〔前ブログで書きました、歴史系の書込2件、再掲します。〕
右でも左でもなく
「落ち込み」のテーマとはまったく関係ないが、去る8月16日に靖国神社の軍事博物館「遊就館」に行って来た。
べつにナショナルな心情で足を運んだのではなく、単に自衛官の友人に誘われてついていっただけで、半分博物館巡りの気分だった。あとちょっと趣味的な興味もあった。
あの九段の地には独特な雰囲気がある。皇居に隣接し、またすぐ裏に朝鮮総聯の本部らしき建物があって、多数の目つきの鋭い警察官がうろうろしていた。いろんな意味で「濃い」場所だと感じさせられた。
和洋折衷のふしぎな雰囲気を持つ昭和初期の建築に、最新の「平成館」が併設されていて、そこがこぎれいだが無味無臭な感じの入り口となっている。平日だがお盆とあって来訪者がとても多い。意外にも老若男女、子供連れ、カップル、いろんな雰囲気の人が訪れている。また独りで訪れて展示に見入っている寂しげな老人が多いのが印象的だった。
入ってまず眼に飛び込むのが、展示の目玉、『零戦』の実機だ。イメージしていたより実物は大きく力強く感じる。その空力的な洗練を究めたフォルムは端的に美しいと感じさせられる。
ちなみに展示は後期の「五二型」という改良型だが、赫々たる性能を発揮し空を制覇した初期型とは対照的に、満足な性能向上を遂げられず、発達を重ねる米英機に敵することができないまま、多くが特攻機に用いられたという、悲しい歴史の“証人”だ。NHKの特集番組『欠陥機・零戦』を見てご存知の方も多いと思う。
展示はもっぱらさきの戦争以前の日本近代史を軍事的に回顧する内容に終始している。
まず明治維新以来の歴史を、列強の脅威への対抗、そしてそのための必然的なアジアへの進出、という文脈で紹介したパネル展示をくぐり抜ける。そのひとつひとつを見ていくと、自分が知らない事はとても多いのだと思わされる。ぼくらが学んだ学校の日本史がだいたいすっとばしている部分だ。
公平にいって、そこには戦争そのものを批判的に見るという視点、そして自他に多くの災厄をもたらしたという反省の視点が欠けている。そのようにいろいろ批判すべきところは多いに違いないが、しかし展示が主張する「我が国の物語」には、正直心情的に感じさせられるものがあった。あくまで心情的に、だが。
特別展示は「日露戦争」だった。全然意識していなかったが、今年は日露戦争百周年に当たるのだ。その胸のすくような勝利(実際には数々の苦闘があったという)には、遠慮のない賞賛が送られている。威勢のいい記録映画のナレーション。紹介されている軍人たちの顔が凛々しく見えてくる。
むろんこうした戦争観は一面的であり、そういう意味でいえば独善的なものには違いない。ぼくらは戦後民主主義的ないしマルクス主義的な歴史観を教わってなんとなく自分のものにしているので、こうした愛国史観をクールに批判的に(それも考えてみれば一面的なものの見方であることには変わりない)見るように条件付けられている。それはそれで必要な反省の視点だ。
しかし、同時代の物品の数々を見て、少なくとも当時の国民感情がこの戦争に「本気」であったこと、そして戦勝を実にすなおに誇ったことがうかがえた。それはすぐに優越感-傲慢に結びつくような危険な心情でもあったわけだが。展示は、その感情を自分たちのものとして共感的に理解しようとつとめている、ということは言えるだろう。だから見ているぼくらの心情のある部分を揺さぶるのだと思う。
そこから先、銃弾の穴のあいた軍服、実際に使用されていた武器、家族に宛てた兵士の最後の手紙、歴代の天皇の思い出の品々、特攻隊の遺品、等々の展示が続く。みんな興味津々といった感じで眺めている。涙を流しているらしい中年女性もいた。茶髪の兄さんも多い。老いも若きもごく普通の人たちに見える。
