記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

昭和は良かったか?(10)過労死

2008年11月20日 | 昭和の記憶
最近、マスコミでも過労死が取り上げられることがある。

昭和の頃、過労死という言葉がマスコミに出て来た記憶はないが

だからといって、
なかったわけではない。

私が従事したコンピュータ産業は、
少なくとも存在した。

残業、百時間なんてすぐよ。
二百となるとさすがにしんどいけどね

ああ、この三日間で三時間しか寝ていない

なんて、よく聞かれたものだ。

事業所間の移動中、
電車内でウトウトしていたら、
そのまま永眠。

プロジェクト完了の打ち上げで、
乾杯してビール飲んだら天国に

ビルの屋上から、パラシュートも付けずに大空に

ボンベもなく海にダイビング

死にはいたらなくても、
たった一年で廃人同様になった人

残業代は、二十だか四十時間でカット

残業は野放し

延べ千時間の残業代未払いも少なくないと、
電機労連の新聞に載るくらいだから、
こんなこと大企業でも起きてた

小さなソフトハウスの人なんて

やばいな、これ以上残業やったら、
課長にさせられちゃうよ。

名ばかり管理職もあったのだ。

私は、学歴も能力もなかったので助かった。
三交代のオペレータだから助かった。

プログラマーになった同僚や先輩は、
死にはしなかったけど、
数年で病院おくりになっていた。

今では、少しはまともになったのかな?

当時は、パソコンがなく、
プログラマーがコンピュータを使う時間帯に
制約があったからでもあるんだけど

昭和ってそんなに良かったか?(9)年功序列3

2008年11月17日 | 昭和の記憶
テレビやラジオで
年功序列・終身雇用は日本の伝統的な経営手法で
良かったという人がいるが…

昭和の評論家は
「年功序列・終身雇用をやっているのは、一部の大企業だけだ。」
と、言っていた。

つまり、年功序列・終身雇用が良かったのではなく、

そういう人は、
大企業に勤められてよかった。
成果主義になる前に、定年退職できたし…
なのかもしれない。

昭和ってそんなに良かったか?(8)年功序列2

2008年11月17日 | 昭和の記憶
テレビやラジオで昭和は良かったというが、
本当にそうだったろうか?

年功序列は良かったというが…

そもそも、年功序列には無理がある。
毎年毎年、主任・係長・課長・部長と出世するわけがないし、
そういうわけにもいかない。
どんなに優秀な人でも、何年か同じ役職を務める。

決まった数の座席を、
上の人がなかなか出てくれないのだから、
やがて席はなくなる。

だが、社員は毎年定期採用されるから、
一定の年数務めたのに役職に就けない人達が出てきた。

`80年頃には、
最初に勤めた会社でもその問題が生まれていた。
その会社では、
主査だか主事だかなんだかわけのわからぬ役職が、
年功序列対策として生まれた。

`82年頃に転職したが、その会社でも
昔は、高卒でも十年も勤めれば主任くらいになれたが、
今では、三十過ぎても「ぺー」だ。
と、不公平感を持つ人は多くいた。

団塊の世代に、
「僕たちは人口が多いから、役職が足りないんだよ」
という人が多いが、それ以前に役職は足りなくなっていたように思う。

やがて、昇進は業績とは別の運次第とも。言われ始めた。

分社化によってポストが増えた。
事業部制にしたおかげでポストができた。
優秀な上司が、新規事業に参加するため空きができた。
などなど…

「あいつが課長かよ」
「空きがでたんだってさ」
「運がいいな」

業績が高くても、上がつかえて出世できない人
たまたま?空きができて出世した人。

ひがみと言えばそれまでだが

平成不況でリストラが問題になって
自主退職に変えたら
優秀な人ばかりが退職し、
新たな問題が出た
企業は少なくなかった。

昭和ってそんなに良かったか?(7)年功序列1

2008年11月17日 | 昭和の記憶
テレビやラジオで昭和は良かったというが、
本当にそうだったろうか?

成果主義の評価は、なかなか難しい。

だからといって、年功序列がよかっただろうか?

