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コメント顔文字はNGです。
文字化けしたり、跳ねられたりします…

VOVとの10年 その10  「ホームとしてのVOV」

2009-08-19 11:50:25 | ゴスペル
そろそろ、ネタが尽きてきたみたい
たぶん、これが最終回になります。

VOVメンバーとして嬉しく思うことはたくさんありますが、
そのうちの大きな一つは、VOVをホームとして、
多くの、主にあるゴスペルディレクターやシンガーたちが
育っていったことです。

10年前VOVが生まれたときには、
ほぼ全てのメンバーがゴスペル初心者でした。
数年たち、クワイアが成長していく中で、
ゴスペルの働きに自分の人生を投入し、
VOVを飛び出して、この地域の教会を中心に、
ゴスペルを広めていくメンバーが、次々に現れました。

VOVを飛び出したといっても、袂を分かったわけではありません。
今でも、VOVのメンバー・スタッフとして働きを続けながら、
それぞれに与えられた神様の導きを感謝し、
認め合いつつ、歩んでいます

その他の多くのメンバーにとっても、
VOVはまるで、大きな家族のような存在ではないかと思います。
自分を、そのままで受け止めてもらえて、
その存在を喜んでもらえる、「ホーム」としてのクワイア。
私たちは、ゴスペルの音楽や歌詞内容に癒されているだけではなく、
ホームとしてのVOVから、安らぎや力を得ているのだと思います。

とはいえ、何しろ大所帯ですから、
いろんな価値観を持った者同士、ぶつかることは多々あります・・・



VOVが大切にしているゴスペルの曲は多くあります。
特に、5周年以降は、毎年テーマ聖句とテーマ曲を掲げて、
それを意識しながら歌うということをしてきました。
そのうちの一つに、I Need You To Surviveという曲があります。

日本語でも歌われているので、ご紹介します。



*****


ともに生きよう 神のからだとして
手と手をつないで 一つになってゆこう
全てを満たす 神の愛で
たいせつな君と 歩んでいこう

互いに祈ろう 君を愛している
傷つけることはしない ともに生きていこう


*****



この曲を作ったのは、ヘゼカイヤ・ウォーカー。
アメリカ黒人教会の牧師であり、ゴスペルの作詞作曲家として
多くのCDを出すなど、大変活躍している人です。
教会の中に、彼がとても苦手と感じる人がいましたが、
その相手が、あの9.11のテロ事件で亡くなってしまいました。

その時彼は、あることに気がつきました。
その人が、ヘゼカイヤにとってとても大切な存在で、
その人から自分自身の愛の足りなさや、いろんな事を学んだ事に。

「あなたがたはキリストのからだであって、
ひとりひとりは各器官なのです」と聖書は語ります。(第1コリ12・27)

誰一人、必要ない存在などありません。
全ての人が必要な存在で、神様がその人を目的をもって造られたということ。
そのことを認め合って生きていきたい。
自分にとって、どんな苦手と感じる相手であっても、
神様の愛で許しあって歩んでいきたい。

「I Need You To Survive(あなたに生きていてほしい)」また、
「I Need You To Survive(私が生きるためにあなたが必要だ)」と、
願いつつこの歌を歌えるなら、本当の意味のOne Voiceが達成できるでしょう。



You Tubeに、この歌をTPWが賛美している映像があったので、貼り付けます。
東京で行われたJapan Fireかな・・・?知った顔もちらほら。

I Need You To Survive


VOVとの10年 その9   「自主運営型クワイアであるということ」

2009-08-18 21:03:40 | ゴスペル
VOVのユニークな点の一つとして、
「自主運営型」であるということが挙げられると思います。

クワイアの形態として一般的なのは、
キリスト教会や、文化教室などが主催するものだと思います。
VOVの場合、主催は、そのメンバー自身です。
毎年一回行われる年次総会で、スタッフや予算が承認され、
月に一度、運営スタッフミーティングが行われて、
すべての物事が進められています。

いろんなスタッフがいますが、スタッフだけでも、
一人前のクワイアが出来そうなくらいの人数・・・4,50人はいます。
毎月のミーティングには、その全員が出席するわけではありませんが、
それでも、少なくとも20人くらいは必ず出席し、わいわい賑やかに楽しく
コーヒー飲んだり、ブランチ食べたり、祈ったり、
賛美したり、笑ったり、決めごとをしたり、食べたり飲んだり・・・しています

ゴスペル自体の魅力もさることながら、
VOVがこんなにもメンバーに愛されているのは、
「自分たちが作り上げている」クワイアだからなのかな、と思います。

スタッフだけでも数十人いるので、
面白い意見やアイデアがどんどん飛び出します。
それが形になっていくのを、いつもワクワクしながら眺めています

人がたくさんいるって、本当に素晴らしいことだな~と思います。
神様は、すべての人に、それぞれ賜物を与えてくださっているので、
「自分のそれをVOVのために使ってほしい」と願う人がどんどん現れて、
今のVOVになったんだな~とつくづく思います。

自主運営型だからこそ、悩み葛藤してきた部分も多いです。
前回まで書いてきたChristianityについてのことなどは、特にそうでしょう。
メンバー同士で、対立することも少なくありませんでしたが、
そんな中でも、分裂することなく10年も続けてこれたのは、
ゴスペルを愛するということで一致しているからなのでしょうね






VOVとの10年 その8 「Christianity 5  現在、そしてこれから」

2009-08-17 14:25:08 | ゴスペル
前回の記事で、Christianityについては最後にしようと思ったんですが、
あれでは片手落ちだと気づいたため、もう1回だけ書くことにしました。
最後にアップした「jun-chanのGS」は、5年近くも前に書かれたもので、
その後、VOVのChristianityに対する意識は随分変化しているからです。