最後に大きい吹き抜けの部屋に出るのだが、そこにはさきの大戦で使用された兵器の実物と模型が展示されている。なかでもひときわ目を引くのが、多数が特攻に用いられた艦爆『彗星』と人間魚雷『回天』、そして特攻兵器『桜花』の実物だ。
そして南方の島々から帰ってきた遺品がショーケースに並べられている。そのなかに穴の開いた錆びたヘルメットがあったりする。これをかぶっていた兵士は確実に死んだだろう。
遊就館の展示は、近代の歴史を誇らしい国民の物語として主張するという、その目的にそって効果的に演出していると思ったが、しかし最後はやはりここに至ってしまうのだ。
立派な若者たちの、文字通り命をかけた出撃。心情的には想像しがたいけれども、特攻とその死がある種崇高に感じられるのは確かだ。しかし事実は、そのほとんどが有効な戦果を挙げることができなかった。
『桜花』の寸づまりで一見ユーモラスな外観が悲しく見える。米軍はこの必死の兵器に「BAKA」というコードネームをつけたという。
特攻に代表される、歴史を回顧する今の目からはほとんど無意味に思われる無数の死。
「右」の象徴・靖国も、それらの死を称揚し賛美し祀り上げてはいるが、自分たちに直接つながる者たちの死として、意味づけ消化することができてはいないのだと思われた。
あの戦争、さらにはそれにつながる日本の近代を、罪悪と汚辱にまみれた歴史だと断罪する、いわゆる左の進歩主義史観と、遊就館の熱い「物語」に代表される右の愛国史観、そのどちらもが自分の正義を主張して他方を虚偽だと非難しあっているのが現状のようだ。その狭間、理性と心情、自己非難と傲慢の間に、ぼくら国民の心は取り残されているように見える。
しかし必要なのは、近代の歴史と戦争を、あたかも他人の悪事であるかのように非難することではないはずだ。それを声高に喜々としてやっている人たちは、自分が何のために過去を非難しているのか言えるのだろうか。 「悪事」を暴露し非難する自分が「いい人」になりたいからではないか。
また自己愛的・無批判に歴史を賛美することでももちろんない。それはぼくらの国民的な心情を揺さぶるけれども、複数の視点に配慮する理性の批判には到底耐えられないものだ。
そうではなく、少なくとも日本近代の歴史がああでなかったら、いま私たちの生きている日本社会は間違いなくこういうかたちでは存在していないし、さきの悲惨な戦争がなかったら、ぼくらひとりひとりが日本人としてこうして生まれ生きていることはありえなかった、という単純な事実から出発しなければならないのではないだろうか。
あの戦争がなければ私はここにいないのだ。
それは論証以前の事実のはずだ。つまりどう捉えるにせよ、好むと好まざるとに関わらず、あの時代の歴史と戦争は、ぼくらが個人として集団としてかく存在することの、準備であり条件だったのだ。
そこには当然ながら光もあれば影もある。そのひとつひとつを、より高い視点から、「私と私たちの物語」として捉え直すこと、つまり自分のアイデンティティとして心に取り戻すことこそが、歴史を学ぶということの意義だと思う。ぼくらの学んできた唯物主義的「モノだけ」のフラットな歴史観は、いかにそこから遠かったことだろう。
出口からすぐのところに靖国神社の裏口があり、そこに意味ありげに黒塗りのベンツが停まっていた。高位と見える神主さんが来客を見送っているところだ。印象的な四角い顔の来客、あ、あれは、いま政界を騒がしている亀井さんではないか。間違いない。
どんな表情をしているのか見てやろうと思ったが、後席の窓は真っ黒で何も見えず、黒塗りベンツは高速で走り去っていった。
(2005-08-20 23:10)
過去を「反省」するとは
ぼくらは、大きな「私たち」である日本の過去をどのように捉えればいいのか。
日本が過去に侵したとされる戦争犯罪はたしかに反省すべきだが、かといって、客観的な検証がないまま相手の言うことを鵜呑みにして謝りつづけるのは言葉の正しい意味で「卑屈」だ。卑屈な人間はカモにされる、というのは国際関係にも当てはまると思う。
