記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

DIPS計画のわりに(DIPSその23)

2009年03月21日 | DIPSの記憶
DIPSの開発を行っていた割には、
電電公社は、
コンピュータが通信回線を利用することを
歓迎しなかった。

'80年代に入っても、
コンピュータ端末の通信障害がモデムではなく
通信回線によるものだとしても
電電公社側の非協力的な対応は半端ではなかった。

たとえ回線がノイズだらけの状態でも
電話として通信できるのだから問題ない
電話以外で使っているお宅の問題だと
彼等はいつも突っぱねた。

'80何台半ばのVAN(付加価値通信網)についても、
通信で情報を変えることなどまかりならぬと、
頓珍漢なことをいう政治家や役人のせいで
足止めを食らった。

インターネットが普及し始めた
'96~7年頃になっても、
電話線は電話のための通信回線だと
国民を諭した政治家のおかげで
お隣の韓国に後塵を拝することになった。

長年情報通信事業については、
旧通産省と旧郵政省の覇権争いがあったが、
そのせいかどうかは知らぬが
なかなか通信回線が自由に使えないために
コンピュータによる情報通信は足止めを食らい、
実は我が国のコンピュータ産業が
世界最先端になったことは一度もない。

JIPS(DIPSその22)

2009年03月20日 | DIPSの記憶
DIPSの写真は、もうありません(笑)

三十年ほど前、職場の先輩に聞いた話ですが、
なにかと(旧)郵政省とはり合っていた(旧)通産省は、
電電公社のDIPSに対抗して
通産省主管でJapan Information P…もうわかるよね
JIPSなるコンピュータを開発しようという話があったそうです。

結局JIPSは実現せず、
通産省は'80年代に
第五世代だとか∑計画などをやったわけですが…。

結局なんの役に立ったのか
私は知りません。

結構税金の無駄遣いだったのではなかろうか?
とすら思えるのです。

1973年にXEROX のPARCで
Alto Computerが生まれたことを考えると、
電電公社のDIPSや
通産省の第五世代ウンヌンの計画は

これからは空だと米国が戦闘機に力を入れたのに対し
世界最大級の戦艦大和や武蔵を作って悦に入っていた
旧日本軍の時代感覚のなさを思い浮かべてしまいます。

ま、DIPSも含めた
お役所のコンピュータ政策は
日電、日立、富士通の
コンピュータ会社を倒産させなかったくらい
の功績があったのは確かでしょうが…。

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

やさしいことも難しく書く

2009年03月19日 | DIPSの記憶
DIPSの仕事に従事していた頃、
ある電電公社の職員にそう言われた事がある。

そうやって、
彼等研究員は恰好をつけるのだという。


あれから三十年近く経つが
その傾向はあまり変わらないようだ。

書物やwebに限らず
コンピュータ関連の記載は
ねじ曲がった日本語の文章が
相変わらず多い。

わざと分からないように書いたり、
説明したりで
自分の地位を守りたいのか


難しいことを
難しくいうのは、
自分が思うほど

お利口ではない

ことを知ってほしいものだ

MSS(DIPSその21)

2009年03月16日 | DIPSの記憶
久々に、DIPSネタであります。
写真は、MSS(Mass Storage System)という記憶装置。
記憶容量は1テラくらいあったのかな?

蜂の巣状のラックに格納された、
百個以上のワンカップ大関JUMBOくらいの大きさのカートリッジを
ロボットアームで自動的に取り出し磁気ヘッドにマウントしたり、
アンロードされたカートリッジを元に格納したりする、
これまたサンダーバードのテーマが似合う装置でした。

仮想メモリの仕組みを周辺装置に応用した
仮想磁気ディスクなどという機構のおかげで、
カートリッジに収まった幅広の磁気テープを
あたかも磁気ディスクのように使用することができます。

ロボットアームに挟まれ運ばれるカートリッジや、
カートリッジから自動的に取り出され
ビデオテープと同じ原理のヘッドに絡む幅広のテープの動きは
見ていて飽きないものでした。

写真ではMSSのごく一部しか写っていませんので
全体像が良く分かりませんが、
実際には巨大な装置です。
モロにパクリの装置なので、
このMSSはIBM社のそれと同じ形をしていました。
興味がある方は、IBM社のサイトでも参照してください。

