記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

びっくり

2010年02月14日 | Weblog
今日(もう昨日ですが)、
TBSラジオに合わせたら
永六輔氏の声が
恐ろしいくらいに
聴きとり難くなっていてビックリした。

よる年波という問題…
以上に酷い。

北山修のバカ笑いも
聴くに堪えないので
他局にしちゃったけど

それにしても
大丈夫かね

永さん

恵方巻

2010年02月02日 | Weblog
5~6年前のことである。

「なんだよ。この店」

近くのコンビニに立ち寄ると
舌打ちをしながら出て来る男とすれ違った。

いつもは
感じの良いコンビニなのに
珍しいこともあるもんだと店内をのぞくと
店員達は皆ポカンとしている。

言葉に訛りこそ感じなかったが
トラックに乗り込むその男は
関西方面の人間だったのかもしれない。

「まったく、
 この時期に
 丸かぶり寿司がないなんて
 信じられん…」

男は、
捨て台詞を吐いて
ドアをバタンと閉めた。

その音の大きさから
男の怒りのボルテージが分かろうというものだが

『あの人
 なんであんなに怒ってるの?』

『さあ?』

店内では
いつもは愛想の良い店員達が
困惑の表情を浮かべて
互いに顔を見合わせているのだった。

おそらく、
この辺りが境界線ではなかったかと思うのだが──

今では、
お菓子屋さんに
恵方ロールなる便乗商品が売られるご時世だが、

恵方巻または丸かぶり寿司といわれる
大阪発の風習が東京地方で知られるようになったのは
つい最近のことである。

ネットによれば、
恵方巻(丸かぶり寿司)は
そのコンビニチェーンでも十年余り前から
全国展開されていたようである。

そう言われれば
この数年前から東京でもチラホラ見かけたが、
売っている当人たちも何これという感じだし
おいていない店舗も珍しくはなかった

3~4年前から
近くのコンビニでも
急に恵方巻(丸かぶり寿司)の説明をするようになったから

それまでは
コンビニチェーンの本部は
大阪発のローカルな風習を
全国的なものだとでも感違いしていたのではないか。

この頃の
東京地方のコンビニの店員からすれば

『なんか最近、
 助六寿司だけじゃなくて
 太巻だけってのも入荷するよね』

くらいにしか
思っていなかったのかもしれない。

コンビニの仕入れは、
店長の裁量に任されるそうだから

私の住む近隣では
丸かぶり寿司に馴染みもなく
あまり売れないという理由で
そこのコンビニでは消極的だったようだ。


コンビニ以外でも

大阪の会社に就職
または大阪のオフィスに転勤になった人が、
その風習を知らなかったために

節分の日に
職場に届いた丸かぶり寿司を

気を利かせたつもりで
一口サイズにカットしてしまい

大阪の人間から
エラい勢いで怒られた
という笑い話もよく耳にしたものである。


ところで、
私が丸かぶり寿司のことを知ったのは、
バブルがはじけて間もない
'93~'94年頃だったように思う。

以前、
このブログにアップした
『[http://blogs.yahoo.co.jp/nefs76122/1097936.html N氏とK子のおとなのしけん]』
のオリジナル版を書く少し前に
某週刊誌のコラムで紹介されていたのを読み
その内容の一部を取り入れたので覚えている。

随分
むかしのことなので
記憶が曖昧だが
そのコラムでは

丸かぶり寿司は、
お座敷がかからない
お茶引っきの芸者か舞子さんが
その年で縁起が良いとされる方角を向いて

「お座敷がかかりますように」

と、お願いしながら
太巻き寿司を丸かじりする

花街の風習だと
あったように記憶している。

ブログにアップする時は
確証がとれずその一文はカットしたが───

先に述べたように
このコラムを参考に
おとなのしけんオリジナル版の
" Case 5 [http://blogs.yahoo.co.jp/nefs76122/1166418.html お茶っぴきシスターズ] "には、

『まったく、せめて京都の舞子さんを見習って自宅で、
 太巻き寿司の丸かじりのオマジナイくらいすればよいのに・・・』

という一文を織り込んだのだが、

当時の東京には
丸かぶり寿司のことを知っている人は殆どおらず
「何これ?」で終わってしまった。


かつて、
兵庫県の明石市では
豊漁で獲れすぎたタコをさばくために
現地でいうところの"卵焼き"こと
"明石焼き"が生まれたという。

それが大阪に伝わり
ラヂオ焼きという食べ物に
タコを入れるようになって
現在のタコ焼きになったとも聞くが──

大阪の
海苔問屋さんが
それにならい

ある年
海苔が豊作で大量に獲れ
それを売りさばくために考えられたのが
現在の丸かぶり寿司の始まりだと聞いたが
定かではない。

先の
週刊誌のコラムに、
かつて花街で行われていた風習を掘り起こして
一般に広めるのはいかがなものかとあったから

丸かぶり寿司による海苔の販売促進は
その頃から始まったのかと思っていたのだが

大阪の海苔問屋さんが仕掛けたのは
'70年代のことだそうである。

私は
隠れキリシタンの里の近くで育ったが
子供の頃はバレンタインなんて知らなかった。

「バレンタインはハ~トで♪」

バレンタインを知ったのは
大阪万博の翌年にテレビで流れた
不二家ハートチョコのCMからだった。

だが、
バレンタインデーにチョコレートをというのは
戦前に神戸のモロゾフが広告を出したのが最初だそうだ。

戦後、
私がオギャ~と生まれた頃に
東京都大田区にある
メリーチョコレートも仕掛けたようだが、

全国的に
バレンタインにチョコレート
男女のはずが
女から告白と誤った形で伝わり浸透し

夜の蝶だけでなく
昼間の生保レディーや
ヤクルトレディーすら
義理チョコを配りだしたのは

バレンタインはハ~トで♪

以後の'80年代に入ってからのことである。

それを考えれば、
七十年代に
大阪の海苔問屋さんが仕掛けた恵方巻の風習が

全国的に浸透するのに時間がかかり
21世紀になってしまったのは
当たり前のことなのかもしれない。


──なんてね。
どこまで本当なんだか
あんまり本気にしないでね


なお、
本文中に出て来た"花街"という言葉は
正しくは"カガイ"と読むのだそうだ。
花街を"はなまち"と誤読するようになったのは、
三善英史が歌った「丸山・花街・母の町」という楽曲が出てからだそう。

いつぞやラジオで
最近はNHKのアナウンサーまでが
花街を「ハナマチ」と読みやがる
と花街の方が怒っておりました。

また、
ラヂオ焼きは
現在のタコ焼きのように
丸い形をした食べモノで
中の身(具)が違うらしい

ラヂオ焼きというのは
モダンな感じがするからというのと
丸い形がラジオのボタンをイメージするから
という説があるらしい。

YouTubeを探したが
'71年当時の不二家のハートチョコのCM
バレンタインはハ~トで♪
はないようだ。

YouTubeには
'77か'78年版のものがアップされていたが
CMソングは別モノである。

なお
バレンタインデーも
ハロウィン、クリスマス同様
本来はキリスト教徒と関係のない行事だったようである。