海猫の宝物

人生を豊かにする冒険を求めて

カンボジア旅行記 No.4 アンコール・トム 2011.6 

2014-09-23 21:00:36 | 海外旅行
昼食の後、一旦ホテルに戻る。
お部屋で午後からの外出の支度をしていた、その時。

ザザーーーーーー!!!!!!!

    
来た来た来た 来たーーーーーーーー!!!!! スコール! 

なんて可愛いものではない。
辺りが暗雨雲に包まれたかと思うと、午前中の晴れた空が嘘みたいに
普段日本で使う傘などは到底意味を成さない豪雨がアンコール地方を襲う。

6月のカンボジアは雨季真っ最中。
いつスコールが来ても大丈夫なようにツアー客は到着初日に薄手のカッパを渡され、
ツアーバスには全員分の巨大な傘が常備されている。

カンボジアの雨季はスコールのような一時的な豪雨の為、
時間さえあれば止むのを待っていられるのだが、
3日間の限られた時間内でのツアー日程。
もちろん次の遺跡に向かってバスは走り出す。

             

アンコール・トム
年代:12世紀
創設者(王):ジャヤヴァルマン7世



次なる遺跡は、”大きな町”という意味の、
周囲12kmのラテライトの城壁と環濠に守られた巨大な都城、アンコール・トム。

十字に配備された主要道路があり、その中央にバイヨン寺院がある。

私です。

全員照る照るぼーずです。


いよいよバイヨン寺院の外壁(第一回廊)までやって来ました。


アンコール・ワットの回廊のレリーフがご紹介した通りの宗教色の強い題材を
テーマにした浮き彫りであるのに対し、ここバイヨン寺院では庶民や貴族達の
日常生活を描いたものが多い。



アンコール・ワットを作ったスールヤヴァルマン2世の後、
1177年にベトナムのチャンパ軍によって一時王都を略奪される。
度重なるチャンパ軍との戦いの末、この略奪からアンコール地方を解放したのが
クメール史上で偉大なジャヤヴァルマン7世である。

国を取り戻した王は祭祀を行うバラモンの権威の強まった行政事情を
大胆に改革する必要があった。
(当時、何かと行政に口出しし、私腹を肥やしていたのである。)
その為に大乗仏教を取り入れ新たな官僚システムの形成を図ったのがジャヤヴァルマン2世。

アンコール・ワットとバイヨン寺院では、宗教観の違いはもちろん、
そういった王の行政改革への意向が強く感じられる。

城壁の内側に入ってみよう。

中央祠堂に向かって伸びる階段。


中央祠堂は一段と高くなっている為、最終的に進む方角は分かるが、
参拝経路が明確でないこの寺院内は横道に逸れて進むと
自分の位置を見失ってしまいそうな迷路のような構造である。




50塔近くの四面仏がこの寺院内の聖域を見守っており、
仏教的世界観がより強く伺える。

急な階段をいくつか登った。
雨で滑りやすい為、私のようなおっちょこちょいな女は
足元に特に注意が必要なのである。






第二回廊内、中央祠堂と尖塔には50面を超える四面仏が刻まれており、
どこに居ても観世音菩薩像の太陽のような眼差しを感じる。
(スコールも吹っ飛ぶね )

綺麗な顔の像のある撮影スポット


顔だけではなく、微妙に表情も違うのである。



斜めから見た顔もどこか優しい表情で包まれている。
若しくは余裕の笑みのようにも見える。



おそらくこれは中央祠堂から見える尊顔の口。(だったと思う・・)おい!


古代インド神話で神々が住むとされるメール山を象徴化して造られたのがこのバイヨン寺院で、
アンコール・トムの東西南北に延びる道路はメール山から世界へ向かう道を、
城壁はヒマラヤの霊峰を、
そしてそしてそれを取り巻く環濠は大海を象徴したものです。

この中心の祠堂は神が降臨するのに相応しい場所であったに違いない。
長い長い世紀を超えて、今でもその神々しい空間を保ち続けている。

こうやって祀られている仏陀のシルエットだけ見ていると
本当に生きた仏陀のようだね。
(想像の域を出ないが・・)
無宗教な私でもただならない神々しい空気を感じる。





一通り参拝し、寺院北面に出てきた。
この方角から見ても塔に浮かび上がる観世音菩薩像の顔は
言葉では言い表せない神秘のロマンでした。




アンコール・トム内 他エリアの散策

【像のテラス】



同じく王ジャヤヴァルマン7世により造られ、
凱旋するカンボジア軍を眺望する基壇として使われた
王宮前の像のテラス。





300m以上もある壁に像のレリーフ。
そして壁を支えているのはインド神話に登場する妖鳥ガルーダです。



ガルーダは黄金の翼を持つ、ヒンドゥー教の太陽の神である
ヴィシュヌ神の乗り物として描かれる聖なる鳥。 
頭・嘴・翼そして爪は鷲の形で表現されるが、体は人間の姿をしており、
テラスの壁を支える様はちょっと可愛げがある。