反省は自己非難や卑下とは似て非なるものだ。にもかかわらず、それが無自覚なまま概念的に混同されているために、ぼくら国民に大きな認識と感情の混乱をもたらしていると思う。とまれ、反省するためには当時の大きな状況を公平に踏まえる必要があるだろう。
たとえばぼくらは、かっこよくてフェアなアメリカが軍国主義日本をうち破って平和と自由と民主主義をもたらしてくれたと、ほぼ条件反射的に考えているといって差し支えないと思うが、どうだろうか。
しかし日本が戦争犯罪をおこなったというなら、彼らの行った都市への無差別ジェノサイド爆撃も原爆投下も、一般市民の虐殺として同じように犯罪的であるはずだ。
とくに原爆ついてははっきりしている。
アメリカはその威力を確認すべく人口の大きい都市を投下目標に選定して、焼夷弾による都市爆撃リスト(アメリカは人口順に日本の都市をリストアップし、頭から虱潰しにしていたのだ)から除外し無傷のままで保ち、その人間の生活する都市の上で原爆の威力をテストしようとしたのだという。
実験のためには被験者は健康でなければならない、ということか。計画的という意味でも、まさにかのアウシュビッツに劣らぬたいへんな非人道的犯罪といって間違いない。
もしそう捉えることに抵抗があるとすれば、それは「原爆投下は正義のためだった」という彼らのバイアスを、とてもすなおに自分のものであるかのように鵜呑みにして、疑問を抱いていないからだと思う。もちろん戦後民主主義教育で育った自分にも、そういう抵抗感がこうして書いていて現にはたらいているのを感じる。
ちなみに京都や奈良、鎌倉は文化財保護のために爆撃目標とされなかったという「美談」がいまでも通用しているようだが、それはGHQの民間情報教育局による意図的な政策宣伝がマスコミを通じて流布したものであるとのこと。
実際には、京都は最後まで原爆投下の第一目標にあげられており、他の投下目標と同じように原爆のために「予約」されていたために通常爆撃を免れていたにすぎない、というのが真実らしい。三発目の原爆は敗戦の日までに完成して投下寸前となっており、京都の運命は風前の灯火ともいえる状況であったという。
奈良、鎌倉が爆撃を受けなかったのは、単に人口が少なかったために爆撃リストの下位にあったからであって、奈良については爆撃直前に到っていたという。
(『京都に原爆を投下せよ』吉田守男著、参照。きまじめな研究書で、米国の一次史料にもとづいてこのことをほぼ論証しているといっていいと思われる。)
このような意図と性格を持った原爆投下や都市空襲が、これまで日本ではあたかも自然災害や罪を犯した国への天罰であるかのように語られてきたのではないだろうか。でなければ、あたかも犯人の存在しない犯罪のように。
例を挙げるまでもなく、そのほかのどの国も多かれ少なかれ、いずれこうした戦争の罪責から自由ではない。もっぱら他者を非難する者は、だいたい自分自身の足下への注意がおろそかになっている、というかなかば意図的に見ないふりをするものだ。
もちろん、だから日本が免責されるということではなく、そうした世界の相互関係と、通史的な大きな枠組みで捉えなければ議論にならない、ということにすぎない。
思うに、歴史に免責はないというのなら、戦争犯罪を論じるには、原則的には歴史始まって以来のすべての戦争を取り上げなければならないことになるはずだ。いつから時効になるかを決めるとしても、それは恣意的な線引きにすぎないだろう。
歴史を通してみても、同時代の国際関係を考えても、あるひとつの事柄を取り上げて、「自分たちは悪事のみをおこなっていた」とか、「お前は絶対に悪くて、自分は完全に被害者だ」ということはできない。
にもかかわらず、そうした硬直的で粗雑で過度に一般化された議論、というか非難合戦が横行しているように見受けられる。不毛というほかないと思うのだが。