実は、過去の自分の文章をブログにアップしながら、
本当に妙な違和感を絶えず感じていました。
現在のVOVは、教会で賛美するときに
「あなたはクリスチャンですか」と問われることに対して
数年前ほどの拒否反応を示すことは、恐らく無いと思います。
その頃は、一部の教会やクリスチャンたちの、VOVに対する批難の声を
実際に聞いていたり、christianityが原因でVOVを離れていく
メンバーがあまりにも多くいたために、
かなり敏感に反応していた部分がありました。


*******


VOVの10年を、かなり大雑把に捉えるなら、
最初の5年間は、クリスチャンたちの伝道意識が強すぎたために、
メンバーの中で対立し、また、教会VSゴスペルのような事態になりました。
その後の5年間は、信仰による立場の違いを乗り越えて、
お互いを理解し、愛し合うことを強調したために、対立は少なくなりました。
しかし、信仰について「悩む」ということが少なくなったことについては
果たして良かったのだろうか?と思うわけです。

Uooの所属教会のI牧師より、このブログの感想をメール頂きました。
転載の許可を得たので、抜粋しつつ以下ご紹介します。


****以下メールの転載(1)****

「VOVとの10年 その7」という中で、
VOVのメンバーにクリスチャンかどうかを尋ねたことに、
『これらの問いについて、皆さんはどう感じますか。
教会に行ってゴスペルを歌うとき、自分がクリスチャンであるかを問われる事。
それは、「クリスチャンでない自分は、やはりゴスペルを歌うべきでは
無いのだ」と感じることにはなりませんか。』
という一節がありました。

実は、この文章を読むまで、もう少し軽く考えていて、
そんなに深刻なことであるとは思っていませんでしたし、
実際ゴスペルを歌う人たちがそんなにこの質問を深刻に感じておられるとは、
今でも十分に想像できないのです。
でも、こういう議論がVOVの中でも長い年月かかって考えられてきたという事と、
「地域教会への手紙」を送られるのに4年間かかった、ということを鑑みて、
僕の無知と鈍感さをお許し願いたいと思います。

でも、もうひとつの面から考えたら、こういうことにならないかなと
思ったことがあります。
クリスチャンたちが、「VOVのメンバーにクリスチャンかどうかを尋ねること」
の動機や真意が、『クリスチャンは日本ではあまりに少ないので、
ゴスペルを歌おうとされる方々はクリスチャンかも知れない』
という希望と喜びで聞いてしまうという場合です。

おっしゃるように、これまでの教会の発想の中で、
クリスチャンがノンクリスチャンを「救われていない人」という、
一種の見下した視点をもつことは多く有りました。
この事は本当に恥じなければならないことですし、
主がお喜びになる事ではないでしょう。

しかし、前述の動機そのものなら、
そんなに悪いことではないように感じられます。
もちろんこのことが、ノンクリスチャンにとって厳しい質問だとすれば
気をつけなければならないことですが。

****以上転載(1)終わり****


この内容を読んで、初めて気付かされたことがあります。
Uooは、VOV内でのchristianityの議論の中で、いつも
クリスチャンでは無いメンバーの側に立って来ました。
教会やクリスチャンたちに、信仰を持たずにゴスペルを歌う人々を
理解してくれるよう、ただその一点で、前回までアップしたような
メッセージを発信して来ました。

しかしその逆については、殆ど努力してこなかったことに気付きました。
つまり、クリスチャンの思いを、ノンクリスチャンに伝えるということを、
全く置き去りにしていたということです。

christianityで吹き荒れていたあの嵐を、
『クリスチャンとノンクリスチャンの対立構造』と単純に捉えてしまい、
被害者的な立場(←オーバー…)にあったノンクリスチャンメンバーを
擁護したいという思いから、そうなってしまったのかなと思います。

いや、更に言うなら、もうこれ以上、クリスチャンでないメンバーが
christianityが原因でVOVから去っていくようなことは避けなければという
一種の恐れからの行動だったのかもしれません。
そうなると、Uooがやってきたのは、果たして愛だったのか、恐れだったのか?
自分自身、分からなくなってきました・・・


もう一か所、I先生のメール内容を転載します。


****以下メールの転載(2)****


それから、もうひとつ別の視点からの感想ですが、
VOVのノンクリスチャンのメンバーが、
「クリスチャンでないのに賛美する資格があるか」という問題意識を
持っておられることは非常に素晴らしいことではないかと僕は思うのです。

たとえば一般の方々(クリスチャンも含め)が、「不倫」だとか
「セクシャル」な歌詞が多いJPOPや洋楽の歌でも、平気で歌っています。
特に「不倫」に関して、女性にとってはなはだ不快に感じるようなものでも、
楽しいからとかはやっている曲だから、という理由でカラオケで歌っている
というご時勢に、歌詞の意味内容をしっかり考えて歌おうとしている、
それだけで感動してしまいます。

「VOVとの10年 その6」にあった、
『そんな時に、ある先輩クリスチャンからこのように言われました。
「クリスチャンである自分こそが神に受け入れられる賛美をしている、
という気持ちでいるなら、私には賛美する資格なんて無いんじゃないだろうか、
と反省する気持ちで賛美するノンクリスチャンの方をこそ、
神様は受け入れられるかもしれないよ?」と。』
という言葉に近いことかもしれませんが、
クリスチャン、ノンクリスチャンに関係なく、歌を歌うときでも
物事を考えるときでも、真剣に一つ一つのことを考えておられることが
とても大切なことなんですよね。

