記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

アポロ11号

2009年09月19日 | デジタル・アナログ
1969年7月20日
アポロ11号は月面着陸に成功した。

その模様は
日本でもNHKで生中継されたが、

番組中に出演者のひとりが
ささやかな問題提起をしている。

月は遥か遠くにあるから、
月面から送られてくる電波は
地球に届くまでに1秒近くかかってしまう。

つまり、
アームストロング船長らの
月面活動の様子は
1秒遅れで放送されるのだから
はたしてこれは"生中継"と言えるのだろうか──
(生中継:最近は"LIVE"表記が多いが)

と、冗談めかしに言ったのである。

その理屈で言うと、
地上デジタル放送に生放送・生中継はない

ありえない
ということになってしまう。

ご存知の方も多いだろうが、
地上デジタル放送は
従来のアナログ放送に比べ
受信が1~4秒遅れるといわれている。

都内では、
地上デジタル放送は
アナログ放送に比べ2秒ほど
ワンセグは4秒近く遅れるそうだ──

デジタル=速い
と思いがちだが

光や音声の変化などを
そのまま電気信号に変える
アナログと違い、

大半のデジタルなになにという機器は、
アナログ信号を数値化して
0と1の電気信号に変えるため

その手間の分だけ
時間がかかる。

いやいや、
体温計のように
デジタルの方が早いのではないか
と思われるかもしれないが

あれは、
デジタル体温計の温度センサーが
旧来の体温計に使われていた水銀柱より
短時間で温度検知するからで

けして
デジタルだから速い
というわけではない。

デジタルと銘打った機器が
速くて性能が良いように思えるのは、

デジタル技術というより

各種センサーの技術や
アナログをデジタルに変換する
その逆にデジタルをアナログに
変換する技術の恩恵によるところが多い。

話を地デジに戻すが──

大雑把すぎるくらい
大雑把に書くと

光や音声を電気信号に変え
そのまま電波にのせ

それを受信して
ブラウン管や
スピーカーに流していた
従来のアナログ放送に比べ

デジタル放送は

映像や音声の信号を数値化し
それを0と1のデジタル信号に

そのままだと、
デジタル信号の数が
多すぎるので圧縮

それでも多いから
幾つかに分けて送信

受信したら
今度は圧縮を解凍(伸長)して
元のデジタル信号に戻し
それから
やっと元の
映像と音声信号に──

なんて
ややこしいことを
やっているのである。

そのため
今後どんなに技術が進んでも
地上デジタル放送と
アナログ放送との時間差が
"0"になることはない。

それは、
現在の携帯電話が
e-メールやブログ更新ができたり
インターネットの情報サイトを見れて便利だが

肝心(?)の通話は、
固定電話に比べると
話が一拍遅れて
どこかもどかしいのに似ている。

たかだか
2秒といえど

気象庁は地震などの
緊急情報が遅れることに
対して危惧しているようだ。

たとえ2秒でも、

2秒あれば緊急の際の
非難などに随分と差が出るとのこと。

生命にかかわることだから
無視できないというのである。

先日、
我が家にも
デジサポの通知が来た。

地デジの説明会の案内が入っていたが、
情報遅延の説明ってあるのかしらん?

多分ないだろう。

2011年7月24日に
デジタルに移行するから

今のままではテレビは見れなくなりますよ
そのためには──

という説明に終始するのだろう。

だったら、
2011年7月24日に
(正しくは23日かもしれないが)

これで、アナログ放送は終了します

というのを
見てみたいではないか。

*画像はフォト満タン(デザインエクスチェンジ株式会社)より

デジタルには六がない:Digital 01

2008年11月21日 | デジタル・アナログ

一年くらい前だったかな
ラジオで、永六輔氏が
「デジタルには六がない」
と、お怒りだった。

おそらく、八と九がないこともご不満であったろう。
(…年配の人にしか意味わからんな)

私は、永0110輔じゃない。
なんて怒ってた

ENIACなど初期のコンピュータは十進数(技法は知らない)だったと聞くし、
私が最初に従事したコンピュータにも、
二進化十進法という技法で十進数で計算する機能が搭載されていた。

デジタル=2進数かどうかは別にして

0と1だけで、何ができるのさ
と、思うのは誰もが同じ。

では、なぜ0~9までの十個の数字で
一・十・百・千・万・億・兆・京・垓・柿・穣…
と、無限に続く大きな数が表せるのか。

それが理解できないと、
二進数でも大丈夫だとわからない。

二進数も十進数も基本は同じなのだが…

アナログ人間

2008年11月12日 | デジタル・アナログ
私が、
「アナログ人間」
という言葉を初めて聞いたのは、
八十年代の後半、
OAブームの頃のこと

パソコン操作が苦手な人が
自虐的に言っていように思う。

ある時、
別の部署の課長さんが私に
「近頃みんな、
あいつは、デジタル人間だ。
おれは、アナログ人間だ。
って言ってるけどさ。
私はどちらでもない。
私はアナクロ人間だ」
と、皮肉交じりに言って
笑ったことを思い出す。

あれから、二十年近くたつが、
いつのまにか
アナクロイズムって意味で、
アナログって言葉を使う人いますね。

やだやだ。

和菓子とアナログ

2008年11月11日 | デジタル・アナログ
和菓子や和服という言葉は、比較的新しい言葉らしい。
西洋文化が日本に流入してくるようになり、
西洋の服→洋服
西洋の菓子→洋菓子
の対義語として
和服や和菓子という表現がされるようになったと聞く

和服や和菓子は納得なのだが、どうにも納得できないのが、
ディジタルじゃなきゃ、なんでもアナログといってしまう風潮だ。

機械式、光学式、フィルム式、手作業、手書き、感覚的…
と、言えばいいじゃん。

なんで手書きが、アナログなのさ

2008年11月10日 | デジタル・アナログ
近頃、手書きや手作業などを指して
「アナログだな~」
などという人が多い。

しかし、七十年代くらいまでは、コンピュータプログラマもコーディングシートと呼ばれる専用の原稿用紙に手書きでプログラムを書いていたのである。

原稿用紙に書かれたプログラムは、専用のタイプライタで紙テープか紙カード(パンチカード)に穴をあけ記録し、それを、コンピューターの装置に読み込ませていた。

人間のすることであるから、当然タイプミスなどがおき修正をせねばならないことが起きる。
そうなると、
紙テープの場合は、眼を皿にして長いテープに記録された穴を解読して、タイプミスの部分を探し出しだすことになる。
そして、そのタイプミスの部分をハサミで切りとると、
あらたに修正箇所だけタイプしなおしたテープ用意して、元のテープに張り合わせ糊付けする。
なんていう切り張り作業をおこなったのである。

紙カードは、原稿用紙一行分が紙カード一枚に相当するので切り張りはなく、タイプミスのあった行だけタイプしなおしてカードを差し替えればよかったのだが、別の悲劇もあった。

プログラムは、千行・二千行を超えるもの珍しくない。
ということは、紙カードもそれに合わせて千枚・二千枚それ以上の枚数になることになる。それだけの量のカードである、読み取り装置にセットしようとしたときに、手が滑ってカードを床にばら撒いてしまうこともあったのだ。

カードには、番号なんてふっていないから
バラバラ床に散らばった二千枚のカードを順番通りに並べなおす、なんて
「さぁ、大変」
だったのである

時に、アナログのことを感覚的という意味で使う人もいるが、そんな意味もない。

アナログとは、本来「相似」という意味だ。
音声による空気の振動と同じように、マイクやスピーカーを流れる電気が変化するから、この手の技術をアナログというのだ。