年功序列の良さに
家庭を持ち、子供の養育費や何やでお金が必要な時期に、
給与が高くなることをあげる人が多い。

だが、言い方を変えると、
若者が稼いだお金を中高年が搾取しているようなものでもあったのだ。

歳の順だから、学歴があれば、ソコソコやってれば出世できるようになる。
すると、能力がないのに課長・部長になってしまう人が出てくる。

逆に、頑張っても失敗をしてしまうと、
干されてしまうことがある。
それが怖いから、新しいことはやりたがらない。

昔、公務員はマイナス査定、
民間はプラス査定で評価されるといわれていたが、
やがて、民間も似たようなものになった。

結局、ソコソコやってればいいんだよ、
という人が出世してしまう。

で、
「お前、社員番号何番だ」
が唯一の自分の威厳を保つ術だった
お偉いさんが生まれた。
私も、そんな方に何人もお会いしたことがある。

当然、部下の士気も下がる。

そして、
平成不況になると、
中間管理職からリストラが始まった。

昭和ってそんなに良かったか?(6)答

2008年11月15日 | 昭和の記憶
昭和の頃、欧米は未来だった。

テレビで米国のドラマを見ていると、
`60年代で、すでに車はオートマだった。
日本にはまだないもの、見慣れないものが登場し、
米国人はそれを当り前のように使っていた。

だから、米国で成功しているものを作ればよかった。

テレビ・冷蔵庫・洗濯機だって、
テレビで米国人が便利そうに使っているから、
日本でも売れるぞ、と答があった。

やがて、自家用車を持つようになるぞと、答があったから自動車を作ったのだ。

そして、国内だけでなく海外でも売れるという答えもあった。

これらの製品を日本人が発明していたならどうなっていたかというと、
本気で開発・製造販売したかは疑問だ。

安かろう、悪かろうと言われた日本製の製品も
安くて、品質が良くて、小型で…
と、海外の評判も良くなり

昭和の終わりころになると、
「もう、米国から学ぶものはない」
みたいなことを言い出す、経営者が現れた。

そう、欧米に答はなくなった。
そして、行き詰った。


昭和ってそんなに良かったか?(5)夢

2008年11月15日 | 昭和の記憶
昭和の夢

テレビから流れる米国ドラマにあこがれた。
僕たちもあんな生活をしたいと夢を見た。

テレビ・冷蔵庫・洗濯機
三種の神器

自家用車(カー)・クーラー・カラーテレビの3C

昭和が終わる頃、多くの人々はそろえることに成功した。

あの頃の
「我が家にテレビがやって来る」
の感激もどこへやら、
みんな買い揃ったら、行き詰った。

昭和の夢って、物欲だったのかしらん。

昭和ってそんなに良かったか?(4)身分制度

2008年11月13日 | 昭和の記憶
近年、格差社会を問題視する時、
いかにも昭和は平等だったように言う人がいる

そういう人は、
あのころは、みんな貧乏だった。
で片付けているが、
本当にそうだったろうか?

一億総中流と言われた時期が、
昭和と平成の狭間であったが、
その、ほんの一時期じゃなかろうか?

たとえば、
あまり知られていないだろうが、
炭鉱には格差どころか
「身分制度」
というのがあった。

炭鉱によって多少時期が違うが、
炭鉱で身分制度が廃止になったのは
昭和五十年頃のようである。
(注:全ての炭鉱に身分制度があったかはしらない。
また、多くの炭鉱は昭和四十年代までに閉山している。
したがって、身分制度廃止されることなく、ヤマを閉じた炭鉱もあると思う)

逆にいえば、昭和五十年頃まで
多くの炭鉱で身分制度が
敷かれていたのである。

職員と鉱員に分けられた身分は
給料も社宅も差がある。
たとえば、
職員の社宅には風呂が付いているが、
鉱員の社宅には風呂がなく共同風呂、
子供が遊ぶ公園すら、
職員用と鉱員用に分かれていた。

