めぐ里愛じかん

不確実性社会の中でワークライフバランスを探究する50代のリアルを楽しく書いていく、めぐりえのブログ

翔け抜けた昭和〜平成〜令和まで⑧

2024-01-07 15:30:00 | 日記
めぐ里愛じかんへようこそ。
新年明けましておめでとうございます。

昭和の時代に生まれ
令和の時代を生きる
50代のブログ めぐ里愛じかん を
2024年もよろしくお願いいたします。

昭和世代の皆さま年末年始は
ゆっくり過ごされたでしょうか。

コロナも明けて、
子や孫が訪ねてきたり
人が集まると
嬉しい反面、女性は
台所にいる時間が多くなりますね。
それが昭和世代に多く見られる
女性の姿かと思います。
今日は、この話題にしましょう。

男女平等的な言葉を耳に
するようになった記憶は
平成の頃からです。
男女雇用機会均等法がニュースや
新聞などでよく聞かれていました。

実際のところ、
昭和世代の友人達の多くは
20代で結婚退職し、
家庭に入り子育てに専念…
というケースが殆どでした。
20代が結婚適齢期という扱いで
親も、世間も、自分たちも、
結婚の話題に気を揉んだり
心配したり、うんざりする程
結婚の2文字が追い迫ってくる
20代でした。
時代は平成と言っても
昭和時代の感覚が、しっかり
引き継がれたままの結婚
というイメージです。

平成以降、
共働き世帯が増え
女性が社会に出ている時間は
増えていると思います。
時代背景を考えた場合、
可能な状況であれば
女性も働いていた方が良いと
昭和世代の一個人としては感じます。

昭和世代の女性の間では、
一旦、家庭に入り
子育てが落ち着いたので
また働こうというときに、
思うように仕事が得られない
という話しが多いからです。

もう一つには、
どんどん社会が変化していく
ことを考えると、
何だかのカタチで
社会との接点を持っていた方が
良いと思われるからです。
新しいことを覚えたり、
付いていくのは大変かも
しれませんが、世の中の流れを
常に学んでおくことができます。

令和になり、
SDGsの観点からも
誰もが年齢にかかわらず
可能な限り働くことは
珍しくなくなると思います。
昭和世代にはバブル期を
経験している世代も多く、
「働くこと ≒ お金」
という感覚が多いと思います。
更に、お金の量は多ければ多いほど
良いという傾向もあると思います。
「過労死」という言葉もあったほど
ヘビーな残業も多かった時代でした。

お金のために働くことが
悪いとは思いませんが
「老い」がのしかかる昭和世代、
将来に向けて、
年齢に関係なく
やっていて充実することを
見つけたいですね。

令和の現在、若い世代の間では
働くことに対しての価値が
変わってきつつあります。
量 から 質 へ移ってきている
と言われています。

家族のスタイルも変化して
その日できる人が台所にいる。
という風景も当たり前に
なるかもしれません。
若い世代の暮らし方から
学ぶことが多くありそうです。

昭和世代のみなさま(自分含め)。
今年もがんばりましょう。

翔け抜けた昭和〜平成〜令和まで⑦

2023-12-29 20:30:00 | 日記
めぐ里愛じかんへようこそ。
ゆっくりしていってください。

昭和の時代に生まれ
令和の時代を生きる
50代のブログです。

間もなく2023年も終わってゆきます。
昭和世代の皆さまにとりまして
今年はどんな1年だったでしょう。

間もなく2024年になります。
来年はどんな年になりそうですか?
或いは
どんな1年にしたいと考えていますか?

何時しか「不確実性社会」という
言葉を耳にするようになり
人生には「まさかの坂」がありますよ
と、諸先輩方に御指南いただくことの
多くなってきていた近年。
毎年、毎年、何かしらの「まさかの坂」
が起きているように思います。

個人的に
何よりショックが大きかったのは
21世紀に紛争が起きたこと。
その起点となっている問題は
民族間の根深い問題であったり、
案外、昔からそこにある
シンプルなことだったりする。
それら消化しきれずに
燻ぶっていたものが
表面に噴出してきた
という印象なのですが、人類は
21世紀の現代も尚、話し合って
解決することはできていない。
化学やテクノロジーが
どれほど進化しても
人類の生物的な本能の部分は
そう簡単には進化しないの
だろうか?