そして、そういうことの積み重ねが、結局、神の発見、
キリストの愛の発見につながっていき、結果的に、
まさに結果的に伝道が出来る、ということなんですから。

そうなると、無神経に「クリスチャンですか」という質問の問題点を
考えながらも、ノンクリスチャンには
「そうやって考えてくださることに私たちは、クリスチャンとしてというより
社会の中の人間として感謝している」という旨を
お伝えしてあげる事ができるのではないでしょうか?
色々の場面で真剣に悩む人々が少なくなっていることが、
結婚や子育てについて考えなかったり
人生そのものについて考えなかったりすることにつながり、
世の中が良くないほうへいってしまっているのではないかと思うからです。


****以上転載(2)終わり****


特に、最後の部分には、本当に教えられました。
christianityについて悩むということの大切さは、
こういうこと・・・この世にある人生のあらゆる場面において、
生き生きと生きるためのことに結びつくからこそなのだと。

悩むことを発端にして、多くの気づきが与えられ、
自分の足りなさを知り、だからこそ人間関係を大事にすること、
そして神様を求めることに繋がっていくのだと思うのです。

メンバー一人一人が、それぞれに与えられた、本当にユニークな
人生を、神様にあって生き生きと生きることができるために、
christianityについて、改めてもっと真剣に考え、取り組んで、
「悩み」つつ、10周年以降も神様にあって成長していきたいと願います。






VOVとの10年 その7 「Christianity 4 続jun-chanGS」

2009-08-12 21:10:51 | ゴスペル
Christianityについては、これを最終回としたいと思います。
前回の日記の「地域教会への手紙」をメンバーに配布した後、
再び、Uooがメンバーに向けてGSをシェアしたものです。


**********************


新聞の1月号は、皆さんのお手元に届きましたか?
同封物を読んでいただけたでしょうか。
まだの方は、ぜひ家でじっくり読んでください。
そして、もし質問やご意見などあれば、私の方までメール等で連絡下さい。
その都度お答えしていきたいと思います。


「VOVとクリスチャニティとの関わり」というタイトルの文章。
これは、VOVがこの先、キリスト教会で奉仕するチャンスがある時に、
その教会の牧師先生や信徒の皆さんに読んでいただくことを目的に
書かれています。しかし、元々はVOVのために書いたものではありません。


去年の4月から、私の通う教会でゴスペルクワイアがスタートしました。
牧師は、ほぼ一切のことを私に任せて下さいました。
そのクワイアの運営方法から指導まで、何もかもです。
クワイアを始める準備を進める中で、一番心配だったのは、
ゴスペルクワイアに対して教会員がどれだけ理解してくれるか、という点です。


というのは、一昨年、教会の礼拝にVOVを招いて賛美してもらった時のこと。
礼拝後に教会の皆さんと食事をしながら親睦の場がもたれました。
和やかに楽しい雰囲気で進んでいきましたが、いくつか気になる点がありました。
交わりの中で教会のクリスチャンたちは、VOVメンバーに何のためらいも無く
「あなたはクリスチャンですか?」
「VOVの中で、クリスチャンはどれくらいいるのですか?」
という質問をしていたのです。


これらの問いについて、皆さんはどう感じますか。
教会に行ってゴスペルを歌うとき、自分がクリスチャンであるかを問われる事。
それは、「クリスチャンでない自分は、やはりゴスペルを歌うべきでは
無いのだ」と感じることにはなりませんか。


「誰がゴスペルを歌うべきなのか」という問いは、
私たちクワイアのメンバーにとっては重いテーマです。
皆さんも、少なからず悩まれたのではないかと思います。
この5年半ほど、VOVの中で、私も悩んできたのです。
私はゴスペルに出会ったとき、既にクリスチャンでしたが、
クリスチャンでないメンバーが神を賛美することに疑問を持っていました。


歌われている歌詞を真剣にとらえるなら、
クリスチャンでないメンバーは歌えないはずだ、と思いました。
そして、こうも思いました。
もし彼らが、真剣にゴスペルに取り組むなら、
いつか神様と出会って、クリスチャンになりたいと思う人が
多く起こされるだろうと。


この、私もかつて抱いた気持ち、
「クリスチャンじゃないのにゴスペルを本気で歌えるのか?」という思いを
VOVのクリスチャンメンバーは抱いたことはありませんか。
私は、この思い自体は悪いものだとは思いません。当然の疑問だからです。
ただ、その疑問から発した思いが、クリスチャンである自分の歌うゴスペルを
何か正当化したり、ノンクリスチャンが歌うゴスペルよりも高尚なもの、
素晴らしいもの、と思ったり、クリスチャンでないメンバーを見下して、
裁くような気持ちになったりする可能性があると思うのです。


クリスチャンは、神様を愛し、主の喜ばれる生き方をしたいと願うはずです。
そのクリスチャンの、そういった傲慢な気持ちを、神様がご覧になった時に、
はたして主は、どう思われるでしょうか。


VOVで驚かされてきたのは、むしろクリスチャンではないメンバーの方が、
一生懸命その歌詞の背景にある聖書を学んだり、ゴスペルの根底を流れる
神の愛を、自らが実践しようとしていることでした。
また、メンバーと親睦を深めるうちに、どのメンバーも、ゴスペルを
ただの歌でないことは既に承知していて、それを自分がどういう気持で
歌っていったらいいのか実は悩んでいる、ということが分かってきたのです。


私自身、VOVにいるからこそ、クリスチャンでないメンバーの苦悩にも
触れることができ、それを理解することができるようになりました。
しかしそれには、年月が必要でした。
この文章(地域教会への手紙)が最初に書かれたのは、
私がゴスペルに出会って4年以上もたってからのことです。ましてや、
ゴスペルの働きを殆ど全く知らない教会のクリスチャンたちに、
VOVのこういった状況を理解してもらうのは、簡単なことではないはずです。