思考の硬直化、極端化、過度な一般化は、とても有効な心理技法である論理療法でいえば、まさに《イラショナル・ビリーフ》、つまり非合理な思い込みの特徴である。
歴史的事実の認定という議論もさることながら、それ以前に必要なのは、ぼくら個々の国民が日本人としてのアイデンティティに関わる非合理的な思い込みと取り組むこと、そしてそれを通じて集団としての日本文化が、非合理的で教条的な自己非難から解放されることであるように思われる。
日本近代史は罪悪の歴史であるとほとんど条件反射的に捉えてしまうような、ぼくらが学校教育やマスコミを通じて植えつけられた歴史認識、いわゆる「自虐史観」に、そのような硬直化した信念・思い込みがはたらいているように見受けられるのだが、どうだろうか。
アカデミックな歴史研究を例にとると、一見きわめて理性的にクールに、文献的証拠や先行研究を踏まえて歴史的事実の解明をおこなっているように見えながら、そもそもそうした研究を行わせている動機や、テクストから「歴史的事実」を読み取るコンテクスト、学会の何が正しいのかを判定する基準、それらの背後・深層に、自明のものとしてはっきりと自覚されないかたちで、そうしたビリーフがはたらいているということである。
個々人に落ち込みなどの心理的問題をもたらすイラショナル・ビリーフとは、思考の枠組みとして半ば無意識化しあたりまえのものになってしまっているために、当の本人は往々にしてそれがあることに気づいていない。人に指摘されて「ああ、そういえば」と気づくものだ。
要するに、あまりに自分の視点に近すぎて、というか視点そのものとなって距離ゼロになっているために、盲点に入ってしまっているのである。
すると、もし戦後のいわゆる進歩主義史観、いまでは上はアカデミズムから下は小学生に到るまで、疑いもなく抱いて常識となっている歴史観のベースに、そのような理に合わない潜在的な思考がはたらいているとしても、それが反省されえないのはいたしかたないとも言える。
人は文化的文脈のなかで善悪や何が真実なのかという価値判断を行なうものだが、その文脈・文化的枠組み自体を相対化するというのは、普通に生きていたら難しいことだし、大学アカデミズムでポストを得てそのことでエスタブリッシュしている歴史学者にはなおさら難しいことだろう。
自己非難によってうつ状態になっている人は、典型的に次のようなイラショナル・ビリーフを持っているという(これは落ち込みがちな自分を振り返ってもきわめて納得がいくことだ)。
歴史認識にかかわる、いろいろもっともらしい議論の背後に、このような自明化された理に合わない信念がはたらいているとあきらかに見てとれるのだが、どうだろうか。
・罪を犯した自分たちは絶対に悪く、つねに罰せられなければならない。
・われわれの過去は、すべて罪悪にまみれている。
・自己批判こそが真実と正義をもたらす。
・自己愛や自己承認は傲慢におちいるので危険である。
・悪いことをした自分は、迷惑をかけた人々を批判してはならない。
・そのように判断する自分たちの見解はぜったいに正しくなければならない。
見てわかるとおり、現実的視点から論駁する余地のいくらでもある、論理にならない論理である。つまりイラショナル・ビリーフとはそのようなものなのだ。しかし体験上よくわかるのだが、気づいて取り組めば確実に換えていくことができる。
まず気づくことが治療の第一歩になる。そしてそれは個人に限っていえば、かなり容易な作業のようである。
ぼくらが国民として、集団に生きる個人として、自信・自尊心を取り戻すためには、右に左に歴史認識を云々する以前に、自らの思考を無自覚なところで規定しているこのような思い込みを、自覚し、論駁し、解消する必要があるだろう。
繰り返すが、それは思った以上に容易な作業であるようだ。
by type1974 | 2005-09-02 18:54
右でも左でもなく
