記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

新入生

2010年04月07日 | Weblog
昨晩見た
NHK関東ローカルの
ニュースによれば

昨日(4/6)
鉄腕アトムが
東京都新宿区の
とある小学校で行われた入学式に
人間の子供と一緒に出席したそうである。

昭和27年4月7日に
連載が始まった鉄腕アトムは

設定上
2003年4月7日生まれだそうで
今年はちょうど"新一年生"になる年齢であることと
作中のアトムも人間の小学校に通っていたことから
誕生の地近くの小学校の入学式に出席することになったようだ。

式では
新宿区長から
区の特別児童に任命されたそうである。


21世紀になったけど…
なんかイメージ違うなあ
20世紀とたいして変わらないね

そんな声がよく聞かれたが

そういう声の主の根源には
鉄腕アトムの影響があったろう。

イヤ、
挿絵画家の小松崎茂さんのほうが
という方もおいでだろうが
それはさておき──

アトムを作りたいと
ロボット工学を専攻した
研究者も少なくないと聞くし

産業ロボットは
海外では労働者から
仕事を奪うものとして
嫌われたらしいが

日本人は
共に働く仲間として
名前をつけて可愛がったのも
アトムの影響かもしれない。

そういや、
ハリウッド映画のロボットは
人間を襲うことが多いが
日本アニメのロボットは
お友達が多い。

私が子供の頃は
鉄腕アトム派と
もう一方のロボットアニメの勇
鉄人28号派に分かれていたが

私は後者の鉄人派だった。

ちなみに
鉄人28号は、
ロボット漫画ではなく
正しくは探偵漫画らしいが
それはともかく──

どうも
清く正しい
正義の味方
鉄腕アトムは
たまに説教臭いセリフや
テーマが前面にでることがあり
少々カンに触ることがあったのだ

その点
鉄人28号は
正義の味方でも
悪魔の手先でもない
のも魅力の一つであるが

リモコンを操作する者によって
どちらにもなる鉄人28号だが

そんなのは
ロボットだろうが
機械だろうが
武器だろうが
原子力だろうが

たとえ
なんの変哲のない道具だろうが
人間だろうが
同じこと

なんてことを
あえて口にしないのが好きだった。

たとえ
腕をもがれても
リモコンの操縦する者に従い
無表情に相手に立ち向かう様は

働くオジサンの
背中にも似た哀愁のようでもあるし

時に
ある種の恐怖感すら
感じたものである。

その他、
ロボット三等兵や
ロボタン(ロボコンではない)
丸出だめ夫のボロット
ジャイアントロボ
サンダーセブンなどなど
好きなロボットは沢山あったが

年齢的なこともあろうが
マジンガーZは好きではない。

マジンガーZは
人間が搭乗するロボットの草分けとして
ガンダムなどにも影響をあたえたようだが

その手のロボットは
マジンガーZ放映以前の
鉄人28号のエピソードに
登場したことがある。

その時
鉄人の登場人物は

あれは
人が乗っているから
ロボットじゃあない
タンク(戦車)だ。

と言っている。

つまり
私にとっては
マジンガーZもガンダムも
なんとかレンジャーが乗りこんで
巨大化した怪物と戦う人型の機械も

ロボットではなく

タンク

なのである。

だから
奴らのことは
あんまり好きじゃない

ていうか
奴らはタンクだ。
乗りモノだ。

乗りモノは
ロボットなんかじゃない。

だから好きくないのだ。

いや、
マジンガーの頃は
そろそろ大人だったし
ガンダムの頃は
もはや働くオジサンだったので
見ていないだけ…
なんだけどね


ちなみに
なんで戦車を
タンクというようになったかというと

これは戦車なんかじゃないよ
これは水タンクだよ
と偽装したことから
と聞いたが
真贋のほどは知らない。

サイナン端

2010年04月05日 | Weblog
それは
私が中学一年生だった春のこと

「日本の一番北は北海道だが
 それじゃ南はどこだかわかるかい?」

黒板の前に
大きな日本地図を広げると

ドリフターズのリーダーだった
いかりや長介似の社会科教師は

そのイカツイ顔からは想像もつかない
優しくおだやかな声で我々に問うた。

『沖縄…』

教室に
誰からともなく
小さな声が漏れる。

すると
社会科教師は
してやったりとばかりに
不敵な笑みを浮かべた。

「君たちは、
 日本の一番南にあるのは
 沖縄だと思っているんだろう?