そして、下には下があって、
下請けの人達がいた。

子供世界にもその影響はあり、
平気で職員の子供を贔屓・差別する
教師もいたときく。

来秋公開予定の
小雪の初主演映画「信さん」は
炭鉱が舞台なのだそうだ。

五木寛之の青春の門が好きで、
炭鉱に興味や憧れすら
持っている人がいる。

飲み会などで、私が
「炭鉱の出身で…」
と自己紹介すると、
「おお、青春の門か。
読んだ、読んだ」
と、なぜか羨望の眼差しをくれる
中年紳士や文学青年に
これまで何人も出会ったものだ。

だがその一方で、
私の同級生にもいるが、
炭鉱の出身者であることを
秘密にしている人も少なくないようだ。

同窓会の連絡をしたら、
「親戚に炭鉱出身者だと
バレルとまずいので、
もう連絡をしないでくれ」
とか
「同級生には会いたいが、
炭鉱出身がバレると
立場が悪くなるから
みんなとは縁を切りたい」
といわれた。
というような話も聞く。

地域や会社によっては、
炭鉱というのは色々あるらしい。

その理由
幸か不幸か、私は知らない。

昭和ってそんなに良かったか?(3)

2008年11月13日 | 昭和の記憶
三丁目の夕日じゃないけれど
昭和三十年代を懐かしんで、

「あの頃は良かった」

なんていう
団塊の世代近辺の人が
テレビ・ラジオで言っているのを
よく耳にする。

親の庇護のもと育った子供時代だもの
よっぽど特別な事情がないかぎり
そりゃぁ
「あの頃は、よかった」
でしょう。
なんの責任もないし

あの頃の大人も、
当時は当時なりに
大変だったと思いますけどね

昭和ってそんなに良かったか?(2)

2008年11月13日 | 昭和の記憶
六十代なのか七十なのか
まあ、そのあたりの年代の人が
「ぼくは、貧乏学生だったけど
あの頃は夢があった」
と、異口同音のことを言うのを
テレビやラジオで耳にする


今と違って、
大学の進学率が20%にも満たない時代である。
そりゃあ、
あんたは限られた人の仲間に入れたわけですから、
夢もあったでしょう。
と、言いたくなる。

金がないから工業高校にいって就職してくれ
と、親にいわれた私からすれば、

貧乏学生だろうが、
なんだろうが
大学に進学できただけで
ブルジョワじゃん
エリートじゃん
である。

上を見ればきりがないから、
貧乏学生なんていうのだ。
と、やっかみたくもなる(笑)


彼らより十歳以上年下の私の世代でも、
金銭的な問題で
大学はおろか、高校にすら
進めなかった人は沢山いた。

彼らの世代なら
なおさらのことのはずだが、
彼らはそれに触れない。


もっと、いうなら
あんたらの学生運動のおかげで
「ゲバ棒振り回すくらいなら
大学なんか行かせない」
と、親が激昂して、
あげくに大学進学を
あきらめさせられた人だっているのだ。

私が通った工業高校にも何人かいた。

まぁ、
大学に行くだけが全てではないが、
大学に行かなきゃなれない職業もある
それもたしかだ。


昭和ってそんなに良かったか?(1)

2008年11月12日 | 昭和の記憶
三丁目の夕日じゃないけれど
近頃、テレビやラジオで
昭和は良かったみたいな話が多い。


でも、そんなに昭和ってよかったかな?
と、思うのです。

人間というのは、嫌なことは忘れてしまう。
のか
嫌な記憶をたどる経路を絶ってしまう
どちらかのおかげで
むかしのことは、良いことしか思い出さない。

無論、嫌なことばかり思い出したら、
きっと病気になってしまう


昭和の四十年代と五十年代の一時期も
大正ロマンとか
大正デモクラシーだか
明治は遠くなりにけり…は、違うか?
など

「昔は良かった」
なんて、昭和の大人たちも言っていた。

それと、五十歩百歩のような
気がしてならない。

有楽町のラジオ局のアナウンサーが、
ある大物アーティストに
「昔は、名曲がいっぱいありましたね」
といったら、
その大物は
「良いものだけが
名曲として残っているだけ
昔も今も、良いものばかりが
世に出ているわけじゃない」
と答えたそうな。

昭和も、そんなもんじゃないかな?