居候犬 チャロとマロンとランとロロ

ママ上様、ご厄介になりますがよろしくお願いいたしますですぅ♪
マロンは永遠の12歳♪ ランは永遠の11歳♪

映画を見た帰り道・・・😁

2023年09月30日 | 昭和の京都

何回観に行ったかな~?

5回?6回?

ジョージ・チャキリスがお気に入りでした♪

勿論、挿入音楽も・・・「トゥナイト」「アメリカ」

LP買って自分の部屋で聴き続ける???

 

その頃は次姉と二人で洋画三昧😃

プレスリーの映画は欠かさず観に行っていました♪

勿論、LPも買ってたどたどしい英語で合わせて歌う♪

 

映画の帰りは必ず御旅町にある「田毎」に入って「光悦水指弁当」を頼みます😋

 

帰りが遅くなった時には裏寺へ廻って「5円寿司」に入ります♪

今ではレーンに乗った廻るお寿司???

でも、その頃はカウンターでお皿に乗った1貫を次々頼むのです。

1貫って?

お皿に2個乗っていました・・・今は1個???

 

そのまま裏寺を通って蛸薬師に抜ければ良いのですが

その頃の裏寺通りと言えば怪しげな通り???

若い女の子が通れるような道ではありませんでした😴

もう一度、四条通りに戻って河原町まで行く!

 

河原町通には市電が通っていたので三条まで乗る

ちょっと寄り道して「志津や」に入ってデザートを食べる

出たら一直線に河原町を北へ歩いて押小路通りへ・・・

東へ入って一乃舟入の我が家へ♪

 

な~んて、だらだら書いてしまいましたが

そんな青春もあったよな~って思い出でした😊

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突然の訪問者・・・あんた誰?😝

2023年08月09日 | 昭和の京都

玄関に突然の訪問者!

ペラペラ §∞§∞§∞§∞§∞ 何か話している???

英語というものらしい!

玄関でボケ~っと立っていた小さな私・・・たぶん5歳くらい?

誰?この人?

我が家には英語を話せる者はいない

ましてや昭和20年代のこと!

身振り手振りで外人さんは一生懸命話しているがチンプンカンプン!

どうする?

 

ふと、思いついた兄が走った!

数軒隣に大学へ行っているお兄ちゃんがいる!

呼びに行ったのだ!

 

運良く家にいたお兄ちゃんが来てくれた

大学生=英語が話せる・・・なんと安易な思い込み😝

でも、やはり多少は話せた!

 

通訳してくれた内容は

「ご主人さんが名刺をくれて是非家に来てください」

と招待していたらしい・・・と・・・その父は留守だ!

 

大学生のお兄ちゃんが聞き出してくれた事では

「祇園のお茶屋さんで出会った!」と言うことらしい。

ああ~あ、商売人と言えども調子の良い父だ!

社交的なのはいつものことだが、よりによって進駐軍の駐留兵さん!

英語も喋れない父は祇園でどんな事を言ったのだろう!

どうも、米兵さんは我が家の商売に関心があったらしい・・・。

その後はどうなったのか私は知るよしもありませんが🫤

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公衆便所…😖

2023年08月08日 | 昭和の京都

いやいや、にゃんこの公衆トイレではありません🐱

人間様の公衆トイレのお話しでございます。

 

昭和30年時代の京都市には、まだここはと思う場所には公衆トイレがありました。

私がよく覚えているのは錦通りの烏丸を少し東に行ったところ・・・

ここは大丸で買い物をして屋上で胴体だけの10円お馬さんに乗って😆

錦でご馳走を買って・・・家への帰りに通るのです。

 

多分まだその頃は進駐軍がおられた時代?

キャッ、私はどんだけ古い人間やねん😅

で、公衆トイレは当然臭い・・・外にまで独特の臭いが・・・!

建物の外回りもなんとなく掃除が行き届いて無く薄汚れ・・・

ササッと、大急ぎで通り過ぎる!

