泣きながら、撤退同盟

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ご卒業おめでとうございます

2018-03-01 | こども
今日は3月1日、日本中のほとんどの高校で、卒業式があったようですね。


これは、今日高校を卒業した、うちの子のあてに書いた私的なメッセージです。





うららかな春の日、とはとても呼べないような突風が全国で吹きまくっているこの良き日
ご卒業おめでとうございます。


今日は昨夜からの嵐が吹きすさび、晴れたり雨が降ったりの突風日よりのお天気ですね。

昔のある人は、「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」とのたまったらしいのです。
ですが、
残念ながら我々の生涯は「さよならだけが人生だ」とは言いきれませんね。
今日このように卒業式を迎えたということは、ここが到着点でもありながら、あらたな出発点でもあるからなのです。
いままでの3年間の高校生活、小学校から数えて12年間、生まれてからの18年間、
いろいろな学習や経験を積んできたとは思いますが、
それがここで終わるのではなく、
これからはそれまでの経験を生かしていく生活を送ることとなります。

いままでの経験や学習は、決して無駄になるものでは無いと思いますが、ただ一つ問題になることがあります。

高校生までの学生生活のような「100点を目指す勉強をする」のではなく、
これから大事なのは「自分が死なない方法」を模索することだと思います。

新しい場所で新しい仲間と新しい生活に入る訳ですが、
そこで求められることは、いままでの経験が何も役に立たない世界かもしれません。
就職したら尚更そのような目に直面するだろうと思います。

そのとき必要なのは、「100点を取れなかったからダメ」ではなく、
「なんとか生きていく方法を自ら編み出す」ことになると思います。


貴殿はこの4月から遠い場所に旅立ちますが、
今まで生きてきた「自分の経験」が役に立たない場面に遭遇すること度々だと思われます。
そのとき、無理に進むのでは無く、一度立ち止まって欲しいのです。

そして、どうにも無理だと感じたときに、
あなたの「実家」はいつでもあなたを迎えることが出来ます。
いつでも戻ってくることが出来るのです。
かといって、挫折ばかりの人生も考え物ですが

聖書にもこんな言葉があります。


 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 
第二コリント 4章8,9節



あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
第一コリント10章13節



むかしの有名な方は、こうも言いました
『逃げるは恥だが役に立つ』



「サヨナラは別れの言葉じゃなくて再び会うまでの遠い約束」
という歌の文句があります。
当然貴殿はまだ生まれていない頃の曲でありますが

遠く離れた場所であっても、わたしたちの関係性が途切れるわけではありません。
いつまでも、「親」という字そのものとして、
「木の上に立って(遠い場所にいる我が子を)見守っている」存在であり続けたいと思っています

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