さて、このDPIS版MSSは、
日電・日立・富士通の三社共同で分担して開発が行われましたが、
私の知る限り開発中一名の殉職者を出してしまいました。

不眠不休で頑張った開発者氏は、
勤務先の会社で打ち合わせをした後
開発作業のため横須賀通研に向かう途中の電車内で
コクリコクリとうたた寝するつもりが…

永遠の眠りについてしまったそうです。

この殉職によって
MSSの開発スケジュールは半年延びた
と言われています。

七十年代・八十年代この手の殉職者は多かったはずですが、
マスコミはほとんど取り上げませんでした。

マスコミが、
報道の自由と、
報道しない自由の
両方お持ちなのは、
今でも同じなのかな?

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

DIPSの開発言語(DIPSその20)

2009年03月05日 | DIPSの記憶
写真は、ラインプリンターです。

DIPSシリーズのシステム開発言語には
SYSLというプログラム言語が使われていました。

SYSLのSYSはSYSTEMのSYSだったかもしれません。

SYSLの構文はPL/Iライクで
(ある日立のソフト開発者に言わせると
 著作権侵害に近いくらい似てる…)
七十年代のことですからオブジェクト思考ではなく、
構造化プログラミングに最適な言語でした。

SYSLはコンパイル言語でしたが、
SYSLでは対応できない細かいこと、
というよりコアな部分のプログラミングをやりたい時には、
途中にアセンブリ言語を記述することもできました。
(私は、やったことありませんが…)

私は人間が古いせいか
SYSLのようなPL/Iライクな構文は、
COBOLより分かりやすく
C言語よりずっと理解しやすい言語でした。

C言語が生まれた背景に、
PL/IやSYSLに比べ
メモリなどの動作環境に大幅な制約あって
あんな感じになったのでしょうが…

i++と++iは違うなどと言われても
私には呪文のようにしかみえません。

もう少し自然言語に近い形にならんのでしょうか?

といっても、
呪文はなれちまうと便利だから

誰も変更しないだろうな…。

そういえば、
日電さんの日本語COBOLってどうなったんだろう?


*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

DIPS 11/30B系(DIPSその19)

2009年02月28日 | DIPSの記憶
写真は、横須賀通研の
DIPS 11/30のサブ系(B系)のシステムです。

横須賀通研では、
開発を担当した企業の系列会社が運用を担当していましたが、
富士通社が担当したDIPS11/30の運用は系列企業ではありませんでした。

多分、現在のあの企業だろうと思う会社名はあるのですが、
記憶があやふやなので明言をさけます。

DIPS11/30では、
前述のDIPS11/20と同じ共同利用のサービスが行われておりました。
撮影場所は、
開発者が自由にプログラムを流すオープン処理専用の部屋だったと思います。

私はDIPS11/20とDIPS11/30で行われていた
共同利用サービスの双方とも携わっていたこともあり、
日立系のDIPS11/10の撮影が控えめなのに対し
DIPS11/30ではずうずうしく撮影ができたというわけです。

一番手前のカードリーダーと
私がよっかかっているラインプリンターは、
全システム共通でしたので
DIPSを見分けるには、
磁気テープ装置が一番わかりやすいかなと思います。

富士通社の磁気テープ装置は、
テープをセットするときに開く窓は、
セットする側だけ引き戸のように開きました。

日電製の磁気テープ装置は、
窓全体が上下に開閉したのに比べ、
かなり省エネでした。

そうそう、
すっかり忘れていましたが

ラインプリンタは、
メンテナンス最後のテストプリントに
”*”を使った花文字で書いた
日立のロゴマークと”技術の日立”
の文字が出力されておりました。

ラインプリンタのメンテナンス作業は、
当時のコンピュータシステムでは珍しく埃まみれの作業で、
インクリボンのかすをブラシと掃除機で清掃する
ラインプリンタ担当のCE さんは大変そうでした。

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

ヒーターの寿命は400時間(DIPSその18)

2009年02月27日 | DIPSの記憶
写真は、前回と同じ
'80年に頃横須賀通研の
DIPS 11/30システムに導入されたレーザープリンターです。
ラインプリンターに対してページプリンターとも言われました。

XEROX方式とか電子写真方式といわれるレーザープリンターは、
静電ドラム上に静電気とレーザー光線でイメージを作り
残った静電気にトナーという黒色の粉が付着させることによって印刷します。