 

ご馳走に臭いが付いたら困るもんね・・・って余計な心配😁

そんなこんなの地方のお方が憧れる昭和30年代の京都市内でございました。

 

次回の京都は・・・どんなお話しにしましょうか・・・

ご希望などございましたらご一報を🤓

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夜の河…😁

2023年07月28日 | 昭和の京都

 

おお~っ!

なんと艶めかしいポスター!

 

わたしの生家は西洞院の三条

すぐ近く、姉小路の小川通り角に染物屋さんがありました。

女姉妹・・・三人だったかな?

いらっしゃいました。

 

ある日、そこで映画撮影がされていました。

もちろん、わたしはまだ幼子でしたから殆ど記憶はありません。

後に長姉に色々聞かされただけです。

 

映画は大映の「夜の河」というもので主演は山本富士子さん!

彼女はこの映画で人気女優に・・・!

 

まっ、内容は道ならぬ恋???

でも、長姉の話では

「ここの娘さんがモデルなんやし!」って???

 

いやいや、事実は

    知らんけど~😁

因みに山本富士子さん 、最近高齢施設のCMに出たはりますよね~😜

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銭湯に行く😁

2023年07月24日 | 昭和の京都

わたしが行っていた銭湯は3軒ありました。

一番近くは西洞院の姉小路上がったところ。

行っていた3軒の中では一番小さかったと記憶しています。

 

他に少し遠かったのですが西洞院の蛸薬師上がったところ。

たまにしか行かなかったので余り覚えていません。

もう1軒は「りょうとのお風呂屋さん」と言っていた

正しくは「了頓」のお風呂屋さん・・・だったのですが。

 

著名な茶人廣野了頓の屋敷があった図子なんです。

茶人と言えば実母の初婚相手は茶人だったそうです。

神経質で難しい人だったとか・・・結核で新婚まもなく亡くなったそうですが。

 

話を戻します。

その「りょうとのお風呂屋さん」が一番広々していて気持ちよかったです。

ただ、そのお風呂屋さんへ行く2軒ほど手前の屋根に「鍾馗(しょうき)さん」が乗っていて

それが何なのか知らない子どものわたしは怖い思いをしていました。

 

また、昭和京都のお話は次回に😁

 

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貸本屋・・・😁

2023年07月23日 | 昭和の京都

うつぶせ寝で本を読みあさる???

小学年生のわたし!

 

訳あって姉と二人で暮らしていた数ヶ月は自由満喫♪

毎日、貸本屋さんへ行っては歳相応の雑誌を借りる「少女」「なかよし」

読む物が無くなったら、ちょっと脱線・・・

背伸びして少年用?「怪人二十面相」「少年探偵団」・・・(後のBFは小林君でした・・・意味ない情報)

はてさて、行き着くところは「十六文からす堂」「お紺からす堂」

いやいや、これは背伸びしすぎでしょ😁

 

貸本屋さんは三条の油小路を西へ、堀川に出る手前にありました。

家から貸本屋さんへ行く三条通にはいろんな商店があって

「お肉屋さん」「八百屋さん」「お豆屋さん」←お豆のお菓子専門。

「飴屋さん」←飴ちゃん専門の店。

「パン製造のパン屋さん」「お漬物屋さん」「お薬屋さん」

三条の西洞院から堀川迄で日常の品物が殆どそろいました。

だから本を借りた帰りには 飴ちゃんや お豆さん 等いっぱい買い込んで

いよいよ読書開始!

これがわたしが自由奔放に生きる事を学んだ初めでしょうか😆

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ターザン😊

2023年07月22日 | 昭和の京都

父親は洋画が大好きでした。

幼稚園へ行くか行かないか位だったわたしは新京極辺りの映画館によく連れられていきました。

いつも、ターザンか西部劇でした。

 

映画を見た帰りには三条通を通って帰るのですが

南側にYMCAがありました

そして少し行った所のコーヒースタンドに入るのです

父親はコーヒー、わたしはジュース。

ハイカラさんだった父親はいつも世間様より少し先を行っていました。

更に少し行くと北側に蛇の目だったかブラザーだったかのミシンやさんがありました

この辺りでいつも聞こえてくるのが

♪旅~ゆけばぁ~・・・駿河の里にぃ~茶のかおりぃ~♪

母の話では広沢虎造の清水次郎長伝だそうです。

人気者だったようです。

 

えっ?