一昨年の教会にVOVが来た後に、
「クリスチャンでないメンバーに、どうして信仰の有無を聞いたのか」という
質問をしてみたことがあります。私たち夫婦が大変お世話になっている、
とても暖かくて素晴らしい方です。驚いてこう言われました。
「それを聞くのは、配慮のつもりだったんですよ・・・
クリスチャンでない人を、特別に気にかけてあげられると思って・・・
VOVの皆さんがそんなふうに感じているとは知りませんでした・・・」


私は、こんなに気の付く人でも、やっぱり、しっかりお話ししないと
分かってもらえないんだと衝撃を受けると共に反省しました。
私が教会にしっかりと説明をしなかったために、VOVのメンバーに
嫌な思いをさせたのだと気づきました。


私たちはクリスチャンであろうとなかろうと、神様の目から見たら等しく
それぞれが尊い存在です。だから、厳密には答えられないのではないかと
思います。「誰がゴスペルを歌うべきか」などということは、
答えられるとしたら、天の神様ただお一人だけです。


クリスチャンは、もしそのことに疑問を感じるとしたら、
その疑問をすべて神様に委ねてほしいと思います。
また、クリスチャンでないメンバーがそれを感じるなら、
その答えを見つけるためには、自らの努力が必要だと思います。
自分で、一生懸命尋ね求め、そして見出したメンバーもこの中にいます。
そういう仲間たちに話を聞くのもいいかもしれません。


VOVが一つの気持ちになって歌うために、それぞれの立場や思いを
お互いに理解しあっていく努力がさらに大切だと感じています。



2005年1月13日 jun-chan@メッセージスタッフリーダー





VOVとの10年 その6 「Christianity 3 地域教会への手紙」

2009-08-11 11:29:55 | ゴスペル
VOVが5年目にはいった2004年の春、
Uooが当時所属していた教会で、クワイアを立ち上げることになりました。

最初に特に配慮したのは、教会のクリスチャンたちが、
「ノンクリスチャンとしてゴスペルを歌う」人々に対して
深い理解と愛情を示してくれるように導きたい、ということでした。
そのためには、クワイアにおける信仰的な現状を知ってもらうのが一番と思い、
教会のメンバーに対して、「ゴスペルを歌う人々への理解のお願い」と題した
レターを配布しました。

そのレターを元に、VOVのメッセージスタッフとして、
地域教会に宛てたお手紙を作成しました。
教会からVOVに賛美のご依頼を頂いた際に、
教会としてご留意いただきたいことをまとめたものです。
資料が残っていたので、以下入力してみます。
(クラッシュした古いパソコンにはデータが入ってたんだけどね・・・


************************************


「VOVとChristianity(キリスト教)との関わり」


この度は、VOVに貴教会での賛美のチャンスを与えて下さり、
心より感謝いたします。
VOVの歌うゴスペルミュージックが、聴いて下さる皆さんの心に
神様の慰めや励ましを与えるものとなりますようにと願っています。

キリスト教会で賛美させていただくにあたり、信仰に関しての
VOVのスタンスを説明させて頂きたいと思います。
これをお読みになって、VOV内の「ノンクリスチャンでゴスペルを歌う人々」
への理解を深めていただければと願っています。

ゴスペルミュージックとChristianityは、どうしても切り離せない関係です。
アフリカ系アメリカ人の悲しい歴史と共に、彼らが希望を見出した
聖書の神への信仰をも学ぶことが、本物のゴスペルを目指すためには
必要不可欠だからです。VOVでは、ラニー・ラッカー氏の提唱する、
「Music,History,Christianyty」をゴスペルの3本柱として、同じように
大切にしています。

VOV内には、キリスト教の信仰を持っている人(クリスチャン)もいれば、
そうでない人、また、中間地点のような位置にいる人もいて、本当に
様々な人々が混在しています。

One Voiceで歌うゴスペル・・・大勢のメンバーが、一つの声、一つの気持ちに
なって歌うということ。それぞれの個性、価値観は多様ですが、
それらを尊重し、互いの間にある壁を乗り越えて歌うこと、
「心のバリアフリー」をVOVでは目指しています。
ゴスペルの素晴らしさをあらゆる人々に伝えたい・・・
そう願いつつ活動しています。

VOVはキリスト教会との関係を大切にしています。
教会や、クリスチャンの方々にVOVの活動を理解していただき、
応援していただきたいと願っています。
幸い、これまでに多くの教会からの暖かいご支援を頂いて、
VOVは無事5周年を迎えることが出来ました。
受け入れてくださった多くの教会の皆さんに心より感謝しています。
ただ、お互いの理解が若干不足しているために
誤解を生じていることがあることもお伝えしなければなりません。
ここでは、未信でありながらゴスペルを歌う人々の現状や立場を
記させていただきます。


※※※VOVでの信仰に関する現状※※※

VOVのクリスチャン人口は10~30%です。

VOVには120名ほどのメンバーがいますが(2004年当時)、
そのうちのクリスチャンは、創設当初は1割ほどでした。
現在、ゴスペルを通してクリスチャンになる人々が起こされ、
2~3割がクリスチャンです。

