会というものが魑魅魍魎とした世界で会長の力が絶大のようにも聞こえます。
> JARLの歴史において会長の力が目立ってきたのは実は極最近のことなのです。
> 梶井会長の時代には会長の力など殆ど目立たず、田母上理事、藤尾理事そして原理事にはそれ以上の力を感じました。
> そして村井理事の時代は原さんの力が目立ち始めました。

時系列的な人的推移は承知しています。ただこれも人が絡む組織の中の均衡の一つで決まる法則だと思いますが、梶井さんが会長に就任した時の決意と挨拶を文字として見る機会がありましたが、見識のある共感を覚える名文でした。
他の方がどのような記録を残したのか知りませんが、ビジョンを掲げ、志しを示すリーダーを選ぶことの重要性を学びました。

> JARLはれっきとした民主的な組織であり、イラクやリビアのような国家体制とは大きく異なるのです。

私は、イラクやリビアに行ったことがありません。仕事がら求めれば比較的情報を得やすい立場にありますが、求めなければ何も分からない平均的な人間です。
分かりやすい例えを示したのだと思いますが、イラクもリビアも為政者は民主的な国家だというでしょう!
JARLほど民主的な組織はないというのが原さんでした。
総会で何の制限もなく自由に発言できる機会を与えていることは民主的そのものだ、という話ですがその出所は主管庁のお役人だそうで、これは褒められているのではないと思わず苦笑でした。
私は、外から見えるイラクやリビアを語るのではなく組織の中に居ながら最低限のレポートをしているわけです。
戦場にいるカメラマンと、外から見える景色の違いは大きく、すれ違いを起こしているのかもしれません。


> そして事務局の位置づけもただ言われたことだけをやるのではなく積極的に会員の声を拾いそれを理事会にさえ反映させてきたのです。

良き時代のJARLですね!そうではない今を時々話題にしなければなりません。

> JARLが狂いだしたのは養成講習会、認定という金を手にした頃からでした。
> まあ、人間社会ですからそこに自由に出来る金が見えてくると良からぬ考えを持つ人が現れても不思議ではありません。
> そこに純然とアマチュア無線を楽しむ会員との間でギャップが生まれてきたのです。

ということは、利権に群がる組織になったから狂ったということでしょうか・・・
この論争に安易に入るわけにはいきませんが、私が経験した範囲でもお伝えしても確かにはばかるような大きな問題が多数あります。
これを挙げて、養成講習や認定というものを直ちに悪と断定できない背景があります。苦しい抗弁かもしれませんが理念は良かったのですが、運用の基本である魂が欠落し、性善説のお人よし運営の間隙をぬった力が働いた悲劇だったと感じます。
つまりこれに群がった意図のある関係者を寄せ付けないシステム構築に瑕疵があったのです。
純然とアマチュア無線を楽しむ勢力とは確かに一線を画す出来事でした。
私がお手伝いしたことは、組織の防衛であったのですがあまりにも複雑な経緯に話の糸口に戸惑います。

> JARLの理事、特に地方本部長の中にはいったいこの人達は理事という職責を理解して立候補したのか?というレベルの人も多く、そういう人でさえ理事会においては一票を投じる権利が与えられていることです。
> 某理事がある議題で賛成票を投じたので、何故だ!と問い詰めたらなんと「地方にいたら全く巣鴨が見えず会長から説明があればそれに従う」との答え。
> これでは理事会において会長の力が絶大になって当然なのです。
> 逆に見れば会長の力が絶大ではなく他の理事のレベルが理事として適切ではないだけのことなのです。

特に地方本部長の中だけですか????これは正確に観察できていないように感じます。
選挙で選ばれた理事ですから一票を投じる権利があるのは当然です。
地方からは巣鴨が見えないから、会長説明に従う・・・と答える理事がいるのはこれまた当然です。そういうシステムが暗黙のうちに出来たのですから・・・