なんでわたしが父親と洋画上映の映画館へ???

その時は何も思いませんでしたが今考えるとお荷物代わり???

 

父親には祇園の芸妓をしていたお妾さんがいました。

映画を見に行くと言ってお妾さんの家へ?

母親が危険防止???の為にわたしを連れて行かせてたのだと思います。

このお妾さんとの間には男の子が生まれました。

わたしの義理の弟です。

 

そうそう、このお妾さんの妹だか妹芸者さんだったかは

あの頃のCMソングを歌っていたらしいです。

お醤油メーカーの歌・・・ヒガシマルだったかな?

 

実はわたしは父親が苦手でした

一言で言えば怖かったのです。

昔人間だから威厳がありすぎて子供心に こ・わ・い・・・😂

 

なんてとりとめも無い京都の昭和庶民の話でした。

こんな細かい昭和の京都話は数え切れない程ありますが・・・いずれ又😁

 

そうそう、ちょっと一言・・・昨日7月21日は一人と一ワンのマンション初日でした😆

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西洞院川・・・😃

2023年07月21日 | 昭和の京都

昔、西洞院通りに川があったこと書きました。

あの川は今も地下に流れている?

どうも、南へ南へ・・・京都駅を過ぎた辺りから堀川と合流???

まっ、これはわたしの小さな脳で考えたことで不確かな答えです😁

以前、本能寺の変で書きましたが

明智光秀が六角通り新町の坂の上から見ていたであろう

織田信長が寝ているであろう(あろうの重複???だって想像だもん・・・)

本能寺が丸見え!

遮る物は何も無い・・・。

と、これは以前のブログに書いていると記憶😁

 

今回は西洞院川が今どうなっているのか?

ふと気になったことと・・・

西洞院三条の生家にあった深い井戸???

夏には必ず西瓜が吊されていた、あの井戸!

あれが西洞院川に浸っていたのか?

あの川の水で冷やされた西瓜は貴重な歴史?

 

で、西洞院川は堀川と合流したのであれば堀川は?

時間が掛かりそうなので又の機会に・・・😅

なんか中途半端な記事だな~?

まっ、取りあえず今はここまで😆

 

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今井京阪・・・🚛

2023年07月14日 | 昭和の京都

我が家は商家なので地方へ荷物を送ることがよくありました。

今のように、クロネコさんとか佐川さんとか有りませんから

運送会社まで丁稚さんがリヤカーに乗せて持って行くのです。

 

室町の三条下がったところか、姉小路下がったところだったと思います。

何故か小学生だったのに登校するとき遠回り😅

この運送会社の前を通ります。

「今井京阪」さんと名前をしっかり覚えています😃

 

この室町通りのお店の話しは仰山あります♪

創業当時のワコールがあったり、

室町の蛸薬師角には割と最近まで散髪屋さんがありました。

散髪屋さんというのは道の角っこにあるらしいです。

ちゃんとした理由があるようです😁

 

へ~っと言うお店や会社が通学路にはありました♪

室町通りだけではありません。

新町通りには「松坂屋呉服部」が。

まっ、チョコチョコ書ければ書きます。

 

なんせ、今のわたしは身体が5個ほど欲しい。

それに伴ってもう限界・・・

又、数年前に罹患した「帯状疱疹」になりそうです😆

エッ、帯状疱疹って何度もなるのかな😅😅😅

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鍛冶屋さん🤬

2022年12月19日 | 昭和の京都

 

暫しも休まず鎚打つ響き~

って、童謡がありましたよね

西洞院の我が町内には「鍛冶屋」さんがありました。

西洞院と姉小路の南西角でした。

子供の私には何の仕事をしたはるのか

まったく分かりませんでした。

 

薄暗い大きな工場の中で真っ赤な炎がチラチラ見えて

ここは何したはるんやろう?