VOVでは聖書を学んでいます。

VOVのようなクリスチャンが立ち上げたクワイアでは、
バイブルスタディといって毎回15分ほどの聖書を学ぶ時間が持たれています※。
また、ギデオンの新約聖書がメンバー全員に配布され、
バイブルスタディでは必ずその聖書を開きます。
これは、ゴスペルの3大要素である「音楽」「キリスト教」「歴史」を
同じように大切に学んでいくという姿勢から発しています。
また、ゴスペルを歌うことを「賛美する」と言います。
ゴスペルが神への賛美であることを理解するように努め、
練習の最初と最後には必ず祈りを捧げます。
(※VOVでは2002年よりゴスペルスタディと名前を変更。聖書に限らず、
ゴスペルのヒストリーなどについても学ぶ時間としています。)

VOVではメンバーに信仰を強制しません。

クワイアでは、ゴスペルを歌う上での学びの一つとして、
バイブルスタディを行います。決して、伝道のためではありません。
規約の中でも、信仰の強制などの事実があった場合は、
退会勧告の対象となっています。この点については、とても
慎重に扱われています。


※※※未信でゴスペルを歌うメンバーの立場※※※

彼らは最初、音楽としてのゴスペルを楽しむために歌い始めるのですが、
クワイアの中で聖書に触れ、クリスチャンのメンバーに感化される中で、
しだいに迷い、悩むようになります。彼らは、未信でありながらゴスペルを
歌うことに心の葛藤を覚えるようになり、「自分が歌ってもいいのだろうか」と
自問自答します。その葛藤に耐えられず、ゴスペルを止めていく人もいます。

止める理由はそれだけではありません。一部の心無いクリスチャンからの
責めによる場合も多いようです。特にVOVなどは教会との関係を大切にしており、
教会で賛美する機会が多いために、教会や教会員の無理解により心が
傷つけられるということが少なくありません。

ゴスペルを歌うことによる葛藤を持ちながらも、
その歌詞や美しいハーモニーによって心が癒され、
また賛美の力を実際に目の当たりにしていくうちに、
彼らの「神を受け入れる下地」は自然に作られていくようです。
メンバーの多くは神は存在すると思う、と語っており、
教会には行かないが、毎日聖書を読み、祈っているというメンバーさえいます。


※※※クリスチャンの皆さんへお願い※※※

これからもVOVは教会で賛美する機会に多く恵まれることでしょう。
私たちは教会の皆さんとの交わりを心より楽しみにしています。
しかし、残念ながら上に挙げたような事が今までに起こってきたのも事実です。
このように書くと戸惑われるかもしれませんが、ただ、未信でゴスペルを
歌う人々を、ただ愛情を持って迎え入れて下さったら良いのだと思います。
しかし、たとえ悪気がなくても、何気ない一言で彼らを傷つける場合があるので
それについての注意を記させて頂きます。

メンバーにクリスチャンであるか無いかを問わないで下さい。

信仰の問題は非常にプライベートな事柄であり、女性に年齢を問うことと
同じくらい失礼なことです。ただでさえその事について悩んでいるメンバーが
殆どですから、クリスチャンですか、と問われるだけで、
「自分は受け入れられていない」と感じてしまいます。

クワイアのクリスチャン人口を問わないで下さい。

クワイアの人口は、上で記したように現在は2,3割です。
このことに触れることは、未信のメンバーを不安にさせます。
クリスチャンとノンクリスチャンを区別するように感じるからです。

ゴスペルを歌うことについての喜びを聞いてあげてください。

メンバーはゴスペルをこよなく愛しています。その事についての彼らの証を
聞いてあげてください。また、ご自分の賛美についてのお証を
彼らにお話ししてあげて下さい。

VOVメンバー一人一人にとって、
ゴスペルとの出会いはイエスキリストとの出会いでもあります。
その素晴らしい出会いの喜びを、今後も多くの方と共に分かち合っていきたい、
信仰の有る無しにかかわらず、理解しあい、愛し合っていきたい。
今後も皆さんのお祈りと愛によって成長させて頂きたいとVOVは願っています。
何卒、教会の皆さんのご理解をお願いいたします。


jun-chan@VOVメッセージスタッフリーダー


*********以上転載終わり**********



な、なんか今改めて読み返してみると、
こんな大それたことを多くの教会宛てに書いてしまったのかと、
自分の大胆不敵さに恐れをなすというか・・・・

こんな超生意気な意見を暖かく受け入れて下さった
教会の皆さんと牧師先生たちに、ただただ感謝です

この手紙は、VOVメンバー向け新聞にも同封されました。
メンバーのMちゃんからメールをもらって、
「これを読んで、思わず涙が出た。本当にうれしかった。」と・・・

ノンクリスチャンメンバーがどんなに悩んでいたか、
その一端を見た気がしたのでした。

~つづく~




VOVとの10年 その5 「朝のリハーサル」

2009-08-10 09:28:03 | ゴスペル
VOVのchristianityについては、まだ数回書く予定ですが、
濃い話ばかりでも何なので今回は違う話題を。


VOVが7周年を迎えようとしていた2006年の夏、
午前部である「朝のリハーサル」が立ち上がりました。

VOVの中で、結婚、出産するメンバーが増えてきて、
彼女たちの「家庭を大事にしながら、ゴスペル活動も続けていきたい」
という切実な願いをベースに生まれたものです。

その数年前から、Uooは金山キリスト教会をお借りして、
「金山ゴスペルクラス」を運営していました。
指導から事務までUoo一人で行っていたため、かなり行き詰まり感を感じていて
ある時、「この働きをVOVに引き継いでもらえないかな」とひらめきました。

ちょうど同じ頃に、あるVOVメンバーが、VOV午前部を立ち上げたいという希望を
持っていることを知り、この話がトントン拍子に進んだのでした

それ以来、月に2回、金曜の午前中にVOV朝のリハーサルが行われています。
場所は主に、Uooが以前よりお借りしていた金山キリスト教会。
夜リハでお世話になっている大韓教会の中にある、「ぽどなむ」という
場所をお借りすることもあります。

