きのうは、
江戸の匂いが残る『両国橋』周辺をウォーキング。
(この橋が架けられた)江戸時代には「大橋」と呼ばれていました。
その後、“武蔵の国”と“下総の国”のニ国を結ぶ橋から
『両国橋』という正式名になったと言われています。
当時は両国橋の西側(現在の中央区日本橋側)を「両国」と呼び
東側(現在の墨田区両国側)を「向こう両国」と呼んでいたそうです。
現在でも
橋の西側(中央区東日本橋側)には“両国広小路跡”や“両国郵便局”などがあり
当時を偲ばせる面影も残っています。
みなさんの中にも中央区東日本橋なのに「なんで両国郵便局があるんだろう」と
不思議に思われたことがあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか!
また、両国橋が架けられた当初は有料だったこと。
あの赤穂浪士たちが吉良邸へ討ち入りした後、
この橋を渡ろうとして断られたという説もあります。
しかし、実際には不測の事態が起こるのを懸念した内蔵助が
『両国橋』を渡らず永代橋を渡って泉岳寺まで歩いたとされています。
写真(上)は、きのうの墨田区両国側から見た隅田川の様子です。
向こうに見える緑色の橋が『柳橋』。
柳橋は、隅田川と合流する神田川に架かる一番目の橋!
柳橋の両側には船宿が並び
いまもたくさんの屋形船が出番を待っています。
写真(下)は、両国橋の真ん中から見た隅田川の様子です。
アーチ状に見えているのは、総武線の鉄橋で
ずぅ~っとむこうには吾妻橋のアサヒビールも見えています。
ちょうど、気持ちよさそうに水上バスが走航していきましたよ。
たまには水上バスにも乗ってみたいですね。
その両国橋は、
・ガードレールのモチーフが花火と相撲軍配の形になっていること!
・橋の中央には、土俵をデザインした円形のバルコニーがあり休憩スペースに
なっていること!
などが特徴なんですよ。
ちなみに江戸時代に架けられた橋と現在の両国橋は多少位置がずれていますけど。
江戸時代の人たちは、ここからどんな眺めを楽しんでいたのでしょうかね。
もちろん、白魚漁をする人たちや隅田川を泳ぐ人の姿なども・・・。
両国橋から蔵前橋にかけて
粋な黒塀の料亭がずらっと軒を連ねていた頃の賑やかな様子も見てみたかったなぁ~。
以前(ん・十年前)までは、
隅田川に木材が浮かびその上を粋に歩く人の姿や
船で木材をひっぱる(運ぶ)という味わいのある光景も随所に見られたのですが。
たま~に!
酔っ払って堤防の上に寝ていた人が川に落ちたということもありましたけど。
最近は、隅田川テラスができてとっても安全になりました。
師走の訪れとともに両国橋の上もどこかせわしない雰囲気になってきました。
わたしも考えごとをしながらいつもせかせかと両国橋の上を歩いています。
考えごと!と言っても“今晩の一杯”のことなんですけど。
何を飲もうかなぁ~ってね(笑)
江戸の匂いが残る『両国橋』周辺をウォーキング。
(この橋が架けられた)江戸時代には「大橋」と呼ばれていました。
その後、“武蔵の国”と“下総の国”のニ国を結ぶ橋から
『両国橋』という正式名になったと言われています。
当時は両国橋の西側(現在の中央区日本橋側)を「両国」と呼び
東側(現在の墨田区両国側)を「向こう両国」と呼んでいたそうです。
現在でも
橋の西側(中央区東日本橋側)には“両国広小路跡”や“両国郵便局”などがあり
当時を偲ばせる面影も残っています。
みなさんの中にも中央区東日本橋なのに「なんで両国郵便局があるんだろう」と
不思議に思われたことがあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか!
また、両国橋が架けられた当初は有料だったこと。
あの赤穂浪士たちが吉良邸へ討ち入りした後、
この橋を渡ろうとして断られたという説もあります。
しかし、実際には不測の事態が起こるのを懸念した内蔵助が
『両国橋』を渡らず永代橋を渡って泉岳寺まで歩いたとされています。
写真(上)は、きのうの墨田区両国側から見た隅田川の様子です。
向こうに見える緑色の橋が『柳橋』。
柳橋は、隅田川と合流する神田川に架かる一番目の橋!
