高楊枝MIND

『武士は食わねど高楊枝』 そんな気概をもって生きて行きたいです。

グループホーム 鍵をかける?かけない?どっちが正しい?

2012年07月16日 18時52分45秒 | 仕事
同僚に勧められてテレビの再放送を見た。

NHKでやっていたプロフェッショナル仕事の流儀という奴で、「あの和田行男さんが出ているので見てみたら」と言われた。

グループホームの人なんかにとっては、カリスマ的人らしい。東京には、ミニ和田さんがたくさんいると言う…

あんま、家で仕事のことを考えるのは好きじゃない私(影響受け易いのもあるけど…)は、あまりに言われるので、申し訳ないですが、いやいや拝見させて頂きました。


(視聴)…・…・…・…


とても、よろしい番組かと思います…



でも、気になるところが少し…



所々で、煙草を吸って考えにふける和田さんはいいとしても…
どうも鍵をかけているグループホームが遅れている…と言うか、旧態依然としたイメージを植え付けられている感が解せない。


「鍵を閉めている」「鍵を閉めていない」は、そうたいした問題じゃあなくて、支援をどう考えているかが問題だと思う。



『鍵をかけていなくて、いつでも職員がついて行ける体制を引いている!』

素晴らしい!


けど、毎回外出について行って、認知症の人が疲れたり、困惑しているところで、「やあ!○○さんどうしたの?一緒に帰ろうか!」って…

そんな同じことを何度も何度も繰り返しやるんだったら意味がない。


それは、場当たり的な支援だと思う。

その場限りで、なんの解決にもならない。

自由にしてますよ!と言う事業所の自己満足…


…・…言い過ぎですね。

体制を引いているのは素晴らしいですかね。

職員はきついけど…



和田さんもテレビで言っていた。
「家のホームが嫌だから出て行くのがわかった」と…


ここを考えないで、単に毎日毎日「認知症の人が出て行くんで一緒に出ます」って言うのは頂けないし、人員が間に合わないし、職員は疲弊するでしょう。


鍵を閉めていても、訴えが強い場合は、外に出られる仕組みがあれば良いと思う。
大事なのは、なんで「帰る!」と言う行動になったのかを考えることだと思う。

プロなら、「帰る!」と言う前に支援する。
原因を考えようとする。

いくら、鍵を開けていても、ただついて行くだけの支援をしているのであれば、意味がない。
単なる、職員を疲弊させるだけの作業。


そこが大事なのに、鍵を開ける開けないが注目され過ぎてて、少し変だと思った。


勿論「安全の為に鍵をかけています!」と、それだけで、何も考えていない旧態依然の事業所はアウトだ。

しかし、「鍵をかけないで、いつでも職員がついていきます!」で、何も考えていない事業所もどうかと思う。



とは言え、和田さんの真意がわかっているのなら良いけど、これは、一般の人も見るんだろうなあ…

一般の人じゃあなくても和田さんの影響か、小さい和田さんがいるという。


真意のわからない小さい和田さんは危険。このテレビをみようもんなら…


ましてや、一般の人だったら、どう映ったんだろうか…




鍵をかけているけど、頑張っているグループホームはたくさんあると思うんだけどなあ…



しかし、それにしても、和田さんに注目するあまりに、職員が全然出ていないのが、なんだかな…まるで、一人で介護しているみたいだった…