平日の午前中なので、ほとんどが主婦メンバーです。
幼稚園前の小さな子ども連れのメンバーも多く、
とても温かい雰囲気で、練習が進められています。

夜リハの出席人数は、普段はおそらく70名くらいと思いますが、
(今は10周年直前で、100名くらいになってるはずですが)
朝リハは多くても20人くらいと、少人数でこじんまりしたリハーサルです。

でも、その分、ディレクターとの距離感が近いせいなのか、
とても集中力があって、音を覚えるのも早い、とhiroco師匠には
おほめの言葉をいただいてます

朝リハ結成のきっかけを作ってくれた、あるVOVメンバーの言葉が印象的です。

「朝リハはVOV夜リハの付属物ではなく、進化です」

本当にそうだな~と思います。
年数がたっていくうちに、VOVがクワイアとして成長すると共に、
メンバーにも様々な変化がありました。
独身だったメンバーが、結婚し、子供を産み育てる立ち場になっていく。
どんな立場になっていっても、歌い続けていく環境が用意されている、って
とても素晴らしいことだと思います。

そして今、次なる進化の形が生まれようとしています。
次の世代にもゴスペルを!ということで、

「VOVジュニア」

のリハーサルが今期より始まり、10周年では、
小さなゴスペルシンガーたちのステージも用意されています。

Uooを含め、一部のVOVメンバーの中には、
自分たちの将来のために、

「VOVシニア」

も、作りたいわ~との妄想が・・・(笑

・・・というわけで、今後もVOVは成長し続けていくことでしょう






オアシス21で歌ってきました~(8・8 Sat)

2009-08-09 20:12:42 | ゴスペル
真夏の青空の元、名古屋栄はオアシス21にて、
毎年恒例となったNagoya Groovin' Summerという行事で、
VOVが賛美してきました

VOV単独のステージは、15時から30分という、
半端なく照りつける日差しにさらされながらの賛美。
暑かったけど、最高に楽しかった~




VOV演目:Holy Holy/Highly Exatled/My Life Is In Your Hands
The Blessing Of Abraham/Shake The Foundation





市民クワイア:Oh Give Thanks
市民クワイア、GrantsGC&VOV:Battle Field/I Will Bless The Lord
最後にゲスト浦島りんこさんと共に:Oh Happy Day

Grantsのディレクター、足立学さんのリハーサルは本当に楽しかったなあ~
ゴスペルの喜びが、バンバン伝わってくる感じで。
いつかVOVリハにもお呼びできたらと思いました


VOV10周年まであと1か月!
ますます楽しみになってきました。
どうぞ引き続いての応援をよろしくお願いします


VOVとの10年 その4 「christianity 2」

2009-08-07 21:17:11 | ゴスペル
1週間ぶりに、パソコンが退院して戻ってきました!!!
書きかけだった日記をやっとアップできます~

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡



今から5年前、2004年の2月、
VOVのリハーサルで、Uooがメンバー向けに話をしました。
ゴスペルスタディといって、ゴスペルに関する様々な事をシェアする時間です。
前回の日記に書いたような、christianityについての嵐が
最高潮に吹き荒れていた頃だったと記憶しています。

「ゴスペルを歌うことと信仰を持つということ」

というタイトルで、このセンシティブな問題に対して
けっこう直球な感じのものでした
探してみたら、ワープロ原稿がありましたので、以下入力してみます。
(この頃、まだパソコン持ってなかったんだよね~)

こんなこと考えてたんだ~
こんな風に感じてたんだ~~
と、懐かしささえ覚えます。


*********


「ゴスペルを歌うということと信仰を持つということ」


こんばんは、今日のGSを担当させて頂くjun-chanです。
今回は、このようなタイトルでお話したいと思います。
ここで言う信仰、とは、聖書の神を信じ、またイエスキリストを救い主として
受け入れる、という意味です。

ゴスペルを歌っていく中で、たいていの人がぶつかる問題、
それがこの信仰についてではないでしょうか。
VOVの中には自分はクリスチャンであると公表しているメンバーは2,3割と
聞いていますから、大多数が、クリスチャンではないけれど
ゴスペルを歌っているということですよね。

私は1999年にこのクワイアが出来た当初からメンバーとして在籍していますが、
最初から今に至るまで、信仰について悩み、自分は信仰が無いのに
ゴスペルを歌ってもいいのだろうか、という声を聞きつづけています。
これからも聞くと思います。きっと、VOVにとって永遠の課題でしょう。

今月のVoiceLine(VOVメンバー向け新聞)で紹介いただいたのですが、
ある小さな雑誌に記事を載せていただきました(前回の日記参照)。
本の感想文です。この雑誌は、CLCというキリスト教の出版社が出しています。
読者はほとんど教会のメンバーですので、クリスチャン向けに書きました。

この中で書いたことですが、私もクリスチャンとして、ある時期、
VOVのように、クリスチャンで無い人がゴスペルを歌うことに不満というか、
抵抗感のような、何か腑に落ちない気持ちを持ったことがありました。
最初はそんな気持ちは全く無かったのですが、1年たち2年たち、
時間がたってもVOVの中でクリスチャンになる人が、
私が期待したほどいなかった、というのがその不満の原因だったと思います。
ノンクリスチャンという立場のメンバーは、
一体どういう気持ちでこれらの歌を歌っているのか?
と、裁く気持ちが次第に強くなっていったのです。

