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書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)4

2017-08-02 | 書評『逝きし世の面影』(渡辺京二著)
古き日本文明の姿

では、本書が取り上げている異邦人の証言とは、そもそもどのような性質のものなのだろうか。

 
〔ある外国人からの引用について〕それは情景の素描に過ぎず、「国民、生産物、商業、法律等々についての正確な情報」はまったく存在しない。彼が感受した〝日本〟は、そういう客観的情報などによってではなく、このような第一印象の素描によってしか伝えられないような何ものかだったのである。……だがこういう西洋人の日本に関する印象を、たんなる異国趣味が生んだ幻影としか受け取って来なかったところに、じつはわれわれの日本近代史読解の盲点と貧しさがあったのだ。(四七頁)


本書はこうした意図によって、これまでの歴史研究が見落してきた、彼ら外国人の感受・印象・解釈の側面を集中的に扱っている。そしてそれら異文化に属す人間の証言を通じて初めて明らかになるものこそ、これまで空気のように無視されてきた、古き日本人の心性と文明の実質なのである。それは、近代西洋とも、また他のアジア諸地域とも著しく異なる感触を彼らに与えた独自の文明であり、また夥しい証言が示すとおり、一言で言って「幸福で満ち足りた」と表現せざるを得ない文明であった。価値的な判断について慎重な著者も、末尾に至ってこれを「完成されたよき文明」「古きよき文明」と明言している。その実際については、ぜひ本書を読んで、ありし日の文明の世界を追体験し確認していただきたいと思う。以下にとりわけ印象的な箇所を抜粋し紹介していくが、しかしあくまで本書の描き出す印象の総体こそが重要であることに留意してほしい。

陽気な人々
まず際立つのが、訪日した外国人がほぼ一様に強く印象づけられた、人々の顔に浮かぶ幸福感と底抜けの陽気さであり、中でも社会の下層ほど顕著な幸福感と満足が現れていたという観察的事実であって、その証言は実に枚挙にいとまがない。

 十九世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうと、この国の国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった。ときには辛辣に日本を批判したオールコック〔英国初代駐日公使〕でさえ、「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」と書いている。ペリーは第二回遠征の際に下田に立ち寄り「人びとは幸福で満足そう」だと感じた。ペリーの四年後に下田を訪れたオズボーンには、街を壊滅させた大津波のあとにもかかわらず、再建された下田の住民の「誰もがいかなる人びとがそうでありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた」。(五九頁)

 ……プロシャのオイレンブルク使節団は、その遠征報告書の中でこう述べている。「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」。……オーストリアの長老外交官ヒューブナーはいう。「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。」(六〇頁)

 スイスの遣日使節団長として一八六三(文久三)年に来日したアンベールは、当時の横浜の「海岸の住民」について、こう書いている。「みんな善良な人たちで、私に会うと親愛の情をこめた挨拶をし、……根が親切と真心は、日本の社会の下層階級全体の特徴である」。(六四頁)


西洋人にとって悲惨や悪徳と見えた社会的現実(貧困や売春等)は確かに存在したが、にもかかわらずそのことにおいてすら、異文化に属する人間もはっきり認知しえた、あっけらかんとした陽気さ・明るさのムードが漲っていたのは、特筆すべきことであろう。

簡素と豊かさ
さらに、私たちにとって最も意外なのが、「圧政下で貧窮する民衆」といったかつての貧農史観・暗黒史観とは文字通り正反対に、ほとんどの外国人にとって、当時の日本の庶民の生活が、同時代の西洋列強の社会と比較して、少なくとも基本的な衣食住に関してはより豊かだと見えたという事実である。このことは特に重要だと思われるので、長くなるが引用したい。

 彼〔ハリス〕は……「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がないからだ」と考えていた。ところがこの記述のあとに、彼は瞠目に値する数行をつけ加えずにはおれなかったのである。「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」。/「私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない」。(八二頁)

 彼〔オランダの海軍軍人カッテンディーケ〕はいう。「この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が何よりの証拠である。百姓も日雇労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では申し分ないものを摂っている」。(八四頁)

 オールコックは書く。「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧制に苦しみ、苛酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」。(八五頁)

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