「落ち込み」のテーマとはまったく関係ないが、去る8月16日に靖国神社の軍事博物館「遊就館」に行って来た。
べつにナショナルな心情で足を運んだのではなく、単に自衛官の友人に誘われてついていっただけで、半分博物館巡りの気分だった。あとちょっと趣味的な興味もあった。
あの九段の地には独特な雰囲気がある。皇居に隣接し、またすぐ裏に朝鮮総聯の本部らしき建物があって、多数の目つきの鋭い警察官がうろうろしていた。いろんな意味で「濃い」場所だと感じさせられた。
和洋折衷のふしぎな雰囲気を持つ昭和初期の建築に、最新の「平成館」が併設されていて、そこがこぎれいだが無味無臭な感じの入り口となっている。平日だがお盆とあって来訪者がとても多い。意外にも老若男女、子供連れ、カップル、いろんな雰囲気の人が訪れている。また独りで訪れて展示に見入っている寂しげな老人が多いのが印象的だった。
入ってまず眼に飛び込むのが、展示の目玉、『零戦』の実機だ。イメージしていたより実物は大きく力強く感じる。その空力的な洗練を究めたフォルムは端的に美しいと感じさせられる。
ちなみに展示は後期の「五二型」という改良型だが、赫々たる性能を発揮し空を制覇した初期型とは対照的に、満足な性能向上を遂げられず、発達を重ねる米英機に敵することができないまま、多くが特攻機に用いられたという、悲しい歴史の“証人”だ。NHKの特集番組『欠陥機・零戦』を見てご存知の方も多いと思う。
展示はもっぱらさきの戦争以前の日本近代史を軍事的に回顧する内容に終始している。
まず明治維新以来の歴史を、列強の脅威への対抗、そしてそのための必然的なアジアへの進出、という文脈で紹介したパネル展示をくぐり抜ける。そのひとつひとつを見ていくと、自分が知らない事はとても多いのだと思わされる。ぼくらが学んだ学校の日本史がだいたいすっとばしている部分だ。
公平にいって、そこには戦争そのものを批判的に見るという視点、そして自他に多くの災厄をもたらしたという反省の視点が欠けている。そのようにいろいろ批判すべきところは多いに違いないが、しかし展示が主張する「我が国の物語」には、正直心情的に感じさせられるものがあった。あくまで心情的に、だが。
特別展示は「日露戦争」だった。全然意識していなかったが、今年は日露戦争百周年に当たるのだ。その胸のすくような勝利(実際には数々の苦闘があったという)には、遠慮のない賞賛が送られている。威勢のいい記録映画のナレーション。紹介されている軍人たちの顔が凛々しく見えてくる。
むろんこうした戦争観は一面的であり、そういう意味でいえば独善的なものには違いない。ぼくらは戦後民主主義的ないしマルクス主義的な歴史観を教わってなんとなく自分のものにしているので、こうした愛国史観をクールに批判的に(それも考えてみれば一面的なものの見方であることには変わりない)見るように条件付けられている。それはそれで必要な反省の視点だ。
しかし、同時代の物品の数々を見て、少なくとも当時の国民感情がこの戦争に「本気」であったこと、そして戦勝を実にすなおに誇ったことがうかがえた。それはすぐに優越感-傲慢に結びつくような危険な心情でもあったわけだが。展示は、その感情を自分たちのものとして共感的に理解しようとつとめている、ということは言えるだろう。だから見ているぼくらの心情のある部分を揺さぶるのだと思う。
そこから先、銃弾の穴のあいた軍服、実際に使用されていた武器、家族に宛てた兵士の最後の手紙、歴代の天皇の思い出の品々、特攻隊の遺品、等々の展示が続く。みんな興味津々といった感じで眺めている。涙を流しているらしい中年女性もいた。茶髪の兄さんも多い。老いも若きもごく普通の人たちに見える。
最後に大きい吹き抜けの部屋に出るのだが、そこにはさきの大戦で使用された兵器の実物と模型が展示されている。なかでもひときわ目を引くのが、多数が特攻に用いられた艦爆『彗星』と人間魚雷『回天』、そして特攻兵器『桜花』の実物だ。
