うみねこ 生命は自発的である

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島根紀行

2005-12-08 10:26:51 | Weblog

 このところ忙しくて更新する暇がなかったが、11月/27-28日と島根に旅行したのでその紀行を紹介するとしよう。
 用事があったので山陰地方には27日にバスで米子から入り、その日のうちに松江に移動した。

 これは松江市内循環観光バス。8:30から18:30まで4台のバスが20分おきに松江市内の観光地を巡回している。1日乗車券(500円)で好きな停留所で自由に乗り降りできる。

 バスの窓から撮影した松江城。典型的な平山城タイプだそうだ。松江はこの城の城下町なので、市内にはお堀が巡っている。大阪城や姫路城を見慣れている者としてはさほどの感動はなかった。

 最初に立ち寄った松江の武家屋敷。二百数十年前の慶長年間に建てられた屋敷だそうだ。

 当時の武家屋敷の玄関にたいてい備えられていたという「盛り砂」。刀を鞘に入れたままにしておくと切れなくなるので、時々この盛り砂に斬りつけて刀を磨いたそうだ。これは知らなかった。
 姫様用の駕籠。小ぶりで赤い簾がかけてあるのが可愛らしい。

   順に居間、姫様の居室、台所。当時のつつましい生活が偲ばれる。

 次に立ち寄ったのが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館。邸そのものの外観は武家屋敷とさほど変わらない。これはそのパンフレット。八雲は10代に左眼を失明したので、その肖像画や写真はすべて彼の右顔が写されている。記念館内部は写真撮影ができなかったが、いくつかの資料を読んでみると、八雲は日本人には創造性がないと書いている。彼らには論語などの古くからの書物が生きていく上での規範なのだと。まぁ八雲の日本人とのつき合いの中心は武家だったようで、武家だけを見ているとそうなのかも知れない。しかし、江戸に出て町人の暮らしを見れば、また見方も変わったかも知れない。(ハーンが来日したのは1890年[明治23年]のことなので、これはない(笑)←12/8, 17:40加筆)

 松江から出雲大社に電車で行くにはJRと地元の一畑電鉄の二通りがあるが、出雲大社の近くに停車にするのは一畑電鉄なので、今回はこちらに乗った。ワンマン電車の単線で所要時間は1時間。線路の状態ははっきり言ってひどいもので、激しく揺れた。路面電車ではない電車でワンマン電車には初めて乗車した。しかし、ダイヤに拘束された都市の電車とは異なり、運行は運転手の裁量に完全に任されているように感じた。本来はこうなのだろう。人口が密集して、人間の行動が時間によってコントロールされている都会の方が異常なんだろう。

    出雲大社の入口から内部まで。参道は現在、整備中だった。最初の大鳥居から参道を登るのではなく、下っていくのは少し意外に感じた。距離は1キロもない。また、内部も伊勢神宮と比較して狭い印象。

 賽銭を投げ入れるところの隣にあった大きなしめ縄。このしめ縄の下から貨幣を放り投げて、貨幣がしめ縄に挟まるといいことがあるのだそうだ。こんなアホなこと、誰が言い出したのだろう。同行した母も観光客に混じって貨幣を放り投げようとしたので、私は思わず母の袖を引っ張って「アホなこと、やめなさい」と大声で叫んでしまった。周りの観光客はぽけーっと白けていたようだが…。

 おみくじ売り場と巫女さん。巫女さんは、たいてい売り場の前にお座りになっていらっしゃるが、時々商品(おみくじ)整理のためにお立ちになる。この写真は売り場の前で粘って、そのタイミングを待って撮影したもの。赤い袴を撮影したかったので。それと、お顔が分かると何かと迷惑がかかるかも知れないので、後ろ向きのお姿を選んでいる。

 本殿遠景。この内部には入れないが、あの特徴的な屋根の社に出雲国の主神、大国主命が祀られている。

 帰りは出雲大社からバスでJR出雲市駅に出て、ここから高速バスで大阪まで帰還した。