それが一番の衝撃でした。

間もなく新しい年が来ます。
一緒に新しい時代も
日に日にスピードを上げて
やってきます。
気付いたら置き去りにされて
しまわないように
自称アナログな昭和世代としても
世の中をよく見ていきたいですね。

こんな風に書きますと
なんだか昭和世代は
古い時代の人間みたいに
感じられるかもしれませんが
実際問題、1年、1年
古い時代の生まれ人
となりつつあります。
一方で
昭和世代の素晴らしさ
も、あります。
子どもの頃、好きだったこと
子どもの頃、得意だったこと
手仕事でしかできないこと
身体が覚えた職人的な感覚
ハイテク家電がなくても
できてしまうご馳走
絵を描くこと、伝統舞踊
日本の伝統的な衣食住
釣りをする
野菜を育てる
などなど、
忘れていたけれど
もう一度やってみたいこと
後年、余裕ができたら
やってみたかったこと
…ぜひ、2024年に
何かやってみてはいかがでしょうか。
失敗してもかまいません
下手でもかまいません
笑われたってかまいません
何回も挫折したってかまいません
好きなら何度でも
やってみましょう

めぐ里愛も
「あなたの好きなこと」
を応援いたします

昭和世代のブログ
「めぐ里愛じかん」も
記事の更新をがんばりま〜す🖊
ぜひ、応援してください

年末、このブログを見つけてくださった
すべての皆さまに感謝申し上げます。
来年も健康に注意して
昭和世代がんばって生きましょう

翔け抜けた昭和〜平成〜令和まで
のシリーズでは、今年最後の
ブログ記事となります。
最後までお読みくださり
ありがとうございました!

また別の新カテゴリーも
更新して参りますので、
そちらの方でも
よろしくお願いいたします。

昭和世代のみなさま
今年1年、大変お疲れさまでした。

環境・SDGs日記②

2023-12-27 10:00:00 | 日記
めぐ里愛じかんへようこそ。
今日は環境の話題です。

先日、友人の案内で
丸森町を訪れました。
竹林の保全活動をされている
NPO法人あぶくまの里山を守る会さんに
おじゃましてお話しを伺いました。

よく“破竹の勢い”と言われるように、
竹は放おっておくと、どんどん成長し
殖えていきます。
昔の日本では、竹を利用して
生活に欠かせない道具を拵え
竹は身近な生活用品でした。
屋内の道具だけでなく
農耕具としても利用されてきましたし、
日本の建築様式の一部や庭園にも、
デザイン性を持たせた建材の一つ
として使われ、それらが
日本ならではの美しい景観を
造ってきました。
そのように竹は、日本文化において
欠かすことのできない存在だと
云えるでしょう。

現代では、プラスチックをはじめ
様々な素材の生活用品に囲まれて
暮らしており、建材も農耕具も
竹製のものは
昔の日本の暮らしに比べて
ごく僅かになっています。

利用機会が減少した竹林は
伸び放題で、手を入れなければ
山が荒れていきます。

環境省の里山の定義では、
「原生的な自然と都市との中間に位置し
集落とそれを取り巻く二次林、それらと
混在する農地、ため池、草原などで
構成される地域」となっています。
なんだかちょっと
難しく書かれていますが
農林業や生活に伴い、適度に人間の手が
入ることで 、その地特有の生物の生息や
食料や木材など自然資源の供給、
良好な景観、文化の伝承の観点からも
重要な地域である、ということなのです。
つまり、
人が自然に働きかけて生まれた空間であり
「日本人の心の原風景」と云うわけです。

丸森町を流れる阿武隈川沿で
この原風景を守る活動が
続けられています。

NPO法人 あぶくまの里山を守る会では
伐採したあとの竹を
炭やコンポストにして
畑の土壌再生に活用する
取り組みもされているということで、
お話しを伺い大変興味深かったです

地域の資源を地域で活用する
持続可能な取り組みに
チャレンジされています。

NPO法人あぶくまの里山を守る会の皆さん
たくさんお話しを聞かせていただき、
ありがとうございました

それでは今日はこのへんで。

翔け抜けた昭和〜平成〜令和まで⑥

2023-12-22 13:30:00 | 日記
めぐ里愛じかんへようこそ。
ゆっくりしていってください。

昭和の時代に生まれ
令和の時代を生きる
50代のブログです。

世の中はクリスマスとお正月
ムードですね。
今年も本当に速かったです❕

前記事のテレビのお話に
少し追加を書きたいと思います。

家電について思い出すこと。

地方の都市ではありますが
子どもだった昭和の頃は
街の電気屋さんは
見慣れた風景でした。

前記事で登場した、
ウォークマンの頃には郊外に
大型家電店が進出していて
既に店頭価格競争があった
と記憶しています。

就職して社会人となった平成。
自分で収入を得るようになり
消費の一部には常に何らかの
家電品があったと思います。
この頃、個人的には
環境だとか
エネルギー消費など
深く考えていない時代でした。
「エコ」「省エネ」
そのようなキーワードは
聞こえはじめていましたが
個人として行動を変えるまで
関心を寄せてはいませんでした。