 

町内を始め、西洞院には染物屋さん関係が多く

長い鰻の寝床に反物が伸子張りしてありました。

 

家から数秒行くと三条通です

ここは、いろんな商店がありました

中でも思い出深いのはお菓子屋さん

○○専門のようなお菓子屋さんが多くありました

「まめ屋」さん「飴屋」さん「あられ屋」さん・・・。

 

で、村のかじやさんの歌詞は子供の私には何を言うたはるのかチンプンカンプン😜

大人の今は一言一言、赤部分の単語は分かります😅

しばしも休まず 槌うつ響き
飛び散る火花よ 走る湯玉
ふいごの風さえ 息をもつがず
仕事に精出す 村の鍛冶屋

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岩倉山・・・😜

2022年12月14日 | 昭和の京都

小学生の時、遠足で京都岩倉山へ行きました。

目的は「ウサギ狩り」

山の下から徐々に上ってウサギさんを追い詰める。

その時は成果なしでしたが何故かウサギ汁が振舞われました。

 

 

考えてみると残酷な話です。

今だと動物愛護協会から大目玉を貰うのかも?

 

私より10歳ほど歳上の長姉は

「そうや、岩倉へウサギ狩りってあったな~」

と、覚えているのですが次姉は

「へ~、そんなん知らんえ」って???

 

長姉と私の間にいる次姉の年にはウサギ狩り遠足なかったの?

いえいえ、嫌な事は忘れることにして生きてきた次姉には

とてもとても嫌な思い出だったのでしょうかね~?

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天狗が怖い・・・😓

2022年09月21日 | 昭和の京都

昭和の頃の三条通には専門のお店が多くありました

その中で三条の油小路におマメさん専門のお菓子屋さんがありました。

上の姉はそこの塩豆が大好きで度々私を連れて買いに行きました

私、小学校5年生だったと思います。

 

そのお店の奥には大きな天狗のお面が飾ってありました。

子供の私には恐ろしくてそのお店に行くのが嫌でした。

 

ある日、いつものように姉に引っ張られて塩豆を買いに行きました

「あの天狗が怖い~!」そう言った私を姉は???

その日はなぜか天狗のお面が飾ってなかったのです。

 

この子、何を言ってんの?

天狗のお面無いのに・・・???

 

「あんた、天狗のお面ってどこにあんの?」

そう聞かれた私は「ほら、あそこやん!」

でも、その日はどこにもお面はありません。

 

不思議に思った姉は

「もしかして、この子見えてない?目が悪い?」

 

早速、母親に報告・・・

その日のうちに「大学堂」(三条室町辺りと記憶!)

と言う名のメガネ屋さんに連れて行かれました。

なんと、結果きつい近視だと分かりました!

 

その日を限りに延々メガネ人生を歩むことになりました。

勿論、お年頃になると???見えない癖に掛けませんでしたが・・・”!

だって・・・ですよ!

女の子としては超恥ずかしいですもん!

十代中頃になると「コンタクトレンズ」なるものが出現!

眼科に数日通い作りましたよ

でも勿論ハードレンズしか無いから

い。た。い。

そう、ゴロゴロして痛かったんです。

止む無くコンタクト無し・・・メガネ無し・・・

の見えない人生を送ることになりました。

 

後日談として、結婚後メガネを掛けたら元夫に

騙された~と嘆かれ???ました・・・イヒッ、後の祭りじゃ😁

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海南堂と黒百合・・・🤩

2022年09月17日 | 昭和の京都

 =この写真は無断でコロタロウさんからお借りしました・・・ごめんなさい!=

 

何十年も昔、京都高島屋の斜向かい…つまり四条河原町北東角を東に数軒行くと

海南堂と言うこじんまりした書店がありました。

彼とよく行ったのですが、わたしは結婚を控え料理本と主婦向けの本がお目当て。

(内緒ですが、その頃話題になっていた「謝 国権の性生活知恵」も買いました😁)

彼は山男なのでもっぱら山関係の本。

ここは山の本に強く彼のお気に入りの書店でした。

さらに数軒東に行くと果物屋さんがありました

場所柄ちょっとお洒落な高級店です

店の奥には2階へ上がる階段があって上がると1軒だけお店がありました

「黒百合」と言う若いママさん一人で営業している喫茶店です。

彼との毎日の待ち合わせ場所でした。

 

デパートの仕事が終わると、狭い店内で彼を待つのです。

彼は男だから女子社員より少し遅れて終業していました。

 

ある夜のデートの事・・・

高島屋から木屋町に抜ける地下道でバッタリ・・・

遭ってしまったんです。

それは同じネクタイ売り場に出入りされている某社の営業さんに!