そして南方の島々から帰ってきた遺品がショーケースに並べられている。そのなかに穴の開いた錆びたヘルメットがあったりする。これをかぶっていた兵士は確実に死んだだろう。
遊就館の展示は、近代の歴史を誇らしい国民の物語として主張するという、その目的にそって効果的に演出していると思ったが、しかし最後はやはりここに至ってしまうのだ。
立派な若者たちの、文字通り命をかけた出撃。心情的には想像しがたいけれども、特攻とその死がある種崇高に感じられるのは確かだ。しかし事実は、そのほとんどが有効な戦果を挙げることができなかった。
『桜花』の寸づまりで一見ユーモラスな外観が悲しく見える。米軍はこの必死の兵器に「BAKA」というコードネームをつけたという。
特攻に代表される、歴史を回顧する今の目からはほとんど無意味に思われる無数の死。
「右」の象徴・靖国も、それらの死を称揚し賛美し祀り上げてはいるが、自分たちに直接つながる者たちの死として、意味づけ消化することができてはいないのだと思われた。
あの戦争、さらにはそれにつながる日本の近代を、罪悪と汚辱にまみれた歴史だと断罪する、いわゆる左の進歩主義史観と、遊就館の熱い「物語」に代表される右の愛国史観、そのどちらもが自分の正義を主張して他方を虚偽だと非難しあっているのが現状のようだ。その狭間、理性と心情、自己非難と傲慢の間に、ぼくら国民の心は取り残されているように見える。
しかし必要なのは、近代の歴史と戦争を、あたかも他人の悪事であるかのように非難することではないはずだ。それを声高に喜々としてやっている人たちは、自分が何のために過去を非難しているのか言えるのだろうか。 「悪事」を暴露し非難する自分が「いい人」になりたいからではないか。
また自己愛的・無批判に歴史を賛美することでももちろんない。それはぼくらの国民的な心情を揺さぶるけれども、複数の視点に配慮する理性の批判には到底耐えられないものだ。
そうではなく、少なくとも日本近代の歴史がああでなかったら、いま私たちの生きている日本社会は間違いなくこういうかたちでは存在していないし、さきの悲惨な戦争がなかったら、ぼくらひとりひとりが日本人としてこうして生まれ生きていることはありえなかった、という単純な事実から出発しなければならないのではないだろうか。
あの戦争がなければ私はここにいないのだ。
それは論証以前の事実のはずだ。つまりどう捉えるにせよ、好むと好まざるとに関わらず、あの時代の歴史と戦争は、ぼくらが個人として集団としてかく存在することの、準備であり条件だったのだ。
そこには当然ながら光もあれば影もある。そのひとつひとつを、より高い視点から、「私と私たちの物語」として捉え直すこと、つまり自分のアイデンティティとして心に取り戻すことこそが、歴史を学ぶということの意義だと思う。ぼくらの学んできた唯物主義的「モノだけ」のフラットな歴史観は、いかにそこから遠かったことだろう。
出口からすぐのところに靖国神社の裏口があり、そこに意味ありげに黒塗りのベンツが停まっていた。高位と見える神主さんが来客を見送っているところだ。印象的な四角い顔の来客、あ、あれは、いま政界を騒がしている亀井さんではないか。間違いない。
どんな表情をしているのか見てやろうと思ったが、後席の窓は真っ黒で何も見えず、黒塗りベンツは高速で走り去っていった。
(2005-08-20 23:10)
過去を「反省」するとは
ぼくらは、大きな「私たち」である日本の過去をどのように捉えればいいのか。
日本が過去に侵したとされる戦争犯罪はたしかに反省すべきだが、かといって、客観的な検証がないまま相手の言うことを鵜呑みにして謝りつづけるのは言葉の正しい意味で「卑屈」だ。卑屈な人間はカモにされる、というのは国際関係にも当てはまると思う。