柳橋の両側には船宿が並び
いまもたくさんの屋形船が出番を待っています。
写真(下)は、両国橋の真ん中から見た隅田川の様子です。
アーチ状に見えているのは、総武線の鉄橋で
ずぅ~っとむこうには吾妻橋のアサヒビールも見えています。
ちょうど、気持ちよさそうに水上バスが走航していきましたよ。
たまには水上バスにも乗ってみたいですね。
その両国橋は、
・ガードレールのモチーフが花火と相撲軍配の形になっていること!
・橋の中央には、土俵をデザインした円形のバルコニーがあり休憩スペースに
なっていること!
などが特徴なんですよ。
ちなみに江戸時代に架けられた橋と現在の両国橋は多少位置がずれていますけど。
江戸時代の人たちは、ここからどんな眺めを楽しんでいたのでしょうかね。
もちろん、白魚漁をする人たちや隅田川を泳ぐ人の姿なども・・・。
両国橋から蔵前橋にかけて
粋な黒塀の料亭がずらっと軒を連ねていた頃の賑やかな様子も見てみたかったなぁ~。
以前(ん・十年前)までは、
隅田川に木材が浮かびその上を粋に歩く人の姿や
船で木材をひっぱる(運ぶ)という味わいのある光景も随所に見られたのですが。
たま~に!
酔っ払って堤防の上に寝ていた人が川に落ちたということもありましたけど。
最近は、隅田川テラスができてとっても安全になりました。
師走の訪れとともに両国橋の上もどこかせわしない雰囲気になってきました。
わたしも考えごとをしながらいつもせかせかと両国橋の上を歩いています。
考えごと!と言っても“今晩の一杯”のことなんですけど。
何を飲もうかなぁ~ってね(笑)
暖かく絶好のウォーキング日和でしたね、何も考えないで渡っている橋も、興味を持って渡ると、色々と興味深い事が有るものですね、勉強になりました。今日はどちらで一杯ですか?
>takeさん
こんばんは、あたたかくて気持ちのいいウォーキング日和でした。
たまには水上バスにも乗りたい気分ですね。
きょうは、おとなしく“家飲み居酒屋”です。
大好きな日本酒!福島の「奥の松」を飲んで
カラダの芯から酔ってます(笑)
takeさん、カンパイです
両国橋のお話は興味深かったです。
隅田川の屋形船って冬もやっているんですね。
忘年会を屋形船で出来たら最高でしょうね。
>あかねさん
こんにちは、ありがとうございます。
江戸時代の両国は、江戸で一番の繁華街だったそうです。
芝居小屋に見世物小屋、髪結床、水茶屋などが立ち並び
屋台や大道芸人も多く集まったといわれています。
そんな様子をうかがいしれる模型が
江戸東京博物館に展示されているんですよ。
いまでは想像もつかないくらい賑わっていたのでしょう。
わたしは、隅田川に架かる橋が大好きです。
とくに清洲橋や吾妻橋、勝鬨橋もいいなぁ~。
隅田川に架かる橋って
どれも個性的でその街によく調和していますよね。
意外と橋マニアなんて人も多いんですよ。
柳橋の両側にはたくさんの屋形船が出番を待っています。
夕方ともなると
柳橋から次々と出船していくその姿は
とっても粋で風流な雰囲気を漂わせています。
たまには屋形で一杯なんていうのも粋ですよね。
釣りもしたくなりそうです(笑)
今やその面影はなくなって居ますね。
江戸博の両国広小路の模型は、細部まで作りこんでいて、いくら見ていてもあきませんでした。
屋形で江戸前の天ぷら食べながら、一杯やりたいものです。
>下町男さん
こんばんは、
江戸時代にたいへん賑やかだった柳橋も
いまではビルに変り情緒を感じさせる建物はありません。
唯一残っている料理屋の黒板塀に
当時の花柳界の名残りがみられるていどです。
そうですね。
柳橋の両側に船宿が並び
いまもたくさんの屋形船が出番を待っている姿こそが
一番柳橋らしい光景なのかも知れません。
最近では、ドラマの撮影にも使われている柳橋!
夜もまた
グリーンのイルミネーションに飾られた柳橋が
幻想的な姿を見せています。
これまたとってもきれいですよ。
たまには屋形で一杯なんていうのも粋ですよね。