平成〜令和の現在。
街の電気屋さんが1軒また1軒
姿を消して行く傍ら
個人がネットで、
車まで購入できてしまう時代に。
ハイテクな
(今どきハイテクとは言いませんね(笑))
購買手段や方法に詳しい方なら
ネットで大半ことが足りるでしょう。

アナログな昭和世代にとって、
大型家電店各社のサービス
機能が充実してきており。
最終的に頼れる存在と
なりつつある令和です。

よくよく振り返ってみれば
こんなに短期間で
激しく社会が変化してきました。

このような時代の変化に
立ち会っていること。
それだけでアナログ世代は
十分よくやってると
自分を労ることにしています。

未来はもっと
大きく変化していくでしょう。

日常がんばっておられる
昭和世代のみなさま(自分含め)。
おつかれさまです。

翔け抜けた昭和〜平成〜令和まで⑤

2023-12-16 09:00:00 | 日記
めぐ里愛じかんへようこそ。
ゆっくりしていってください。

昭和の時代に生まれ
令和の時代を生きる
50代のブログです。

「お茶の間の人気者」テレビのお話。
今どき(お茶の間)とは
言わなくなりましたね(笑)

子どもだった昭和の頃、
茶の間の食器棚と違和感なく
並んでいたテレビ。
木の箱に画面が付いていて
家具のような姿のテレビでした。

もっと幼い頃、朧げですが
木の箱タイプに4本の脚が
付いていた記憶があります。

木の箱に戻ります。
チャンネルの取っ手は
丸い盤に縦にツマミが
付いたもので、
ツマミを持って左右に
カチャカチャと回して、
見たい番組にチャンネルを
合わせるタイプでした。

テレビの上には
誰かのお土産の
鮭を加えた木彫りの熊が
飾ってあり、それと並んで
室内アンテナが置いてありました。

映りが悪くなると、
アンテナを動かして調整。
それでもダメなら
木の箱の側面を彼方此方
バンっ!バンっ!
と叩いて画面映りを戻そうと
していました。
なんともスパルタな
みんなに叩かれて
カワイソウなテレビでした。

チャンネル争いでは兄弟に
いつも負けていました。
なので争いには参加せず
静観していました。
争いがヒートアップすると
勢い余って、取っ手がポーンっ!
と、抜け取れてしまい
それはそれで
壊れた〜っ壊した〜っ
の大騒ぎでした。
昭和の子どもは、
特に道具やモノがなくても
くだらないことで盛り上がれる
世界がありました。

昭和の終盤〜平成には
リモコンが登場していました。
まだまだ後ろに奥行きのある、
ボテッとした姿のテレビでしたが
木の箱に比べればスタイリッシュ
な気分になっていたと思います。

皆、成長してひとり一部屋になり
自分の部屋にも小さいテレビを
置いていました。
チャンネル争いのない
平和な時代が訪れました。

この頃「ビデオテープ」も登場
していました。今でも何本か
テープが保管されているお宅も
あることでしょう。

家庭を持ったあと、地デジの流れで
我が家のテレビも奥行きのない
薄型テレビになり令和に至ります。

テレビは家電の代表格ですが
社会人になり、
自分でテレビを購入する頃には
地方のこの辺りにも既に
郊外に数件の大型家電店が
ありました。
また、今ではクルマの
カーナビ機能で移動しながら
テレビを見ることもできています。
こうした商品は
お正月の初売りの目玉にも
なっていたりしますね。
チャンネル争いでヒートアップ
していた頃とは世界が
全く激変しました。

更に令和の現在、
ネットやYouTubeなどを
閲覧する時間が日常を占め
テレビはあまり観ない時代
とも云われています。

自分も閲覧時間が多い方かと
思いますが、ネットで情報を
取れるのにも関わらず
どうしてか
NEWSと天気予報をセットで
決まった時間にテレビで観ます。
これが家族団欒の場にもなっており
家族の健康確認や翌日の装備確認
そのようなひと時になっています。

人気順位は維持されないにしても
アナログな昭和世代にとっては
やはりまだ、
テレビ ≒ お茶の間 なのです。
あくまで、私の場合ですが。

振り返ってみれば
社会が激的に変化しています。
このような時代の流れを
生きてきたのが昭和世代。
(自分含め)
本当におつかれさまです。