私が理事会ですさまじい叱責を受けたのは、事務的に出される議案について「理事会はいつの間にか水面下で決められた議案を追認するだけになっている!第1理事会はどこで開催しているのだ!」これに対し烈火のごとくお叱りを受けました。
実際はお叱り程度ではなく、「地方から2か月に一度東京に来て何が分かる・・そういうなら毎日ここに来て苦労している多くの人を見ろ!」と言われたのです。
そうなれば闘志が湧きます。私は「では、毎日ここに来るので準備してください・・」
すると、「まあまあ、長谷川さん・・喧嘩は止めましょう・・」と、その言ったご本人が仲裁に入るというお芝居みたいな光景でした。
関西人の私から言えば「喧嘩を売ってきたんは誰やねん・・」と居直りたくなる内容でしたが、助っ人もなくこれに対する意見もなく孤立無援の世界でした。録音も存在するJARL実話です。

> ここで長谷川さんが書いた文章から見れば長谷川さんも永らくそういうレベルの地方本部長兼理事だったことが伺えます。

イラク、リビアの例えですね・・・中を見ずにそういう偏光グラスで語るのは嬉しくありません。私は変わっていませんから永らくというのは間違いで、どうせ言うなら今も変わっていませんねといわれる方が闘志がわきます。

> JARLの歴史に於いては個人で果敢に立ち向かった理事は結構居るものです。 しかし、問題は他のノンポリ理事の存在でした。 無線の重要事項も知らず、自らも会員の意識さえ感じ取れない理事が選挙のたびに組織改革だの権益獲得などを選挙公報で語るという姿を見て会員はこんな組織に期待などするわけはないでしょう。

選んだのは会員です。選んだ会員が期待しないというのはどういうことですか?
いつの時代も、ノンポリの存在に悩むのです。この言葉に闘志を燃やしていた学生時代を思い出します。
選挙で立派な約束を掲げることに非難はできません。前述のように理解することと実行することは違います。
期待できない候補なら落とせばいいことです。
それができない不文律が存在したのではないかとうことも考える機会ではありませんか。

> 私は別にいわゆる象さんグループの理事を支持してる立場ではありません。 逆に彼らの無線に対する考え方はある目的に偏っておりある意味では原さんのほうがバランスがとれていると感じます。 象さんグループの理事も殆ど何もJARLの内情も理解しようとせずにヒステリックに声を荒げる姿勢は評価できるレベルではありません。
> しかし、これはその人物への評価であり、提案された事項には何らかかわりが在るわけではありません。

選挙中でもあり、当事者の利害に絡む話は相応しくありませんが、象さんがある目的に偏っているというならアマチュア無線を楽しみたいという人は私も含めてみんな偏っています。私から言わせればKSOさんなどはその横綱級ですから他を寄せ付けません。
この偏りが個性であり、アマチュア無線を盛り上げてきたのではありませんか?
象さんにエールを送るものではありませんが、ヒステリックといえば大関の象さんを上回るKSOさんはこれも横綱でしょう。
私は小結くらいだと思っています。

> 前回の理事会で、アマチュア無線包括免許の実現を目指す提案に対して「象さんアレルギー」でその目的に賛成をしなかった「バカ」理事がいたということを聞いて唖然としました。あえてここで口汚く「バカ」理事と称したのに反論がある人はいつでもどうぞ。
> そう対応した理事には、理事もアマチュア無線も辞めて頂きたいと思うだけです。 公人としての素養もない人間としか思えません。

私を含めて馬鹿理事への評価は甘んじて受けます。まったく同意見なのは、あいつが出す議案だから無視しろがあるならそんな理事は即刻退場することです。私の心のどこかにもこのようないびつな感情が存在しているのかもしれませんが、JARLの未来を語る場に持ち込むことは断じて容認出来ないことです。
アマチュア無線のための包括免許は、精査しながら取り組む必要は強く感じます。

> 長谷川さん、理事に「自ら望んで」理事になれた以上、弱気や泣き言は結構です。そしてJARL財政問題に集中してるから他のことには・・・などという姿勢は見せていただきたくないのです。 あれもこれもやるのが理事であり、そういう意味では原さんはなんでもやってきたからこそあの地位に居たわけです。
> 彼を超えられないような理事にJARLを変えていけるのでしょうか。

私の言質が弱気や泣き言と結び付けるなら、もっといじめがいのあるところに持ち込んでください。
ただ報告という範疇の内容に、すべての思いを照らし合わせることに配慮してください。
KSOさんによって炎上するくらいのblogなら、最初からやりません。
何度も言いますがアマチュア無線はどんなことにも果敢に取り組めばいいのです。それをやってもらえるフィールドを提供するためにJARLがあるのだと信じ進んでいます。
ただあなたの言う何でもやってきた原さんへの賞賛と、内部で私が進めている現実とは落差があまりにも大きいのです。
原さんを超える理事という意味については、おそらく見解が異なります。
越えなければなし得ない事実もありますが、越えてならないことを知りながら進めるのも新しい姿だと思います。

