通訳・翻訳の勉強部屋

通訳・翻訳者を目指し、日々勉強を続けております!!

Tuesdays with Morrie

2006-05-27 14:24:51 | リーディング
2/2「カリキュラム」
 ぼくの老教授の最後の授業は先生の自宅で行われた。毎週火曜日。教科書はなし。テーマは人生の意味。最終試験はなかったが最後に論文を作成しなければならなかった。それがこれ。先生による最後の授業の生徒は一人。それがぼくだった。

2/6
大学の卒業式の日。ぼくはモリーにブリーフケースをプレゼントする。モリーのことを忘れたくなかった。モリーにもぼくのこと忘れてほしくなかった。別れのあいさつ後、モリーは泣いていた。

「概要」
 ダンス好きだったモリー。しかし、そのダンスができなくなり、ぜんそくに悩まされるようになり、とうとう倒れた。体の何かがおかしいことをモリーは感じていた。たくさんの検査を通して受けた宣告は難病ALS。病気はモリーの体をむしばんでいった。自分で体を動かすのが困難になってきたモリー。しかし、彼の元を訪れる人はあとをたたない。そんな中、モリーの提案で生前葬式を行った。生前葬式は大成功。だが、これからがモリーの尋常でない時期だった。

2/8「学生」
 モリーと連絡をとろうと約束をしたのにぼくはずっと連絡をとらなかった。ミュージシャンになりたかったが夢は叶わず、大好きだったおじさんの死に直面してぼくは院に行きなおしスポーツライターの道に進んだ。仕事に追われる日々。そんなある日、ぼくはテレビのチャンネルを次々にかえているうちに、ふと耳に入ったものがあった。

2/13
「視聴覚教室」
 モリーの病気は進行。足は動かなくなった。それでもモリーは負けなかった。いろいろな警句を知人にきかせた。その一つをかつての同僚が新聞社に送り、それがきっかけで「ナイトライン」のテレビ出演が決まる。
 「ナイトライン」はモリーの家で収録され、金曜の夜に放送された。「モリー・シュワルツとは誰ですか?」テレビから聞こえたこの言葉にぼくはかたまってしまった。

2/15
「オリエンテーション」
 十六年ぶりのモリーとの再会。モリーは車椅子でやせこけていた。モリーの部屋で恩師と話し始める。気付かないうちに最後の講義は始まっていた。

「教室」
 モリーは質問をぼくになげかける。「自分に満足しているかい?」「精一杯人間らしくしているかい?」

2/17 
「出欠確認」
 「われわれのこの文化は人びとに満ち足りた気持ちを与えない。文化がろくな役に立たないんなら、そんなものいらないと言えるだけの強さを持たないといけない」

「第一の火曜日――世界について」

「今となっては人生をユニークに見ないといけない。まっこうからぶつかるんだ」「人生で大切だと思われるものに目を注いでいられる」
「この病気のおかげでいちばん教えられていることは何か、教えてやろうか?」「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」
「今度の火曜日も来るね?」

 大学の講義。沈黙の実験。人は沈黙をいやがる。でもぼくは沈黙はかまわない。そんな様子のぼくを見たモリーが自分の若い頃に似ているという。 

2/19
「第二の火曜日 自分をあわれむこと」
 モリーは朝にほんの少し自分をあわれんだらもうあとは自分をあわれむことを許さないという。「さよならを言える時間がこれだけあるのは、すばらしいことでもあるよ。みんながみんなそれほどしあわせってわけじゃない」

大学三回生のある日の授業。自分達が実験台。「目に見えるものが信じられなくて、心に感じるものを信じなければならないときがあるんだ。他人から信頼してもらうには、こちらも相手を信頼してかからなければならない」

2/24
「第三の火曜日――後悔について」
 ぼくはモリーとの会話をテープレコーダーに録音することにした。そしてモリーと話すことのリストを作った。

 大学四年次、ぼくは卒業論文をモリーと一緒に書いた。
 
1/30「視聴覚教室――第二部」
「ナイトライン」の二回目の収録。モリーの舌はもつれ、もうすぐ話せなくなるだろう。しかしモリーは言う。「愛があれば話す必要はないんだ」
 番組の終わりに一枚の手紙について話す。幼くして親を亡くした子どもの話。そしてまたモリーも幼い頃に母親を亡くし、その心の傷は未だに癒えていないのだ。