反省は自己非難や卑下とは似て非なるものだ。にもかかわらず、それが無自覚なまま概念的に混同されているために、ぼくら国民に大きな認識と感情の混乱をもたらしていると思う。とまれ、反省するためには当時の大きな状況を公平に踏まえる必要があるだろう。
たとえばぼくらは、かっこよくてフェアなアメリカが軍国主義日本をうち破って平和と自由と民主主義をもたらしてくれたと、ほぼ条件反射的に考えているといって差し支えないと思うが、どうだろうか。
しかし日本が戦争犯罪をおこなったというなら、彼らの行った都市への無差別ジェノサイド爆撃も原爆投下も、一般市民の虐殺として同じように犯罪的であるはずだ。
とくに原爆ついてははっきりしている。
アメリカはその威力を確認すべく人口の大きい都市を投下目標に選定して、焼夷弾による都市爆撃リスト(アメリカは人口順に日本の都市をリストアップし、頭から虱潰しにしていたのだ)から除外し無傷のままで保ち、その人間の生活する都市の上で原爆の威力をテストしようとしたのだという。
実験のためには被験者は健康でなければならない、ということか。計画的という意味でも、まさにかのアウシュビッツに劣らぬたいへんな非人道的犯罪といって間違いない。
もしそう捉えることに抵抗があるとすれば、それは「原爆投下は正義のためだった」という彼らのバイアスを、とてもすなおに自分のものであるかのように鵜呑みにして、疑問を抱いていないからだと思う。もちろん戦後民主主義教育で育った自分にも、そういう抵抗感がこうして書いていて現にはたらいているのを感じる。
ちなみに京都や奈良、鎌倉は文化財保護のために爆撃目標とされなかったという「美談」がいまでも通用しているようだが、それはGHQの民間情報教育局による意図的な政策宣伝がマスコミを通じて流布したものであるとのこと。
実際には、京都は最後まで原爆投下の第一目標にあげられており、他の投下目標と同じように原爆のために「予約」されていたために通常爆撃を免れていたにすぎない、というのが真実らしい。三発目の原爆は敗戦の日までに完成して投下寸前となっており、京都の運命は風前の灯火ともいえる状況であったという。
奈良、鎌倉が爆撃を受けなかったのは、単に人口が少なかったために爆撃リストの下位にあったからであって、奈良については爆撃直前に到っていたという。
(『京都に原爆を投下せよ』吉田守男著、参照。きまじめな研究書で、米国の一次史料にもとづいてこのことをほぼ論証しているといっていいと思われる。)
このような意図と性格を持った原爆投下や都市空襲が、これまで日本ではあたかも自然災害や罪を犯した国への天罰であるかのように語られてきたのではないだろうか。でなければ、あたかも犯人の存在しない犯罪のように。
例を挙げるまでもなく、そのほかのどの国も多かれ少なかれ、いずれこうした戦争の罪責から自由ではない。もっぱら他者を非難する者は、だいたい自分自身の足下への注意がおろそかになっている、というかなかば意図的に見ないふりをするものだ。
もちろん、だから日本が免責されるということではなく、そうした世界の相互関係と、通史的な大きな枠組みで捉えなければ議論にならない、ということにすぎない。
思うに、歴史に免責はないというのなら、戦争犯罪を論じるには、原則的には歴史始まって以来のすべての戦争を取り上げなければならないことになるはずだ。いつから時効になるかを決めるとしても、それは恣意的な線引きにすぎないだろう。
歴史を通してみても、同時代の国際関係を考えても、あるひとつの事柄を取り上げて、「自分たちは悪事のみをおこなっていた」とか、「お前は絶対に悪くて、自分は完全に被害者だ」ということはできない。
にもかかわらず、そうした硬直的で粗雑で過度に一般化された議論、というか非難合戦が横行しているように見受けられる。不毛というほかないと思うのだが。
思考の硬直化、極端化、過度な一般化は、とても有効な心理技法である論理療法でいえば、まさに《イラショナル・ビリーフ》、つまり非合理な思い込みの特徴である。