ちなみに蛇神ナーガはガルーダの宿敵だそうで、
壁面彫刻に彼らの格闘シーンが多く描かれている。   

【ライ王のテラス】

像のテラス北側に位置する高さ約6mのテラス。
中を通り抜けた




【南大門】

大きな町アンコール・トムは北大門、西大門、死者の門、勝利の門、
そしてこの南大門の5つの城門に囲まれている。



南大門に続く陸橋の両端には夫々、神々と阿修羅が蛇神ナーガの胴体を引き合う像が
ずらりと設置されており、その姿は圧巻!
上写真の右側の阿修羅は厳めしい顔をしていますね!



~ カンボジア旅行記 No.4 アンコール・トム 2011.6 終わり ~









カンボジア旅行記 No.3 タ・プロム 2011.6 

2014-09-18 00:31:33 | 海外旅行
アンコール・ワットを後にしたバスは
その足で次の遺跡に進む。

タ・プロム
年代:1186年
創設者(王):ジャヤヴァルマン7世

【観音菩薩像】


ジャヤヴァルマン7世が母の菩提を弔うために建てた寺院。
東西1000m、南北600mもの外周壁の敷地内にあり、
その西塔門には観音菩薩像と呼ばれる四面観音が佇んでいる。



こ、これは!
過去に何度も写真で見た!
そう、子供の頃親に買ってもらったカンボジアの歴史書籍に!

そして東京ディズニーランドのアトラクション、ジャングルクルーズにも登場する!(一面のみ)
小学生の頃から家族でよくディズニーランドに旅行に来ていた。
物心ついて初めて乗ったジャングルクルーズ。
船の操縦士のお兄さんお姉さん達が一生懸命テンションをハイにし冒険に連れて行ってくれる中、
コース内に設置された密林の奥にバイヨン像を発見した少年ジェラ (いや一応少女のはずだが)
感動に目を光らせ、”お母さん!バイヨン像!”と人目憚らず大声で叫ぶ。

一人写真を撮りまくる。 
今考えると風変りなガキだ。

しかし偽物だろうとアトラクション用の造り物だろうと、少年ジェラには
ただ目の前にそびえ立つ熱帯雨林の中の観音菩薩像を見るだけで
世界旅行をしている気分に駆られた。

懐かしき若かりし少年ジェラの大冒険 in TDL
後に博士号を取得し、偉大な考古学博士をして名をあげることになるだろう。
(もうそろそろあがっていないとおかしい頃だ)

四面観音と言えばこれはまたジャヤヴァルマン7世によって12世紀に創設された
アンコール・トムの菩薩像が有名過ぎるが、意外にも先にこのタ・プロムで
お目に掛かれた。
(旅程表を見ろ!)




ここタ・プロムは自然の中で移り行く姿を残そうと、
繁殖する植物達を放置した結果、このように大木が寺院のあちこちから
突き出している。



もう崩壊寸前に見えるこのタ・プロムだが、なんとかその体裁が保たれた状態のうちに
寺院を見ることが出来た。

遺産保存責任者の中にはこれらの巨木が今となっては寺院を支えているといった意見もあり、
今後の寺院管理について物議を醸し出している。
しかしどう見てもこのまま何もしなければ崩壊は免れないであろう・・・。


第四西塔門から第三周壁をつなぐ参道の保護修復 before - after
ずいぶんと歩き易く綺麗に整備されている。



大木の分幹が小祠堂の割れ目から抉り出ている。
木が割れ目を作ったという方が正しいだろうか・・。



そして一気に中央祠堂まで行きますが、
第一回廊の巨大スポアン(榕樹)
網目状の巨大な根多数が建物を握り潰したような
衝撃の光景が目の前に広がる・・。



自然の力とは恐ろしいもので、神秘的である。
まるで祠堂の上を移動する動く木のようにも見える。



【中央祠堂】
中央祠堂の中は大きな石の瓦礫を渡り歩くような崩壊ぶりだったが、
美しいデバターの彫刻を多数持つ祠堂の壁はまだ綺麗に残っていた。





第二回廊の巨木
えぇえー!
こんなに大きな根が建物を這って成長している!
タ・プロムの中でとりわけ大きな木。


前に立ってみた。
人の大きさと比べてみても、その巨大さは歴然。



茂る緑の中で上を見上げればこれまた信じられないほど大きな
ハチの巣が見えた。
姿を隠すことなく堂々と巨大な巣がいつくも作り上げられている。



これ程までに建物と自然が複雑に絡み合った寺院は他にあるだろうか?
初めてこの寺院を発見した探検家はその圧倒的な自然の力に埋もれた寺院の光景に
息を飲んだに違いない。
これが考古学的にどれほどの価値があるものなのか、
私には計り知れなかった。