 でもね。
 もうじきのことだろうけど──

 沖縄はまだ日本に返還されていないから
 日本の一番南は沖縄ではないんだな」

私が
中学に入学したのは
大阪で万国博が行われた
1970年のことである。

社会科教師が
もうじきと言ったように
沖縄が米国から返還されたのは
1972年のこと

この時点では
まだ沖縄は日本の領土ではなかったのである。

ただ、
この頃さかんに
テレビや新聞で沖縄返還問題が
報道されていたものから
つい錯覚を起こしてしまっていたのだ。

教室から
『あっ、そうか』
『なるほど。そういやそうだ』
という声がもれる。

「どうだい。
 落とし穴だったろ?」

社会科教師は
得意満面である。

ニヤリと笑うと
沖縄が返還されるまではと
抜け目なく前置きした上で

日本地図の
沖縄の北に位置する島を指して

「だから
 今の段階では日本の最南端はココ
 鹿児島県の与論島という島なんだな」

というのであった。

だが、
しかし。

あえて
九州弁でいうならバッテン

九州でも
福岡風ならバッテンがっくさ
熊本風ならバッテン(が)タイ
ほんでもって
なんでか
愛媛風にいうなら
ほんじゃけんどね…

この授業の二年前

私が小学五年生だった
1968年の五月に

小笠原諸島が
沖縄より一足先はやく
米国から返還されていたのである。

そういや、
小笠原ってぇのも
結構南にあるよな

そう思った私は
帰宅すると
珍しく親が買ってくれた
参考書をひらいた。

すると
小笠原諸島には
母島をはじめ鹿児島県の与論島より
南に位置する島が点在していることが
書かれているではないか。

社会科教師が
大学で学んだ頃から
授業のほんの二年前までは

日本の最南端は
鹿児島県の与論島であったろうが

小笠原返還に伴い
日本の最南端は
東京都の小笠原諸島になっていたのである。

どうやら
社会科教師は
お勉強をさぼっていたようである。

あんの野郎…
である。

授業の二カ月後

社会科の中間テストで
"日本の最南端は"という問題をみつけた。

あの得意満面の顔をしていた
社会科教師の鼻をあかしてやろうと
回答欄に"正しくは与論島じゃなく…"
と書こうしたのだが

情けないことに

小笠原の母島が
与論島より南であることは覚えていたが
それより南にある
最南端の島がなんだったかを
覚えていないことに気付いた。

どうしようか

テスト中
しばらく思案したが

しかたがなく
『与論島』と書いて
○をもらうことにした。

そうしたのには
もうひとつ理由がある。

「もうじき沖縄は
 アメリカから日本に返還されるそうだから
 そうなったら
 無論、沖縄が最南端だけどね」

授業の最後に
社会科教師が言ったように
沖縄は1972年に米国から
日本に返還されることになっていた。

だから

わずか
二年で意味がなくなる事柄で
グダグダ文句つけるのが
バカバカしくなって
思い直したのである。

やがて
時は流れ

1972年の六月に
沖縄はアメリカから返還された。

これで
社会科の教師が言うように
沖縄が日本の最南端になった。

と、
思ったら
それも間違いだった。

たしかに
人が住んでいるという条件下では
沖縄県の波照間島が最南端であるが

人が住んでいない島を含めた
日本の領土全体では

小笠原諸島の沖ノ鳥島のほうが
沖縄のどの島より南に位置している。

つまり
日本の最南端は
沖ノ鳥島なのだ。

ということは
私が授業を受けた
1970年当時から

その後の
沖縄の返還にかかわらず

日本の最南端は

小笠原諸島の

沖ノ鳥島

だったのである。

再び
勉強せぇよ
あの時の社会科教師である。

て、
いうか
今思うと
こん畜生なのは
あの時の私である

沖ノ鳥島を
覚えてなかったばっかりに
ああ残念

NHK ニュースウオッチ9

2010年04月01日 | Weblog
送りバント8本中4本がヒットという選手を
紹介したスポーツニュースを受け

学生時代ピッチャーをやっていたという
大越健介キャスターが

送りバントがヒットになると
一番がっかりする
ランナーに出たら出たで
足を警戒しなきゃいけないし

などと自分の経験をもとに
先に話題にした選手について語ろうとしたら

メインらしき
青山祐子キャスターは

「大越さんは
 足がはやかったんですか?」

野球解説者でもないくせにとでも言いたいのか
茶々を入れた

しようがないので
大越健介は

「いえ、遅かったです」

と答えたが

今度は
してやったりとばかりに
スポーツニュース担当の
一柳亜矢子とバカ笑い

いくら
野球オンチにしても
人の話の腰を折って馬鹿すぎる


社員同士の番組で
気が緩んだわけでもなかろうが

青山キャスターは
大越キャスターの
コメントが長すぎるから
ここらで…と思ったのだろう

だが、
彼のコメントは
青山キャスターへの答え
あしは遅かった
程度の長さで終わりそうだったから
余計不愉快であった。


後先考えず
思いついたことを口にするのは
封印してほしいものである。