一度イラクとリビアにご一緒して、お互いが抱いているイメージとのその国の実際を照らし合わせれば短い文章で分かりやすく読みやすいものになるかもしれませんね。


「できっこない」の魔術

2012年03月15日 | 日記
包括免許に対するJARLの公式な見解は「不可能」という断定から「不可能と思える」という表現に変化した程度の進化であったと思います。早く言えば何も変わっていないということです。
JARLとしては王道を歩むような当然の見解として今も存在します。
包括免許を求める声に対し「できっこない・・」というスタンスから一度も抜け出したことがなく、最低限の課題「日本に特化したアマチュアのための包括免許」が可能なのかを話す機会さえ一蹴してきた感があります。
確かに、制度上の縛りから見る範囲では、アメリカに準じた包括免許は不可能だという理由は一番説得力があるものでした。

自ら勝ち取るものが無く、外からの力により変えられてきた日本の姿が多くみられます。
戦後の日本の歴史に観るまでもなくそう感じる方も多いと思います。
黎明期のアマチュアは、実に無謀ともいえる果敢な挑戦を続け、それを実現しながら今日に至っています。この時代の個々の力がグループを作り今のJARLの形を作りました。私もこの先人の努力の恩恵を受けている一人です。

それがいつの間にか、JARLの中にあまりにも出来ない理由を先に示すという悪しき慣習が蔓延しました。
いつからそうなったのだ?と言われれば、それこそ長期にわたる固定した価値観が疲弊を生んだのは間違いないと思います。
すべてたった一人で外との交渉事を努め、献身的に歩き続けたリーダーの足跡がきちんと成果として残されている部分もありました。
これ以上は釈迦に説法になるのですが、そのうちワンウェイ的な情報の伝達システムが老朽化してきたことも原因だった思うのです。
この補正作業が現在であり困難を極めていますが、私の心境はうるう年の今年のように一日でも多くの時間が欲しいところです。

私が財政の改善についての話に触れると、レベルが低いとか匿名氏による品の無い罵声が届きますが、内なる努力にさえ協力が得られず、ましてや外に対する大きな課題への取り組みさえも理事会でプロテクトがかかるのではまさに八方塞がりです。
こんな状況を会員の皆さんは本当に求めているのだろうか・・・と不思議に思えることも多々あります。
今できることは、多くの方々の意見に触れ、その本質を細心の注意を払いながら聞き取りたい思っています。
「できっこない」という歴史を再度検証し修正を加えながら、まずは議論の入り口に手をかける決意を得られたこととその扉に手がかかったことはありがたいことだと思っています。

今のJARLは、離れ小島状態です・・新しい定款でも従来と何も変わらず会長の権限が絶大です。
これは運営に大きく影響し、対岸への渡し船を増やすのか、このまま島の中でこれまでの価値観を守り通すのか、その声ですべてが決まります。
会長がイエスと言ってNOとなることがなく、その逆であっても、新しい組織としては好ましくありません。
皆さんのご意見に触れると、やはりこの離れ小島から船を出し、求める姿勢と何が起こっているのか知らせることへの転換が求められていることがわかります。

情報を出せば、抗議や意見に翻弄させられるという事務局の怯えもうかがえます。
この意識が知っていても、知らせないという体質にすっかり変化してしまったのではないかと思えます。
すでに、対岸(外の環境)は大きく変わっているのに、鎖国政策を続けた時代のような頑なな取り組みでは今後大きな禍根を残します。
このblogでも指摘のあった、5Mhzの問題、すでに手遅れになった感のある屋外線利用のPLCの大問題・・
そして今水面下で動いている準天頂衛星とアマチュアバンドとの兼ね合いなど、私自身うかつだったと認める部分もあり、すべて外の世界の出来事とはいえ切実な課題ばかりです。

対岸の変化に気がつかなかったのか、気がつかなかったふりをしていたのか、積極的にこれらの中に飛び込む姿勢を放棄してきたのではないかと自問自答しています。
そこにJARLとしての本質的な存在の価値があるという指摘も多く、素直に耳を傾けています。