歴史的事実の認定という議論もさることながら、それ以前に必要なのは、ぼくら個々の国民が日本人としてのアイデンティティに関わる非合理的な思い込みと取り組むこと、そしてそれを通じて集団としての日本文化が、非合理的で教条的な自己非難から解放されることであるように思われる。
日本近代史は罪悪の歴史であるとほとんど条件反射的に捉えてしまうような、ぼくらが学校教育やマスコミを通じて植えつけられた歴史認識、いわゆる「自虐史観」に、そのような硬直化した信念・思い込みがはたらいているように見受けられるのだが、どうだろうか。
アカデミックな歴史研究を例にとると、一見きわめて理性的にクールに、文献的証拠や先行研究を踏まえて歴史的事実の解明をおこなっているように見えながら、そもそもそうした研究を行わせている動機や、テクストから「歴史的事実」を読み取るコンテクスト、学会の何が正しいのかを判定する基準、それらの背後・深層に、自明のものとしてはっきりと自覚されないかたちで、そうしたビリーフがはたらいているということである。
個々人に落ち込みなどの心理的問題をもたらすイラショナル・ビリーフとは、思考の枠組みとして半ば無意識化しあたりまえのものになってしまっているために、当の本人は往々にしてそれがあることに気づいていない。人に指摘されて「ああ、そういえば」と気づくものだ。
要するに、あまりに自分の視点に近すぎて、というか視点そのものとなって距離ゼロになっているために、盲点に入ってしまっているのである。
すると、もし戦後のいわゆる進歩主義史観、いまでは上はアカデミズムから下は小学生に到るまで、疑いもなく抱いて常識となっている歴史観のベースに、そのような理に合わない潜在的な思考がはたらいているとしても、それが反省されえないのはいたしかたないとも言える。
人は文化的文脈のなかで善悪や何が真実なのかという価値判断を行なうものだが、その文脈・文化的枠組み自体を相対化するというのは、普通に生きていたら難しいことだし、大学アカデミズムでポストを得てそのことでエスタブリッシュしている歴史学者にはなおさら難しいことだろう。
自己非難によってうつ状態になっている人は、典型的に次のようなイラショナル・ビリーフを持っているという(これは落ち込みがちな自分を振り返ってもきわめて納得がいくことだ)。
歴史認識にかかわる、いろいろもっともらしい議論の背後に、このような自明化された理に合わない信念がはたらいているとあきらかに見てとれるのだが、どうだろうか。
・罪を犯した自分たちは絶対に悪く、つねに罰せられなければならない。
・われわれの過去は、すべて罪悪にまみれている。
・自己批判こそが真実と正義をもたらす。
・自己愛や自己承認は傲慢におちいるので危険である。
・悪いことをした自分は、迷惑をかけた人々を批判してはならない。
・そのように判断する自分たちの見解はぜったいに正しくなければならない。
見てわかるとおり、現実的視点から論駁する余地のいくらでもある、論理にならない論理である。つまりイラショナル・ビリーフとはそのようなものなのだ。しかし体験上よくわかるのだが、気づいて取り組めば確実に換えていくことができる。
まず気づくことが治療の第一歩になる。そしてそれは個人に限っていえば、かなり容易な作業のようである。
ぼくらが国民として、集団に生きる個人として、自信・自尊心を取り戻すためには、右に左に歴史認識を云々する以前に、自らの思考を無自覚なところで規定しているこのような思い込みを、自覚し、論駁し、解消する必要があるだろう。
繰り返すが、それは思った以上に容易な作業であるようだ。
by type1974 | 2005-09-02 18:54
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます