運命の不思議

運命の不思議さを感じる時があります。そんな時、なぜ?と思いませんか?

縁は異なもの

2010-07-13 11:20:02 | 日記
昔から縁は異なもの味なもの、と言うが、これは、まさしく言い得て妙である。

最近つくづくそう思うシーンに出くわすことが多くなった。

縁といえば、やはり、妻である。

もう30年も前に、出会った妻のことを最近考えることがある。

なぜ、あの時、妻に出会い、なぜ、結婚をしようと決断したのだろうか?と。

これは後悔して言っているのではない。

感謝して言っているのだ。

その後、3人の子供に恵まれ、幸せに生活できたのも妻のお陰と感謝している。

しかし、最近、テレビで面白い番組を見た。

今は科学の発達により、遺伝子の解明がどんどん進んできている。

遺伝子を研究してみると、なんと、人間の遺伝子情報の99.9%は、人類みな同じであると言う。
たった、0.1%の情報が違うだけで、個体差が違うのだと言う。

また、子供の遺伝子には必ず母親の遺伝子の一部が残るという。
すなわち、遺伝子を調べていくと、人間の先祖はアフリカに住んでいた一人の女性に行き着くと言う。

ここで私は考えた。
子孫を残すということは母親の子孫を残すということ。

その意味から、実は、自分中心に物を考えていたから解らなかったが、遺伝子的に考えると、
妻の遺伝子を残すべく、私が妻の魂に吸い寄せられていったのだと理解するようになった。

私は、妻の求められるように生きていけばいいことに気がついた。

全ては妻の発信する信号に合わせて生きていけばいいと。

何か、没主体的な生き方と、批判を受けるかもしれないが、生物学的にはそう考えるほうが自然である。

そこで、最近、こんな妄想を抱くようになってきた。

妻にとって必要だった私の魂は、実は妻の魂の一部ではないだろうかと。

もともと、単細胞動物は雌雄同体。

そこから進化しているとすれば、子孫を残すために雄が作られたとしたら、そう考えても不思議ではない。

縁は異なものというが、魂レベルでは同類のもの。

すべて、子孫を残すための人生と考えると、縁あるものは全てがそれに係わる女性にゆかりのある魂の集団と考えれば解りやすい。

隣のおばさんは、残念ながら縁はあるが子孫を残すという意味では、あまり縁があるとは思えない。

しかし、隣のおばさんが、果物や野菜を持ってきてくれるとしたら、生命維持のためには縁のある魂の持ち主と考えるべきだろう。

生きるヒントを教えてくれる人も、縁のある人。

喜びを感じさせてくれる人も縁ある人。

意地悪をする人は?

これは生命維持の観点から、縁ある人とは思えない。

改めてそんな目で見たら、こんな所にも縁のある人がいたんだなと思う。

タコのパウル君

2010-07-12 11:03:09 | 日記
今日でワ-ルドカップが終わり。
オランダと接戦したが、見事、スペインの優勝。
日本サッカーが強くなったおかげで初めて、予選から決勝の最後まで見ることになった。

朝の3時から起き出して見たので少々寝不足状態が続いた。

ところで、ドイツの水族館にタコのパウル君が有名になった。

水族館にいる係員が遊び半分に、どちらが勝つかタコのパウル君に予想をさせたのがことのきっかけ。

パウル君の水槽の中に、小さな水槽を入れる。
その水槽は二つに分かれていて、扉がついている。
その中にそれぞれの対戦相手の旗とえさが入っている。

パウル君がどちらのえさを食べるか?
食べた方の国が勝利すると予想するのだ。

パウル君が有名になったのは予選3試合を的中させ、ベスト16になった頃からである。

初めは、ドイツが勝つように仕向けたと思っていたが、準決勝のスペイン戦では、パウル君がスペイン勝利を予想してしまった。

そして、その通りスペインが勝ってしまった。

その時から、俄然、パウル君の予想に信憑性が出てきた。

その後、3位決定戦と決勝戦を見事的中させたのだ。

結局、連続して8試合の予想を的中させたのだ。

確率的に、256分の1になる。

これは考えられないこと。

これこそ神がかっている。

タコがそんなことできるはずもない。

しかし、事実は事実。

パウル君の能力か、あるいは、水族館の係員の能力か?