そんな時に、ある先輩クリスチャンからこのように言われました。
「クリスチャンである自分こそが神に受け入れられる賛美をしている、
という気持ちでいるなら、私には賛美する資格なんて無いんじゃないだろうか、
と反省する気持ちで賛美するノンクリスチャンの方をこそ、
神様は受け入れられるかもしれないよ?」と。

まさに、目からウロコの瞬間でした。
自分で気付かぬうちに、ものすごく高慢な、メンバーの皆を見下すような
気持ちになりつつあったことを思い知らされたのです。

この時に、ふっとよぎった聖書の箇所があるので、
皆さんとそこを開いてみたいと思います。
イエスが弟子達に話された、たとえ話です。

~~ルカの福音書18章9~14節をそのまま転載~~

自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、
イエスはこのようなたとえを話された。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、
もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、
ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、
その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、
自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。
パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるからです。」

~~~

パリサイ人というのは、この時代、ユダヤの国では律法学者といって
聖書(旧約聖書ですね)をよく調べ、それを忠実に行い、
先生と呼ばれていた、いわゆるエリートですね。
取税人というのは、彼らはユダヤ人でありながら、当時ユダヤを支配していた
憎むべきローマ帝国の手先となって、ローマに納めるための税金を
取り立てていて、ユダヤ人にはものすごく嫌われていたのです。

ここでは、エリートであるパリサイ人と、罪人である取税人が、
それぞれ祈りに行き、その祈りの内容はそれぞれこうで、
最後に神が受け入れたのは、さあ誰だったでしょう、ということですが・・
そう、神は、罪人である方の取税人を受け入れられ赦されました。

誰でも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くするものは
高くされるからです、と最後にイエスは語っています。

聖書を読むと分かるのですが、神が嫌うのは、人間のおごり高ぶった心です。
逆に、悔いし砕かれた魂をこよなく愛されます。
この例え話で言うなら、神は、その人が何であるか・・・
パリサイ人であるか、取税人であるか、ということを問題にされませんでした。
VOV的に言うなら、その人がいわゆるクリスチャンであるか、
ノンクリスチャンであるか、ということを問題にされなかったと
言ってもいいのかもしれない。
そういう、人間の肩書きではなく、心の中を見られたわけです。
クリスチャンである自分の賛美の方が、クリスチャンでないメンバーの
賛美よりも上等のもの、というような気持ちを神はバッサリと
切られる方だと分かったのです。

この本「ゴスペルってなんだ」に書いてあることですが、
ゴスペルクワイアコンテストというのがあって、
クリスチャン、ノンクリスチャンの別なく競うのですが、クリスチャンの
クワイアには何かしら「自分たちの方こそ本家」のような雰囲気が
あるそうです。対してノンクリスチャンのクワイアはどうかというと、
その上手さということではクリスチャンクワイアの群を抜いているそうです。
歌詞の理解に最大限に努め、よく歌いこまれている。なぜか?
彼らは、ゴスペルが神の歌だということをちゃんと分かっていて、
畏敬の念をもって歌っているのだと。
ゴスペルというものに対して謙遜なんだと。
これを読んで、ああVOVのこと言われてるみたいだな、と思いました。

Through God's Eyesというゴスペルがあります。神の目を通して見たときに、
自分の真実はどうだろうか、という歌ですね。
私たちは、物事を判断するときに、何かと比べてしか判断できません。
自分と相手を比べることで、無意識に優劣をつけ、そのことによって、
裁きあい、傷つけあります。クリスチャンか、ノンクリスチャンか、
という事もそうです。そういうタイトルをつけたがる。
この人はこういう人だ、と、何かカテゴリーに入れて安心したい。

しかし、神はどうでしょうか?飛行機から地上を見下ろしたときに、
すべてのものがフラット、平らに見えるように、
神が私たちを見下ろしたときには、同じようにフラットに見えているはずです。
すべてが神の創造物であり、すべてが神にとって尊いはずです。

ゴスペルと信仰。答えはここで私が出すことはできません。
皆さん一人一人に答があるはずだからです。
どういうスタンスで賛美していきたいか、ということは、それは
「どんなのでもアリ」と私は思います。なにも悩むことなく、
考えることなく、歌い続けることだってアリだと思いますよ。
というのは、私はそれについて裁くことが出来ないから。
裁くことができるのは、神お一人です。
ご自分の答えを見つけるために、聖書を読まれることをを心からお勧めします。


2004年2月12日(木)VOVゴスペルスタディ by jun-chan@メッセージスタッフ







土曜日はオアシス21でゴスペル!

2009-08-02 15:51:51 | ゴスペル
この夏もオアシス21で、vovが市民クワイヤーの皆さんと歌います!


NAGOYA まちじゅうGA芸術祭
NAGOYA GROOVIN' SUMMER 2009

GOSPEL DAY 8/8(土)
13時スタートします。

vovとGRANTS GOSPEL CHOIRの出演は15時からの予定です。
YAMAHAゴスペルクワイヤーは16時から。
今回のスペシャルゲストは浦島りんこさん。17時からの出演。
市民クワイヤー&vov&浦島りんこさんのステージは
17時半から18時まで。

土曜日はオアシス21でゴスペル!
お会いできるのを楽しみにしています(*^o^*)




VOVとの10年 その3 「Christianity」