現在のアマチュア無線制度を鎖国してまでも守りつづけるなどという価値を議論するものでもありません。
外の問題への対応も去ることながら、アマチュアのための包括免許議論は少なくとも内なる意識から動き出す絶好の題材であり価値ある機会です。
これまで私が主張してきた、内なるものと外なるものの明確な区別による作業と、その内容を理解しやすく知らせる重要性とつながるものだと確信しています。

どうやら組織としてこれらの分析と優先順位の見極めが欠落し、施策が求めるものと異なっているのでしょうね!
その結果議論の放棄となるのは、この物差しがいつの間にかずれてしまったのだと思います。

アマチュア無線の包括免許制度

2012年03月12日 | 日記
世界中が喪に服した昨日は語り継ぐべき日になりました。
日本だけでなく地球上の「心」が集結し大きな法事が行われたと思っています。
このつながりの意識はアマチュア無線の世界にも共通していると思っていましたが、このところは必ずしもそうではないようですね。
哀悼の意を表する短い静かな時間を経て、また新しい話題に入りたいと思います。

先日、関西地方本部会議を開催しました。
関西は誰も私が地方本部長であるから尊敬しているわけでもなく、ましてや大事にするのでもなく単なるおっさん扱いです。
おっさんに違いないのでさしてこだわりませんが、それに連動して問題提起は実にすさまじいのです。

答えが出なければ、会場を移し延長戦に入るのですが、今回の強烈な提案は「アマチュア無線の包括免許制度」についてでした。
代表社員が多く居る場での問いかけで、重要な問題提起でしたが嬉しいことは古いアマチュアから「それは無理だ!」声が上がらないことです。
実は以前から私の頭の中にもやもやと残っていた課題でした。

前回の理事会で協議事項として包括免許導入について委員会を設置しろいう提案をだしたのはM理事です。
JARL・WEB上の速報は以下のように書かれています。
3.理事からの提案について
(1) 包括免許制度の導入についての検討委員会の設置の提案
包括免許制度の導入を図るため、理事からJARL 内に検討委員会等を設置する提案が
あった。
包括免許については、その必要性の説明、包括免許とした場合であっても電波監理上
支障が生じないことの証明や国内で無線局免許がある局が1億3 千万局の無線局が存在
しており、これらの無線局や放送の通信の妨害がないことを実証しなければ、実現され
るものではないと説明があった。
もう一つの考えとしては、各無線機が証明を得ている技術基準適合証明の範囲内での
包括は交渉の余地があるのではないかとの意見もあった。
このように包括免許の実現の見込みは極めて薄く、委員会を設置して取り上げるので
はなく、理事会において今後どのような扱いにするかを検討することとした。

包括免許については、私自身昭和39年の開局以来叩き込まれた「できない理由」を得意げに語っていた時代があります。
もちろん感情論をはさまない実に見事な説明ですから、他を寄せ付けるモノではありません。
それはある意味、新人に対する優越感のように、そんなことも知らないのか!!という驕りであったかもしれません。
簡単に言えば、現行法上の解釈の受け売りであったのですが、この議論の領域から出た歴史も出ようとした話題もJARLの中には存在しません。
昨年来少し疑問に感じ出した理由は、JARL財政上のバランスをとる機会をいただいたなかで多くのヒントを得たことにあります。
それは、アマチュア側内部から真剣に考える機会を見出し、自らが議論に参入してきたものが少ないということに気が付いたことです。

法律上のできない強固な論理が、できることを望む素朴な願いを駆逐すれば永遠に進歩はありません。
出来ない理由は、私の中に三つ児の魂のように存在し、今位に至ってきましたが、改革の一つとしアマチュアそれぞれが個々に動いた多くの事例を知ることも組織として大事であることは認めざるをえません。

内輪からの批判ととられるのは望んでいませんが、私が無知なのかできない理由を淡々と述べるのが有能なのかを議論するつもりではありませんが、記載されている「その必要性の説明、包括免許とした場合であっても電波監理上支障が生じないことの証明や国内で無線局免許がある局が1億3 千万局の無線局が存在しており、これらの無線局や放送の通信の妨害がないことを実証しなければ、実現されるものではないと説明があった。」という説明を一瞬に理解できる会員がどのくらいいるのでしょう・・
身内ながら何度も読み直しましたが、完全に咀嚼されていません。