                         

タ・プロムを去った後はツアー旅行客向けのお土産屋さんで買い物をし、
お昼前にも関わらず、お隣のカフェでマンゴーかき氷を頂く。

黄色いテントが可愛いアンコール クッキー
蜂蜜やココナッツ・黒コショウにハス茶など、色々なフレーバーの
カンボジア産クッキーが売られている。


店員皆が素敵な笑顔で出迎えてくれたかき氷やさん

カンボジアで取れたマンゴーの実がごろごろ入っていて、
感動の美味しさでした
日本に帰ってきてもしばらくまた思いだして食べたくなるほどに





また少し走り辿り着いたのは昼食を取るレストラン。
エスニックな香りが漂う全席半アウトドアシートのお店です

カンボジア風ラーメン

かぼちゃプリン


香りがエスニック過ぎる程でしたがお味はイケてました
完食


~ カンボジア旅行記 No.3 タ・プロム 2011.6 終わり ~












カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 記事3

2014-09-16 02:31:49 | 海外旅行
【第三回廊と中央祠堂】
窓から外を見渡すと、今まで歩いてきた参道と
アンコール・ワットを取り囲む密林が姿を現した

おっ!さっき第一回廊の外側で見えた黄色い気球だ



第三回廊から見る第一回廊、第二回廊。


高さ面では少しだけ第二回廊が高くなってますが、あまり変わりませんね。

第三回廊から見る中央祠堂。
さらに数多くのデバターの彫刻が見られ、
神々しい空気が流れています。



デバターには一人ずつ実在の女官のモデルがいたといいます。
その為、一つ一つ違った顔と表情をしている。
だれが一番美しい



7つの頭を持つ寺院の守り神ナーガに座す仏陀の像
綺麗な形のまま保存されていますね。


                                 

中央祠堂は神々しい雰囲気に覆われていた。
見渡す景色はこの偉大な世界遺産アンコール・ワットが森の中に浮かぶ
幻のような寺院であることを物語っていました。
暑い暑い日差しの中、階段を登るまでには嘘のようだった涼しい風が優しく吹き、
まるで10世紀前のクメール人達が崇めた神の息が存在しているかのような
不思議な空間が広がっていました。

                                 


階段を降り、第一回廊の方までゆっくりと戻って行く。
途中守り神ナーガの守る仏陀像にまた出会いましたが
こちらは頭が破壊されていました。
戦争により多くの像の頭が破壊されましたが、破壊された後も
崇拝される仏陀や女官達の石像。
クメールの人々の信仰深さが伝わります。



高い天井。


そして第一回廊まで降りてきました。
天井にも花状紋のレリーフが施されている。(復元)


レリーフ ”天国と地獄”
(第一回廊 南側)
天井から床までを三列に分け、上から天国、現世、地獄が描かれています。




レリーフ ”乳海攪拌”
(第一回廊 東側)
第一回廊で最も有名な、ヒンドゥー教の天地創世神話で知られる乳海攪拌
を描いたレリーフ。

ヴィシュヌ神の化身である大亀の背に乗せた大マンダラ山を
神々と阿修羅が大蛇を綱として引き合うカンボジアの創世神話です。

采配を振るう中央のヴィシュヌ神。





さて、興奮冷めやらぬまま東の出口に出た。

東出口には野生の猿達が住み着いており、
訪れた観光客や地元民からのおこぼれを美味しそうにほうばっていた。






~ カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 終わり ~

カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 記事2

2014-09-16 02:31:30 | 海外旅行
いよいよ第一回廊を目指します


アンコールワットの中心にあたる中央祠堂は外側から第一回廊、第二回廊、第三回廊という
3つの回廊により取り囲まれています。

ここを登ると一つ目の回廊の内側。
更に中央のピラミッドに近づき、だんだんヒンドゥーの神を祀った当時の人々の軌跡を
強く感じるパワースポットへと進んでいきます。


【第一回廊】

第一回廊の外側には一面に壁面彫刻が施されている。

北側から登ったところに見えるのは
レリーフ ”クリシュナと怪物バーナの戦い””神々と阿修羅の戦い”