私は後者の水族館の係員の能力だと思う。

この係員は女性で、多分、その種の能力をお持ちのことと推測する。

だから、私はタコのパウル君に興味があるよりも、水族館の係員のマリア?さんに興味を抱く。

魂の要求・・・エントロピー増大の原理

2010-07-10 11:37:19 | 日記
生命の誕生からいろいろな進化を経て、今に至る私はどこに行くように仕向けられているのであろうか?

これは誰しもが持つ疑問。

これを今まで、誰も解き明かしてはいない。

ここに私は疑問を持つのである。

もしも神がいるなら、人間はかくの如く生きなさいと言えばいい。
イエスキリストが神の子なら、なぜ、直接わかりやすい言葉で、我々に説明しなかったのか?

イエスは“博愛”を唱えた。

でも、それは究極の目的ではない。

我々は究極の目的を知りたいのだ。

そこで、私は神という存在を疑い、自らである自らの魂こそを信じることにした。

存在している自分の魂と、存在しない自分の魂。
それこそがエネルギー。

エネルギーこそが実在なのだ。

昔、大学生のとき、エントロピー増大の原理である。

つまり、エネルギーの移動の方向と、エネルギーの質について言えば、
例えば、液体を、電気的に加熱する時など、エネルギーは一方向にしか移動しないことは自明である。
電気エネルギーは冷水を暖めることはできるが、熱水自体からは電気エネルギーは生じない。
つまり、電気エネルギーは質の高いエネルギーであるが、温水のエネルギーの質は低い。

ちょっと解りにくいから言い換えて説明する。
電気で水をお湯にすることはできるが、お湯を水にする過程で、電気は発生しないということである。

すなわち、電気エネルギーは温水のエネルギーより質が高いということである。

魂もエネルギーであるならば、魂にもエネルギーレベルがあるということである。

イエスキリストの“博愛”エネルギーは相当レベルが高いということになる。

人の魂にはもともとエネルギーレベルを高めたいという性質を持っている。
しかし、一方怠惰という性質もある。

魂のエネルギーレベルが高まり、質的変化が生じたら一体どうなるのか?

その答えは、誰も持ち合わせていない。

しかし、魂が本来質的変化をさせるように仕向けているのであれば、質的変化の過程ですばらしい感動と喜びを与えてくれるのだろう。

“博愛”エネルギーに到達する過程で、“感謝”エネルギーの蓄積が必要なのであろう。

しばらくは、このことを考えてみたいと思う。


さわやかな風

2010-07-08 11:19:46 | 日記
時田直哉という盲目のテノール歌手のことを以前書いたことがある。

生まれもって盲目。

しかし、このお父さんが立派だった。

絶えず、盲目の子供に、生まれてきてくれてありがとうと声をかけていたそうである。

その時田さんがわずか2歳になる前に、このお父さんは時田さんを連れて丘に行ったことがあるという。

盲目のこの赤ん坊に何を話しかけても、何の返答も返って来ない。

しかし、この丘に行った時、さわやかな風が吹いてきたと言う。

すると、抱きかかえていたこの赤ん坊は、この風を感じて、大きな伸びをしたと言う。

この時、お父さんは、この子は目は見えないが、風を感じることはできるんだと言う。

そのことを成長した時田さんに話したと言う。

時田さんも、なぜか、風が自分に何かを伝えてきているような気がすると言われる。

私はこのごろ風の役割と言うものを真剣に考えるようになってきた。

風が私に何かを伝えようとしてしている。

だから、最近は目を閉じて風を感じるようにしている。

風を感じると、心がリフレッシュする。

風を感じると、誰かが近くにいるような気がする。

鯉が人に慣れている

2010-07-07 15:29:12 | 日記
最近、テレビで人に慣れている鯉を見た。
鯉が水の中に入れた手の上に乗り、えさを食べるシーンである。

食べ終わるとその鯉を大きく投げる。
鯉はそれがうれしくて、また、手の上に乗ろうとするのだ。

そんな鯉の子供も、直ぐに、同じことをして喜ぶようになると言う。

人に慣れるということはいったいどういう意味であろうか?

鯉の遺伝子がどう変わっていくのだろうか?

遺伝子が変わる前に、鯉の魂と人の魂の交わりがあり、鯉の魂に変化が生じるのであろう。

動物の魂は、エネルギーレベルがずーっと高い人間の魂に誘導されていくのであろう。

野生の動物には、人間の魂に近づくことができない。

すなわち、人間の魂が怖いのだから。

いや、人間が怖がると恐怖感を持った人の魂が、動物に恐怖を感じさせるのであろう。