今回ご意見としていただいた、具体的な事例は単なる一つの成果の羅列ではなく、すべてが連鎖しており未来につながるものだと私も感じます。
いつも言うようにできない理由を大声で告げるより、できる可能性について小声でもいいから話し合うことを忘れてはならないと思っています。
これを機会に関西は、アマチュアのためのアマチュアによる包括免許のついて学習と実現に向かって動き出すことを宣言します。

ある理事が私に耳打ちしてくれました・・「長谷川さん・・選挙に通りたければ包括免許を宣言すればいい・・」
なるほど!と感心しますが、私は現代風の政治家ではありません。
参考にさせていただきますが、この挑戦は真面目で真剣なものです。
今年のKANHAMではこの声を一つの力に育て上げたいと思っています。いっしょに勉強しませんか?


震災支援無線機

2012年03月11日 | 日記
東日本大震災からちょうど1年を迎えました。
改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞い申し上げます。
連日の報道でも追悼の番組や復興のつち音を伝える映像が伝えられています。

17年前の阪神大震災は、私自身その真っただ中にいました。
比較的被害の程度が軽微であったため、巣鴨から依頼を受け、非常通信や生活支援のための無線局運営、そしてボランティアの取りまとめとしてお手伝いすることになりました。
当時神戸からお隣の大阪に入るには、半日以上を要するまさに分断された陸の孤島状態でした。

直後JAIAから支援を受け提供されたハンディ機は300台をはるかに超え、加えて固定器の無線機を含めると相当な数になりました。
そのセッティングのため関西地方事務局に入ることにしましたが、電車を使うと兵庫県の北部を経由して京都を回るルートでも早くて8時間、車は緊急車両優先でいつ目的地に着くか全く予想がつかない状況でした。
そこで車庫に眠っていたバイクを引き出し、急きょ整備し大阪に向かいました。
市内にはすでにガソリンもなく、片道切符でただ目的地にたどりつくことを願っての道のりでした。

道中、倒れた家が道路を消し去り、申し訳ないと詫びながらぺちゃんこになった瓦屋根をバイクで越え寒風の中を走りました。
ドミノ倒しのようにすべて同じ方向に倒れた家並みや、すべて燃え尽きた町に手を差し伸べることもできず、鼻水と涙でかすむ目を凝らしながらの大阪を目指したことが昨日のように思い出されます。

当時JARLにはまだ地方事務局が存在し機能していました。
各地から支援を受けた乾電池も届き、各メーカーから提供されたトランシーバに電池を詰め、周波数をセットし、口頭で免許を受けた無線局は8J3AAAから始まる330局・・・すべてが異例の始まりでした。

これらの無線機の配布には苦労が伴いましたが、兵庫県支部役員の献身的な努力で基地局を含めたネットワークが構築されました。
この非常用の無線局は、神戸の地形に合わせ北と南、東と西をそれぞれ結び無駄なく活用されました。
45日間、延べ1万人を超えるアマチュアボランティアの方々の力は想像以上で、私の生涯の中でもっとも大きな感謝の日々になりました。
役目はを終えた無縁機は、物理的に回収できなかったもの以外はすべてJARL本部に返却し、その後中国雲南省地震災害時などの支援物資として役立ちました。すべての記録は段ボール箱で数箱に達し手元に残っています。

今回東日本大震災発生直後、同様にJAIAや他のメーカーから提供された無線機は最新式の200台・・・!
私も巣鴨事務局で、機器の引き取りや電池づめのお手伝いをしました。
この3月末をもってその支援活動が終わるようですが、この無線機がどのような使い方をされたのか非常に興味を抱いています。
残念ながら、誰がどこに配置し、どのように使われたのかがほとんど伝わってきません。不思議に感じます。

阪神大震災で稼働した330局の活動はすべてのログ、支援物資の流通ノート、基地局と端末を結ぶ伝送経路やネットワークの詳細についてきちんと報告がなされています。
先日の理事会でも、東日本大震災におけるこれら無線機の使われ方について質問がありましたが、今一つ見えないところが気になるところです。

やがて来る、南海、東南海地震に備えなければならない我が地方ですが、これらの教訓を活かしながら過去の苦い経験を近い未来への備えにしたいと思っています。