長い回廊。
ずらり石柱が立ち並び、かくれんぼが出来そうだ



【十字回廊】
第一回廊を歩き、回廊西側の十字回廊にやって来た。



天井や壁にまだ彩色が残っている部分があります。
アンコールワットで唯一色を見た場所です。




【第二回廊】
”田”のような形になっている十字回廊を抜けると第二回廊に辿り着きます。


連子状窓とデバターがずらりと立ち並んでいます。
その数は今まで来た道よりも数倍増えて行くことに気が付きますね。

第二回廊から見た第三回廊と中央祠堂。



ま、まさか第三回廊までこの階段を登るのか


怖気づいたが、この階段は過去に使われていたもので、
今では通行禁止となっており、回廊の裏側に専用の階段が設置されている。

もし中学生の頃にカンボジアに来れていたら、この階段を登らなければ
中央祠堂には到達しなかっただろうか。
過去に転落事故などはなかったのだろうか。

それにしても、専用の階段も角度は一緒ではないか?


手摺があるだけ大分と安全だが、ほぼ梯子を登るような感覚で
何とか上まで到達。

~ カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 記事3 に続きます。 ~

カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 記事1

2014-09-15 21:36:44 | 海外旅行
2011.6.12(日)早朝

アンコール遺跡の共通パスポートを作ってもらう為に
まだ日の昇らない早朝にホテルを出発。

街灯には見たこともないほど大きな蛾が無数にたかっていた。
数が多過ぎて木の葉に見えるが、よく見ると蛾だ。

しかしこの大群が蛾だと思うと怖かったので蝶だと思うことにした。




辺りはまだ真っ暗だけどライトで照らして写真撮影。
5分もしない内に顔写真入りパスポートが出来る。
3DAYパスポート USD40.00
観光客にのみ課される入場料だが、年々弱るアンコールの世界遺産を維持する為なら
喜んで支払いたい額だ。

しかし真っ暗な中、ライトで照らしての写真撮影は思いもよらなかった。
まだ眠いがSmile~と言葉に反応してにっこり。
と、撮り終わった途端に 頭に蝶がぶつかった。


アンコールの夜明け



ついにこの地に、今まさに立とうとしている

入り口、西参道より
暗闇の中に浮かび上がるアンコール・ワット西塔門のシルエットに、
興奮は頂点に達する

アンコール・ワット
年代:12世紀前半
創設者(王):スールヤヴァルマン2世



西参道を歩き、この西塔門をくぐるといよいよ奥にアンコール・ワット中央祠堂の姿が見えてくる。
少しずつ中央塔に近づいていくアンコール・ワットの構造は
日によっては美しい日の出を背にしたその神々しい姿を見せてくれる。
この日は午前中ずっと晴れていたが雲があった為、生憎日の出を見ることは出来なかった

西塔門、ヒンドゥー教の太陽神ヴィシュヌ

現在は土着神として信仰の対象となっている。


参道脇の経蔵
経文や宝物を納めた建物で
本堂に向かって左右対称に設置されている。


12世紀前半に建てられたというアンコール•ワットは何度もスコールに晒され
植物の浸食等の被害もあり、風化が激しい。
どこも修復無しにはその姿を維持することは非常に難しく、
優れた修復技術を持つ日本の修復士達も修復に携わっている。


だんだん周囲が明るくなってきた。

第一回廊へ続く参道から芝生へ降りると、
周辺で美しい織物を売る地元の人々。それに野生の犬。

深夜も大雨が降ったようで、あちこちに水たまりが出来ていた。
中央祠堂を背景に。


白馬がいた・・。
周囲は密林に囲まれ、1860年にフランスの博物学者アンリ・ムオが発見するまで
その存在を忘れ去られ、密林の奥深くに眠り続けたアンコール・ワット。


第一回廊に入る前に西側テラスや西塔門、内庭を随分長く散策した。

夜が明けてきたのでまた西の入り口に戻ってみたり・・。



アンコール・ワットは周囲を濠に囲まれ、水に映る姿がまた美しい。

西の入り口から東に向かって石畳の参道が続く。




西塔門の美しいデバター(女官や踊り子の像)


連子状窓と呼ばれる窓から差し込む自然光が美しい。


西塔門から撮影した濠沿いに広がる塀。


もう一度西塔門を抜けるとそこには既に
世界各地から多くの観光客が押し寄せていた。


経堂を通り過ぎさらに参道を進むと、聖池がまた左右対称に配置されている。
向かって左側(北側寄り)から撮影。



暗く見えるピラミッドの形や、取り囲む密林の茂った植物達。
想像していた通りに神秘的だ


あれっ?? 密林の奥に気球が上がっている


更に北側には地元の人々の市場が立ち並んでいた。



~ カンボジア旅行記 No.2 アンコール・ワット 2011.6 記事2 に続きます。 ~