2/2「教授」
 モリーが八歳のときに母親が亡くなった。そして弟が小児麻痺にかかる。その後新しい母親エバが来る。モリーが十代になって父親は肉体労働をさせようとしたが、モリーはこういう仕事はしたくないと思った。弁護士も医者もいやだった。モリーがぼくにとって素晴らしい教授になったのはこんな偶然が重なったからだ。

2/8
「第四の火曜――死について語る」
「どう死ぬかが分かると、どう生きるかが分かるんだ」

2/13
「第五の火曜日――家族について」
 今日の話題は家族について。ぼくには姉と弟がいる。弟は伯父と同じ癌におかされ、アメリカではできない治療をスペインでうけていた。何回も連絡をとろうとしたが弟は拒否。一人で闘病している。今考えると、モリーはこのことを知っていたんだろう。

2/17
「第六の火曜日――感情について」
 モリーの病状が悪化してきている。それでもモリーは会って話をしてくれる。「自分を経験から引き離すことが大事。引き離すことを学びなさい」

2/24
「教授――第二部」
 モリーは院卒業後、精神病院に勤めた。多くの患者は裕福だった。モリーはお金では幸せや満足は買えないことを学んだ。
 モリーのところにはたくさんの教え子たちが訪れた。全員口をそろえて言う。「あなたみたいな先生、他にいません」

 モリーのところへ訪ねるうちにぼくは死についての本を読むようになった。その内容。

2/26
「第七の火曜日――老いの恐怖」
 モリーはとうとう他人に自分の尻をふいてもらわなくてはならなくなった。しかし、このことを「もう一度赤ちゃんに戻ることができる」と言っていた。
 老化はすべての人が嫌がることだが、モリーは老化を喜んで受け入れるという。年を重ねるにつれて経験を積むことができるからだ。

3/1
「第八の火曜日――お金について」
 モリーは愛に飢えているとその代用にモノが欲しくなるのだという。病気になったときからモノを買う意欲はなくなったのだ。人に何かを与えることが自分が生きていると感じられる。車や家ではそう感じられないのだ。

3/6
「第九の火曜日――愛はどこに行くかについて」
 ナイトラインからまた取材したいと連絡がきた。だが今度は向こう側がもう少し待ちたいという。ぼくはモリーがもっと衰えるのを待とうとするテレビ局に腹が立った。だがモリーは利用しているのはお互いさまだと言う。モリーのメッセージをたくさんの人に伝えるにはテレビという媒体が必要なのだ。
「これは一緒にする最後の論文だね」
「愛は人はずっと生かすもの」
「墓石には『最後まで先生だった』と入れてほしい」
 モリーが父親と最後に会ったのはモルグ。父親はある夜強盗から逃げたところで心臓発作で道端に倒れた。それが最後だった。

 南アフリカの熱帯雨林に住むデサナ族は世界のエネルギーは一定に保たれていて誕生と死がくり返されているという。モリーもぼくもこの考えに賛成だ。「平等なんだよ」

「第九の火曜日――愛は続く」
『愛とは生きてとどまること』

3/13
「第十の火曜日――結婚について」
 モリーのところに初めてぼくの妻ジャニーンを連れていった。ジャニーンは歌手。モリーはジャニーンに歌を歌ってほしいと頼んだ。ジャニーンの歌を聴いてモリーは涙を流す。ぼくは彼女の歌をそんな風に聴いたことはなかった。
 結婚について話す。結婚が大切だという信念が大事だとモリーは言う。最後に好きな詩を引用した。「互いに愛するか滅びるか」

 聖書のヨブ記では、神がヨブの信念を試すためにわざと試練を与える。このことについてどう思うか尋ねたところ、モリーは「神はやりすぎたね」と言ってほほえんだ。

3/26
「第十一の火曜日――文化について」
モリーの状態は日に日に死へと近づいていった。
「誕生のときも生きるために他人を必要とする。人生の終わりのときも他人を必要とする」

4/20
「視聴覚教室――第三部」
 テレビ撮影の三回目。おそらくこれが最後になるだろう。モリーの体は弱りきっている。モリーは人生の意味は他人とのかかわりだと言う。テッドを含めナイトラインのスタッフ全員がモリーに感謝した。モリーは病気は自分の体をむしばんでも、魂をもむしばむことはないと言った。

4/22
「第十二の火曜――許しについて」
モリーは言う。自分を許すこと、他人を許すことが大事だと。ぼくはさよならを言うのが怖かった。

4/23
「第十三の火曜日――満足な日について」
『死は人生を終わらせるが、関係は終わらせない』
 モリーに健康な体になったら何がしたいかたずねると、平凡な一日を過ごすという。すごく平凡な日常に何の満足が得られるのか? ぼくはこれがすべてのポイントだと思った。
 モリーはぼくの弟について話す。ぼくと打ち解けてくれない弟。「弟さんのところに戻る道は見つけられるよ。私のところにも戻ってきてくれただろ?」

「第十四の火曜日――お別れを言う」
 モリーの容態はかなり悪化していた。モリーの手をぼくはにぎった。モリーは声も絶え絶えに「愛している」と言ってくれた。

「卒業」
 モリーは土曜に逝った。葬式が行われぼくは参加した。心の中でモリーと会話した。すごく自然だった。その日は火曜だった。

「結論」
 ぼくは弟に「愛している」と言って抱いた。そんなこと今までしたことなかった。それから弟とぼくの関係はよくなっていった。
 この本はモリーのアイデア。『最終論文』だ。
 先生の教えはまだ続いている。

【あらすじ】
 モリーは大学時代のミッチの恩師。しかし大学卒業後、連絡はとだえていた。だがある日、ふと見たテレビにモリーがうつっていた。しかもミッチの思い出の中にあるモリーとはかけはなれた病人の姿だった。
 モリーの病気はALS(筋萎縮性側策硬化症)。完治のない難病に侵されたモリーとミッチは十六年ぶりに再会した。
 それから毎週火曜日にモリーの最後の授業が始まった。テーマは人生の意味。
 自分で自分の世話をすることができないALS患者が病気になって見えてきたものを語る。忙しく動き回っている仕事人間にはモノやカネしか見えていない。社会がそうさせてしまっている。本当に大切なものは愛だ、モノやカネじゃない。
 モリーが死んだ後もミッチの中で火曜日の授業は続いていた。

【情報】
著者 ミッチ・アルボム
「デトロイト・フリープレス」紙のスポーツコラムニスト。
70年代後半、ブランダイス大学で学生時代を過ごし、社会学教授のモリー・シュワルツと出会う。卒業後、プロミュージシャンを目指すが、挫折。コロンビア大学でジャーナリズムの修士号を取得し、スポーツジャーナリズムの世界へすすむ。鋭い洞察と軽妙なタッチのコラムは高い評価を受け、AP通信によって全米NO.1コラムニストに過去13回選ばれている。
『モリー先生との火曜日』はアメリカで600万部を超え、ニューヨーク・タイムズ紙ノンフィクションベストセラーで4年間1位、世界的なベストセラーとなる。
この後執筆した初のフィクション『天国の五人』は全米フィクションベストセラー第1位を獲得、550万部の売り上げとなった。
現在、妻ジャニーンとミシガン州フランクリンに在住。

【評価】
 この作品の特筆すべき点は、人生の意味や愛について考えさせられる内容でありながら、それが全て実在の人物の語られた言葉であったという事実だ。モリーがALSという難病に侵されながらも、ただの闘病記としてではなく、人生の意味について深く掘り下げた内容がたくさんの読者の心を震わせたのではないだろうか。

【所感】
 人生の意味。誰もが考え、追究するテーマ。ノンフィクションでそれを考えさせられる作品は少ない。そういう面でたくさんの人たちが求めていた作品なのではないだろうか。モリーの言葉は単純明快で、せかせかと働く現代人の心につきささり深く考えさせられるようになっている。分かりやすい上に考える内容は深い作品である。

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