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釈迦尊の教え・あなたとの対話 ホームページに寄せられたご質問から
(22) 「輪廻の解釈について」(2001.10月)
Q:「輪廻」はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っていると言われています(中村元、『仏教語大辞典』「輪廻」1431頁)。
というふうにあります。
しかし仏教で言うサムサーラは「迷いの世界」という意味で使われていて、彼岸(涅槃)に対する「此岸」、つまり、輪廻とは煩悩に支配された状態ということだそうです。
インド(ヴェーダ)思想では、 「輪廻=生まれ変わる、 解脱=不生」
仏教思想では、 「輪廻=此岸(煩悩)、 解脱=煩悩からの自由(不支配)」
もし前者の解釈だと、前世とか来世とかいう話しになり、形而上学的な質問に無視(無記)したブッダの教えではなくなると思います。
テーラワーダの言う輪廻も後者の解釈でよろしいのでしょうか?
輪廻の解釈について I
> 「輪廻」はサンスクリット語で「流れること」を意味する「サムサーラ」の訳であって、古い時代から、「世の中」あるいは「世界」という意味に使用されており、サムサーラをすべて「生まれ変わる」と解するのは間違っていると言われています(中村元、『仏教語大辞典』「輪廻」1431頁)。
> というふうにあります。
A:大辞典ではそう言うことですね。辞書と言うものはある言葉の歴史的な展開と、様々な意味と、その言葉の使い方を説明すると思います。
用語辞典になるとその専門分野での意味を書きます。その意味を一般語として使えないことも多々あります。
では、
Sanskrit語で「流れる」という意味かもしれません。彼 [中村教授] がどの時代のSanskrit語だと言っていますか?Vedic Sanskritl, Panini後のSanskrit, 中世の文学Sanskritなどもあるし、またBuddhist Hybrid Sanskrit というものもあります。そのそのSanskritによって、また時代によって、分野によって言葉の意味が変わっていきます。テキトーな訳で真剣な論理については語れません。
Sanskrit語でsansarati,sancaratiと二つの言葉があります。仏教用語ではこの二つの言葉をほぼ同じ意味で使っています。もともとは意味二つですが。
Sanskritと言う名はBC6世紀ごろ?文法書を書いたPaniniさんが作ったもので「人工語」と言う意味です。
学問に使う標準語になった言葉です。必ずしも哲学者、宗教家が標準語の意味で使用してないのです。
宗教の中でSanskrit語を使っているのはUpanishadだけです。
Hindu教が主流になってから大乗系の仏教徒が強引に経典をサンスクリット化したのです。それはAC1世紀からの話です。
Jaina教、諸々のAjivaka教、仏教などの教えを理解するためにSanskrit語を基準にするのは「ピンぼけ」です。
参照する必要は当然ありますが、それで深い意味まで通ったことにはなりません。この宗教家達がSanskrit語で考えたわけでも、語ったわけでもないのです。
仏教の場合:(Sansaara)
Sanskrit語の「流れる」という意味を気にしているようです。流れるのは液体であることも忘れずに。「流れる、漏れる」と言う意味を必要になったときは態(わざ)と(Sanskrit)Srav,(Pali)savaと言う言葉を使ったのです。煩悩に使用するaasavaと言う用語はこれです。
Sansaaraの場合sandhaavatiという言葉と意味合わせをするのです。Sandhaavatiは走り回る、目的なく(散歩みたいに)歩くと言う意味です。ですからsansarati(sansaara)も同じ意味になるのです。「流れる」と言う物質に使う意味が変わって「生き物」にかかわる言葉になるのです。~生き物は流れません。意志で動くのです。~
標準Sanskrit語の意味はどうであれ、仏教はその意味でこの言葉を使ってないのです。
長くなるので、残りは後程(暇があるとき)意見を書きます。
お忙しいなか、お返事ありがとうございました。
後半の部分の「輪廻の解釈」については、自分勝手に解釈するのは危険だと思いお聞きした次第です。
ご多忙だとは思いますが引き続きお返事を頂けると幸いです。