<< レーザープリンタの仕組みは端折りました。
  また、トナーは現在のカラーコピーや
  カラーレーザーの場合は、
  CMYKの四色があります >>

この黒色のトナーは、
そのままでは飛び散りますので
最終工程で熱で溶かして用紙に融着(しみこませる)します。

その工程は現在のプリンターやコピー機は
表面に熱を帯びたヒートローラと
圧着用のプレッシャーローラという二本のローラーで
熱と圧力の二本立てで融着しますが、

このプリンターはオーブン方式でした。

このオーブン方式というのは、
熱だけでトナーを溶かし用紙に融着させます。
初期のXEROXのコピーマシンでも使われていましたが、
ヒートローラー方式にようにトナーを圧着しないので
トナーがつぶれず印字が美しいのですが
高速のコピー機やプリンターには向きません。

ヒートローラー方式は、
ローラーの表面の熱で溶けたトナーで
用紙とローラーがくっつき
巻き込まないようにする技術が難しく、
写真の国産レーザープリンターは高速にもかかわらず
やむなくオーブン方式したのかもしれません。

そのため、
このプリンターのヒーターは大きく
熱が当たる時間をできるだけ長くして
融着するようにしていました。

熱も高熱だったのでしょう、
ヒーターは400時間しか持たず
おまけにヒーターも大型で高額なため

「普段はプリンターの電源は切っとけ」

でした。

なお、
富士ゼロックス社のエンジニアさんに聞いた話では、
むかしのオーブン方式のコピー機の中には
コピー用紙がつまって火が出ることもあったそうです。
(その対策キットが消火器だったという笑い話もあるそうです)

写真のプリンターはコピー機と違い
連続用紙でしたので紙詰まりは少ないのですが、
ヒーター部分の作業は十分に注意するように
とオペレーターさんに重々なるお達しがありました。

なにかあったら、
関係する公社のエリートさんの出世が止まりますものね。

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

漢字Printer(DIPSその17)

2009年02月27日 | DIPSの記憶
写真は、
'80年頃に横須賀通研のDIPS 11/30システムに導入された
おそらく当時国産最速のレーザープリンターです。

日立製作所社が担当したように記憶していますが、
定かではありません。

同様の機種には、
1977年にXEROX 社が発表したXEROX 9700がありますが、
9700がA4などの単一用紙にプリントできましたが、
こちらは昔ながらの連続用紙(LP用紙、連続帳票)でした。

写真ではわかりませんが、
このプリンターに用紙のセッティングが半自動で、
用紙を所定の場所にセットすると、
連続用紙が機械の内部をスルスルっと
自動的に流れスタンバイOKとなったように記憶しています。

その様は、
チャンチャカチャ~ン♪
とサンダーバードのテーマが似合っておりました。

この高速プリンター
もっぱらシステム障害時のメモリダンプを出力するのに使用していました。
縮小機能もあったので、
通常のLP用紙より一回り小さいA4程度の用紙にプリントしておりました。

当初は、
やった、省エネだね
といっておりましたが、
文字が小さく、
黒くくっきり印字されるために
とても目が疲れるという問題がありました。

システム障害の一時解析を行っていた先輩は、
たった半年で目が悪くなってしまったほどです。

漢字プリンターとして動作したはずですが、
その利用は経験がありません。
顔見知りの日立系のソフトウェエンジニア(△)が、

「これが、プロの仕事ですよ」

と、みせてくれたパンチカードが
漢字の形状を表したビットマップのデータだったので、
まだ開発中だったのかもしれません。

それにしても、ビットマップデータを
パンチカードに穿孔していたなんて…

今考えると凄い。

いや、当時としても凄いので
同僚と一緒に
パンチカードの山を見ながら
拍手して絶賛いたしました。

このパンチカードの山
ひっくり返すと大変だろうね
と私が言うと

「泣く」

と、日立系のソフトウェエンジニア氏は笑っておりました。

△)研究所の場合SEとかプログラマというような区別がないので
ソフトウェアエンジニアとしました。

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

実はFACOM(DIPSその16)

2009年02月25日 | DIPSの記憶
写真は、
DIPS 11シリーズでは最上位機種にあたる
DIPS 11/30のCPUです。

この富士通が担当したDIPS11/30は、
'80年当時の世界最先端の半導体技術を駆使して
造られたといいます。

でも、
武蔵野通研での試験が終わったって横通に来た筈なのに
最先端技術で作られたLSIにバグが発覚。

しかたがないので、
ファームウェア(マイクロプログラム)で
不具合を補ったと聞いています。

それにしても、
このランプのテカテカ感は何ともレトロです。

かつてコンピュータと言うと、
こんな風にランプがテカテカして愛嬌があったのですが、
'80年代でもこの手のコンピュータは姿を潜め
レトロになりつつありました。

でも、例によって?
民間側はこのCPUパネルには難色を示したようですが、
公社のご意向でCPUの表示パネルは、
次期システムのDIPS11/5シリーズでも継続されたそうです。

そのときは、
さすがにDIPS1Lや11シリーズのように
ビット単位でランプで表示するのではなく、
16進数で表示するようになったそうです。

DIPS 11シリーズの
CPUの表示パネルのランプは発光ダイオードでしたが、
'70年代はじめに試作された
DIPS 1Lシリーズはなんと豆球ランプでした。

プログラムカウンターや各種レジスタの状態を
常時テカテカと点滅させて表示させるわけですから
豆球は長き持ちません。

DIPS 1Lでは、
この豆球の交換はしょっちゅうだったようです。

豆球の交換は、
CE さんに頼ることなく、
オペレータさんの手で
専用の治具を使って行いました。

この豆球の交換、
専用の治具の使い方が良ければ簡単ですが、
下手をすると

ピリっと

感電することもあったそうです。


*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった

実はHITAC?(DIPSその15)

2009年02月23日 | DIPSの記憶
写真は、
前回とちょっとだけアングルが違うDIPS11/10です。

このDIPS11/10…
じつはその中身は日立製作所の汎用コンピュータだったそうです。

関係者ではないので型番までは分かりませんが、
HITACシリーズの汎用コンピュータを
ファームウェアでDIPS仕様にしていたとのことです。

これは、次回以降に紹介する富士通担当の機種も同様で、
DIPS11/30の中身はFACOMだったようです。

DIPS自身、IBMを参考にして作られているので、
コンパチ路線の日立、富士通の二社にとっては、
開発費用や納期を考えると
これが最善の方法だったのでしょう。

IBMコンパチ路線ではない日電は、
DIPS 1LN同様DIPS11/20も
馬鹿正直にDIPS仕様のマシンを作ったようです。

「ウチは馬鹿正直だからなあ…」

とため息混じりの日電関係のエンジニアが
教えてくれた話では、
日電はDIPS11/20を公社が提示した仕様通りの性能に仕上げましたが、
日立のDIPS11/10は公社仕様より上の性能にして納品したそうです。

そもそも、
本来DIPS11/10の性能はDIPS1L程度の予定でしたが、
その1.5倍程度のDIPS11/20とほぼ同じだったとのこと。
(おそらく、開発費を沢山いただいた手前、
ちょいと性能の良いHITACをDIPS11/10にしたのでしょう)

それを知った公社は、
日立の技術力を高く買い
当初DIPS11/20の予定だったも導入箇所の幾つかを
DIPS11/10の導入に切り替えただけでなく
次回のDIPS11/5シリーズでは、
日電がDIPS11/25の一機種だったにも関わらず、
日立製作所にはDIPS11/5とDIPS11/15を割り当てたといいます。

その仕打ち?にあった日電さん

おっとり刀の日電さんも

いかり?目覚めたようです。

'80年当時の日電には、
1セルが9ビットのワードマシンのAcos6系と
1セル8ビットのバイトマシンであるAcos2系とAcos4系の
三種類のコンピュータがありましたが、

DIPS11/25では
そのAcos4系のAcos 750をファームウェアで
DIPS仕様にして納品をすることになったようです。

'60年代後半に
公社主導で行われていたDIPS計画も、
近頃('80年頃)は、民間企業の技術力が勝るようになり、
公社側が主導することができなくなってきた

という話がちらほら聞かれたのも、
このころのことでした。

*DIPS(Dendenkosha Information Processing System )
その昔電電公社(現:NTT)が主体となって、日本電気、富士通、日立製作所の四社で開発された、我が国オリジナルの汎用コンピュータ。
1967年 ~1991年まで開発が行われ、2002年にピリオドをうった