かっこ良くてひそかに憧れていた男性です😆

 

その時を境にネクタイ売り場はもちろんの事

隣の紳士洋品売り場や同じ階の売り場にまで・・・

二人の仲は公になってしまいました。

 

色恋沙汰の大好きな先輩たちの餌食になってしまい・・・

しかも~、暇を持て余す同僚たちの格好の話題に・・・

そんなこんなの高島屋社員時代でした😓

でも思い出としてはキラキラ光っていました

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鴨川ボーリング場😆

2022年09月14日 | 昭和の京都

 

京都にボーリング場ができた🤩

それは昭和38年の事・・・

鴨川葵橋の少し北・・・鴨川の東岸に!

早速行ったよ!

 

そして会員になったよ!

マイボ-ルも買ったよ!

もちろんマイシューズも!

 

10代の私には少し贅沢だったかな?

リッチな女学生だった?

 

でも、今もって恥ずかしい思い出がここにある!

それは時効?だから告白しますが・・・

初めて洋式トイレに出くわした

ん?これはどうして使うのだ?

便器を前に悩んだ、考えた!

 

私は乗ったのだ!

便器の細い縁に・・・

もちろん靴のまま・・・サーカスか🥺

なんとか済ませて、何事も無かったのように出て行った!

 

ああ~、あの時代・・・

初めて洋式トイレに出くわした人達はどうしたのかな😆

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京都三大祭り…時代祭🤩

2022年09月10日 | 昭和の京都

2022年・・・今年はどうやら行進があるようです🤩

 

悔しかったけど見られなかった2020年の過去記事を再びアップします。

???って、サボる言い訳やんか~😁

↓ 以下、2020年の記事です

======================================

 

今年は時代祭が行われない

いや、正確には行列が行われない

 

一之舟入に住んでいた高校生の頃、木屋町を通りました

家を出たすぐの橋上で見る時代祭は初めてでした

小学生の頃は烏丸通を丸太町から四条まで通ったはずです

学校(室町通り)から授業中に烏丸通に連れて行かれました

烏丸通の歩道に座って車道を通る行列を見ていました

 

あの頃は、まだ今ほど全国には知られていなくて・・・

「京都三大祭り」と言って

「葵祭」「祇園祭」「時代祭」が大イベントでした

因みに日本三大祭と言えば「祇園祭」「天神祭り」「神田祭」ですね。

 

時代祭の行列の中で一番好きなのは先頭を行く「維新勤王隊」です

右足を開くように斜め右前に出し、左足をそれに揃える・・・

さらに左足を開くように斜め左前に出し、右足をそれに揃える・・・ゆっくり、ゆっくり行進します

 

この繰り返しに乗って・・・横笛を吹くのです

♪ ぴ~ひゃ~らら~、ぴ~ひゃ~ら、ひゃ~らひゃら~、ひゃ~らひゃらのぴっぴっぴ~ ♪

アハッ (#^^#) 字に書くと、こんなです!

子どものころに 良く口ずさみました

悪がきのわたしは

♪ ぴ~ひゃ~らら~、ぴ~ひゃ~ら、ひゃ~らひゃら~、ひゃ~らひゃらのほっといて~ ♪

なんて・・・(#^^#)

 

維新勤王隊は元は「山国隊」がモデルです

勇ましさは行列一番・・・

わたしは時代祭最大の見ものだと思っています

ぴ~ひゃ~ら~…と聴こえてきたら

「来はった…来はった…来はったえ~」と大きな声で叫んでしまいます

サブイボが立って思わず奮い立ちます???

 

今年はコロナのせいで行列は無し…大いに寂しい思いです。

 

==================================

てぬきぶろぐでした😆

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