高楊枝MIND

『武士は食わねど高楊枝』 そんな気概をもって生きて行きたいです。

終戦記念日 平成22年 戦後の矛盾

2010年08月15日 05時45分29秒 | 
終戦記念日です。今年も様々に戦争が語られていく。


決して、戦争を美化したいと言う思いはないし、自虐的にも捉えていない。
国家間の話し合いの延長線上にある政治的手法の1つとして「戦争」があると考えるから。

勿論できれば、戦争は回避したい。

当時の日本政府は、戦争を回避しようとしていた。当時の新聞を読むと戦争を多くの国民が支持していたのは、よくわかる。勿論、反対もあっただろうし、反対と言いづらい空気もあったとは思う…。反対派が多ければ暴動もあるだろう。しかし、当時は、特に大きな暴動はなく、「戦争反対」は、日本人の大勢の意見ではなかったのだろう。大くの国民の支持の元に、日本政府は戦争に突入していく。



そして、敗戦…



戦後、生き残った者たちが、占領下の影響か、戦後の解放感か

「軍部が勝手におこなった」
「私は戦争なんか支持していなかった」と言う。

そのようなことがあっただろうし、そんな人もいただろう。ましてや、戦争を好む人はいない。できれば、したくないと考えるのが普通だと思う。
追いつめられた日本の置かれた背景のもとで戦争は、国民も政府もやむなく突入せざるを得なかったのだと思う。




敗戦後、連合軍の占領は終了したが、引き続き日米安保によるアメリカ軍による軍事的占領が続いている。戦後の日本は、様々な矛盾が解決できずにいる。

沖縄の米軍基地
従軍慰安婦
自衛隊
靖国参拝や合祀のこと
日の丸君が代  ……………
最近は、韓国併合100年への政府の発言なんかも矛盾だと思う。


日本として、日本人として、今も尚、先の戦争を解釈、解決できていないことが最大の問題。


他の国々が自身で、自身の歴史として戦争を解釈するのはそれでよい。あくまで、日本人としての先の大戦の解釈、解決ができていない。

日本人としての、先の戦争に対する立ち位地ができていない。

政治家の発言のブレは、日本人のブレ。


いつの間にか、その場その場でやり過ごしてきた既成事実が、まことしやかに事実のように語られて行く…。




日本のために戦い亡くなって行った多くの日本人たちは、今をどう見ているのだろうか。