それは
私が中学一年生だった春のこと
「日本の一番北は北海道だが
それじゃ南はどこだかわかるかい?」
黒板の前に
大きな日本地図を広げると
ドリフターズのリーダーだった
いかりや長介似の社会科教師は
そのイカツイ顔からは想像もつかない
優しくおだやかな声で我々に問うた。
『沖縄…』
教室に
誰からともなく
小さな声が漏れる。
すると
社会科教師は
してやったりとばかりに
不敵な笑みを浮かべた。
「君たちは、
日本の一番南にあるのは
沖縄だと思っているんだろう?
でもね。
もうじきのことだろうけど──
沖縄はまだ日本に返還されていないから
日本の一番南は沖縄ではないんだな」
私が
中学に入学したのは
大阪で万国博が行われた
1970年のことである。
社会科教師が
もうじきと言ったように
沖縄が米国から返還されたのは
1972年のこと
この時点では
まだ沖縄は日本の領土ではなかったのである。
ただ、
この頃さかんに
テレビや新聞で沖縄返還問題が
報道されていたものから
つい錯覚を起こしてしまっていたのだ。
教室から
『あっ、そうか』
『なるほど。そういやそうだ』
という声がもれる。
「どうだい。
落とし穴だったろ?」
社会科教師は
得意満面である。
ニヤリと笑うと
沖縄が返還されるまではと
抜け目なく前置きした上で
日本地図の
沖縄の北に位置する島を指して
「だから
今の段階では日本の最南端はココ
鹿児島県の与論島という島なんだな」
というのであった。
だが、
しかし。
あえて
九州弁でいうならバッテン
九州でも
福岡風ならバッテンがっくさ
熊本風ならバッテン(が)タイ
ほんでもって
なんでか
愛媛風にいうなら
ほんじゃけんどね…
この授業の二年前
私が小学五年生だった
1968年の五月に
小笠原諸島が
沖縄より一足先はやく
米国から返還されていたのである。
そういや、
小笠原ってぇのも
結構南にあるよな
そう思った私は
帰宅すると
珍しく親が買ってくれた
参考書をひらいた。
すると
小笠原諸島には
母島をはじめ鹿児島県の与論島より
南に位置する島が点在していることが
書かれているではないか。
社会科教師が
大学で学んだ頃から
授業のほんの二年前までは
日本の最南端は
鹿児島県の与論島であったろうが
小笠原返還に伴い
日本の最南端は
東京都の小笠原諸島になっていたのである。
どうやら
社会科教師は
お勉強をさぼっていたようである。
あんの野郎…
である。
授業の二カ月後
社会科の中間テストで
"日本の最南端は"という問題をみつけた。
あの得意満面の顔をしていた
社会科教師の鼻をあかしてやろうと
回答欄に"正しくは与論島じゃなく…"
と書こうしたのだが
情けないことに
小笠原の母島が
与論島より南であることは覚えていたが
それより南にある
最南端の島がなんだったかを
覚えていないことに気付いた。
どうしようか
テスト中
しばらく思案したが
しかたがなく
『与論島』と書いて
○をもらうことにした。
そうしたのには
もうひとつ理由がある。
「もうじき沖縄は
アメリカから日本に返還されるそうだから
そうなったら
無論、沖縄が最南端だけどね」
授業の最後に
社会科教師が言ったように
沖縄は1972年に米国から
日本に返還されることになっていた。
だから
わずか
二年で意味がなくなる事柄で
グダグダ文句つけるのが
バカバカしくなって
思い直したのである。
やがて
時は流れ
1972年の六月に
沖縄はアメリカから返還された。
これで
社会科の教師が言うように
沖縄が日本の最南端になった。
と、
思ったら
それも間違いだった。
たしかに
人が住んでいるという条件下では
沖縄県の波照間島が最南端であるが
人が住んでいない島を含めた
日本の領土全体では
小笠原諸島の沖ノ鳥島のほうが
沖縄のどの島より南に位置している。
つまり
日本の最南端は
沖ノ鳥島なのだ。
ということは
私が授業を受けた
1970年当時から
その後の
沖縄の返還にかかわらず
日本の最南端は
小笠原諸島の
沖ノ鳥島
だったのである。
再び
勉強せぇよ
あの時の社会科教師である。
て、
いうか
今思うと
こん畜生なのは
あの時の私である
沖ノ鳥島を
覚えてなかったばっかりに
ああ残念
私が中学一年生だった春のこと
「日本の一番北は北海道だが
それじゃ南はどこだかわかるかい?」
黒板の前に
大きな日本地図を広げると
ドリフターズのリーダーだった
いかりや長介似の社会科教師は
そのイカツイ顔からは想像もつかない
優しくおだやかな声で我々に問うた。
『沖縄…』
教室に
誰からともなく
小さな声が漏れる。
すると
社会科教師は
してやったりとばかりに
不敵な笑みを浮かべた。
「君たちは、
日本の一番南にあるのは
沖縄だと思っているんだろう?
でもね。
もうじきのことだろうけど──
沖縄はまだ日本に返還されていないから
日本の一番南は沖縄ではないんだな」
私が
中学に入学したのは
大阪で万国博が行われた
1970年のことである。
社会科教師が
もうじきと言ったように
沖縄が米国から返還されたのは
1972年のこと
この時点では
まだ沖縄は日本の領土ではなかったのである。
ただ、
この頃さかんに
テレビや新聞で沖縄返還問題が
報道されていたものから
つい錯覚を起こしてしまっていたのだ。
教室から
『あっ、そうか』
『なるほど。そういやそうだ』
という声がもれる。
「どうだい。
落とし穴だったろ?」
社会科教師は
得意満面である。
ニヤリと笑うと
沖縄が返還されるまではと
抜け目なく前置きした上で
日本地図の
沖縄の北に位置する島を指して
「だから
今の段階では日本の最南端はココ
鹿児島県の与論島という島なんだな」
というのであった。
だが、
しかし。
あえて
九州弁でいうならバッテン
九州でも
福岡風ならバッテンがっくさ
熊本風ならバッテン(が)タイ
ほんでもって
なんでか
愛媛風にいうなら
ほんじゃけんどね…
この授業の二年前
私が小学五年生だった
1968年の五月に
小笠原諸島が
沖縄より一足先はやく
米国から返還されていたのである。
そういや、
小笠原ってぇのも
結構南にあるよな
そう思った私は
帰宅すると
珍しく親が買ってくれた
参考書をひらいた。
すると
小笠原諸島には
母島をはじめ鹿児島県の与論島より
南に位置する島が点在していることが
書かれているではないか。
社会科教師が
大学で学んだ頃から
授業のほんの二年前までは
日本の最南端は
鹿児島県の与論島であったろうが
小笠原返還に伴い
日本の最南端は
東京都の小笠原諸島になっていたのである。
どうやら
社会科教師は
お勉強をさぼっていたようである。
あんの野郎…
である。
授業の二カ月後
社会科の中間テストで
"日本の最南端は"という問題をみつけた。
あの得意満面の顔をしていた
社会科教師の鼻をあかしてやろうと
回答欄に"正しくは与論島じゃなく…"
と書こうしたのだが
情けないことに
小笠原の母島が
与論島より南であることは覚えていたが
それより南にある
最南端の島がなんだったかを
覚えていないことに気付いた。
どうしようか
テスト中
しばらく思案したが
しかたがなく
『与論島』と書いて
○をもらうことにした。
そうしたのには
もうひとつ理由がある。
「もうじき沖縄は
アメリカから日本に返還されるそうだから
そうなったら
無論、沖縄が最南端だけどね」
授業の最後に
社会科教師が言ったように
沖縄は1972年に米国から
日本に返還されることになっていた。
だから
わずか
二年で意味がなくなる事柄で
グダグダ文句つけるのが
バカバカしくなって
思い直したのである。
やがて
時は流れ
1972年の六月に
沖縄はアメリカから返還された。
これで
社会科の教師が言うように
沖縄が日本の最南端になった。
と、
思ったら
それも間違いだった。
たしかに
人が住んでいるという条件下では
沖縄県の波照間島が最南端であるが
人が住んでいない島を含めた
日本の領土全体では
小笠原諸島の沖ノ鳥島のほうが
沖縄のどの島より南に位置している。
つまり
日本の最南端は
沖ノ鳥島なのだ。
ということは
私が授業を受けた
1970年当時から
その後の
沖縄の返還にかかわらず
日本の最南端は
小笠原諸島の
沖ノ鳥島
だったのである。
再び
勉強せぇよ
あの時の社会科教師である。
て、
いうか
今思うと
こん畜生なのは
あの時の私である
沖ノ鳥島を
覚えてなかったばっかりに
ああ残念