2009-07-30 23:17:20 | ゴスペル
VOVを語る上で欠かせないのは、christianity「キリスト教」について。
これはとても繊細な部分で、全てのメンバーが何かを感じ、
葛藤しながら、それと向き合っていると思います。

VOVは教会が母体のクワイアではないので、
信仰を勧めたり、ましてや強制などということはしていません。
(信仰を強制することは、VOVの規約上、退会勧告の対象ともなっています。)

けれど、ゴスペルそのものが、かつてアメリカで過酷な運命を背負わされた
黒人たちの「神への叫び」から生まれた音楽である以上、
ゴスペルとChristianityは決して切り離せないものです。

VOVが生まれて最初の数年は、Christianityについては大荒れに荒れて、
嵐のような騒ぎ(←ちょっと大げさか)で、議論が繰り広げられました。
多分、それで傷を受けて、VOVを去っていった人も少なからずいるような・・
今にして思えば、そういうところも通るべくして通ってきたというか、
乗り越えるために与えられた、数々の試練だったのだと思います。


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VOVが生まれた時、Uooはクリスチャンになって既に10年たっていました。
初めてのVOVリハで、多くのクリスチャンで無い人々がゴスペルを歌う姿を見て、
本当に感激し、また、大きな期待をしました。それは、

「この中から、きっと多くの人が神様を求め、
教会に繋がってクリスチャンになっていくだろう」

という期待でした。
恐らく、多くのクリスチャンメンバーは、同じように感じたことと思います。
ところが、クリスチャンたちのそういう期待は、ある意味、裏切られていきます。

その内に、クリスチャンたちに焦りが生まれました。
そして、自らの価値観を絶対視するあまりに、
あまりにも配慮に欠けたアプローチをしてしまいました。
それは、クリスチャンでないメンバーにとっては、
自分の聖域に、土足で入ってこられるような感覚を持たされたのだと思います。

クリスチャンと、そうでない人。
全く立場も価値観も違う両者が、ワンボイスなど目指せるのでしょうか?
このまま、分裂して、それぞれの道を行くことになるのだろうか・・・
そんな風に、Uooも考えた時期がありました。

何か問題があるとしたら・・・
明らかに、その非は、クリスチャン側にあると考えました。
クリスチャンの「無意識に裁く心」が
メンバーを傷つけているのはないかと。


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ある時、CLCが発行している小冊子への読後感想文の依頼を頂き、
「ゴスペルってなんだ」という本を題材に、
↓のような文章を掲載して頂きました。



本との出会い 
いのちのことば社刊
『ゴスペルってなんだ』藤井恵嗣著

教会でブラックゴスペルを聴く機会が多くなってきた。
美しいハーモニーに魅せられ、ゴスペル人口も確実に増えている。
教会でクワイアが賛美する時、必ず聞く教会員からの質問。
「この中で信者は何人?」
あからさまにメンバーに対して
「あなたはクリスチャン? 洗礼を受けている?」と聞く人もいる。
悪い質問だとは言わないが、信者、未信者という線引きを
無意識のうちに私たちがしていることの一つの証拠ではないか。
神は私達が洗礼を受けていようがいなかろうが、同じように愛してくださっているのに、
私達がそういう差別 をしてもいいのだろうか。

本書の中にはゴスペルの知識等かなりマニアックに書かれているだけでなく、
教会とゴスペルという観点でも深く考えさせられる。
私自身、クワイアで賛美する中で様々な問題にぶつかる。
ノンクリスチャンがゴスペルを歌うことに抵抗を覚えた時期もあった。
しかしある人の、『「信者である自分こそが神に受け入れられる賛美をしている」
という気持ちでいるなら、「私には賛美する資格なんてないんじゃないだろうか」
という自己省察を持って賛美する未信者達の方こそを、
神は受け入れられるかもしれない』との一言で目が覚めた。

本書にも、未信者がゴスペルを歌うことに賛否両論あることについて、
「その次元から言っちゃうと、聖書はクリスチャンのものであって、
そうでない人は読むな、というのと一緒」というくだりがある。

ゴスペルクワイアはこの世にあって不思議な空間だ。
疲れ傷付いた人々がクワイアで歌うことによって癒されるというのだ。
精神的に、肉体的にも癒されていく。
この本の副題の「バリアフリー」とは、まさに理想的なゴスペルクワイアの姿だ。
様々な価値観を持った人々がそこに集まり、バリアを越えて一つになることのできる場所。
本書にあるように、イエスこそが当時の世界においてバリアを破った人だった。
そしてゴスペルは黒人と白人の中の凄いバリアの葛藤から生まれたのだ。
はたして現代のクリスチャンたちは、イエスのようにバリアフリーだろうか?

ゴスペルは単なるブームを越えて着実にこの地に根付きつつある。
なのに教会は、相変わらずゴスペルに対してクールだ。
本書で語られているように、
ゴスペルブームは神から現代の教会への挑戦なのかもしれない。


以上が転載です。
今、読み返してみると、何とも、筆が走りすぎてるというか・・・
アオくて熱い感じ ちょっと、こっぱずかしい文章ですね
しかし、この頃のVOVには、とても共感を得ることが出来たのでした。


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クリスチャンとしてVOVで歌う者として、
メンバーが教会に、そして主イエスに繋がることを
望まないはずはありません。
しかし、そのために自分の価値観を押し付けるような事はしたく無いし、
VOV内のクリスチャンにも、それをして欲しくありません。
Uooにとって、メンバーは「伝道する」対象ではなく、「愛する」対象なのです。

・・・なんてカッコ良く書いてはみましたが、
実は自分、あんまりメンバーのこと見てなくて、
後からいろんなことを聞いて「えっ、そうだったの!?」と。。。
あまりにボンヤリしすぎている自分を
「リーダーのくせに」と呪うこともしばしばですが・・・

Uooがボンヤリしていても、よく気がつくスタッフが他に大勢いるので、
「ま、いっか」で、結局すませてしまうお気楽リーダーです。
(すみません

あ~~~長くなっちゃった
寝なきゃ!!!